第30話 そうだ、前向きに生きよう。希望はきっとそこにある。
『やってくれたもんだな』
頭の中に聞こえてくる、おっちゃんの呆れに満ちた声。
馬車を降りた俺は、粉々に砕け散った道標の前にして愕然と膝を折って座りこみ、項垂れた。
行く手に表れた二つの道。
西か東か。
それが記されていたはずの双方矢印の板を、俺はモップという球を投げて見事に打ち抜いたわけだ。
ちなみにモップは無傷である。
しかも涙ぐましいことに、モップは自分で砕いた板の破片を一つ一つ拾い集め、それを地面の上で丁寧に繋ぎ合わせようとしていた。まるで「ボクが壊しちゃったんだから仕方ないよ」と言わんばかりに。
俺はモップの、そんな誰も憎もうとしない清らな心に精神を撃ち砕かれ、地面に伏して泣いた。
違う、違うんだモップ! それはお前が壊したんじゃない、俺が壊したんだ! 俺が八つ当たりにお前を投げてしまったんだよ! だからお前は何も悪くない……。何も悪くないんだ、モップ……。
……頼む、モップ。俺を一発ぶん殴ってく──ぐふッ。
モップは一切の手加減なしに俺を速攻グーぱんちで殴ってきた。
殴られたことで俺は一瞬意識が飛んで、気が付いた時には地面に昏倒していた。
頭上では水色スライムが俺に回復魔法をかけてくれている。
回復した俺は静かに身を起こすと、頭上の水色スライムをそっと胸に抱き寄せ、無言の涙を流した。
その間、モップはイナさんに、さきほど組み立てたばかりの接ぎ板を差し出していた。
イナさんはそれを受け取り、文字を読み上げる。
「えーと、ムーのミリギ語の上に点。おそらくこの字はテラだね。次に鳥の絵が付くってことは……【ガーネラ】。
この道はどちらかが【ガーネラ】で、どちらかが【アネル】だったってことか」
そして顎に手を当て、悩む仕草を見せながらため息を吐く。
「誤って【ガーネラ】なんて町に着こうものなら、今までの分が取り返しのつかないことになりかねないよ」
俺はイナさんに尋ねる。
そんなにヤバイとこなのか? 【ガーネラ】って。
「うーん、なんて言えばいいのかな。この国は巡礼って言葉があるように、巡礼する人たちが道に迷っても、町の名前だけでその場所が国のどの辺に位置するのかを教えてくれる地図みたいになっているのさ。
【ガーネラ】って言葉は、【神の生まれた場所】【魂の始まり】ということを意味する。
つまり、何をするでもその街で始まり、巡礼もそこから始める。政も行事も全部、その街から始める。この国にとっては大切な場所──つまり聖地ってわけさ。だから国の外側に位置するはずがない。
──よって、ガーネラは国の中心地。
逆に【アネル】、【アタン】と名の付く町は、【神に守られた場所】【魂を来世へ運ぶ場所】といった神の守護や加護──つまり城壁を意味する言葉であることから、国の外側にあるってわけさ」
へぇ。
関心に頷きを返す俺は、正直まだ自分の犯した事の重大さに気付けていなかった。
しかしイナさんの次の言葉でようやく顔を青ざめることになる。
「つまり誤って【ガーネラ】なんかに着いたら、国を出るどころか、あたい等の今まで走ってきた道は全部無駄になるってことさ」
※
それから。
馬車を走らせること丸二日。
俺たちはついに【ガーネラ】へとたどり着くことができた!
……。
街の中心地にある広場の噴水を前にして、俺は両腕を大きく広げて高らかとそう言い放った。
ここが始まりの街とあってか、街の人口は観光地並みに多い。
皆似たような格好をしているせいか個々で目立つことはなく、このようなパフォーマンスでもしなければ一気に注目が集うことはない。
誰の気持ちも一様で、白い目を俺に向けてそっと距離を置いてくる。
モップが俺の被っているフードをくいくいと引っ張ってきた。
それと同時におっちゃんが頭の中で話しかけてくる。
『もういい。そのくらい目立てば充分だ』
俺は素に戻って両腕を下ろすと、さりげない仕草で辺りを見回す。
神殿兵は?
『去った。どうやら上手く誤魔化せたようだな』
もう俺を尾行してこないってことか?
『いや、そうとは限らん。検問所であれだけ不審に怪しまれれば、しばらくのお付き合いはよろしくだ』
……。
俺は真顔になると、内心でおっちゃんと会話を続ける。
なぁ、おっちゃん。
『なんだ?』
これからどうする?
『何が?』
何がって、イナさんのことだよ。もう一緒に居るべきじゃない。危険だよ。検問所での話聞いただろ? 黒騎士が確実に俺たちのあとを追いかけてきている。
『【アタン】と【アネル】が黒騎士の襲撃を受けて壊滅したって騒ぎか。たしかに偶然の襲撃にしては同じルートを通ってきているな。あの時道を違わず【アネル】に到着していたら確実にヤバかったかもしれん』
なぁおっちゃん。俺、思ったんだ。イナさんには悪いけどこれ以上一緒に居るべきじゃない。彼女を巻き込みたくないんだ。
『だがお前一人でこれからどうする? 彼女無しにこの国で生き延びられると思うのか?』
俺は一人じゃない。おっちゃんもいるしディーマンもいる。デシデシもモップもスライムも、俺には仲間がいるんだ。きっとこれからだって何とかなる。
それにこの国を脱出したところでセディスの魔法陣で帰還しない限り、俺の現状は同じ。何も変わらないんだ。ここは俺が住んでいた世界とは違う。帰らなければならないんだよ、元の世界に。
戻ろう、おっちゃん。セディスが居た街に。
きっと元に戻れる方法がセディスの家の中にあるはずだ。
『戻るのはいいが、徒歩であの街まで戻るのか? 相当な距離だぞ?』
それでも戻るんだよ。ケンタウロスもいるし、それにいつかはDもここに戻ってくる。俺には仲間がいる。黒騎士だって一度襲った場所には来ないはずだ。
『黒騎士は神出鬼没だ。どこにだってすぐに現れる』
俺がクトゥルクの力を使えば、の話だろう? 使わない限りすぐには現れない。
『ほぉ。少しは要領がわかるようになってきたじゃないか。そうと分かればさっそく彼女のところへ戻ろう。お前の仲間はみんなそこに居る』
……。
俺は呆れるようにため息を吐いて人差し指を眉間に当てた。
そうだよな。なにやってんだろ、俺。
『良いきっかけが作れたな。まぁ黙って去るよりは彼女に何か一言声をかけてやるべきだ。あの本も何冊かは受け取ってやれ』
うん、わかった。
俺はおっちゃんに言われるがまま素直に体を方向転換させると、イナさんのいるところへ向かおうとした。
――そんな時だった。
何かに追われ逃げるように。
急ぎ走る一人の女の子が、背後から俺にぶつかってきた。




