飛んで火に入る
逆木製薬のビルを平面図から見ると左側に刃先が来る小刀のような形をしている。
つまり、上の階に上がるほど、床面積が小さくなるのだ。
その刃先のある最上階の角部屋が社長室だった。
刃先の部分に窓があり、窓の両脇に本が燦然と並ぶ木製の本棚に納まっていた。
良く見ると、本だけではなくファイルも沢山ある。
その窓の前には、大きなデスク、だが社長の物にしては高価そうでもない。
この社長室自体、会社の大きさに比べて小さい気がする。
デスクには若い男が、背もたれのついた椅子に深々と腰掛ている。
年の頃は、二十五頃。
黒髪のツーブロックショート、冷ややかな細長い眼に黒縁の眼鏡をかけて、細い顎に、薄い唇。
背は高いが、肉は付いていない。
顔立ちは整っているが、神経質そうな男である。
着崩した黒のシャツの上に白衣を羽織って、ネクタイは付けていない。
「こんばんは、侵入者。俺が社長の逆木烈だ。お前の名前は?」
声は思ったよりも嫌な声では無く、聴き取り易い声だが、命令に慣れた声だった。
だが、とても社長とは見えない。
研究員か若手社員といったところだ。
「……」
菜穂が眼を逸らして黙っていると、烈が警備員に顎で合図を送る。
吐かせろ、と。
「いっ!あぁっ!」
右腕に力が加えられた。
菜穂の細い腕など、鍛えられた男の腕の前では無力だ。
「折られるの嫌だろう?さっさと吐け」
にやりと笑って、大きなデスクの上に座り菜穂の痛がる様を見て楽しんでいる。
「……っ、ひが、な、ほ」
烈が警備員に拘束を解くように命じる。
そうして、ようやく腕が折られる心配はなくなった。
「ひが、比嘉。なほ、奈保かな、菜穂かな?」
バインダーに挟んだ紙に菜穂の字を当てている。
菜穂に字を見せて確認する。
「お前の場合は、菜穂の方が合いそうだな、こっちだろう?」
「……そうよ」
「やっぱりな。こうゆうネーミングのセンスも商品を売るには必要なんだよ」
バインダーを軽く指で弾き、得意げな烈。
「人の名前を物と一緒にしないで!」
馬鹿にされた気がして、菜穂は叫ぶ。
「ふぅん、威勢が良いな」
菜穂の顎を掴んで物珍しそうに眺める。
「触んないでよっ!私は、あんたのせいで……!」
「恋人が盗られたか?」
菜穂は烈を睨め付けた。
「ふん、居るんだよな。
そうやって、製品のせいにしてこちらに怒りをぶつけて来る消費者が。
物は物でしかないんだ。こちらはそれを造るだけ。解ったかな、お嬢さん?」
「つまり、責任はあんたには無いって事!?」
「そうなるね、物分りがもう少し早かったら嬉かったんだけど」
寒気のする笑顔を、菜穂に向けて脅す烈。
「こんな会社、潰れれば良いのに……!」
腹の底から願う。
対して、烈は気にも留めない。
「ところが、潰れないんだよ。需要があるからな」
烈は先ほどから、警備員に押さえつけられている菜穂を実験動物の様に観察している。
烈はデスクの引き出しから、銀色の缶を取り出した。
その中には、空の注射器が入っていた。
右側の本棚の隣のスチール棚の中から消毒用アルコールと脱脂綿を取り出しゴムチューブで、菜穂の濡れた左前腕を縛った。
「何する気よ!?」
「ただの採血だ」
烈は手慣れた様子で、菜穂の採血を行った。
その採取した血に菜穂の名前のラベルを貼る。
「……何で、採血なんか?」
菜穂は気味悪がって訊くが、烈は淡々と答える。
「侵入者はこうしてデータを取っている。この会社は入り易かっただろう?」
「わざと!?」
「そう。警察に言わない代わりに何かしらの被験者となって協力して貰おうと思ってね」
「最低!噂通りに人体実験していたのね!?」
そう、窓が開いていたのも、登り易い位置に木を植えたままにしているのも、PCにロックがかかっていなかった事も、全て罠だったのだ。
烈は、あからさまに菜穂を馬鹿にして笑っていた。
菜穂が侵入してきたところから、烈は社長室のPCから見ていたのだ。
男性の髪型ってほんと、なんて表現したらいいのかわかんないですよ。