嫉妬
この職場には、菜穂意外にも、事情を隠して働きたい同僚も多く、菜穂には働きやすい場所だった。
嘘だらけのうわべだけの恋の駆け引き。
それを、金のやりとりだけと割り切って行う事に抵抗は無かった。
「いらっしゃいませぇ」
「なんだ、こんな所で働いているのか?」
「烈!?」
烈は、心底呆れたと言いたそうな顔を隠さずに菜穂を見下ろす。
菜穂は接客スマイルも忘れて、口を大きく開けてしまった。
遊びのあるスーツ姿というものだろう。
黒のワイシャツに、光沢のあるグレーのスーツ、深みのある青のネクタイをつけ、チェスナットブラウンの革靴は手入れが行き届いていた。
コートは預けたのだろう。
時刻は、もう日付が変わる時刻だ。
「せっかくの美人に仕上げたメイクとヘアスタイルとドレスが泣くぞ」
烈は、声に出しながら、視線で順番に追っていった。
濃い目の化粧だが、色は派手にせず、つけまつげと黒のアイライナー、抑え目のチークとくっきりとした眉、
コーラルのティントリップで仕上げたメイク。
緩めの編み込みをまとめ上げたアップスタイルに、オフホワイトのレースを胸元にあしらったタイトなミニドレス。
「いちいち腹立つ男ね!!」
「俺は、客なんだが接客する気はないのか?」
「……」
それを言われると菜穂は痛かった。だが、あっさりと烈は食い下がる。
「安心しろ。今日は菜穂の仕事ぶりを観察する為に来た」
口の端を片方だけ上げて、ぽんと菜穂の頭に手を置いた。
「崩れるからやめてよ!」
「さっき、やっと名前を呼んだな」
ふと、手を除け柔らかい笑みを浮かべた烈に菜穂は言葉を失くした。
その菜穂を置いて、烈は他の女の子を指名して行ってしまった。
菜穂は烈を無視して接客するが、どうにも視線が痛い。
男達が送ってくるような熱っぽい視線とは違い、ただ観察されている。
時折、隣に座る女にそつなく会話をしている所は頭の良さを伺えたが、どうも烈は、惚れ薬を飲んだ後も、菜穂の事を実験動物として視ているふしがある。
(どうしよう、何か怖い……)
しかも、烈は羽振りが良い為、接客する女達の気合が違う。
しかも若社長、顔も悪くはない。あわよくばと狙っているのが解るのが、菜穂には複雑だった。
「お前のおかげで勉強になったよ」
「……なによ?」
閉店後の明け方のタクシーの中、
雨の叩く音とワイパーの音で会話が少し聞き取りにくい。
烈は、車の中で音楽やラジオを流すのを好まないので、タクシーの運転手にもラジオを消させたくらいだ。
だから、まだ聞き取り易いはずなのだが、如何せん雨が強い。
二人の会話は、運転手にもほぼ聞こえていない。
「嫉妬というものだろうな、これで研究にもさらに取り込める」
「心理学とかの、実験はしてないの?」
今回は、菜穂が呆れた。烈は、どこまでも仕事にする。
「しているが、自身で経験するのとは違うからな」
信号待ちの途中、にやにやと手を組んでご満悦だ。
「そ、そう……」
「現に俺は、お前に寄りかかっていたあのオヤジを解体して野良犬に撒こうかと思っている」
青信号で発進させた烈の横顔は、やはり哂っていた。そんな烈に菜穂は、焦る。冗談に聴こえなかった。
「や、やめてよっ!!エロオヤジでも大事なお客さんなんだから!」
烈の顔から、笑みが消えた。
「……俺は?」
「えっ?」
目を見開いた、菜穂に真顔で烈が訊く。
「俺は、何になるのかを訊いている」
「な、何って……。そんなの復讐相手に決まっているじゃない!」
「そうか。そうだよな」
烈が自分でも不思議そうに、一人ごちていた。