第59話 飼い犬はバカ犬くらいがちょうどいい
イナさんを神殿兵が背負い、小猿とデシデシは俺が抱いて運んでいた。
白狼竜との距離はもう目の前だ。
俺は白狼竜を見上げて、そのあまりの巨体に感嘆の吐息を漏らす。
改めて近くで見ると本当に恐竜並みの大きな白狼である。
いや、実際恐竜という実物を見たわけではないのでハッキリとは言えないが。
『誰のせいであんなデカくなったと思っているんだ』
もうわかったって。反省してる。けど、なんでいきなりあんな大きくなったんだ? 以前北の砦で見た時はもっと小さくて、子犬くらいの──
『言ったはずだよな? こっちの世界で魔法陣を踏むなと。
封印の枷が外れたら、クトゥルクが暴走して俺の手に負えなくなるんだ』
手に負えなくなる?
『白狼竜が巨大化したり、とんでもないことが起きたり、厄介で面倒なことが色々な』
だったらちゃんとそこまで説明しろよ。……いや、説明されても踏んでいたけど。
『だろうな。まぁ今回は仕方ない。俺がお前の立場でもそうしていただろうからな』
あの時はほんとごめん、おっちゃん。
『わかっている。だからもう気にすんな』
おっちゃん……。
責めないおっちゃんの言葉に俺は感動し、思わず涙腺が緩んだ。
ごめん。俺、もう二度と──
言葉半ばでおっちゃんが鼻で笑って付け足してくる。
影のある笑みを浮かべて、
『二度も同じ事繰り返されてたまるか。もし次、俺の言葉を無視してクトゥルクを使ってみろ。その時は今回の分を倍に含めてぶん殴ってやるからな』
そうやって次に持ち越したりするから気にするんじゃねぇか。
俺は内心で静かに涙を流した。
※
やがて俺たちは神殿のすぐ近くにある建物内に入り、身を潜めた。
これからの作戦を練る為だ。
建物の損傷は激しいものの、他の建物と比べたらまだマシな方である。
建物内に入ってすぐの──その一フロアとなる広間の真ん中で、俺とおっちゃんはイナさん達を床に下ろして一旦休憩をとる。
一息ついたところで。
おっちゃんが俺の首元に垂れていたフードを手に取り、俺の頭に被せてきた。
『黒騎士に顔を知られると厄介だ。被ってろ』
なぁおっちゃん。
『なんだ?』
俺が使った帰還魔法陣って、まだ使えると思うか?
『魔法陣は使い捨てじゃないからな。何度でも使うことは出来る。だが一つ問題がある。
リ・ザーネは白狼竜の足元だ。どうする?』
白狼竜を移動させればいいのか?
『たしかに名案だ。だがしかし、どうやって白狼竜を移動させる?』
どうやってって……。俺が普通に命令すれば動いてくれるものじゃないのか?
『下手すればお前が白狼竜に拉致られる。拉致られたが最後、そのままどこか遠いところに連れさらわれて二度と向こうの世界へは帰れなくなるだろう。俺もそこまでお前を捜しきれるわけじゃないしな』
じゃどうすればいい? どっちにしろ白狼竜を動かしてリ・ザーネを使わないと俺は元の世界に帰れないんだろ?
『賭けだな。お前が白狼竜を動かすか、それとも動いてくれるのをこのまま待つか』
何かキッカケを作ればいいってことか?
おっちゃんが「ほぉ」と心にも無い声で感心する。
『それは良い考えだな。白狼竜の視線を上手く逸らし、さらに移動させることができれば上出来だ。だが問題はその視線逸らしだ。白狼竜はお前以外に全く関心を示さない』
俺はぽんと手を打つ。
そういやおっちゃん、以前北の砦の時に白狼竜のことを忠実で優秀な犬って言っていたよな? それってフリスビーみたいな物を投げれば取りに行ってくれるのか?
『そうだな。お前というフリスビーを投げれば喜んで取りに行ってくれるぞ』
他にないのかよ!
『じゃぁツッコませてもらうが、それを誰が投げるっていうんだ? 俺が投げて取りに行くと思うか?』
俺が投げればいいんだろ? ――あ。
『どうやって投げる気だ? あぁ? 言ってみろ』
なんだよ。そこまで言わなくてもいいじゃないか……。
俺はぶつぶつと不満に口を尖らせた。
結局何も方法はない。
『頼る物があればとっくにお前に渡している。それが無いから俺もこうして頭を捻っているんだ』
……。
俺とおっちゃんはしばらく無言になって頭を捻り考えた。
ふと、俺の脳裏にセディスのことが浮かぶ。
──あ、そうだ。なぁおっちゃん。
『なんだ?』
セディスってたしか俺を捜していたんだよな?
『だからなんだ?』
黒騎士も、俺が出てくるのを待っているわけだよな?
『……? なぜそんなことを訊く?』
白狼竜も俺を捜している。ということは……──なぁ、おっちゃん。これってつまり、俺が派手なことして全ての視線を集中させたらどうなる?
『非常に危険な賭けだな。勝負は一瞬。セディスが出てこなかったり、黒騎士が動かなかったり、白狼竜に先に拉致さられたりと一つでもズレればお前が大惨事だ』
……。
無言になって俺は考え込むように顎に手を当てた。
おっちゃんが俺を見て鼻で笑ってくる。
『それでも賭けるか?』
その言葉に俺は力強く頷く。
うん、賭ける。
おっちゃんが軽く微笑する。俺の頭をくしゃりと掻き撫でて、
『よし、わかった。それに賭けよう』
そうと決まればとばかりに。
俺とおっちゃんはその場から立ち上がった。
しかし。
俺には気がかりなことが一つあった。
ちらりと後ろを振り返る。
そこに横たわっている気絶したイナさんとデシデシと小猿の姿。
おっちゃんが俺に言ってくる。
『彼女たちはここに置いていこう。その方が安全だろう』
その言葉に俺は首を傾げた。
本当に安全なのか?
『なぜそう思う?』
いや、だって……。
『ここに無防備に寝かせていることがお前にとって心配なのか?』
……。
無言で俺は頷いた。
気を取り直すように、おっちゃんが人差し指を立てて言ってくる。
『じゃぁ逆に考えてみろ。一緒に連れて行ったとしても意識の無い彼女らを戦いに巻き込むだけだ。俺はお前を守るのに精一杯だ。お前に無防備な彼女らを守りきれるのか?』
……。
俺は静かに首を横に振った。
戦闘を経験したことのない俺にイナさん達を守ることなんてできない。
ならばおっちゃんの言う通り、ここに置いていた方が安全なのかもしれない。
白狼竜の近くであるせいか、この一帯は強い光で包まれている。
光の中であれば魔物の心配もないだろうし、黒騎士も──セディスのことも俺が引きつけておけば問題ない。
『そうだな。それに、お前が向こうの世界へ帰るところを見られるわけにもいかないからな。
お前が向こうへ戻れば白狼竜も自然と居なくなるし、黒騎士も居なくなる。セディスは……この国にはもう居辛いだろう』
俺はようやく納得の頷きを返した。
それを見ておっちゃんが安心するように微笑する。
『良い判断だ』
そう言って、俺の背を軽く前へと押した。
その後。
俺とおっちゃんは建物内から外へと向かって歩き出す。
建物から出ようとした――その時だった!
おっちゃんの背中に後ろから何かがドンとぶつかってくる。
一瞬何が起こったのか分からなかった。
俺はなんだろうと思い、おっちゃんへ視線を移す。
おっちゃんが愕然とした顔で背中へと振り返る。
俺もおっちゃんの視線をたどるようにして後ろを振り向いた。
そこに居たのは──
……イナさん?
信じられない思いで俺は内心で呟く。
イナさんがおっちゃんの背後にぴたりとその身をつけていたのだ。
まるでおっちゃんの背に何かを押し込むようにして。
いきなりおっちゃんがガクリと体勢を崩し、地に膝をつく。
その背に突き刺さった短剣。
俺はようやく全てを理解した。
おっちゃん!
間髪置かず俺は背後からぐいっと首に腕を回され、拉致られる形でそのまま建物内へと連れて戻される。
俺を捕まえていたのはイナさんだった。
そうか、イナさんは──!
俺はようやくそこでイナさんが誤解していることに気付いた。
中身はおっちゃんでも姿は神殿兵。イナさんにとっては敵である。イナさんから見れば俺が神殿兵に連れて行かれているように見えたんだろう。
違うんだ、イナさん! この人は俺たちの味方なんだよ!
そうイナさんに伝えたかったが、こんな時に声にならないことが苛立たしかった。
イナさんはある程度建物内へと連れ込んだところで足を止める。
俺はイナさんから離れようと暴れたが、イナさんが俺の首に腕を回してしっかりと固定しているため離れることができない。
どうすればいい?
おっちゃんに駆け寄りたいがそれもできない。だからといって必死に俺を助けようとしてくれているイナさんに手荒なことはしたくない。
考えろ、俺。何か良い解決方法を! 早くしないとおっちゃんが──!
するとおっちゃんが痛みに耐えるように歯を食いしばり、地を強く掻き掴んで身を起こしてきた。
懐から拳銃を取り出してイナさんに銃口を突きつける。
それを見て俺は内心で叫んだ。
やめろ、おっちゃん! イナさんは誤解しているだけなんだ!
おっちゃんが痛みに蒼白した顔で薄く笑ってくる。
『はたして本当にそうかな?』
――え?
おっちゃんの言葉を証明するかのごとく、イナさんが俺の首元に短剣を突きたててきたのはその直後だった。




