第56話 忍び寄る影
痛みはさきほどよりだいぶ治まってきたように感じる。
調子を取り戻した俺は、イナさん達とともに床に座り、闇が過ぎるのを待っていた。
白狼竜の遠吠えは消え、辺りが静寂に包まれる。
皆、疲労を顔に浮かべたまま床に座り込んで項垂れていた。
外の様子がなんだかおかしい。
騒がしいわけでもなく、妙に静か過ぎる。
物音一つしないし、声もしない。
獣が暴れているわけでもなく、黒騎士が襲いに来るわけでもない。
行動するなら今なのではないだろうかと、そう思うのは俺だけだろうか?
まだ誰一人として動き出さないのは闇が消えていないからだろう。
窓辺を見張る人たちが何を知らせてくれるわけでもない。
外に出るわけでもなく、ただ見ているだけだ。
時間だけが虚しく過ぎていく。
やがて赤子が泣き出し、腹を空かせた幼子たちが母親に小声で訴える。
食料や水もきっと充分に無いはず。
誰かが動かなければ、皆ここで飢え死にだ。
俺はその場から立ち上がった。
「ケイ?」
「どうしたデシか?」
……。
尋ねるイナさんとデシデシを俺は無言で手で制してその場に留めた。
そこから歩き出す。
背後から、イナさんが追ってきて俺の腕を掴んで引き止める。
「どこに行こうとしているんだい? ケイ。まだここに居た方が──」
……。
俺は無言でイナさんの手をそっと払い、首を横に振る。
イナさんが心配そうに俺を見つめる。
「ケイ……」
「もしかしてトイレに行きたいデシか?」
……。
デシデシのその言葉に俺は少し迷い悩む表情を浮かべた後、やがて肯定の意を返し頷いた。
そのことでイナさんもデシデシも俺を引き止めることを諦めてくれた。
それからしばらく。
俺は人目を盗むようにして人けの無い薄暗い通路を壁沿いに、裏口へと向かい歩いていた。
明かりがある為か、その間に魔物と遭遇することは一切なかった。
ようやく見つけた無人の裏口から俺は神殿の外へと抜け出す。
……。
ピンと糸を張ったかのような空気。
周囲の様子に神経を研ぎ澄ます。
神殿の外がやけに静か過ぎる。
殺気もなく、獣の気配すら感じない静かな闇。
いったい何が起こっているんだろう。
おっちゃんのことも心配だったし、巫女のことも心配だった。
それを知るのも動くのも、今がチャンスなのかもしれない。
確信した俺は神殿の外へと一歩踏み出した。
──その時。
ふと、背後から気配がして俺はハッと振り返る。
イナさんとデシデシだった。
頼りない光の小玉を宙に照らし、俺の後を追いかけてきたのだ。
俺は安堵のため息を吐く。
そんな俺を見て、デシデシが不安そうに問いかけてくる。
「K。いったいどこに行こうとしているデシか?」
俺は無言で白狼竜の居る神殿に指を向けた。
するとデシデシがすぐさま俺の服にすがりつき、引っ張りながら言ってくる。
「それは駄目デシ。さっきの場所に戻るデシよ。魔物に食べられてもいいんデシか?」
「そうだよ、ケイ。外が晴れるまでは動かない方がいい。黒騎士だってまだ去ったわけじゃないんだから」
……。
それでも俺は首を横に振って拒んだ。
イナさんが訊ねてくる。
「どうして? 危険を冒してまで何をそんなに──」
「モップとスライムか」
イナさんの肩にいた小猿が口を挟んだ。
「恐らく小僧っ子はモップとスライムを助けに行こうとしているんじゃろう」
代弁をするかのように小猿がイナさんへと伝えた。
俺はそれに無言で頷く。
ふと。
俺の懐からスライムが飛び出てくる。
スライムは存在アピールするように俺の頭上に移動してぴょんぴょんと跳ねた。
それを見て小猿がさきほどの言葉を訂正する。
「――ということは、あやつ一人があの場所に居るということじゃな」
その言葉に俺は頷きを返した。
イナさんとデシデシが引き止めてくる。
「だ、駄目デシよ」
「そうだよ、ケイ。気持ちは分かるけど今はまだ止めときな。こんな時に行動するなんて魔物のエサになりに行くようなもんだよ。行くなら闇が消えてからにしな。それに今あの場所に行ったとしても、もう……」
そこで言葉を止め、イナさんは俺から顔を逸らした。
イナさんの言いたい事は分かっている。
たしかに今更行ってももう手遅れだろう。それでも──
俺はイナさん達をその場に残し、背を向けて立ち去る。
「ケイ……」
「K……」
二人の呟きを背に受ける。
俺は無視するようにして足を進めた。
しばらくして。
俺の隣にイナさんとデシデシが駆け寄ってくる。
「あんたが行くならあたいも行くよ」
「い、イナが行くならボクも行くデシ」
※
白狼竜の居る神殿へ近づけば近づくほど。
戦いの傷跡はより濃さを増し、悲惨さを物語っていた。
イナさんもデシデシも一様に口を閉じ、その光景に黙り込む。
影になっていることが救いか。
死体をなるべく見ないようにして歩き、俺たちは仄暗い道を前へと進み続けた。
戦いはたしかにここにあった。
今は時が止まってしまったかのように何もかもが静寂してしまっている。
魔物もいない。
黒騎士の姿もない。
生きている者は誰一人としていない。
血生臭い匂いが鼻をつく。
俺もイナさんもデシデシも小猿も、あまりの匂いに腕で鼻を覆った。
デシデシがぽつりと弱々しく言葉を漏らす。
「もう絶対誰も生きてないデシよ」
「ケイ。これ以上行っても……」
イナさんの肩で小猿が俺に言ってくる。
「小僧っ子、あやつのことなら心配はいらぬ。一旦戻らぬか?」
……。
それでも俺は首を横に振った。
手で制して彼らをその場に留め、そのまま足を進める。
きっと俺一人でも大丈夫。行ける。
そんな気がしたからだ。
「……」
「……」
「……」
仕方ないといった表情で、イナさんもデシデシも小猿も俺のあとをついてくる。
やがて。
いくつかの建物の角を曲がり、白狼竜の居る神殿を目指して道を歩いていると、小さな広場へと抜け出た。
前方の様子に注意しながら一つ一つ安全を確認し、その先へと足を進める。
――その時だった。
後方からいきなり気配も無く襲ってきた三人の人影に俺たちの反応が遅れる。
音もなく背後から瞬動的な体技を喰らって、イナさんと小猿が意識を失い、地に倒れる。
ハッとする間もなく俺は背後から何者かに羽交い絞めにされて身動きできなくなり、敵の襲撃に声を上げようとしたデシデシが電撃の魔法を浴びて昏倒した。
イナさん! デシデシ! くそ、離せ!
そんな俺の、すぐ背後から声がかかる。
「騒ぐな。白狼竜がお前を捜している。ここで白狼竜に見つかれば、お前はもう二度と向こうの世界へは戻れなくなるぞ」
この声、セガール!?
背後から掛けられた声に戦慄が走る。
羽交い絞めにしてきた相手はどうやらセガールだ。
それにしても──
戻れなくなるってどういう意味だ?
ふと。
デシデシに駆け寄る一人の少女。
黒い外套衣に身を包んだその少女はデシデシを胸に抱くなりすぐに頬すりする。
その彼女に、俺は見覚えがあるような気がした。
たしかあれは北の砦で──
「きゃーん。こんなにかわいい猫ちゃんを傷つけてしまったですぅ。アリアちょーショック。ごめんね猫ちゃん、ごめんね」
少女の後ろから同じく黒衣に身を包んだ人物が歩み寄る。
たしかコイツも──
「嘆くほどのモンか?」
「むッ! 赤猿のくせに人間の言葉を!」
少女がキッと黒衣の人物を睨みつける。
「アリア、赤猿」
叱責を受けるように名を呼ばれ、二人は口を閉じる。
俺の背後でセガールが二人に指示を出す。
「アリア、お前はXを捜せ。赤猿は俺とともに来い。Kを国王のもとへと連れて行く」
「その必要はない」
会話を遮り。
いつの間に忍び寄ったか一人の神殿兵が、セガールの後頭部に黒光りする拳銃を突きつけていた。




