第5話 おっちゃんは意外といつでも聞こえている
時計の針は、夜の十時を示す。
夕食を終えて風呂にも入り、自室に戻って電気をつけて。
いつもの作業。
毎日の繰り返し。
俺は肩を落として一息つく。
さてと。宿題を始めるか。
いつもの日常。
当たり前のこと。
俺は勉強机に向けて歩み寄り、そして椅子に腰掛ける。
毎日が同じ作業。
代わり映えのない生活。
まるで毎日をリピートしているかのようだ。
横に置いていた鞄の中から次々と宿題を取り出していく。
それを一通り机上に並べた後に、また、ため息を一つ。
毎日毎日勉強勉強、か。この中から一体どのくらいのものが社会で役に立つというんだろう。
無駄な作業に感じつつも、俺は仕方なしにシャーペンを手に取る。
芯を出して、山のような宿題を前にして意気込む。
よし。やろう。
俺は問題を解き始めた。
一問目、そして二問目三問目と。
そこまで順調に解いていったはいいのだが……。
……。
シャーペンを持つ手がぴたりと止まる。
やがて飽きるように問題集から視線を外し、俺は天井へと目を向けた。
呆然と天井を見つめる。
部屋に響く時計の音。
何を考えているわけでもなく、ただ手遊びにシャーペンをくるくると指先で回す。
……。
ふと、その指先の動きを止めて。
何気に俺は視線を下ろして、机上の置時計へと目をやった。
時刻は午後十時十三分。
きっとステキな何かが待っている、か。
独り言のように呟いた後、俺は頭の中でおっちゃんに呼びかけてみる。
なぁおっちゃん。聞こえているんだろ?
『聞こえている』
やっぱり聞こえているんじゃねぇか。
『ん? 試してみただけか?』
別に。そういうわけじゃないけど。――なぁおっちゃん。おっちゃんの居るそっちの世界って、ゲームの世界だって言っていたよな?
『ん? ……あ、あぁそうだったな。たしかにそう言った。それがどうした?』
実はさ、こっちの世界で変な都市伝説が流行っていて、もしかしておっちゃんの居る世界と関係があるのかなって思ったんだ。
『例えばどんな感じだ?』
ネットに繋いだら、どこからか声が聞こえてきてゲームの世界に行けるってやつ。
『それだけか?』
あーうん。それだけしか今んとこ分かんね。
『それだけだと何とも言えんな』
だよな。わかった。もう少し調べてからまた言うよ。
『そうしてくれ』
……かな。
『ん? 何か言ったか?』
俺は首を横に振る。
いや、別になんでもない。独り言。――なぁ、おっちゃん。
『なんだ?』
ずっと気になっていたんだけどさ。俺って、本当に……
『どうした?』
いや、いい。やっぱりなんでもない。
俺は後頭部で手を組むと、再び天井を見つめて小さくため息を吐いた。
『考え事か?』
別に。
『暇なのか?』
暇じゃない。勉強中だ。おっちゃんこそ今何してんだ?
『夜飯中だ』
ふーん。そっちは今何時?
『さぁな。こっちでは時計という概念がないからな。夜になったら適当に飯食って寝る。それだけだ』
そっか。
『それよりお前、今日の夜飯は何食った?』
え? トンカツだけど。
『なに!? と、トンカツだと……ッ!?』
な、なんだよ、いきなり。なんでそんな──
おっちゃんが悔しそうに頭の中で叫んでくる。
『また肉じゃねぇか! お前いいかげん魚食え! あークソ、負けた!』
『ふむ。どうやらその様子、ワシの勝ちのようじゃのぉ。今夜はお前さんのおごりで決まりじゃな』
『待て、ディーマン! これ全部おごるとは言ってないだろ!』
『負けは負けじゃ。お前さんは勝負を挑む時に条件を詳細に指定してこなかった。よって――そこの猫耳のお嬢さん、リスキーをもう一本頼む』
『追加は無しだ!』
『待ったも無しじゃ。諦めよ』
俺の頬が引きつる。
あのさ、毎回毎回俺ン家の夕食でディーマンと賭け事するのはやめてくれないか?
沈んだ声音でおっちゃんが呟いてくる。
『……お前、たまには魚食え』
俺に言うなよ。
『あ。そういやお前、今暇っつってたな?』
言ってねーよ。勉強中だって言ってんだろ。
『三時間でどうだ? こっちの世界に遊びに来ないか?』
どうだもこうだもねぇよ。そう言って騙して俺を何日間あっちの世界に閉じ込めたと思ってんだ?
『じゃぁなんだ? 最初から七日間と言えばいいのか?』
ほらな、やっぱり。閉じ込める気満々じゃねぇか。
『冗談だ』
冗談?
『今度はちゃんとキッチリ三時間で帰す。お前に少し手伝ってもらいたいことがある』
手伝いってなんだよ。
『教えない』
あ、またそうやって俺を変なことに巻き込むつもりなんだろ?
『……。なんかお前、最初の頃と比べてだいぶ人間不信っぷりが激しくなってきたな』
誰のせいだと思ってんだ、誰の。
『否定はしない』
自覚ありかよ!
『あ、そうだ。お前に一つ良い事を教えてやろう』
良い事?
『ものすごぉーく面白いことだ。きっとわくわくして毎日が楽しくなるぞぉ~』
楽しい?
『お前、こっちの世界の祭りに興味はないか?』
祭……り?
問われて即、俺の脳裏に浮かんだのはセディスの件で絡んだクトゥルク祭りだった。
俺は苦い顔して首を横に振る。
祭りはもういい。俺、もう二度とそっちの世界には行かない。
『あの祭りはあの国だけの特殊な祝い事だ。それに、セディスの件に関してはお前が勝手に首突っ込んだことだろう?』
俺は鼻で笑った。
……そうだっけ?
『シラを切りやがったな、この野郎』
とにかく、俺はもうそっちの世界には行かないって決めたんだ。戦争とか、殺し合いとか、目の前で人が殺されるのを見るのはもうたくさんだ。俺にはこっちの世界の方が性に合ってる。
『ふーん。そうか。ふーん』
なんだよ。なんかすげー腹立ってくるんだけど。
『もうこっちの世界には来ないのか。残念だなぁ~。お前にせっかくいいもの見せてやろうと思ってたのに。いやぁー、本当にもったいない。実に残念だ。そっちの世界では絶対に見ることのできない面白ぉい祭りがあるんだけどなぁ。お前はこれで人生の全てを損したな。いやぁ本当にもったいない』
オイ。どこの悪徳業者の回し者だ、おっちゃん。
『勇者祭りって知ってるか?』
なッ!? 勇者祭り、だと……!?
俺はすぐさまその言葉に興味を惹かれた。
なんて魅力的な祭りなんだ。勇者祭りという響きだけで行ってみたいという好奇心をかき立ててくる。
おぉ、勇者祭り。なんて魅力的な響きなんだ。きっとグラディエーターみたいに円形闘技場でカッコ良く剣一つで戦い抜き──
『違うな。全くもって違う』
違う?
『たしかに勇者祭りは勇者を決めるイベントだ。そっちの世界と違ってこっちの世界では、魔法が平然と使われたり、種族で体躯差が激しかったりするからな。肉弾戦だと色々と問題が生じてトラブルになってしまうんだ』
じゃぁどうやって戦っているんだ?
『ドラゴンに乗って勝敗を決めるバトル・レースだ。スタートからゴールまでの距離をドラゴンに乗って戦いながらレースを完走する。なんといってもこのレースの見所は──』
行く。
俺は即決した。
『早ぇな、オイ』
祭りだろ? 戦争とかにはならないんだよな?
『もちろん、祭りだ。結界が強力に張られたレース内をバトルしながら完走するだけだ』
マジ行きたい。
『なんだお前、急に態度変えてきたな。そんなに好きか? バトル・レースが』
戦争は嫌いだがバトル・レースは好きだ。
おっちゃんがフッと笑ってくる。
『お前らしい答えだ』
え?
『いや、なんでもない。ただの独り言だ。――それより、もう準備はできているのか?』
準備?
『今からこっちの世界に飛ばす、その準備だ。それはいいのかと聞いている』
あぁ。いつでも来い。
俺は意気揚々と手持ちのシャーペンを机上に置いた。
勉強する気は微塵もない。バトル・レースを見るまでは。
おっちゃんが呆れるようにため息を吐く。
『……お前なぁ。帰ったら、ちゃんと宿題しろよ』




