第29話 少し黙っててくれないか?
「Kがいつの間にか結婚しているデシ」
してねぇよ。
ゴトゴトと揺れる馬車内。
馬車はマイペースに次なる町──【アネル】へと向けて走っていた。
陽も高くなりつつあったそんな時。
幌の中で寝ていたはずのデシデシが突然起きてきて、俺とイナさんの間に割って入り、そして俺を見つめて驚愕な顔でそんなことを言ってきたのである。
「この女誰デシか? どこでどうやって口説き落としたんデシか? お持ち帰りとかこんなのおかしいデシ。あり得ないデシ」
……。
俺は静かに眉間に指を当てた。
そういやデシデシっていつから気絶していたんだっけ?
ふと、俺の隣に座っていたイナさんが噴き出すようにして笑う。
「あたいとケイが夫婦? あたいがそんなに若く見えるってのかい?」
その言葉に俺の方が愕然とした。
え? イナさんって歳いくつ?
「女に歳を言わせるんじゃないよ」
ごめんなさい。
「冗談。少なくとも四十ではないってことは確か。それ以上は言わない」
え? じゃぁもしかして、三十……
俺の言葉にイナさんが拳を掲げる。
「殴るよ?」
すみませんでした。もう言いません。
俺は失言に深々と謝罪した。
デシデシが俺に同情めいた眼差しを向けてくる。
「Kはこういう気の強い女がタイプだったんデシか? 意外とご指導を受けたいマゾ気質だったんデシか?」
お前はさっきから何を寝ぼけているんだ?
「たしかにボクも猟奇的な彼女の胸の中でゴロニャンと甘えてみたいと妄想したことはあるデシ。たまに頭なでなでされて、よしよし良い子と誉めてもらいたいと願ったことはあるデシ。でも、それでもボクは──!
ボクはそんな煩悩には負けたくないデシ!」
「ケイ。この猫少し黙らせろ」
同感。
俺は幌馬車の中にあった一冊の本をデシデシの口に思いっきり突っ込んで黙らせた。
そして何事なく俺はイナさんとの会話を再開する。
なぁイナさん。俺に見せたい面白いものってなんだったんだ?
「ちょっと荷台に行って、そこに置いてある本をいくつか見てみな」
そういやイナさんって【アタン】の町で何冊も本を集めていたよな。こんなに買い込んでどうする気だ?
「買い込んだわけじゃないよ。──まぁいいから見てみなって」
あーうん。わかった。
そう言われて俺は素直に御者台から荷台へと移動して座り込んだ。
そしてそこにあった何冊かの本の一冊だけを手に取り、そのページをパラパラとめくってみる。
……。
何と書かれているのか、異世界人の俺にはさっぱり読めなかった。
イナさんが嬉々とした面白がるような表情で俺に言葉を投げてくる。
「わかったかい?」
わかりませんでした、なんて言えない。
俺は内心でおっちゃんへと話を振る。
なんて答えればいい?
俺の右肩にいたモップが気難しい唸り声をあげながら裸手を組む。
同時におっちゃんが頭の中で言ってきた。
『やられちまった感がハンパないな』
やられた? やられたって、何が?
左肩でも小猿が本を覗き見た後、おっちゃんと同じような反応で腕を組んで気難しく唸る。
「こりゃ一本とられたな。利用するつもりが逆に相手もこちらを利用する気でおるようじゃ」
え? え?
俺はわけわからずおろおろと戸惑った。
そんな俺に、おっちゃんが頭の中で説明してくる。
『密輸入の記録書だ。なんとまぁ面倒で厄介なことに巻き込んでくれたもんだ』
……え? 密輸……って、えェーッ!!
言われて俺は思わず本をパラパラと二度見してしまった。
いったいいつ!? どこでこんな秘密裏な本を!?
『すぐにあの町を出て移動したのはこの為だったのか。しかも日付も持ち主も全てバラバラだ。見事なまでに計画的犯行だな』
こんなもので何がわかるっていうんだ?
『おっと待て。そのページで止めろ』
え? ここか?
『そう、そこだ』
「む? これは……」
な、なんだよ。
俺はおろおろとモップと小猿を交互に見回した。
どうやらおっちゃん達には何か気付くものがあったらしい。
二人して身を乗り出すようにそのページに食い入って見ている。
理解できない俺は、ただ戸惑い、答えを待つしかなかった。
なぁ。いったい何が書かれてあったんだ?
すると素直に、おっちゃんが俺の頭の中で説明してくる。
『あちこちから大量の生物を買い占めている。購入者は一人。名はセディスと書かれてある。こんなにも大量の生物を買い占めて何に使ったのか、あのことを考えれば容易に想像できるな』
もしかして俺たちがセディスの地下で見つけたあの卵──
イナさんが俺に声をかけてくる。
「気付いたかい? セディスって奴があちこちから大量に生物を買い込んでいる。それが何の目的で使われているのか調べ上げればすぐに判明するはず。
もしかしたらそれが黒騎士に対抗できる手がかりなのかもしれない。
──あたいと手を組まないかい? ケイ。
あたい一人が奴らに捕まったらその本はもう二度と陽を見ることはできなくなる。けど、あたいとケイ。否、どちらじゃなくてもいい。一人でも多くの人間がこの本を見て世界中に広めてさえしてくれればいいんだ。詳しい誰かがそれを調べて、そして解決の糸口になれば、世界中の誰もがもう闇に怯えなくて済むようになるんだ」
……。
イナさんの正義感がすごく俺の胸を突いた。
頭の中でおっちゃんが言う。
『まぁなんつーか、あれだな。一見涙が出るような話だが、裏を返せばお前を踏み台にしてイナが助かる可能性もあるわけだ』
そうかもしれない。けど、イナさんは
『本だけで済む問題じゃないだろ。お前の場合、捕まってクトゥルクの力がバレてみろ。それこそ──』
その言葉に俺は苛立ちを覚える。
口調にトゲを込めて内心でボソッと言い返す。
おっちゃんって、いつも自分勝手だよな。
『自分勝手だと?』
そうだよ。クトゥルクが大事で、その犠牲になる周りの人間なんてどうでもいいと考えてる。北の砦の時だってそうだ。俺だけ逃がそうとした。
『そりゃお前──』
おっちゃんにしてみれば、それが当然の選択だってことか。
内心で呟いて。
俺は無言で肩にいたモップを掴むと、それをそのままピッチャーのようにして振りかぶった。
モップが手の中でわたわたと慌てる。
『お、おい待て、止せ、止すんだ、落ち着け。お前こそ何を考えている? モップで何をする気だ?』
制止を無視して。
俺は怒り任せに勢いよく、モップを正面きって外へと投げつけた。
投げられたモップは馬車を抜けて木々を駆け、そして──。
パカーンと木造バットでボールを打った時のような爽快な音を立てて、遠く向こうで何かが砕けた音がした。
あ。
後悔した時にはすでに遅く。
俺は嫌な予感を覚えずにはいられなかった。




