第9話 墓参りぐらい自分でやれよ!
やがて。
俺たちは目指していた岩山へと到着した。
一旦、黒虎の歩みを止める。
前を阻むように立ち塞がる大きな岩山。
ごつごつとした赤茶けた岩肌の塊があちこちから突き出ている。
突起ある岩々が幾重にも積み重なっただけのようにも見えるその荒山を見上げて、俺は間抜けに口を開けた。
なぁおっちゃん。本当にここを登るのか?
『登らんと頂上に行けないだろ』
いや分かっているけど、でもどうやって……まさか! ここから命がけのロック・クライミング──
『誰がやるか』
じゃぁどうやって登るんだよ。
『コイツで登るのさ』
言って、おっちゃんが黒虎を指し示す。
俺は目を点にした。
そのままきょろきょろと辺りを見回す。
広がるのは荒野だけ。
他に道らしき道は見当たらない。頂上へ通じる道さえも。
俺はおっちゃんに尋ねる。
いったいどうやって? 登山道が見当たらないんだが──
『目の前にあるだろう?』
言われて俺は目を向ける。
目の前にあるのは岩山だけ。
どこをどう見ても思いっきり獣道だった。
登れるのか?
『登れるだろう』
虎がどうやって岩山を登るんだよ。
『鹿が登れる岩山を、虎が登れないはずがない』
源義経かよ。
『何だ? それは』
俺の世界に居た歴史上の人物。昔居たらしいんだ。そうやって崖から馬で降りて敵の背後をとった人物が。
『そりゃすごいな』
尋常じゃないよ。もし俺が部下だったら黙って見送る。
『もし俺が大将だったら、まずお前みたいな奴を部下にはしないな』
平然と命じそうだもんな、おっちゃん。俺、絶対おっちゃんの部下にだけはなりたくない。
『そりゃ良かった。――じゃぁここで大人しくお留守番でもしとくか?』
本当にこの岩山を虎で登るのか?
『無論だ。お前はどうする?』
ここで待ってる。
『そうか』
言って、おっちゃんはごそごそと懐を探り、そこから一本のナイフを取り出した。
それを俺に手渡してくる。
え? 何するんだ? これ。
『護身用のナイフだ。俺が居ない間に魔物と遭遇したらそれで戦え』
リーチ短いだろうが! 長剣くれよ!
『ない』
無理に決まってんだろ! だって、魔物ってこぉーんなにデカイんだろ! どう考えても──
『だったら俺について来い。頂上まで行くぞ』
わかったよ! 行けばいいんだろ、行けば!
言って、俺は半ば投げやりにさきほど渡されたナイフをおっちゃんに返した。
おっちゃんが俺からナイフを受け取り、懐に仕舞いながら鼻で笑う。
『まだまだガキだな』
うるせーよ!
『途中で振り落とされんよう気をつけろよ』
怖ぇーこと言うなよ!
『鞍の掴みはしっかり握ってろ。出発だ』
そう言って、おっちゃんは掛け声とともに黒虎を前へと進ませた。
つられるようにして俺の乗っている黒虎も歩き出す。
――って、どっちにしろ最初から一緒に登るしか選択肢なかったんじゃないか!
※
その後。
荒い獣道となった岩山を、二頭の黒虎はリズムよく足軽にひょいひょいと慣れた様子で岩山を登っていく。
俺は振り落とされまいと鞍の掴み部分をしっかりと握り締め、跨る両足にも踏ん張りを込めた。
もちろん下はなるべく見ないように心がけて。
急斜の激しい岩山ではなかったので、しっかり握ってさえいれば落ちるという心配はなかった。
前を見ればすぐ近くにおっちゃんの背がある。
不安はあったけど前を行くおっちゃんの姿を見ていると、なぜか不思議と安心することができた。
そのまま長い時間をかけて、二頭の黒虎は岩山を登り続け──。
※
やがて岩山の頂上へと辿り着いた。
だだっ広い岩山の平面に辿り着いたところで、二頭の黒虎たちは足を止める。
頂となるその平面から見渡す景色。
全体をパラノマに広がる風景に包まれ、開放感に満たされた俺は思わず感嘆の声を漏らした。
おぉ、すげぇ……。
岩山の頂上。
視界を阻むものは何もない。
壮大なる空と、見渡す限りをワイングラスの地形に広がる一色岩の山々。
そして地平線の向こうまで広がる荒野の大地がそこにはある。
日本では絶対に見ることのできない大自然だった。
俺はその大自然の姿にとても感動を覚えた。
まるで海外旅行にでも出掛けた気分だ。
ふと。
俺はある一点に目を留める。
ここから真っ直ぐの、俺たちの居る平面岩の先――切り立った崖ギリギリのところ。
そこに、ぽつんと。
一本の長剣は突き立っていた。
それに巻きつけられた赤く長い布が、風に吹かれて寂しそうに靡いている。
俺はそれを見て思う。
なんでこんなところに刺さっているんだろう。
戦争の名残なのだろうか。
長き年月もの間ずっと雨風にさらされていたようで、その長剣はだいぶ傷んでいるようだった。
ふと、おっちゃんが黒虎から降りる。
鞍の掴みを掴んで、黒虎を引き連れるようにして俺のところへとやってくる。
そのままもう片手で俺の乗っていた黒虎の鞍の掴みを握り、おっちゃんは俺に声をかける。
『降りていいぞ』
え? 普通に降りていいのか?
『あぁ』
頷くおっちゃんを信じて、俺は戸惑いながらも黒虎から引き腰気味に滑り降りた。
着地に失敗して地面に尻もちをつく。
それを見たおっちゃんが呆れ顔で鼻で笑ってくる。
『何やってんだ、お前』
仕方ねぇだろ。動物の背に乗るなんて生まれて初めてだったんだ。俺はおっちゃんみたいに乗り慣れてないんだ。
肩をすくめるようにして、おっちゃんがお手上げに謝ってくる。
『それは悪かった。てっきり降りられるもんだと思っていたからな』
うるせぇ。その内慣れてみせる。
言って、俺は地面から立ち上がった。
服についた砂ホコリを手で払う。
払いながら俺はちらりと横目でおっちゃんを見た。
二頭の黒虎を掴んだ状態で両手の塞がったおっちゃんが、無言でジッと何か言いたそうに俺を見ている。
なんだよ。俺に持てって言いたいのか?
おっちゃんは微笑して首を横に振る。
『いや、お前には無理だ』
無理って……。じゃぁ墓参りはどうするんだよ。
『俺がこうしている間にお前が代わりに墓参りに行ってきてくれ』
はぁ?
俺は間抜けな顔で問い返した。
おっちゃんがお手上げするように肩をすくめて言う。
『そんな難しいことじゃない。あそこに在るあの長剣に言葉を伝えてきてくれるだけでいい。行って帰ってくるだけの簡単なお手伝いだ』
おっちゃんの墓参りだろ? 俺が行っても意味ないじゃないか。
『じゃぁお前がこの黒虎たちを掴んでおくか? 黒虎に逃げられたら、ここから下までの道のりを自力で帰るはめになるんだからな。もちろん命綱無しのロック・クライミングで、だ』
無理。
『だったらお前が行ってくるしかないだろう? 俺はお前に“代理で行って来てくれ”と頼んでいるんだ。その為にここまで二人で来たんだからな』
なぁ、おっちゃん。俺を便利な家政婦か何かと勘違いしてないか?
『何を言う。今までこの世界で楽しいことをいっぱいさせてやっただろうが。ちったぁ俺に恩返しくらいしたらどうだ?』
……。
楽しいこと、か。
俺は目の淵にキラリと涙を浮かべた。
そのまま視線を遠くお空へと向ける。
なぜだろう。辛いことしか思い出せないよ、おっちゃん。
『そいつぁ悪かったな』
恩は恩でも怨念なら返せそうだ。
『どうでもいいから早く行ってこい。黒虎が逃げちまうだろうが』
わかったよ。――で? 何を伝えてくればいい?
『そうだな……』
言って、おっちゃんは地面へと視線を落とした。
寂しげに微笑する。
そのまま静かに告げた。
『【待たせてすまなかった。安らかに眠ってくれ】と。──そう伝えてくれ』
……。
俺は気まずく視線を逸らして頬を掻く。
なんだろう。すごく気が重くなるような墓参りだ。
『簡単だろ?』
あーうん、わかっている。
『ちゃんと気持ち込めて言えよ』
わかってる。
言って。
俺は体の向きを変えると、長剣が刺さっている崖先へと向かって歩き出した。
吹き抜けていく風を全身に受けながら、俺は長剣を前にして足を止める。
長剣の背景に見る大地は、壮大な自然に囲まれていて、とても開放感があった。
なんかこういう風景に似たものを以前、テレビで見た気がする。
女性リポーターが世界各地の不思議をクイズ形式にして紹介していくやつだった。
えっと、あれは何の特集だったか。エジプトの、なんか歴史の教科書で見たような気がする場所だったんだが……えーっと、ピラミッドじゃなく……うーんと、あれなんていうんだっけ? テストにも出たところだったんだけどな。なんだっけ? えっと……。
──あ! 王家の谷だ! あの風景に似ているんだ!
王家の谷、か……。
墓参りのことを思い出し、俺は長剣へと視線を移す。
長剣に巻きつけられた赤いボロボロの布。
その布が風になびいて揺れている。
この人に面識はないのだけれど。
俺は静かに両手を合わせると、目を閉じた。
そして架空の人物を思い浮かべながら、さきほど言われたおっちゃんの言葉をぼそぼそと小声で告げる。
えっと。代理でごめんなさい。ご友人ならきっと、おっちゃんのあの性格はわかっているとは思いますが、その……頼まれた言葉をそのまま伝えます。えっと……
背後からおっちゃんが野次を飛ばす。
『ここまで聞こえねぇぞ! もっと大きな声で感情込めて言え!』
なんでだよ!
俺は振り返って叫んだ。
『俺の代理で言えって言っただろうが! 聞いてなかったのか!』
聞いてたよ!
『俺になったと思ってもっと感情込めて言え! 大きな声で!』
わかったよ! ったく。
不満を愚痴りながら、俺は改めて長剣へと目を向けると深呼吸をした。
さきほどよりも声を大きくする。
待たせてごめんなさい。安らかに──
『感情が入ってねぇぞ! 俺になったつもりで言えっつってんだろうが!』
わかってるよ!
たまらず俺は苛立ちに振り返ってそう叫んだ。
さっきからおっちゃんが背後で煩すぎる。
そんなに文句言うんだったら自分でやればいいのに。
俺はおっちゃんを睨みつけた後に、再び正面──長剣へと向き直った。
肩を落としてため息を吐き、内心で愚痴を続ける。
なんで俺が代理でわざわざこんなこと──
急に、おっちゃんが声を落として呼びかけてくる。
『なぁ坊主』
振り返らず投げやりに、俺は背中越しで不機嫌に答える。
なに?
『もし、お前の大事な友人がこの広い大地のどこかでお前の為に命を張って死んだとしよう。そして今日、ようやくその友人に声をかけてやれる。
――お前なら、どう話しかける?』
……。
俺はしばし無言で考え込んだ。
もし俺の親友がこの広い大地のどこかで俺の為に死んでしまったのなら。そして今日がその最初の墓参りとなるならば──。
俺は気持ちを入れ替えるようにして一度、深呼吸をした。
長剣を見つめて真顔になると、声のトーンを落として静かに告げる。
まるでそこに俺の親友が眠っているかのように。
待たせてごめん。どうか安らかに眠ってくれ。
『……』
背後からおっちゃんの声が聞こえてこない。
不思議に思って俺は静かに背後を振り返ってみる。
振り返ってみれば。
――はぁ!?
おっちゃんが何事なく一頭の黒虎に乗っていた。
ちなみに俺の黒虎は無人で放置されている。
ふざけんな! どういうことだよ、それ!
俺は指を突きつけ叫ばずにはいられなかった。
おっちゃんがフッと鼻で笑ってくる。
『なかなかの名演技だったぞ。感動した』
うるせぇよ! なんで俺が他人の墓参りをやらなければならないんだ! 感情だの何だの言いやがって! 最初から自分でやればいいだろ!
『早く乗れ。置いてくぞ』
ちょ、待てよ! 人使い荒すぎだろ!
俺は慌てて無人の黒虎のところへと駆け戻る。
その途中――
【ありがとう】
吹き抜ける風とともに聞こえてきた声に、俺は思わず足を止めた。
おっちゃんが首を傾げて問いかけてくる。
『どうした?』
【これで眠れる……】
空耳ではないことに気付き、俺は振り返る。
――目を向けると同時。
長剣に巻かれていた赤い布が、風に乗ってどこかへ飛んでいってしまった。
あ。
思わず声を上げた俺に、おっちゃんが言ってくる。
『墓参りは終わりだ。帰るぞ』




