第58話 覇者の威圧
殴られはしなかったものの、指で額を強く弾かれる。
――痛ぇッ!
殴られたくらいに本気で痛かったが。
俺は額に手を当てて数歩後退した。
涙目で訴える。
いきなり何するんだよ。マジで痛ぇ……
神殿兵が無言で俺に指を突きつけてくる。
同時におっちゃんが頭の中で厳しい口調で怒鳴ってきた。
『何をするだと? お前は自分で何をしでかしたのかまだ分からないのか?』
分からないというか……
『今後、俺の言うことを無視して二度とクトゥルクを使うな。もし次使ったらこの世界に置き去りにするからな。いいか、わかったな?』
――あれ?
ふと。
俺は額から手を退けた。
どんより鈍く残っていたはずの頭痛がいつの間にか消えて無くなっている。
心なしか脳みそまで消えたかのようにすごく頭が軽い。
軽快さを感じた俺は、思わず晴れやかな笑みを浮かべる。
『それは今俺が、お前の中にあるクトゥルクの力に封印をかけたからだ』
クトゥルクの力を封印?
俺は振り返って神殿の方向を確認する。
しかしまだ白狼竜は消えていない。
『あんなデカくなったもんがそう簡単に消えるわけねぇだろ。あの白狼竜を説得できるのはお前だけだ。黒騎士どもを追い払ってもらって早めにお帰り願え』
セガールならさっきもう帰っただろ。
『お前の中での黒騎士はセガールだけか? まぁ他の奴らとはまだガチ合わせてないから無理もない話だが』
なぁ、おっちゃん。黒騎士ってだいたいどれくらいいるんだ?
『……』
無言のまま。
神殿兵──おっちゃんは、しばし黙り込んだ後に。
『教えない』
はぁ!? またそうやって──……なんで教えてくれないんだよ?
面倒くさそうな顔して鬱陶しく俺を手で払い、おっちゃんは俺との会話を早々と打ち切った。
そのまま俺を無視するかのように、おっちゃんは気絶して倒れているイナさん達のところへと歩み寄る。
助け起こすのかと思いきや。
おっちゃんはイナさんの顔をじっと見つめ、そして口元と目元を指で触れた。
何してるんだ? おっちゃん。
『感染を確認している』
感染って……。
ハッと、俺の脳裏によみがえるセディスのこと。
『どうやらまだ感染はしていないようだな。ここ一帯のセディスの効力が消えて無くなったか』
消えて無くなる?
『ここら辺で死んでいる奴らは全員、感染した者とそれに襲われた被害者だ。魔物が暴走して人間を襲うのと同じで、感染した人間が人間を襲ったわけだ』
……。
俺の脳裏に、ゾンビが人を襲うホラー映画が過ぎる。
『つまりはそんなとこだ』
言葉を濁して肩を竦め、おっちゃんはそう言葉を続けた。
俺はおっちゃんの傍へと駆け寄る。
すぐさまおっちゃんの片腕を掴み、途切れた記憶の部分のことを尋ねる。
なぁおっちゃん、巫女は無事なのか? セディスは? 俺が魔法陣を踏んだ後にいったい何がどうなったんだよ?
『セディスがお前を捜している。巫女はたぶん無事だ。Xにさらわれちまったがな』
Xにさらわれた?
『巫女の感染を治すと言って連れて行った。お前とはまた日を改めて戦いを申し込むそうだ』
なぜXがそんなこと……
『さぁな』
再度肩をすくめてお手上げした後、おっちゃんは懐から一つの鈴を取り出す。
巫女の髪飾りの鈴だった。
それを俺に手渡してくる。
俺はその鈴を受け取った。
鈴が揺れてチリンと小さな音を鳴らす。
『巫女はまだ生きている。お前が巫女の代わりにその鈴を鳴らしてやれ』
……。
俺は唇を噛み締めるようにして顔を俯ける。
ふと、おっちゃんが俺に向けて人差し指を立ててきた。
『それともう一つ。先に誉めるとお前が勘違いするといけないと思い、さっきはきつく叱ったが。
――実はあの時、お前の判断は間違いではなく最良だった』
俺は顔を上げて首を傾げる。
俺の判断?
『そうだ。お前が発動させたクトゥルクの力だ。あの時お前がクトゥルクを発動していなければ、今頃この街はセディスの感染で全滅していただろう。
今この街に魔物の姿もなく、感染もなく、黒騎士も動かずに静寂が続いているのは、白狼竜による【覇者の威圧】が効いているからだ』
覇者の威圧?
『そうだ。クトゥルクの使い魔である【白狼竜】を前にして戦いを起こす者など居ない。戦いを起こせばたちまち白狼竜に瞬殺されてしまうからな。
戦う者全てが白狼竜にとっての敵だ。邪魔者は消す。それが白狼竜のやり方だ。
だから誰もが皆、敵とみなされないよう力を消して息を潜めているわけだ。
まぁ馬鹿思って白狼竜に攻撃を仕掛けようものなら強力な一撃で倍返しされるからな。それを恐れて誰もが手を出さずにタイミングを待っている』
タイミングって、倒せるタイミングか?
『いや、お前が出てくるタイミングだ』
俺が出てくるタイミング?
『あぁそうだ。ここを戦場に変えるかどうかはお前次第というわけだ。使い魔はお前が指示をすれば大人しくもなるし攻撃的にもなる。
まぁどちらにせよ、お前が出てきた時点でここが戦場になることは必然だがな。黒騎士は必ず戦いを仕掛けてくる。たとえ死ぬことになろうとも……。そんな奴等だ』
死ぬとわかった戦いをするというのか?
『弱い者を倒してお山の大将を気取るのは新米黒騎士だけだ。対して、強い力に臆せず全力で挑むが黒騎士。
最強に挑めば挑むほど、それが強さの証明になる。そこに挑んだ者たちが“極の領域”を名乗り、誇る。だからお前が力を使うたびに黒騎士どもが集ってくるわけだ』
俺が強い力を持っているから、か?
『そうだ』
【戦イ ハ 終ワラナイ。君ハ再ビ コノ世界ノ 覇者ニナル】
【この世界では戦いが全て。戦いに勝てぬ者は死ぬだけです】
思い出し、俺は巫女の鈴を胸に寄せて握り締めた。
チリンと鈴が小さく音を立てる。
なぁおっちゃん。
『なんだ?』
犠牲のない戦い方って、あると思うか?
おっちゃんが鼻で笑って言ってくる。
『そんな戦い方ができるというなら、それこそ神の成せる業だな』




