第7話 討伐ギルド【後編】
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俺はカウンターで一人、トロピカルジュースと思われる飲み物を口にしながら、心の中でおっちゃんと会話する。
『心の中で、か。なんか久々に会話できるようになったってぇのに寂しい事言うよな、お前』
口に出して会話したら何か変わるのか?
『いや、変わらん』
あーそうかい。
『ところでお前、今までどこで何してた? どうして急に俺との交信を断った?』
断ったのはおっちゃんの方だろ。いきなりこっちの世界に放り込むなんて酷すぎるじゃないか。
『お前が勝手に力使ってこっちの世界に来たんだろうが』
俺が? 力を使って? どうやって? おっちゃんが仕掛けたんだろ。
『いやそりゃまぁたしかにちょこっとは仕掛けたよ? 仕掛けたけどさ。お前がなかなかこっちの世界に来てくんないからつまんねぇーなーと思って、お前の力を引き出すことをちょっと言ってみたわけよ。そしたらお前、いきなり力を解放して暴走しやがって』
あ。それで思い出した。そういやおっちゃん、俺がこっちの世界の人間だってこと言ってなかったか?
『あぁ言ったよ』
それほんとなのか?
『教えない』
……。
それ、もしかしてまた俺をはめたってオチか?
『はめたんじゃない。今回の件はお前が勝手に力を暴走させてこっちの世界に来たんだ』
そのキッカケを作ってきたのはおっちゃんの方だろ。
『お前が力を暴走させなければ俺はいつものようにログアウトさせるつもりでいた』
ってか、さっきから暴走暴走ってなんだよ。そんなに言うんだったら最初からちゃんとコントロールの仕方ぐらい教えろよ。
『コントロールの仕方? 知らねぇな。俺もその力を意識して使ったことねぇし。まぁ気合いでなんとかなるだろう』
すげーテキトー。
そもそもあの時おっちゃんが変なこと言わなければ俺はこの世界に来ることもなかったはずだ。
『俺のせいだっていうのか?』
そうだよ。嘘つく大人なんて最低だ。同じおっちゃんでもゼルギアの方がよっぽど──
ふいに。
俺の腕に何かが何度も弱い力でテンテンと小突いてくる。
視線を落とせば、そこには水色スライムの姿があった。
怯える目で俺をじっと見て、弱く腕に体当たりしてくる。
急にどうしたんだ? お前。
『お前が急にどうしたんだ? と聞いているぞ、そのスライム』
おっちゃん、このスライムの言うことがわかるのか!?
『多少はな』
俺は水色スライムへそっと手を差し出した。
スライムが俺の手の上に乗ってくる。
おっちゃん、今このスライム何て言っている?
『何も言ってない。ただ、お前が怖い存在じゃないと安心したのは確かなようだ』
怖い存在か。俺、そんなに怖い顔してたかな?
『スライムはお前の心に正直だからな』
「K君は何か食べる? 飲み物だけでいい?」
ふいに女マスターから声をかけられ、俺は顔を上げた。
首を横に振る。
大丈夫。これだけでいいよ。
女マスターが笑う。
「そう。何か欲しいものがあったら遠慮なく言ってね」
ありがとう。
女マスターは再び別の人を接客しに向こうへと行った。
しばらくして。
おっちゃんが咳払いしてくる。バツ悪そうに、
『その……色々すまんかった。お前をからかうつもりはなかったんだ。どっちにしろお前がこのまま力を使い続けていれば、いずれ否応無しにこっちの世界の人間になるからという前提をもってだな──』
え?
『ん? あ、やべ……!』
今、なんつった? 力を使い続けていればだと?
『おおお落ち着け、と、とと、とりあえずまずはゆっくり深呼吸して忘れるんだ』
お前が落ち着けよ! ってか、忘れたいのはおっちゃんの方だろ!
『今のは聞かなかったことにしろ。いいな? お前は何も聞いていない』
無茶言うな! やっぱりそういうことだったんだな。もういい、今すぐここからログアウトさせろ。
『お前こそ無茶言うな。やってやりたいのは山々だがお前は今この世界の【理の呪縛】をかけられているんだ』
ことわりの呪縛?
『心身のペナルティーだ』
ペナルティー? なんかの罰みたいなもんか。
『そうだ。お前がこっちの世界で馬鹿デカイ力を使えば使うほど、その分ペナルティーが科せられていく。今この時点でログアウトをかけてもすぐには元の世界に戻れないってことだ』
ちょ、待て。それどれくらいで解かれるんだ?
『知らん。この世界でどのくらいの力を使ったかの程度にもよる。大きな力を使えば使うほどログアウトできるまでの時間が長くなる』
じゃぁ俺、いつになったら元の世界に帰れるんだ?
『さぁな。戻れるようになれば勝手に戻れるだろう。ところでお前、なんで俺がかけた封印が解けかけてんだ?』
封印? クトゥルクの力のことか?
『なんでお前がそれを知っている? 誰から聞いた?』
俺は答える。
エルフの人に聞いたんだ。クトゥルクってなんかヤバい魔法の力なんだろ?
『ヤバいという言葉で済まされるほど、クトゥルクはそんな軽い力じゃねぇんだけどな』
クトゥルクっていったいなんなんだ?
『誰にも止めることのできない無敵の力だ』
いや、もっとなんかこう、具体的にわからないのか? あれが出来るとかこれが出来るとか。
『なんでもできる』
うわー。それすげー投げやり。
『それぐらい恐ろしい力なんだ』
それのどこが恐ろしいんだよ。意味わかんねー。
内心で呟くようにそう吐いて、俺はだるそうにカウンターにうつ伏せた。
──そんな時だった。
ふとモスキート音のような不快な音が聞こえてくる。
耳を押さえ、俺は顔を顰めながらもカウンターから身を起こす。
何気に隣を見やれば、俺のすぐ隣で小さな七色の光の集束が生まれつつあった。
俺は目を丸くする。
え? なんだ、これ。
『ほぉ。こいつは驚いた。まさか向こうから接触してくるとはな』
まさか、黒騎士!?
『違う。安心しろ。そいつはお前の仲間だ』
仲間?
光の集束していた空間が、突然ぐにゃりと渦巻くように歪んでいく。
そしていきなり、
「じゃじゃーん! Fちゃん登場な──ぐほっ!」
ぐはっ!
そこから勢いよく飛び出して俺の顔面にぶつかってきたのは、丸っこい三頭身の明るく元気な女の子だった。
※
「ただいまー! みんな元気してたぁー? Fちゃんは今日も元気だお!」
Fと名乗った三頭身の女の子は、元気いっぱいにカウンター上からギルドのみんなに挨拶していた。
大きさは一歳児ほどくらいである。
くるくるピンクのくせっ毛にトンガリ帽子、円らなどんぐり目で愛くるしい笑顔を振りまいて、魔法使いのような格好をしたFという女の子は、手に魔法の杖のような物を持ってそれをぶん回していた。
Fの隣にいた俺は、彼女がぶん回してくる杖先をたまに避けたりしながらおっちゃんと内心で会話を続ける。
なぁ、おっちゃん。本当にこいつも俺と同じ世界の人間なのか?
『Fという名がコード・ネームなら間違いなくお前と同じ世界の人間だ』
だが、アバターが人間じゃない。
『そうだな』
そうだなって……。じゃぁなんで俺はこの姿のままでこっちの世界に来られたんだ? アバター選べるんだったら俺にも選ばせろ。
「お前、誰お?」
いきなり俺の真ん前にFの顔がアップで迫る。
俺は驚きのあまり後ろにひっくり返った。
女マスターがFに紹介する。
「彼の名はK。エルフの村からの難民よ。今日このギルドに登録したばかりなの」
「K?」
俺はようやく起き上がり、椅子に座りなおす。
そんな俺の頭上をFは手持ちの杖でこんこんと叩く。
「それ、コード・ネームか? それとも本名か?」
『本名と言っとけ』
え? なんで?
『嫌な予感がする』
わかった。
俺はFに自分の名が本名であることを告げる。
それを聞いたFはため息をついて気分を落ち込ませた。
「がっかりだお。コード・ネームKが現れたって9が言うからせっかく仕事抜けてログインしたのにガセネタだったお」
し、仕事……?
『やはりな。仲間は仲間でも微妙なとこってわけか』
俺は内心で問う。
おっちゃん、それどういうことだ?
Fがいきなり慌てふためき始める。
「ち、違うお! そんなんじゃないお!」
え? 何が?
わけわからず急に否定してくるFに俺は目を瞬かせた。
Fが半眼になって怒ったように頬を膨らまし、俺に言ってくる。
「お前と話してるんじゃないお。Fの中にいるおっちゃんと話しているお」
俺は思わず身を乗り出すようにして言葉を口にした。
おっちゃんと話しているだと?
『待て。同じおっちゃんでもそいつは俺じゃない、別人だ。そいつの名前を聞き出せるか?』
俺は一旦気持ちを落ち着け、内心で頷く。
わかった。やってみる。
そしてさりげなく俺は、Fにそのおっちゃんの名前を聞いてみた。
するとFがハッとした顔で何かを警戒するように俺から距離を取り、首を横に振りながら答えてくる。
「教えないお。言ったらダメって言われたお。Fの中にいるおっちゃんが消されてしまうお」
は?
『チッ。名乗らんとは勘のいい野郎だ』
怖ぇこと言うなよ! 消すとか聞いてないぞ!
『お前を守る為だ。こっちのことは気にするな』
何する気だよ! 余計気になるだろうが!
「あ。お前のジュースおいしそうだお。もらうお」
──って、ふざけんな! それ俺のジュースだろ!
『いいか、よく聞け──
返せっつってんだろ! 全部飲むな!
「ぷはー。おいしかったお。コップ返すお」
いらねぇよ!
『もういいから諦めろ。とにかく俺の話をそのまま黙って聞け。
絶対に俺が指示する以外で力を使うな。俺の指示以外で余計なこともしゃべるんじゃない。肝心な時にペナルティーくらったり、敵に逃げ場を封じられたりしたら終わりだと思え。──特に黒の騎士団。奴らはお前の力を狙っている。味方のフリをしてお前に近づいてくることも考えられる。常に警戒を怠るな。
お前の力はさっき封印しておいた。もうその額に巻いている黒ヘビの皮は取ってもいいぞ』
……。
俺はそっと額に手を当てた。
リラさんにもらった黒ヘビ皮。
思い出が、俺の脳裏によみがえる。
これは……取れない。取りたくないんだ、リラさんに会うまで。
『好きにしろ。ただし、ここから先は俺の指示することだけを聞いてもらう。なるべくコード・ネームを持つ奴とは接触するな。敵か味方かはっきりするまでだ』
◆
──討伐?
二階から降りてきたゼルギアは、カウンターにいた俺に【千年蜘蛛討伐】の紙を突きつけてきた。
「一週間後に二階で会議を行う。お前はすでに討伐メンバー入りだ。赤竜討伐メンバーは戻ってくるのにまだ時間がかかる。だから今回新たに討伐チームを結成することにした。もし誘いたい奴がいるなら会議が始まる前までに俺に直接言いに来てくれ」
え? 試験も何も無しにいきなり俺をメンバー入りにするのか?
「そうだ。前もって言っておいたはずだろう?」
試験してくれよ。こんなシード扱いは絶対他の人たちに反発されるに決まってる。
「問題ない。今回お前は俺のおまけということで連れて行くだけだ。大層な準備はいらない。お前はスライムだけをつれていけばいい」
それだけでいいのか?
答えの代わりに、ゼルギアは俺の肩を軽くぽんぽんと叩いた。
そしてFにも同じ紙を渡して声をかける。
「F、お前はどうする?」
「また討伐お? 途中で抜けていいなら参加するお。目的座標を言ってくれたら直接そこ行くお」
ゼルギアは苦く笑って、
「相変わらず便利な魔法持ってんな、Fは。どうせならみんなまとめてエーテル・ポイントまで飛ばしてくれりゃぁ楽なんだが」
「そんな大きな魔法無理お。コード・ネームKじゃないと不可能な力だお」
「K?」
ゼルギアの顔が俺に向く。
「違うお。そいつじゃないお。Fと同じ異世界人だお。クトゥルクの力を持っている奴だお」
シン……、と。
Fの言葉にギルド全体が凍てつくようにして会話をやめた。
物音一つしてこない。
みんながFに注目している。
ゼルギアや女マスターでさえも怯えた表情で時を止めてFを見ていた。
「あれ? みんなどうしたお?」
Fはきょろきょろと周囲を見回す。
ゼルギアが恐る恐るといったように声を震わせ、
「クトゥルク、だと?」
「そうだお」
「イセカージンがあの力を持っているというのか?」
「そう聞いたお」
「誰に聞いた?」
「9だお」
「そのコード・ネームKとはどんな人物だ?」
「知らないお。Fは9に情報をもらっただけお。ある街でクトゥルクの翼竜を見たって噂が広まっているらしいお。黒騎士も来たって噂だお。でも9言ってたお。これだけ姿を目撃されていればKは今、別の何かに姿を変えているはずだって」
「そうか。ならば今コード・ネームKという人物をお前から聞いても意味がないってことか」
「そうだお。こっちの世界で捜すのは無理お。Fの世界で捜すお」
「じゃぁ詳しい情報がわかったら教えてくれ。上層部に報告せねばならん」
「わかったお」
コード・ネームK=クトゥルクの力。
ギルド内がその話で騒然となる。
そんな中、俺は無意識に震える手をぎゅっと握り締めた。
なぁ、おっちゃん。
『なんだ?』
俺、みんなにバレたらどうなる?
『二度と元の世界に戻れなくなるのは確実だな。俺の声も聞こえなくなるだろうし、一生暗闇に幽閉か、世界中をたらい回しされたあげく変な迷信で心臓を取って食われるかもしれん』
俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
高鳴る心臓を落ち着けようと深呼吸をした。
『せめてお前のKという名も周囲に偽っておくべきだったな。クトゥルクの力を狙うのは何も黒騎士どもに限ったことじゃない。逃げられる点に置いては黒騎士より容易いってだけでな』
返すよ、おっちゃん。この力。
『残念だがこの力はお前にしか適合しない。クーリングオフ期間は過ぎた。諦めろ。本当に残念だ』
押し売り業者か、てめぇは!
ふいに肩を叩かれ、俺はびくりと飛び上がるように身を反らせた。
「なに驚いてんだ、お前」
ゼルギアだった。
「そういや今夜泊まる宿のことを話すの忘れていたな。ジャングル暮らしの長いお前にこの街での一人暮らしは無理だ。今日からお前はデシデシの部屋で生活しろ」
え? デシデシって、あの黒猫と?
「そうだ。あー見えて口は悪いが意外と世話好きな猫なんだ。お前の村の情報も集めると言ってくれていた」
リラさんたちの行方を捜してくれるのか?
「あぁ。だから今日からお前はデシデシのところで生活するといい。帰る時はデシデシと一緒に帰れ。俺はデシデシの家を知らんからな」