第50話 綾原の事情
神殿兵の目を慣れた様子でくぐり抜け、綾原は俺と巫女をある部屋へと導いた。
部屋に通されて。
綾原がドアに鍵をかけている間、俺は部屋内を物珍しげに見回しながら歩く。
五メートル四方ほどの木造の部屋で、簡単な寝台と椅子、小机のみが置かれた質素な部屋だった。
頭の中でおっちゃんが俺に言ってくる。
『どうやら日常茶飯事だったようだな』
何が?
『かくれんぼだ。巫女はよくそれで付き人を困らせていたようだ』
付き人?
『綾原だ』
あぁなるほど。だから俺たちの居場所がわかったわけか。
納得して。俺は仮面を頭から取り、着ていた神衣を脱いでベッドの上に放った。
最初に着ていたフード付き外套衣だけの、身軽な格好になる。
『まずは彼女に事情の説明だな。――と、その前に。
綾原奈々はまだお前のことに気付いていないのか?』
俺は苦く笑って頬を掻く。
……うん。まぁ、そんなとこ。
『なぜ説明しなかった?』
今まで口をふさがれていたから言い出せなかったんだ。
『それで今は声が出ない、と。最悪だな。まるで卒業式までずっと告白するタイミングが合わずにお別れしました並みに寂しい結果じゃねぇか』
関係ないだろ、それ。
『まぁいい。とにかくお前はそこに居ろ。俺が説明してくる』
巫女が手で制して俺をその場に留め、綾原のところへと歩いていく。
そして。
──綾原とおっちゃんが二人で話し合っている間。
暇になった俺は、ふと小机の上に置かれた一冊の本に気付いた。
本を手に取り、何気にページをめくっていく。
綾原が自分で作った魔法陣の勉強ノートだったようだ。
彼女の書く字はほんと小さくてかわいい。
そういえば、俺が入院していた時も授業で習ったところをノートに書いてもってきてくれたっけ。
俺は入院していた時のことを思い出して微笑した。
どこの世界に居ても本当に綾原って変わらないな。
こういう真面目で勤勉なところとか、きれいで丁寧な書き方とか。
しばらくページをめくって。
ふと、俺はページの合い間からヒラリと床に落ちた四つ折の紙に気付いた。
──ん?
本を一旦机上に置き、床に落ちたその紙を手に取る。
手に取った四つ折の紙を何気に広げ、そこに視線を落とす。
慶徳義塾――綾原が通っている塾の、成績表と順位が書かれた紙だった。
その直後!
駆け寄ってきた綾原から激しくその紙を奪われる。
綾原はすぐにその紙を、机上にあった本の間に挟んだ。
そのままその本を胸に抱いて、綾原は無言で俺に背を向けて俯く。
俺の目に一瞬、綾原が泣いているように見えたのは気のせいだろうか。
巫女が綾原へと近づき、心配そうに様子をのぞきこむ。
それと同時、おっちゃんが俺の頭の中で言ってきた。
『お前、何見たんだ?』
俺は首を傾げつつ曖昧に答える。
い、いや別に、俺は何も……。
『泣いてるぞ』
はぁ!? 嘘だろ!
『……お前、本気で何見たんだ?』
俺は慌てて両手を振って弁解する。
い、いやほんと、ほんとだって! 別に俺は何も……! いや、あのその、ちょっとだけチラリと見えただけで……だからってほんと、見るつもりはなかったんだ! 偶然なんだよ!
巫女が無言で、綾原を指し示す。
俺は激しく首を横に振った。
内心で言葉を続ける。
ほんとマジで! 俺そんなつもり全然なくて──ほんとに偶然だったんだ。
巫女が無言で俺に近寄ってくる。
そして俺の腕をぽんと軽く叩いた。
『一応、事の経緯は説明しといたぞ。お前のこともな』
俺の頬が引きつる。
た、タイミング悪いな、おっちゃん……。
巫女が半眼で俺を見てくる。
『お前、本気で何見たんだ?』
んー……。
俺は気まずく視線を逸らして頬を掻いた。
できれば俺も見たくなかった。
あの紙が何であるか知っていたらきっと見ていない。
『だから何を見たんだ?』
「帰って」
消えるかのようなか細い声で、綾原は俺に言った。
「私はもうあの世界には戻りたくないの……」




