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惚れ薬  作者: 谷藤灯
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簡素な家と水の音

 目が覚めた烈は、仕事を順調にこなしていた。

自身が被験者となったことで、惚れ薬に関しての改良点も視野に入れているので、さらに忙しくなってしまった。


ただ、気がかりな事が一つだけあるのだ。


「あいつ、何の音沙汰もなしか……」


比嘉菜穂から、何の連絡もないのだ。

そんな女からの連絡を待っている自分に可笑しさを感じつつも、烈は待っていた。


「あいつは、移動もしてないんだったな……」


逃亡するなら、もう家を空けてても良い筈なのだが。

雇った探偵からは比嘉菜穂は家の中に篭っているという報告が上がってきたのだった。


「俺の復讐が怖いんだったら、もう逃げているはずなのに一体何をしているんだ?」


もう、あれから一週間が経とうとしている。

烈の自宅に置いていた服や洗面道具も、全て跡形も無く処分されていた。

掃除も綺麗に行われており、菜穂の指紋も垢すらも残っていない状況だった。

そんな人物は元より存在しなかったかのように。


「まったく、あの女……居る前よりも綺麗に掃除しやがって……」


どうしてこんなにも気になるのか、というのは烈には理解出来なかったが、冷静に理由付けをするには、余りにも衝動は強すぎた。

たいていの被験者は、惚れ薬の効能が切れると使った購買者に対して憎しみや殺意を持つ。

好意を持つのは少数派だ。

どうやらその少数派に烈は遺憾ながら組してしまっている。

被験者が憎しみを持つのは、購買者が不当な扱いをする場合に起こる。

多数の購買者は、薬の効果で抵抗しないのを良い事に被験者を虐待まがいまで追い込む場合が見受けられるからだ。


「良い扱いを受けた気はしないんだが……いや、もしかしたら」


二回目の出会いで、すでに彼女への興味を隠せない自分が居た。

自分では愛情ではないと思っていたが、その時点で、烈は菜穂に愛情を抱いていた。


『ごめんなさい……』


菜穂のあの言葉が忘れたくとも忘れられないのだ。

笑っているのに、泣きそうに、それでいて儚くて美しい笑顔だった。

どんな、心情であればあんな表情が出来るのか、烈には解らない。

儚かったというのが、気になるのだ。

そして、同時に腹立たしくもある。


「嫌な感じだ……」


烈は気が付いたら、菜穂の家へと車を向かわせていた。

車を有料駐車場に止めると、スマートフォンで住所を確認する。

菜穂の家は築二十年は経っているであろう、三階建ての賃貸マンションでの一階の部屋で、小さかった。


今日も、雨で、冷たいし、服は濡れるし、うんざりとしながら烈はビニール傘を差す。

もっと、寒ければ雪になるだろうに、1月にしては少し暖かい。

灰色の空は、どんどんと暗さを増すばかりだった。


「やはり、家を買ってやるべきだったな」


こんな小さな部屋で、あの女が暮らしているのだと思うと侮蔑が湧いて来る。

自分の外見と薬の闇取引の値段の為に、住む場所には金を懸けられなかったのだ。

それほどに、菜穂は切羽詰まっていた。

烈には、あくせくと働く菜穂が容易に想像できた。

腹の内を誰にも見せなかった事も。


「なんて、馬鹿な女。

自分が楽しむ事に何も使っていなかったのか」


玄関の呼び鈴を一応鳴らしてみる。

応じる気配も無かったので、烈は、帰ろうとしたのだが、開いている窓から水音が微かに聴こえた。

外の雨音に紛れそうだが、これは室内からだ。


(居る!)


「おい、居るんだろ!?」


扉を叩いて、ドアノブを掴むと鍵が掛かっていない事に気が付いた。


「……」


無用心だと思いながら、菜穂の家に入る。

水音は相変わらず続いていた。


「シャワーの音か……?」


玄関横の台所の水場には洗われていない食器が重なっていたが、水は使われてはいなかった。

部屋の中には、座卓とドレッサー、勤めていた時に男から貢がれていたと思われる鞄。

いずれもブランド物で、服もそうなのだろうと思わせる物が多かった。


「あいつに似合わない物ばかり贈りやがって……」


菜穂は貰い物も売って、金にしていたのだろう。

質屋のレシートが座卓の上に置いてあった。

ドレッサーの上には、使いかけの化粧が整然と並んである。


(まるで、武器みたいだな…)


実際に、菜穂にしてみれば、化粧は武器だ。

美しい事は彼女の武器なのだから。


「にしても、他の物が無いな」


家事に必要な物の炊飯器、レンジ、洗濯機と、ベッドやスマホやエアコンはある。

だが、ただあるだけなのだ。

統一されている物はなくて、趣味の物は無かった。

経済新聞と雑誌が無造作に置かれているが、どれも客との会話を合わせる為の情報収集の手段に過ぎない気がした。

やがて、烈はベッドの上に見慣れた物が在るのに気が付いた。


「これは俺が……」


烈があげた、大きなぬいぐるみが大事に置かれていた。

枕の上に座らせる様にして、新しいリボンも首に巻かれていた。


「……」


リボンを替えると、話していた通りに黄色のリボンだった。


「……菜穂」


薬が切れてから初めて口にした。

溜息のように、唇からこぼれた言葉は、その名を持つ人物に恋着を抱かせる。

その人物の近くに居たくて、浴室に近付く。

水音が大きくなる。

扉が閉まっていればこんなに音は響かない、そう扉は開いている。


「菜穂?」


訝しげに思い、中を覗く。

そこには、水が溢れる最中、伏せる菜穂の姿があった。


「おいっ!菜穂!?」


血の気が引いていて、真っ白な肌が水に濡れて気の毒なくらいだ。

左手首には、何度も斬りつけた痕がある。

傍には、刃が出たままのカッターナイフが転がっていた。

流れ続ける水では、血も流れる事を阻止されなかったらしい。

急いでシャワーの蛇口を閉め、紫に変色した唇の菜穂を抱きしめる。

服が濡れても、凍える菜穂を烈は抱えた。

菜穂の冷たさが移ったかのように烈の体も凍えた。


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