第38話 ……え? 今、何か聞き流してはいけない言葉が聞こえてきたんだが、もう一度言ってくれないか?
──そして再び。
アミルと一緒に神殿前の庭園へと到着した俺は、一旦アミルを木の傍で待たせ、少し離れた場所へと移動した。
移動してすぐ、俺は肩にいる小猿に頼みごとをする。
「頼みとは何じゃ?」
俺は謝る。
悪い。ここでケンタウロスと一緒に待機していてくれないか? もし、一日経っても俺が戻ってこなかったら……。その時は水晶玉と本のことをディーマンに託したい。
小猿が驚いた顔で俺を見てくる。
「なんじゃと? まさか小僧っ子──お主、ワシ等を置いて一人で神殿へ行くつもりではあるまいな?」
……。
答えず。
俺は肩にいる小猿を手に取り、荷車へと乗せた。
「小僧っ子。お主、やはり一人で……」
荷車の中で、小猿が心配そうに俺を見て呟いた。
デシデシが荷車から身を乗り出して言ってくる。
「ぼ、ボクは一緒に行くデシよ、K!」
お前……
デシデシは背負っていた風呂敷の荷物を外し、荷車から地に降り立った。
そして俺の足にしがみついてくる。
仲間思うデシデシの気持ちを知った俺は、思わず涙腺が緩みそうになった。
デシデシが俺を見上げて泣きそうな顔で言ってくる。
「ボクだってイナの勇者になりたいデシ! 一人でおいしいとこ全部持っていくなんてずるいデシ! こんなのフェアじゃないデシ!」
だよな。一瞬でも感動した俺が馬鹿だったよ。
俺はデシデシの本音を知り、乾いた目の淵を軽く指でふき取った。
肩でモップが俺の髪を掴んで引っ張ってくる。
痛ぇーよ。なんだよ。
『まさかお前、俺まで置いていこうとしているんじゃないだろうな?』
いや、おっちゃんは一緒に来てくれ。マジで。
モップがお手上げながらに「やれやれ」と首を横に振る。
同時、おっちゃんが俺の頭の中で呆れた口調で言ってくる。
『一瞬でも感動した俺が馬鹿だったよ』
やめろ、そのリピート。
『言っておくが俺をアテにするなよ。今は二日酔いで魔法が上手く使えなくなっている』
なに墓穴掘ってんだよ、おっちゃん。
『墓穴掘っているのはお前も同じだ。今ディーマンと離れるのは自殺行為に等しい。今この中で一番の戦力はディーマンだ。お前は魔法が使えないんだぞ? わかっているのか?』
わかっている。
『じゃぁなぜディーマンと離れる?』
……。
俺は視線を落とし、口を閉ざした。
わかっている。自分でも馬鹿なことをしていると思っている。
非力なまでに弱い自分に苛立ち、静かに拳を握り締めていく。
内心で、俺はおっちゃんを呼んだ。
『なんだ?』
俺はおっちゃんに尋ねる。
おっちゃんの中で、絶対にこれだけは死守しなければならないものってあるか? それがどんなに不利な状況でも、たとえ何かを天秤にかけたとしても、それでも絶対に守り通さなければならないものだ。
『……まぁそうだな。たしかに、無いと言えば嘘になるな』
もし俺が捕まってイナさんが逆の立場だったとしたら、イナさんは俺を置いてこの街を出たと思うか?
『彼女にそのつもりがあったならお前に本なんて預けなかっただろう』
俺が居なくなった時、イナさんは必死になって俺のことを捜してくれた。だから俺もそうしたいんだ。イナさんがそうしてくれたように俺もイナさんを捜したい。捜し出して、そして無事で良かったと言ってあげたいんだ。
けど、そんなことしたってイナさんはきっと喜ばない。約束を破ってまでそんなことされても、きっと嬉しくないと思うんだ。だから──
『それでディーマンに本を託すってわけか』
本は絶対にこの国から外に出してあげたい。けど、俺まで一緒に逃げたら誰がイナさんを助けてあげられるんだ?
それに、綾原から受け取った水晶玉のことだってそうだ。アイツのあんなに必死な顔、今まで見たことなかった。きっと何か深い事情があるんだと思う。だから水晶玉のことも守ってやりたい。
『……』
おっちゃんが鼻で笑ってくる。
そして裏声で、
『そんなクっサイ台詞吐かれたって、カッコイイとか言ってやらないんだからね!』
おえー。
「急にどうした? 小僧っ子」
「どうしたデシか?」
内心で会話していて無言だった俺が、いきなり顔を歪めて吐きそうな顔をしたからだろう。
デシデシと小猿が心配して声をかけてくる。
そんな彼らに、俺は「なんでもない」とだけ答えて話を戻した。
※
ディーマンと別れた後──。
俺はデシデシとモップを連れ、アミルと一緒に神殿の敷地内へと入った。
まずは侵入成功だ。
神殿の敷地内はとにかく広かった。
中央の噴水広場、庭園、そしてたくさんの建造物が各々の場所に密集しあっている。
それぞれ方角、場所、ともに意味が込められているらしい。
それらを囲い、総称して現地の人たちは神殿と呼んでいるようだ。
黄金煌びやかな本殿は、ここからではまだ遠く、歩いていかなければならない。
この神殿のどこかにイナさんはいる。
俺は気を引き締め、緊張を高めた。
アミルの案内のおかげで怪しまれることなく侵入できた俺は、今ここを歩いている。しかしその内心、一歩一歩と踏みしめるたびに心が張り裂けそうになり、己の死を感じずにはいられなかった。
不安と怖さに自然と手が汗ばみ、足も震えてくる。
広場の噴水を中心として四方に伸びた道は一つに重なり、やがて真っ直ぐに本殿へと太い道を伸ばしていた。
あとはこの道を歩いていくだけ。
これだけの広さがあれば逃げることは可能にも思えるが、その分だけ人がいると考えれば包囲された瞬間に絶望的であることは明白だった。
隣を歩くデシデシが、俺の服の裾をぎゅっと掴んでさらに緊張を煽ってくる。
「……怖いデシ」
言うな。こっちまで怖くなってくるだろ。
肩にいたモップが落としていたフードを俺の頭に被せようとする。
『視線が気になるならフードを被っとけ。少しは恐怖が和らぐ』
ありがとう、おっちゃん。
俺はフードに手をかけ、目深に被りなおした。
その少し離れた先頭を一人歩くアミル。
後ろ姿が小さいながらもどこか誇らしげで、名誉をもって案内しているように見えた。
案内というよりも。
神殿の敷地に入れたことに興奮したのか、俺を置いてどんどん先へ先へと歩いていく。
おそらく俺との距離が開いていることにまだ気付いていないのだろう。
ちなみにスライムは彼女の頭の上にいる。
まだ彼女から離れるわけにはいかない。
俺もその歩調になるべく合わせようと足を早めた。
やがて噴水の前へとたどり着き──。
噴水を前にしてアミルが足を止めて振り返り、俺に言う。
「アミルの案内はここまで。お兄ちゃん、連れてきてくれてありがとね」
俺はそれに苦く笑みを浮かべる。
いや、俺は何もしていないよ。俺の方こそここまでの案内をありがとう。
その言葉に、アミルが照れくさそうに顔を俯け、頬を掻いて。
やがて無邪気な笑顔を俺に見せてくる。
「お兄ちゃんはアミルの案内した第一号だよ。アミルも将来大きくなったら使役魔術師になる。お兄ちゃんに負けないくらいの立派な使役魔術師に」
その言葉に微笑して。
俺の張り詰めていた緊張が彼女の笑顔に和んだ気がした。
肩の力もどこか軽くなる。
アミルが頭の上にのせていたスライムをそっと手に取り、そしてそれを差し出しながら俺に言う。
「がんばってね、お兄ちゃん。アミル、ずっと応援してるから」
スライムを受け取って。
俺は無言で彼女の頭を軽く撫でた。
デシデシがアミルに抱きつく。
「離れたくないデシ! アミルと離れたら死ぬような気がしてならないデシ!」
おい。
アミルがデシデシをぎゅっと抱きしめてなぐさめる。
「大丈夫よ、猫ちゃん。泣かないで。きっと神様が猫ちゃんにもクトゥルクの祝福を与えてくださるはずから」
……ん?
一瞬。
俺の頭上に疑問符が浮かんだ。
今、何か聞き流してはいけない言葉が聞こえた気がするんだが……。
デシデシがアミルに興奮気味に問う。
「ほ、本当デシか!? ボクにもクトゥルクの力がもらえるんデシか!?」
アミルが力強く頷き、人差し指を立てると説を唱え始める。
「汝、その存在を疑うことなき信じ、感じよ。闇を切り裂き、光は必ず天より降りそそぐ。それが我々を救う道標となるであろう。
祝福は誰のところにも平等に降りそそぐ」
説を唱え終え、人差し指を下ろしてアミルは言葉を続ける。
「たとえこの先、邪悪な黒騎士に出会うことがあったとしても、神様がちゃんと守ってくださるから大丈夫。
アミルにも猫ちゃんにも、そしてお兄ちゃんにも。
世界中の人達はみーんな神様の聖なる光に守られているの。だから何も怖がる必要なんてないんだからね」
……。
無言で。
俺は眉間にシワを寄せて指を当てると、唸り考え込んだ。
ようやく、というのだろうか。
今更ながら俺は大事なことに気付いた。
もしかして彼らが信仰している神様って……。
バツ悪そうにおっちゃんが言ってくる。
『まぁなんつーか、そういうことだ。お前の心に負担を与えないよう、あえて今まで言わなかったんだが。
クトゥルクを使えばお前は一生この世界で過ごすことになる。逃げる敵は黒騎士だけとは限らない。そっちの面での身バレも気をつけとけよ。
ここの信者は熱狂的過激派だ。火に油を注ぐようなことだけは絶対にするな』




