おっちゃんの後悔【27】
2025/09/27 09:50
それからおっちゃんと一緒に家へ帰って、そして昼になっても、ミリア達が訪ねてくることはなかった。
俺たちはミリア達が来るのを待っている間、家の中で暇を持て余す形で過ごしていた。
食卓に向き合う形で座って、まるで日曜日に過ごす家族の日常を切り取ったかのように。
おっちゃんが急に何かを思い立ち、どこからか取り出してきたジェンガと思わしきバランス積み木の玩具を食卓に並べ、二人でふざけ合って平凡な時間を過ごし遊んでいた。
※
「そろそろ昼になる頃合いか」
バランス積み木が崩れた頃。
おっちゃんが台所の窓から外を見やってそう呟いてくる。
え……?
この世界に時計が存在するわけでもなく。
俺も同じように窓へと目を向けたが、特段何か昼を思わせるような変化があるわけでもない。
ただ、屋台なのかよその家からなのかは分からないが、食欲をそそるおいしそうな匂いが風に乗って窓から漂ってくる。
その匂いを嗅いだせいか、俺の腹のムシが鳴った。
俺の腹の音を聞いて、おっちゃんが噴き出し笑ってくる。
わ、笑うなよ。
「昼は何が食べたい?」
えー。別になんでもいい。
不貞腐れた態度でそっぽを向いて、俺はおっちゃんに言葉を返す。
指定してこれが食べたいとかは特になかった。
わざわざ外へ買いに出なくても家にあるものなら何でも良かった。
俺の言葉を聞いて、おっちゃんがお手上げするように片手を挙げて、
「ミリア達もいつ来るか分からんしな。家にあるもので済ませるか」
なぁおっちゃん。
ふと、俺の中でなんだか嫌な予感がして、ぽつりとおっちゃんに訊ねる。
「なんだ?」
もしかしてミリア達の身に何かあったんじゃないのか?
「……」
そんな不安渦巻く俺の問いかけに、おっちゃんが無言になる。
そのまま真顔で、食卓に散らばった積み木を片付け始めた。
……。
俺もそれ以上は口にせず、手伝う形で積み木をおっちゃんの方向へと寄せ集めた。
積み木を片付けながら。
おっちゃんが静かに口を開いて、さきほどの俺の質問に対する返答をしてくる。
「何かあったからこそ、ここには来ないんだろ。
白騎士達に足取りを掴ませないために、ミリア達が俺たちとの接触を避けている可能性がある」
……。
積み木の片づけを手伝いながら、俺は上目遣いで言葉を選ぶようにしてぽつりと訊ねる。
ミリア達を助けに行かないのか?
「行けば俺たちも一網打尽にされるだけだ。こういう時は動かずジッと待つしかない」
待つって……いつまで?
「ミリア達がここに来るまでいつまでも、だ」
……。
2025/09/27 10:35
2025/09/27 13:07
助けを求めているかもしれないのに、それを知ることも出来ないなんてなんとも歯痒い待ち時間である。
俺が何も言えずに唇を嚙みしめていると、おっちゃんが宥めるように俺の頭を武骨な手で掻き乱してきた。
そのことで俺はおっちゃんへと顔を向ける。
おっちゃんが安堵させるかの笑みを浮かべながら言葉を続けてくる。
「きっと俺たちが助けに行ったところで、ミリアはこう言うだろう。
── "なぜ、ここへ来たのですか? あなた方の助けなんて必要ありません" 、ってな」
……まぁ、うん。
たしかにミリアなら絶対そう言いそうだ。
歯切れの悪い返事をしてから、俺は頷きを返した。
俺の様子に安堵してか、おっちゃんが俺から手を退けて席を立つ。
気分を変えるように口調を明るく切り替えて、
「よし、昼飯を何か作ろう。お前も手伝え」
分かった。
俺も気分を切り替えて席を立つと、早速食器棚へと準備に向かった。
おっちゃんもそのまま台所へと向かう。
それぞれが分担して昼食を準備している時だった。
台所に立っていたおっちゃんが、振り向かずに背中越しで俺に言ってくる。
「さて。ここでお前に一つ、なぞなぞクイズです」
は……?
真面目な声で言ってくるおっちゃんに、俺は戸棚から食器を手にした状態で一旦時を止めて、そして間抜けた顔でおっちゃんを見て首を傾げた。
いったい急に何事だ?
しかもなぞなぞクイズだと?
これはふざけているのか? それともミリア達に関する何か重要なことだったりするのか?
どっちとも判断つかぬ状況に、俺は困惑する。
おっちゃんがその場から動くことはない。
不動のごとく台所の淵に両手を付いて、そこに全体重を預ける形で溜め息を吐きながら首を落としている。
あまりに真剣に言ってくるものだから俺も深刻ぶった顔になり、小首を傾げておっちゃんに問い返す。
急に何……? なぞなぞクイズ?
「あぁそうだ」
それ、俺が答えることに何か意味があるのか?
とりあえず俺は手持ちの食器を食卓に並べ置いた。
いまだ背中越しのまま、振り向かずにおっちゃんが真面目な声で答えてくる。
「あぁ。大いにある」
……。
俺はただならぬ状況を察して、訝るように顔を顰めた。
全てを受け入れる覚悟で、俺はおっちゃんに言葉の続きを催促した。
うん、分かった。で? どんななぞなぞ?
おっちゃんが言葉を続けてくる。
相変わらず真剣で沈鬱な声音で、
「パンはパンでも食べられないパンはなぁーんだ?」
……。
俺は思わず真顔のまま沈黙した。
小学校の頃から何度も友達に問われた耳馴染みのなぞなぞ初級。
どんな低学年の奴でも当たり前に答えられる、初歩級の初歩だ。
いや、でもこのなぞなぞはこちらの世界でも同じように通用するのだろうか?
もしかしたらまた別の回答があるのかもしれないけれど。
俺はごくりと唾を飲み込んで、恐る恐るその回答を口にする。
フライ……パン……。
俺がそう真剣に答えると、おっちゃんが正誤を答える為に振り向いてきた。
その表情がどこか悲し気で、片手に持った細長いフランスパンのような棒状のパンを俺に見せながら言ってくる。
「ブー。残念でした。正解はカビの生えたパンでした」
その言葉に肩を滑らせる俺。
つーか、なぞなぞでもなんでもねぇじゃねーか。普通に言って来いよ。
「はい、残念でしたぁー」
それ俺たちの心境が、だろ。
おっちゃんがパンを振りながら、さも当然とした表情で当たり前のように問いかけてくる。
「もしかしたら腹下すかもしれないが、それでもチャレンジしてみるか?」
何のサバイバルだよ。チャレンジする意味を逆に俺は知りたい。
半眼で答える俺に、おっちゃんがお手上げして、やれやれと溜め息を吐きながら肩を落としてくる。
「仕方ない。今日の昼飯は簡単に缶詰めでいいか?」
缶詰めがいい。缶詰めにしてくれ。
俺が一部の単語を強調すると、おっちゃんが渋った顔で諦めた様子で再び台所へと向き直った。
そして。
聞こえるか聞こえないかの小さな声でおっちゃんがボソリと呟いてくるのを、俺は聞き逃さなかった。
「このまま捨てるのも勿体ないしな。カビ削って外に干しておけば携帯食になるだろう」
……。
俺は思った。
どんな過酷な環境でもおっちゃんが生き延びることができた理由が分かったかもしれない、と。
2025/09/27 14:12
2025/09/27 16:23
※
それから夜を迎えて次の日の昼になっても──。
ミリア達がここへ訪れてくることはなかった。
あれからの一切、連絡はない。
きっとミリア達の身に何かあったに違いないと、俺はそう思わずにはいられなかった。
さきほど外から買ってきたばかりのフォップを食卓に並べ、おっちゃんと一緒に食べながら。
俺はおっちゃんの機嫌を気遣うように上目遣いで、言葉を選び問いかける。
なぁ、おっちゃん。
「なんだ?」
ぶっきらぼうな返事で。
おっちゃんが少し機嫌悪そうな声で答えてくる。
街で買い物していても特に変わった様子もなかったじゃん。
「まぁな」
白騎士たちも訪問してこないしさ、ミリア達も来ないじゃん。
「あぁ、そうだな」
これってなんかおかしくね?
「どこが?」
何かの前触れなんじゃないかって、俺、そんな予感がするんだ。
「いつもこんな感じだっただろ。ミリア達が訪問してくること自体が稀だった。
ミリア達が毎日訪問してきてみろ。逆に怪しいことこの上ないだろ? だからこれが普通だ。安心しろ」
まぁ……そこを言われると何とも言えない。
俺は気まずく口を噤んで、手を止めた。
少しの間を置いて。
ぽつりと俺は言葉を続ける。
でもさ、絶対何かあったんだって、俺思うんだ。
ちょっと様子を見に行くだけでもしていた方が良くないか?
そんな俺の問いかけを、おっちゃんが真顔でバッサリと言葉で打ち切ってくる。
「無駄だ」
ちょっと様子を見るくらい──
「様子を見るってことは、つまり王宮へ忍び込むってことだろ?」
違うよ。そうじゃなくて遠目から──
苛立ちをぶつけるように、おっちゃんが食卓に拳を打ち付けてくる。
「じゃぁどうするつもりだ? ミリア達は王宮に居る可能性が高い。
何かがあったから俺たちに連絡が寄越せないでいる。
そう考えるのが筋だろ」
……。
おっちゃんがすごくイライラしているのが伝わってきた。
俺は思わず口を閉じる。
溜め息を吐きながら疲れ切った様子で前髪を掻きあげて、おっちゃんが言葉を続けてくる。
「要するに暇なんだろ? お前」
違うよ! 不安なんだよ、嫌な予感がするっていうか。
毎日毎日俺のこの心の中がずっとモヤモヤしているんだ。
俺も俺で、なんだかもどかしい気持ちになって思わず片手で頭を掻きながら感情的になって言葉を返す。
なんか、こう……なんて言うんだろ?
ミリア達のことをこのまま放置していて本当にいいのかなって、不安で怖くてどうしようもなくて。
この選択が本当に正しいのかなって、後悔するんじゃないかって。
もしかしたら俺たちに助けに来てほしいけど、それをミリア達は伝えられないんじゃないかって。
たしかにそれが俺たちをあぶり出す白騎士達の作戦なのかもしれない。
──だけど、それでもさ。
毎日あまりにもこうして何事もなく平穏に家で過ごすのもなんか、それはそれで落ち着かないっつーか。
フォップを食い終えたおっちゃんが、咀嚼しながら興味なさげな表情で投げやりに答えてくる。
「それで俺たちが動き出せば、白騎士にとっては飛んで火に入る夏の虫だ。
俺の戦友はそれを待っている」
戦友って、あの教会で会った青の騎士団ナンバー2の?
「そうだ。俺たちが焦って王宮に入り込めば、自然と行く場所は限られてくる。
そこに罠を仕掛けて袋のネズミにすれば、俺もお前もまとめてあっさり捕縛できるってわけだ」
じゃぁなんでミリア達は連絡してこないんだ? 連絡が出来ない状態なんじゃないのか?
おっちゃんが少し苛立ちにも似た口調で手振りながらに俺に説明してくる。
「よく考えてみろ。彼女たちが本当に白騎士に捕まっているとでも思うのか?
向こうから近々ミリア達を処刑にするとかの脅しがあったか? ないだろ?
そんな何も無い状態で、俺たちが王宮へのこのこと様子見に行ってみろ。
逆にミリア達との内通を向こうに知らせるようなものだ。
そして彼女の口から出る言葉は "何しに王宮へ来たのですか? 余計なことしないでください迷惑です" だ。そうだろ?」
うーん、まぁ……たしかにそうかもしれないけど。でもさ──
俺のこのモヤモヤ感を知ってほしくて言葉を返したが、おっちゃんがそれを遮ってくる。
語気を荒げて口調を強め、会話を一気に畳み込むようにして、
「ミリア達が俺たちに連絡を寄越さないのは白騎士達からの追跡を避けるためだ。
戦友は俺との内通者も含めて全てを一網打尽にしようとしている。
それこそ何も手が出せなくなるくらい徹底的にな。
たとえ王族の関係者と言えどミリア達だって、俺と何らかの接触した証拠を掴まれれば内通者として捕まる。
そうなれば誰がこの戦争の火種を止められる?
王宮へ忍び込むことはいつでも出来る。だが一歩でもその機会を間違えば、残されるのは反省と後悔だけだ」
……。
俺はシュンと気分を落としておっちゃんに謝る。
なんか……ごめん。
俺の言葉を手で払って溜め息を落とし。
おっちゃんが苛立ちを隠すように片手で顔を覆って、沈鬱に声を落として謝ってくる。
「いや、お前は謝らなくていい。俺の言い方が悪かった。
こういうのは俺の中だけで気にしていれば済む話だ。忘れてくれ」
いや、でも俺も──
言葉半ばでおっちゃんが面倒くさそうに手で払って、
「あーもういいから早くフォップを食え。片付けられないだろ」
あ……うん。
俺は慌てて一口で、残りのフォップを口の中へと押し込んだ。
もぐもぐと。
俺が食すのを待ってから、席を立つタイミングでおっちゃんが俺に言ってくる。
「部屋を少し片付ける。一緒に手伝ってくれないか?」
え……?
急に何を言い出すんだと不思議に首を傾げながらも、俺はおっちゃんの言葉を了承した。
2025/09/27 17:38
2025/09/27 20:17
※
俺がいつも寝室に使っている部屋の向かい──その開かずの部屋。
その部屋は、亡くなった奥さんが使っていた部屋で、俺が生まれ育った最初の場所でもある。
おっちゃんが俺をその部屋へと案内して連れてきてくれた。
許可をもらって以降は初めてこの部屋に踏み入れることになる。
中は相変わらず薄暗い。
カーテンなんかも白騎士に情報が洩れることを危惧して閉め切ったままだ。
明かりをつける場所が部屋内にあったらしく、おっちゃんが壁際の隠しスイッチらしきものを押して、部屋の明かりをつけてくれた。
なんとも現実世界を思わせるような電灯が、天井から明るく照らしてくる。
俺はそれを見上げてぽつりと呟く。
なんかすっげー近代的なんだけど……つーか、魔法じゃないんだ。それとももしかして、これも魔法の一種なのか?
おっちゃんが鼻で笑ってくる。
「いや、お前が居た向こうの世界と同じ仕組みの明かりだ」
え? ちょ待……え? どういうこと?
俺は理解できずにおっちゃんの顔を二度見した。
おっちゃんがお手上げして言ってくる。
「俺に訊くな。俺にもチヅルに訊かないとその仕組みは知らん。
前にも言ったと思うが、俺の妻──チヅルは元々向こうの世界で生まれ育った異世界人だった。
魔王城でもやりたい放題、魔法も使い放題だったらしく、こちらの世界の文明よりも長年慣れ親しんだ向こうの世界の文明じゃないと嫌だと駄々をこねられてな。
それでチヅルの魔法で、この部屋だけが……こうなった」
違和感マシマシじゃね?
壁に時計とかも付いているし、掛けられた服や靴、あそこに置かれたキティのぬいぐるみにしても、俺が居た世界で見るような物ばっかりだ。
「お前には慣れ親しんだ文明だろ?」
あー……うん、まぁね。
でもさ、家具とかベッドとか壁とか、まぁ半分くらいはこっちの世界の物かなって思うものもたまにある。
「チヅルは異文化ごちゃ混ぜにしたメルヘンチックな部屋を好んでいた。俺は向こうの世界の文化を知らん」
いや、俺も俺でこの世界の文化がよく分かっていないから何とも言えないんだけどさ。
俺は半ば納得できないままに頷きを返した。
おっちゃんが俺を見てボソリと半眼で付け加えてくる。
「チヅルの我儘にはうんざりするほど付き合わされた。その遺伝を引き継いだ、どこかのジュニアみたいにな」
は? 何? それ、俺のこと言っているのか?
カチンときた俺はおっちゃんを睨みつけて言い返す。
おっちゃんが過去を懐かしむように笑って、
「ゲス神はこういう異文化が混ざったこの部屋をすごく嫌っていた。
だからこそチヅルはお前をこの部屋に隠していたのかもしれない。わざとゲス神から遠ざける為にな。
というよりも、初対面からあの二人は性格が真逆過ぎて本当に合わなかったからな。
チヅルは元魔界王ルシファーの転生体だったというのも原因にあるのかもしれないが、チヅルとゲス神は顔を突き合わす度によく口喧嘩をしていて、その仲裁には毎度付き合わされたもんだよ。
あの時は本当に毎日が気苦労の積み重ねで大変だった」
……。
そう言って、おっちゃんがその場から離れて化粧台の鏡前へと移動する。
俺もついていこうとしたが、あの時のことを思い出して足が竦み、鏡の前へ行くことを躊躇った。
もしまたあの記憶を思い出してしまったらどうしようという、俺の中のトラウマのせいなのかもしれない。
気付いたおっちゃんが振り返って俺を見てくる。
安心させるように微笑して、
「大丈夫だ。俺がついている。安心してこっちへ来い。お前に渡したいものがある」
……。
何度か足を上下して踏み出すことに迷っていた俺だったが、おっちゃんが優しく手を小招いてくるのを見て。
やがて俺はゆっくりとその場を踏み出し、歩を進めて鏡の前へと向かった。
そして、鏡の前へ。
おっちゃんと二人で肩を並べて立って。
あの時のことがまるで幻だったかのように、何事も起こることなく鏡は俺とおっちゃんの姿を普通に映し出していた。
まるであのシーンを再現するかのように。
おっちゃんが何かに引き寄せられるようにしてドレッサーに備わっていた引き出しを静かに開けていく。
引き出しを開けると。
そこに入っていたのは一枚の家族写真。
赤ん坊の頃の俺と、おっちゃんと、そして亡くなった奥さんが写った記念写真だった。
おっちゃんがその写真を手に取り、何も言わずに俺に差し出してくる。
え……?
俺は呆然と目を丸くして驚き、受け取ることを躊躇った。
おっちゃんが微笑してする。
「受け取る・受け取らないはお前の自由だ。お前に必要ないならこの写真は今この場で処分する」
え、なんで?
おっちゃんの口から出た "処分する" という言葉。
俺は思わずショックで泣きそうになって涙ぐんだ。
なんで急にそんなこと……だって、それしかないんだろ? 家族写真。
なんで今ここで処分する必要があるんだ? ずっと大事にしてきたものなんだろ?
「もし俺が白騎士から捕縛されるようなことがあれば、この家も白騎士の管理下に置かれ、裁判の証拠として洗いざらい全部回収されていくことだろう。
そうなる前にこの部屋の物は全て処分しておく。
そうすれば俺とお前との間に繋がりとなる証拠がなくなり、俺とは永久的に赤の他人であることが通せる。
チヅルのことだってそうだ。
俺がチヅルと結婚したことは誰も知らない。もちろんお前が生まれたこともだ。
彼女の痕跡を辿ることはおろか、お前との繋がりすら白騎士達は見つけられないだろう。
たとえディーマンが一人で騒ぎ立てたとしても、それが押し通される前にお前だけでもミリア達が解放して助けてくれるはずだ。
その間にリザーネで向こうの世界に戻れば、ディーマンがお前を捕まえることは不可能になる。
だがこの部屋も、この写真も──こんなものが残っているせいで、お前まで俺の血縁者として処罰の対象になり、ミリア達も手が出せなくなって最悪俺よりも手酷い拷問を受ける事態になったらもうお終いだ。
そうなる前に、この部屋のものを全部今から処分する」
……。
涙をぐっと堪えて、俺は声を震わせておっちゃんに言う。
なんか急にそんな弱音吐くなんて……全然らしくないぜ、おっちゃん。
おっちゃんが絶対白騎士達に捕まるはずないよ。だっておっちゃんは強いし、ずっと俺のことだって守ってきてくれてたじゃん。
おっちゃんが俺の頭を掻き撫でて言ってくる。
「失礼な奴だな、お前。俺が強いのは当たり前だろ? 俺がいつ弱音を吐いた? 俺はもしもの時を話しただけだぞ。
こんなものを残していたおかげでお前の身に危険が及ぶくらいなら、今この場で過去と決別するのも色々と良いタイミングなのかもしれない。
お前にもこの部屋を見せることが出来たし、チヅルとしても、もう満足だろう。
開かずのこの部屋が開いてしまったのは、もしかしたらチヅルの魂が、お前をここへ引き寄せたかったのかもしれないな。
チヅルが命をかけて守り通したお前を、今度は俺が守り通す番だ。
もしお前を失うようなことがあれば、俺はあの世でチヅルに顔向けできなくなる。
だから俺は、お前を守るためにこの部屋を今から処分するんだ。それを分かってくれるな?」
……。
零れ落ちた涙を止めることが出来ず、袖口で拭ってから。
怒られるのは分かっていながらも、俺は思わず感情的になって言葉を口にする。
俺、おっちゃんの子供だってこと、白騎士にバレてもいい。
向こうの世界へ戻れなくなってもいい。
この部屋もこのままにしていてもいいから、だから──処分するとか、赤の他人だとか、そういうこと言わないでほしいんだ。
おっちゃんが両腕を挙げてくる。
俺は怒鳴られたり叩かれたりするかもしれないと覚悟で、ぎゅっときつく目を閉じた。
しかし無言で。
……。
少し間を置いた後に、おっちゃんが力強く俺を抱きしめてきた。
俺はそっと目を開く。
肩越しから聞こえてくる、おっちゃんの涙で震える声。
「お前に、チヅルを守れなかった俺のこの悔しさが理解できるか?
もしあの時戦争が起きていなければ、俺はチヅルとお前を黒騎士から守り通せる自信があった。
もしあの時ゲス神と決別して戦場へ行かなければ、俺は今頃お前とチヅルとずっと一緒にここで暮らしていたはずだった。
すまない……。全部俺の不甲斐さが招いた選択ミスだ」
……。
おっちゃんが俺を守りたいと思う気持ちはよく分かっていた。
俺を守りたいからこそ、この部屋を処分しなければならないんだってことも。
でも俺は、おっちゃんの実の子供である証拠を失いたくなかったし、顔も声も何も全然覚えていないけど俺を守って死んだ母さんのことだって、自分のルーツを知る思い出のこの部屋とともに忘れたくなかった。
答えの代わりに、俺はおっちゃんに軽くハグを仕返して、宥めるように軽くぽんぽんと背を叩く。
おっちゃんから少し身を離して後、俺はおっちゃんの手から写真を受け取った。
目淵に残る涙を袖口で拭って。
そして目を合わせることなく俺は写真を見つめ、口端を少し引いてから口を開く。
この写真は俺が持っておくよ。
もし万が一、おっちゃんが捕まって裁判にかけられた時は、俺がこの写真を証拠として出しておっちゃんの実の子として一緒に捕まる。
そんでもってディーマンに捕まって神殿庁へ連れて行かれて、そのままシヴァの補佐官として神様の仕事を手伝うことにするよ。
ちょうど誘われてたんだ、シヴァから。
クトゥルクの力を持っていることも正直に話すし、俺が魔界王ルシファーと前クトゥルクの融合体だってことも話すつもりだ。
もちろん裁判もシヴァに頼んで阻止してもらう。
そうすれば誰もおっちゃんに手を出せなくなるはずだから、その時はまたここで一緒に暮らそうよ。
俺、ここから神殿庁へ通いながら働くことに決めたから。
おっちゃんは安心してのんびりとここで余生でも過ごすといいよ。
おっちゃんが呆れるように鼻で笑って微笑してくる。
「お前、何気にこの俺を年寄り扱いしてねぇか?」
隠居とかさせるつもりねぇから、俺。
家で堕落せずにミリア達と一緒に地域貢献して、見習い勇者として下っ端から頑張れよ。
フッと笑って。
おっちゃんが俺の肩をポンポンと軽く叩いてくる。
「そういうふわふわメルヘンチックな考え方も、お前はチヅルにそっくりだな。
悪いが、ファンタジー本の読みすぎだ。そんなお子様ハッピーエンドで簡単に幕が下りるほど、世の中ってぇのはそう甘くないんだ。
だからこそ俺はディーマンにお前を引き渡さなかったし、お前が持つクトゥルクの力も、その存在すらも、白の騎士団にバレないように隠し続けた」
……。
笑みを消して俺は何も言えなくなってしまった。
おっちゃんが微笑ながらに言葉を続けてくる。
「お前もいつか刻を重ねて大人になれば、俺が言っていたこの意味も自然と分かってくることだろう。
そして神殿庁へ行った時、お前は重い溜め息を吐きながら必ずこの言葉を口にするはずだ。
── "あの時クトゥルクの力を隠したまま素直に向こうの世界へ戻っていればよかった" 、とな」
……。
写真から顔をあげて、俺はおっちゃんを見つめる。
おっちゃんがその場を離れて移動し、ドレッサー前の椅子に腰かけると、そのまま顔を覆うように両腕で隠して前のめりになり、うつ伏せた。
うつ伏せたままのおっちゃんに、俺は声をかけようかとしばし迷った。
しかし、おっちゃんから先に言葉を投げてくる。
普段通りの声音で、
「少しの間、俺を一人にしてくれないか? 色々考えたいことがある。
何も言わずに黙って台所かリビングへ行って、そこで暇を潰していてくれ。
もしミリア達が来たら、お前一人で対応していてくれ」
……。
相変わらず、人使いの荒いおっちゃんだ。
俺は写真を手にしたままお手上げながらに溜め息を吐く。
そして指示された通りに。
納得のいかないモヤモヤした気持ちを抱えたまま、おっちゃんを一人、部屋に残して何も言わずにそこから素直に出て行った。
──それから感覚的に数時間も経っていなかったと思う。
気付くか気付かないかくらいの小さな地震を思わせるほどの家全体の振動と、ドンと重く何かが崩れるような一瞬の爆発音が聞こえてきた。
ん……? なんだ? 地震か?
今のは震度2くらいだったかな?
その程度の、俺が落ち着いた様子で何事かと辺りを見回す感じだったと思う。
それがおっちゃんが居た部屋から聞こえてきたということに気付くまで、しばしの時間を要した。
2025/09/28 01:11
2025/09/28 08:44
──!
ハッとして、気付いた時にはすでに遅く。
俺は慌てて開かずの部屋の前へと駆け込んだ。
開かずの部屋のドアは閉じられたままで。
おっちゃんがそのドアに背を預けて片手で顔を覆い隠し、声を殺して静かに男泣きしていた。
何かを察して、俺は急いでおっちゃんを横へ押し退けて部屋のドアを開けたが、その部屋はすでに爆発でもあったかのように真っ黒に煤焦げた状態で、全部消えてなくなっていた。
そんな……なんでだよ、おっちゃん。
俺は愕然と力抜けるようにして、その場に座り込む。
その俺の肩に、おっちゃんが一度軽く手を置いてから、
「……」
そのまま何も言わずに、おっちゃんはリビングへと去っていった。
2025/09/28 11:46




