第7話 忠告はきちんと聞こう
一旦、街の検問所を出て。
俺とおっちゃんは日照りの激しい荒野の道をひたすら歩いていた。
一言で言えば灼熱地獄だった。
太陽が容赦なくギラギラと照りつけ、干からびた大地と熱せられた蒸気、水気のない乾いた風が俺の体から水分を奪っていく。
俺は胸服をパタパタとあおぎながら、死にかけた声でおっちゃんに訴える。
おっちゃん、水くれ。
『お前がいらないと言ったんだろ』
あんなクソまずい木の実の水が飲めるかよ。普通の水がいい。
『ない』
もう嫌だ。帰りたい。今すぐログアウトさせろ。
『まだ三十分も経ってないぞ』
頼むからログアウトさせてくれよ。向こうの世界に帰って普通の水を腹いっぱい飲みたいんだよ。
『我慢しろ』
どこのサウナ浴場我慢大会だ。三時間もこの世界に居る決まりなんてないはずだろ。
『三時間後にはログアウトさせるって約束だっただろう?』
フルに使うとは言っていない。
おっちゃんが鼻で笑ってくる。
『そいつは残念だったな。お前はこの世界に来る時、条件を詳細に指定してこな──』
なーんだ。あの時ディーマンに負けた憂さ晴らしかよ。
『まぁな』
まぁなじゃねぇよ。何考えてんだ。
『引っかかるお前が悪い』
ほらな。またそうやって俺を騙したんじゃねぇか。だからこっちの世界に来たくなかったんだよ。
『来ると言ったのはお前だろう?』
もういい、わかった。諦める。何言ってもおっちゃんに勝てる気がしない。
『勝たせる気もない』
ガキ相手にマジになって恥ずかしくないのか?
『勝てば官軍、恥は二の次。お前に勝つ為なら公然でも裸になろう』
最低だよ、おっちゃん。最低な大人だ。
『どうとでも言え』
……。
結局何を言ったところで勝てやしない。
俺は苛立つように口を閉じ、おっちゃんの言葉を無視した。
『……』
……。
だからといっておっちゃんが謝ってくるわけでもない。
俺も折れる気も無い。
しばらく一切の会話もなく、俺はおっちゃんの後ろを黙ってついて歩いた。
水分補給無し。灼熱日照りの乾いた道。
おっちゃんの歩くスピードにも容赦がない。
風も温風全開。その上、真夏に冬の長袖服。
汗が滝のようにだらだらと体をつたう。
あぁ水が欲しい。
せめて──
我慢できず、俺は胸服をパタパタと扇いで体に風を送りながらおっちゃんに言った。
……なぁ、おっちゃん。
『なんだ?』
せめてこのフードは取ってもいいだろ? クソ暑いんだけど。
『それがキッカケで日射病になったり、向こうの世界に帰れなくなったりしても俺は知らんからな』
そんなの無責任過ぎる。
『それが嫌なら俺の忠告は素直に聞いとけ』
もういい。わかったよ。
言われて俺はしぶしぶ了承した。
――で、墓参りってまだ遠いのか?
『まだ先だ』
あとどれくらい歩けばたどり着く?
『歩いて着く距離じゃないからな。途中で乗り物を使う』
乗り物? それってどんな乗り物だ?
『行けばわかる』
わかるわけねーだろ。俺はこの世界の人間じゃないんだ。
『じゃぁ見ればわかる。そういえばいいのか?』
わからねーよ。ヒントは?
『教えない』
またかよ。うぜー。もういい、腹立つ。結局何訊いても教えてくれないじゃねぇか。だからこっちの世界なんか来たくなかったんだよ。良い事なんて一つも無いし。
『……』
急におっちゃんが足を止めてくる。
だから俺も足を止めた。
いったいどうしたというんだろう。
しばらくしてチラリと、おっちゃんが俺へ振り返ってきてバツ悪そうに言い直してくる。
『とにかく行けばわかる。お前が喜びそうな動物だ』
俺はフッと鼻で笑った。
内心で密かにガッツポーズする。
よし、勝った。
初めておっちゃんにモノを言わせた。
それが俺にとってすごく嬉しかった。
再びおっちゃんが歩き出す。
だから俺も、肩を並べるようにして歩き出した。
おっちゃんが呆れたように言ってくる。
『お前、最初の頃と比べてだいぶ性格が曲がってきたな』
誰のせいだと思ってんだ、誰の。
『そんな調子だと将来ロクな大人にならねぇぞ』
絶対おっちゃんみたいな大人にだけはなりたくない。
『俺も昔はそう言ったもんだ』
……。
俺は顔を手で覆って静かに泣いた。
もう嫌だ。純粋だったあの頃の俺に戻りたい。
そんな俺を無視するように、おっちゃんが道の向こう脇を指で示す。
『――お、見えてきた。あれだ』
え?
言われて俺は顔を上げてその方向へと視線を移した。
そこには木で作られた簡易な柵──その向こうに、まるで広大な荒野に放牧された牛のごとく数十頭もの真っ黒な大虎がのんびりと過ごしていた。
それを見つけた俺の目がキラリと輝く。
すげーッ! デカイ虎だ! しかも黒虎だ!
俺は興奮を押さえきれずに、思わずその場を駆け出した。
『おい、待て! 無闇やたらに近づくな!』
おっちゃんの制止の声も聞かず、俺は無我夢中に柵のすぐ近くにいた一頭の黒虎へと駆け寄る。
そして事故は起こった──。
駆け寄る俺。
それと同時にその黒虎も、柵を越えて俺に目掛けて襲い掛かってきたのだ。
ぎゃぁぁぁぁッ!
捕食体勢の大虎に、俺はその前足で地面に押し倒され、そのまま鋭い牙で肩を狙われる。
続けざまに柵を越えて黒い大虎が二頭三頭と次々に俺に襲いかかってくる。
肩に足に腕に。
完全に噛まれるわけでもなく、大虎は低く獰猛な唸り声をあげながら俺を甘噛みしてきた。
いつ本気になって噛み砕いてきてもおかしくない。
俺は恐怖に引きつる声で泣きそうになりながら、おっちゃんに助けを求めた。
た、助けてくれ、おっちゃん! マジで!
他人事のように一定の距離を置いて、おっちゃんは涼しげな顔で俺を見下しながら吐き捨てる。
『だから言っただろうが。無闇やたらに近づくなと』
何の為の柵だよ、これ! 意味ないだろ! 鉄の檻ぐらいしろよ!
『黒虎は向かってくる相手に対して襲い掛かる習性がある。ゆっくりと落ち着いて歩きながら近づかないとそうなる。この世界の常識だ。覚えておけ』
わかった、わかったから! 今度からちゃんとおっちゃんの話を真面目に聞くし、言う事にも従うから! 死ぬって、殺されるマジで! 助けてくれ!
――そんな時だった。
「チッチッカ。チッチッ。テラグーウェ、テラグーウェ」
舌を鳴らしながら。
柵の向こうから、太った竜人が大きな体を揺らしながら手を振り俺たちに近づいてきた。
黒虎が怯えるように身を小さくしながらすぐに俺から離れ、大人しく柵の中へと次々と逃げ帰っていく。
黒虎を追い払ってくれたのだろうか。
その竜人はワニのような顔と口、分厚いウロコ手に鋭い爪、二足歩行のずんぐりとしたトカゲ足をした姿だった。
生物が二足歩行しただけの種族。まるでファンタジー映画から飛び出してきたかのような異様な人物。
「テラグーウェ、テラグーウェ」
慣れた感じに黒虎を柵の向こうへ追い払った後、竜人は大きな体格を揺らしながら俺のところへと歩み寄ってきた。
有無言わさず手荒く俺の胸服を掴んで引っ張り、地面から起こしてくる。
まるで喧嘩腰の力士に無理やり胸倉を掴まれて引っ張り起こされた気分だ。
俺は怯えるように地面に立った。
その後、竜人は黙って俺の服のホコリを叩き払い、野太い声で話しかけてくる。
「けが無シ、気にしなイ。お前、ゴ、グウェ?」
ん?
後半の言葉が理解できない。
俺は眉間にシワを寄せ、少し顔を歪めた。
竜人がもう一度俺に尋ねてくる。
「お前、ゴ、グウェ?」
話しかけられているのはわかるんだが、何を尋ねられているのかいまいち理解できない。
表情を見る限りでは怒っているというわけではなさそうなのだが。
俺は理解できないまま、とりあえず無言で頷いてみた。
すると直後におっちゃんが俺の後頭部を叩いてくる。
痛っ! 何すんだよ。
俺は叩かれた後頭部に手を当てて、おっちゃんへと振り返った。
するとおっちゃんが怒ったように言ってくる。
『意味知らずに頷くな』
なんでだよ?
『その竜人は黒虎の貸し出しを扱う専売人だ。見ているだけでも見物料を取られる。その見物をしていたかどうかをお前に訊いているんだ。
頷くとお前、その時点で金取られるぞ』
見ただけでも金を取るのか?
『当然だ。竜人は守銭奴だからな。気分次第で取る必要もないものから金を取ったり、交渉値段を倍に引き上げたり下げたりする。交渉前からあまり竜人の機嫌を損ねるな。
俺は今からこの竜人と交渉してくる。お前はここで待ってろ』
待つって、俺だけここで?
『そうだ。お前と一緒に居ると交渉値段が倍に引き上がりそうだからな。──とにかく、お前はここで大人しく待ってろ。すぐに戻る』
あーうん。わかった。
それだけを言い残し。
おっちゃんは俺をその場に置き去りにして、竜人と共に柵の向こうにある白壁の家の中へと消えていった。




