第40話 地下は好きじゃない
いつ気を失ったのかも覚えていない。
気がつけば俺は、薄暗い地下の冷たい石畳の上でうつ伏せて寝ていた。
両手は背中側で縛られ、両足には囚人のごとく短いチェーンで繋がった枷がはめられている。そして口には厚い布生地の猿ぐつわ。
ありとあらゆる方法の魔法魔術を封じる為なのだろう。
魔法のある世界でこんな原始的なやり方しかできないものかと笑いがこみ上げてきたが、実際、よく考えてみれば賢いやり方であった。
……魔法陣が描けない。
俺は魔法陣を描く方法しか魔法は知らない。
あ、そういや手を叩いて明かりを付ける方法も──
ダメだ。手が使えない。
結局魔法魔術関係は全て使えないということだ。
まぁ使えないなら使えないでその方が良い。
俺はごろりと寝返り、仰向けとなって呆然と天井を見つめた。
石だ。
空気が湿っているせいか、カビなのかコケなのかわからないものがあちこちに生えている。
またごろりとさらに寝返れば。
鉄の牢を挟んで小さなスペースと階段。その階段の入り口は金網状の鉄で封じられていて、そこから頼りない明かりが漏れていた。
情けなくため息を吐く。
あの後デシデシは上手く神殿の外へと逃げ出せただろうか。
不安を覚えるも、同じ牢にいないことで少し希望は持てた。
そういやさっきから、おっちゃんの声が聞こえない。
モップが肩にいない。
どうやらまた離れ離れになってしまったようだ。
どこかで生きているよな? おっちゃん。
無事でいてくれることを願いたい。
脳裏に思い返す、乱闘騒ぎ。
あの乱闘の後にも関わらず、俺の体は不思議にも痛みがなかった。
殴られたり蹴られたりしたような記憶はあるが、なぜかどこも怪我をしていない。
ふと。
今までひっそりと隠れていたのであろう。
俺の懐からスライムが、ひょこと顔を出す。
相棒!
俺は思わず首をもたげてスライムを見る。
スライムは俺の頭上へと移動して乗っかると、周囲を気遣うようこっそりと俺に回復魔法をかけてくれた。
そっか。お前が俺の傷を治してくれていたんだな。
俺を励まそうとしてか、スライムが俺の頭上で元気に飛び跳ねる。
さんきゅー相棒。俺はもう大丈夫だ。
スライムの無事がわかっただけでも、俺は安心感に包まれた。
きっと他の仲間もどこかで上手く生きてくれているはずだ。
確信はなかったけど、なぜかそう思えた。
――その時だった。
上階からドアの開く音と誰かの足音が聞こえてくる。
スライムが急いで俺の懐に入り込んで身を隠す。
俺は気を張り詰めると、これから来るであろう人物を知るために、全てのものに耳を澄ませた。
足音や物音から推測して、上階には番兵が一人居るようだ。
そしてもう一人。
ドアを開いて新たな人物が入室してきた。
入ってきたその人物に、番兵がかしこまった口調で告げる。
「副神官様」
「少し様子を見にきました。ここに大神官は?」
この声、セディスだ。
「はっ。指示通り、事は内密に処理してございます。ご安心を」
「ご苦労でした。くれぐれもあの大神官の耳には入らないようにしておいてください。あぁ見えて勘は鋭い御方ですからね。
処刑したはずの人間がここで生きていると知れたら大変なことになります。せっかくの計画を邪魔されては後々が面倒ですからね」
「承知しました」
「あなたはこれまでに良き働きをしてくれました。いずれ近いうち、クトゥルクの祝福があなたのもとへ訪れるでしょう」
「使命を尽くせたことに感謝します」
「それともう一つだけ。あなたにお願いしたいことがあります」
「なんなりとお申し付けを」
「今、そこに奈々を連れてきています。彼女の為に何か温かい飲み物とおいしい焼き菓子を用意してあげてください」
「承知しました」
俺はその会話を聞いて眉をひそめる。
奈々だと? まさか綾原奈々──アイツのことなのか?
そして聞こえてくるセディスの声。
「奈々、入りなさい」
再びドアの開く音が聞こえ、一人の足音が聞こえてきた。
「セディス。いくら彼を問おうとも宝玉は戻りません。宝玉は私が隠したのですから」
――この声、綾原!
「下で話しましょう、奈々。ここであなたと言い合っても会話は平行線のまま。何の解決にもなりません」
「彼を拷問しようと無駄です。彼は何も知りません。宝玉の本当の在り処は私しか知らないことです。拷問をするなら私にすれば──」
「奈々」
静かに。
冷たくも落ち着き払った口調でセディスは綾原の言葉を止めた。
「巫女の後ろ盾を持つあなたに、私が手を下せるとお思いですか?
あなたがこの世界で何を発言しようとどんな行動に出ようと、それはあなたの自由です。ここはあなたにとっての自由な世界。好きにしてもらって構いません。
しかし、一つだけ忠告しておきたいことがあります。
私に指図する権利があなたには無いということを心に留めておいていただきたい。よろしいですね?
――下で話しましょう、奈々。話はそれからです」
……。
会話が止まった。
しばらくして二人の足音が響いてくる。
そして地下へと通じる金網状の鉄扉が、番兵の手により開けられた。
一階から地下へ。
この薄暗い地下牢へと、二人の人物が無言のまま階段を下りてくる。
セディスと綾原だった。
※
牢の前へと姿を見せたセディスと綾原。
俺は寝転んだ状態でその二人を黙って見つめた。
セディスが俺を見下すようにして微笑し、告げる。
「どうやら気がつかれたようですね。意識がある方がこちらとしても助かります。
──番兵」
セディスの呼びかけに上階にいた番兵が慌てたように階段を下りてくる。
「お呼びですか? 副神官様」
駆け寄ってきた番兵に、セディスは空の手を差し出す。
「槍をこちらに」
「はっ」
一礼し、番兵は上階へ駆け戻っていく。
しばらくして。
階段を駆け下りてきた番兵が、手持ちの槍をセディスに手渡した。
受け取り。
セディスはすぐさまその槍を構えて、鋭い刃先を俺の足へと向ける。
冷たい微笑みを浮かべて、
「まずは右足からです。順を追って刺していきましょう」
「お願い、セディス! やめて!」
綾原が槍を持つセディスの腕にしがみついて必死に止める。
セディスは言う。
「宝玉の在り処を言いなさい、奈々。あれは祭りの儀式に必要なものです」
「セディス!」
「私は本気で言っているのですよ? 奈々」
「宝玉の在り処を言います! だからお願い、セディス! こんなことはやめて!」
綾原が今にも泣き出しそうな顔で必死に訴え続ける。
セディスの槍を持つ手が緩んだ。
刃先を地へと下ろし、そのまま綾原に問いかける。
「宝玉をどこへ隠したのですか? 奈々」
「……」
問われ。
綾原はセディスから手を放し、一歩、距離を置いた。
無言のまま視線を落とし、力なく俯いていく。
セディスの表情からスッと笑みが消えた。
射殺すような目で綾原を睨みつける。
「奈々」
少し憤慨そうに声を落とし、セディスは綾原の名を呼んだ。
綾原はびくりと身を震わせた後、やがてぽつりとセディスの言葉に答える。
「私に……彼と話す時間をください。宝玉の在り処はその後にお答えします」




