第64話 セディスの執念
倒壊してできた大きな瓦礫の上に佇み、三投目となる矢を勇ましく構えるケンタウロスの姿。
俺は内心で喜びの声をあげる。
おぉ! なんか見返したぞ、ケンタウロス!
勇者のごとくして現れたケンタウロス。
その姿が今の俺の目にはすごくカッコよく見えた。
――が、しかし。
ケンウロスが真面目な顔してぼそりと何かを呟く。
「もしかしたら三投目はケイを射抜いてしまうかもしれない……」
俺の顔が引きつる。
そして辿るようにして、俺は足元に突き刺さった矢に視線を落とした。
奴ならきっとマジで俺を殺るかもしれない。
何を思ってか、急にケンタウロスが弓を下ろして構えを解いた。
また陰気にぼそりと呟く。
「三投目はやめておこう。当たると考えていたら本当にケイを射抜いてしまうかもしれない……」
──って、考えるなよ! なんで俺を狙ってマジ撃ちしてきてんだ!
俺は憤慨にケンタウロスへ指を突きつけ、内心で怒鳴った。
狙ってくる心当たりはあるけども。
ふと。
セディスのクツクツとした笑い声が聞こえてくる。
俺は振り向き、セディスへと顔を向けた。
そこにはセディスが壊れたように笑っている。
矢に射抜かれて死んだ魔物を手繰り寄せ、そしてそれを足で何度も何度も踏み潰しながら。
セディスはぶつぶつと呟きながら笑う。
「とんだ失敗作でしたよ。まったく。くふ、クフフ……」
俺は真顔になってセディスを見つめた。
彼の精神が壊れ始めている。
セディスは踏み潰しながら尚もぶつぶつと独り言を呟き続ける。
「この世界には馬鹿が多すぎる。どいつもこいつも本当に馬鹿ばかりだ。世界を救おうとする私の何が気に入らないのでしょう? なぜ邪魔ばかりするのでしょうか? ただ私はこの世界から人々を救いたいと、その一心で研究を続けてきたというのに。
なぜ? どうして? なぜ誰も私の研究を理解してくれないのでしょう?
わかりません。もうわかりませんよ、私には。この世には神が必要だというのに。クトゥルクがなければ生きられないというのに……。ほんと……どいつもこいつも揃いも揃って、脳なしで、頭の悪い馬鹿ばかりだ。くふ、クフフフ……」
セディス……。
俺には同情の目でしかセディスを見られなくなっていた。
十年前に殺された狂人研究者。
それは本当に、純粋に人々を救おうとしてやっていたことなのかもしれない。でもその思いは、けして正しいと言えるものではなかった。
先の命ばかりを考えて、かえって目の前の尊い命を奪っただけに過ぎなかった。
十年前も、そして今も。
罪の無い人々の命を犠牲にしてきたように。
やがて気が済んだのか、セディスはようやく踏み潰す行為を止めた。そして己の空になった手の平──宝玉を持っていた手――へと視線を移す。
物悲しそうにその手の平を見つめて、
「私にはもう何もなくなってしまいました。今まで積み上げてきた研究は、十年も捧げてきたこの年月は、いったい何だったのでしょう?」
セディスは視線を変える。
自身の体に生えた一匹の大蛇へと。
大蛇に食べられていた人の姿はもうそこには無い。
どうやら完全に飲み込まれてしまったようだ。
セディスは大蛇に壊れたように微笑みかけ、優しく話しかける。
「喰らいは私の命を繋ぎとめる。故に喰らっても喰らっても力を渇望し、永遠にその空腹が満たされることはない。それが複合喰鬼。死ぬことさえ許されぬ悲しき罰。クトゥルクの代わりに私が求めた呪われし力。
――でもこれでいいのです」
完全に精神のイったセディスの目が俺へと向く。
「クトゥルクの力ならきっと、私のこの空腹を満たしてくれることでしょう」
飢えた獣のような目で俺を見つめ、大蛇に指示を出す。
「宝玉がなくなったのなら仕方ありません。ならばその力――私が直に喰らうまでです!」
大蛇が大きく口を開けて俺に襲い掛かってくる。
迫り来る大蛇の真っ赤な口と鋭い歯に、俺はただ怯えその場に佇むことしかできなかった。
喰らわれようとした、まさにその一瞬――。
俺の背後で銃声が鳴り響いた。
一発、二発と。
排出される二つの空薬莢が床に舞い落ち、乾いた音を立てる。
弾丸を体に撃ちこまれたセディスはその場をよろめき、そして大蛇は動きを止めた。
銃声はそのまま立て続けに聞こえてくる。
一人の足音とともに。
喰らおうとしていた大蛇が、萎えしぼむようにして俺の足元へと落ちていく。
血に染まる体でふらつくセディス。
それでも銃声が止むことはなかった。
弾丸が次々とセディスの体を撃ち抜いていく。
神殿兵はその歩みを止めることなく拳銃でセディスを撃ち続けた。
いくつもの弾丸を全身に浴びながらもセディスは倒れない。
尚求めるように人間の形を残した手を伸ばし、俺に歩み寄ろうとする。
「やっと……手に入る……クトゥルクを……」
血まみれた体を引き摺るようにして、一歩、二歩と、セディスは俺に近づいてくる。
苦しそうに呼吸を繰り返し、必死になって俺に向け手を伸ばす。
「クトゥルク……を……」
……。
そんなセディスを前にして、俺はその場を動けなかった。
恐怖というよりも、瀕死になりながらもクトゥルクを求めてくるセディスの執念が、俺をそこに縛り付けていたのかもしれない。
やがて銃声は止み、神殿兵が俺の隣で足を止めた。
無言で銃口をセディスの頭部に向けて構える。
同時に。
後ろからそっと、神殿兵は俺の視界を片手で覆い隠した。
その後、ためらいも無く。
一発の銃声が鳴り響いた。
その一発だけ……。
俺の視界を覆ったままで、おっちゃんが俺の頭の中で言ってくる。
『覚えとけ、坊主。これがこの世界の戦いであり、戦場だ。
戦いを躊躇えば、あっという間に大事なモンを失ってしまう。俺がイナを撃てなかったようにな。
犠牲のない戦い方なんて俺は知らない。もしあるとしたら、それは神の成せる業だ。
この世界では戦いが全て。戦いに勝てない奴は──死ぬだけだ』
覆われた視界の中で、俺は無言で一筋の涙を流した。




