第8話 別れは突然訪れる
気付けばFがカウンターから消えていた。
「あれ? Fはもう消えたのか?」
俺を連れてテーブル回りしていたゼルギアが、カウンターに戻ってきてそう呟いた。
女マスターが微笑して肩を上下する。
「あなたがK君連れて向こうのテーブルに行っている間に消えちゃったわ」
「Fは討伐のこと、なんか言ってなかったか?」
「またエーテル・ポイントを聞きに来ると言っていたわ」
「──ってことは、行く気はあるってことだな」
「そうみたいね」
ゼルギアが俺に振り向いてくる。
「お前、腹は減ってねぇか?」
俺は腹に手を当てて答える。
あーそういやかなりお腹すいてきた。
「そうか。じゃぁ俺が肉のうまい飯屋に連れて行ってやる。もちろん俺のおごりでだ」
マジか! やったぁ!
女マスターがくすくすと笑う。
「K君は食べ盛りみたいだから、あとでゼルギアが財布見て泣いてなければいいけど」
「俺がそんな情けない男に見えるか? 食べ盛りのガキ一人もおごれんぐらいで団長が名乗れるか」
よっ、さすが団長! カッコイイ!
ゼルギアが俺の頭を無骨な手でかき乱してくる。
「コイツ、調子いいこと言いやがって。お前も早く出世してそう言えるぐらいの男になれ」
※
その後──。
俺はゼルギアとともに飯屋に行き、そこでうまい肉を頬張りながらゼルギアから過去の討伐の話を聞いた。
飯ももちろんうまかったが、ゼルギアの話はもっと面白かった。洞窟で宝を見つけたが巨大なゴーレムが守っていただの、海賊の船に乗ってクラーケンを見ただの、孤島に築かれた廃墟の城には伝説の魔剣が眠っているだの、東の樹海に巨大なアナコンダが住んでいてそいつを倒したら天空の城を見つけただの。
俺は食いつくようにしてゼルギアの話に夢中になった。
気付けばいつの間にか、外は陽が沈んで暗くなっていた。
ゼルギアにギルドまで送ってもらい、俺はそこでゼルギアと別れることになった。
どこに行くのか尋ねると、
「大人は夜も忙しいんだ。ガキはクソして寝ろ」
と、返された。
夜の街中へと去っていくゼルギアの背中を見送りながら、俺は思う。
きっと夜も仕事で忙しいんだろう。団長ってのは色々と大変なんだな。
『お前のその言葉には胸が痛む』
いたのか、おっちゃん。
『究極の放置プレイだな。そんな能力を与えた覚えはないんだが』
その能力を自然と身につけることのできた俺を誉めてやりたい。
『お前に芽生えたその能力もクトゥルクとともに封印しておくとしよう』
「そんなとこで何やっているデシか?」
ふいに後ろから声をかけてきたのはデシデシだった。
いつまでも俺が出入り口付近に立っていたからだろう。
俺の服をくいくい引いて言ってくる。
「今日のギルドの集会時間は終わりデシ。一銀やるから片付け手伝うデシよ」
俺はデシデシから一枚の銀貨を受け取った。
「やり方を教えてやるからついて来るデシ」
言われ、俺は銀貨をポケットに入れるとデシデシの後についていった。
※
デシデシが大声で集会時間の終了を告げる。
すると、みんな素直にそれに従いぞろぞろとギルドを出て行く。
帰る人の流れを縫うようにして、俺はデシデシとともに奥のカウンターに向かった。
カウンターにたどり着き、デシデシが女マスターに言う。
「ネリ、片付けを始めるデシ。ボクは二階をやるデシからKに一階の掃除のやり方を教えてやるデシ」
女マスターのネリさんが、俺に声をかけてくる。
「あら、K君もお掃除の手伝い? デシデシに使われるなんて大変ね」
ギロリとネリさんを睨んでデシデシ。
「何か言ったデシか?」
「K君はバイトじゃなくてギルドの会員なのよ?」
「金はあげたデシ。こいつはその時点でバイト扱いデシ」
ネリさんが俺に言ってくる。
「片付けは適当でいいからね、K君」
「ネリは自分の仕事をするデシ!」
間に挟まれ、俺は苦笑いするしかなかった。
ふと、ネリさんが俺に一枚の台ふきと毛むくじゃらの小さな生き物――モップを手渡してくる。
え?
「K君は二階をお願いね。テーブルは台ふきで拭いて、床はモップでごしごししてね」
いや、あのこれ……。
「そう。それでごしごしするのよ」
いや、あのこれ……生きてるんですけど。
「指示はボクがするデシよ、ネリ!」
ネリさんが鋭く黒猫を睨みつける。人差し指を突きつけて、
「あなたの考えている魂胆は見え見えなのよ、デシデシ。いいからデシデシはいつも通りこの広い一階を掃除しなさい。K君は狭く簡単な二階の掃除よ」
怯えるように黒猫はこくこくと頷く。
「わ、わかったデシ」
わ、わかりました。
つられるようにして、俺も怯えながら頷き指示に従った。
そして。
俺はモップと台ふきを手に、暗い二階へとやってきた。
明かりはないのか?
付近の壁を見回す。
ない。
奥の方は暗くてよく見えない。
スイッチとかないのだろうか?
──というより、この世界の人たちはどうやって明かりをつけているのだろう。
そういえば、リラさんの家には光りスライムがいたんだっけ。こっちとあっちじゃ常識が違うのかな?
俺は頭上の水色スライムを見上げた。
見上げることで水色スライムが俺の額の上に乗ってくる。
こいつ、光ったりできねぇかな?
すると俺の頭の中でおっちゃんが解説じみた声で説明してくる。
『この世界の人間は部屋の明かりを魔法で補っている』
魔法で?
『そうだ。──よし、じゃぁここらでお前に超簡単な初期魔法の使い方を教えてやろう』
超簡単な初期魔法の使い方だと?
『まず二回拍手してみろ』
俺は台ふきとモップを床に置くと、言われたとおりに二回手を叩き合わせた。
すると部屋に明かりがついた。
『――以上だ』
俺は首を横に振る。
違う。絶対違う。俺、なんか騙されている気がする。
『何を言う。これも立派な風魔法の一つだ』
俺は泣きながら頭を抱え、絶望的に床に打ち伏せた。
頼む、おっちゃん。これ以上俺の夢を傷つけないでくれ。風魔法はこんなもんじゃない。俺の理想とする風魔法はこんなもんじゃないんだぁぁぁぁ!
『本格的な魔法はお前の力の都合上無理だ。できてこれが精一杯だな』
「うるさいデシよ! ちゃんと掃除しているデシか!」
階下からのデシデシの怒鳴り声に、俺はハッと我に返って顔を上げた。
そうだった。おっちゃんの声は俺以外には聞こえていないんだった。他の人から見たら俺がいきなりトチ狂ったように独り言を口にしながら錯乱している感じにしか見えない。
気持ちを冷静に切り変えて。
俺はモップと台ふきを手に立ち上がる。
まずはテーブルを拭こう。
俺はテーブルへと向かうと奥の黒板のところへと向かった。
ふと。
何気にテーブルに目を向けた時。
そこに置かれていた一枚の紙に気付く。
討伐の紙だった。
書かれた文字は理解できなかったが、そこに描かれた絵は忘れもしない黒炎竜の姿だった。
それを目にした瞬間、フラッシュバックする記憶。
俺の中で何かが弾けた。
押し込めていた力が一気に暴れ出し、俺の意識を飲み込んでいく。
『ば、馬鹿お前何やって、力に飲まれるな! クソ、制御しきれねぇッ──
◆
外から雷の音が聞こえてきて、デシデシは作業の手を止めた。
「雨が降るデシか?」
ネリがデシデシの傍に歩み寄る。
「もう掃除はこの辺で切り上げましょう? K君呼んできて早めに帰った方がいいわ」
「そうするデシ」
「あとのことは私がするから」
「任せるデシ」
デシデシは掃除道具をネリに手渡し、二階へと向かった。
そして。
二階にたどり着いたデシデシは、小首を傾げてきょとんとする。
「あれ? Kが居ないデシ。アイツどこに行ったデシか?」
するとデシデシの足元に水色スライムが飛び寄ってくる。
「お前、一人デシか? Kはどうしたデシ?」
毛むくじゃらの生き物もデシデシの所へと駆け寄ってくる。
「お前までどうしたデシか?」
水色スライムとモップは懸命にデシデシをどこかへ案内しようとしていた。
「あ、待つデシ。そっちに何があるデシか?」
スライムとモップが部屋奥のテーブルの上に飛び乗る。
デシデシも連れるようにしてジャンプし、テーブルの上に飛び乗った。
そして目にする、一枚の紙。
デシデシはその紙を手に取り、ぽつりと呟く。
「あ。これ団長と話した後に片付け忘れていた討伐の紙デシ」
スライムとモップが何か異常を知らせるように鳴きながら飛び跳ねた。
その様子を見て、デシデシはみるみる何かを察して青ざめる。
「た、たた大変デシ。ボク、とんでもないことしてしまったデシ」
すぐに二階の手すりから身を乗り出し、階下のネリに大声で知らせる。
「ネリ! すぐに団長を呼んでくるデシ!」
「どうしたの? 急に」
「Kがいなくなったデシ! もしかしたら一人で黒炎竜を探しに行ったのかもしれないデシ!」