真実と嘘【25】
ここはやはりバントか? バントか?
送りバントにするのか?
──って、ここでまさかの犠牲ふらぁぁぁぁぁい!!!
2025/09/20 20:20
「はぁ。なんて僕は不幸なんだ……」
……。
俺の隣で青年が陰鬱めいた重い溜め息を吐き出してくる。
まるで不幸自慢をアピールしてくるかのごとく呟いてくる青年に、俺は内心で拒絶にも似たうぜぇ感を滲ませていた。
「聞いてくれますか? 僕の悩みを」
……。
聞く以外に選択肢はないようだ。
仕方なく俺は、蔑む目をその青年に向けながら、その話に静かに耳を傾けた。
青年が乾いた笑いを浮かべてくる。
己の今までの人生を思い返すようにしてお手上げしながら、手振りを交えつつ情けない声で話し始める。
「何をやっても僕、全然ダメなんです。
この姿を見たら分かると思うんですが、僕、新聞記者の仕事をしていまして、その仕事を今朝クビになったばかりなんです」
……はぁ、そうですか。
──としか、かけられる言葉が見つからなかった。
服装からして、てっきり探偵業か何かだと思っていたんだけどな。
いや、探偵業だったとしてもあのドジっ子振りでは犯人を取り逃がして依頼者から顰蹙を買ってしまいそうだ。
俺はそのまま考え込むフリをして、失礼ながらも話上の空で視線を逸らす。
青年が頭を垂らしてがっくりと肩を落とし、再び重い溜め息を吐いてくる。
「なかなか人に読んでもらえるような記事が書けなくて……上司からも怒鳴られてばっかりで。
昨日、最後のチャンスとして "売れる記事を探してこい" と言われまして。
ずいぶんと探し回ったんですが、転んだり、カメラ壊したり、猫にメモ帳を奪われたり、恐喝されて有り金全部盗られたり、落とし穴に落ちたり、荷車から泥をぶっかけられたり、犬の糞踏んだり、鳥の糞が落ちてきたり、低級魔物に遭遇したり、尻の服がやぶけたり、馴染みの子供たちからも歌で馬鹿にされたりと、何をやるでも散々で、そして今朝やっと帰り着いた職場で、そのまま上司から "お前はクビだ" と言われました。
僕、子供のころからずっとドジ踏んでばかりで行動もトロくて、そのせいでみんなから馬鹿にされてイジメられてばかりで、こんな性格だから、どんな仕事をやっても不運続きでほんと踏んだり蹴ったりで、職を転々とするしかなくって……。
なんで僕、こんな情けない人生をずっと生き続けなければならないのでしょうか?
僕は前世でいったいどんな罪を背負ってしまったというのでしょうか」
……。
図星というんだろうか、こういうの。
俺の口からは何も言うことができなかった。
たしかに俺もこの世界に来た時は、なんで俺だけがこんな辛い経験ばかりしなければならないのかとおっちゃんに喚いたことがある。
だから元の世界へ戻りたいとか、クトゥルクの力がどうのこうのと、逃げる口実ばかりを探していたような気がする。
【お前は常に内心で言い訳ばかりしているな】
脳裏を過ぎるおっちゃんの言葉。
【僕は前世でいったいどんな罪を背負ってしまったというのでしょうか】
そして先ほどの青年のこの言葉が俺の心に鋭く突き刺さった。
前世が何だったとか、前世のやり残したことがどうとか、それは現世を生きる俺の人生には関係ないと思っている。
そういう迷信に縛られる気は一切ない。
これは俺の人生だから、選択は俺自身で決めたい。
そう──俺はクトゥルクなんかじゃないんだ。
俺の中でそのことに気付いた時、己の身に重くのしかかっていた肩の荷が下りて、祭壇に置かれた自分そっくりの像を見ても何も思わなくなった。
【お前の中のゲス神が "そこへ行け" と言っているのか?】
……。
運命とか神の導きとか、そういうのはただの偶然であって俺としても深く信じていないけど。
でももしかすると、この青年とここで出会ったことが、俺の心を変える何かのキッカケだったのかもしれない。
なんとなく。
俺は気になっていたことをぽつりと青年に訊いた。
あの……なんで記者になりたいと思ったんですか? 何かキッカケでもあったりするんですか?
その問いかけに、青年がやんわりと微笑む。
祭壇に置かれたクトゥルクの像を見つめながら、
「たまたま書いたクトゥルク様に関する記事を持ち込んだら、すごく褒められたんです。
誰かに褒められたのは生まれて初めてで、それを新聞に載せたら瞬く間に爆売れしてしまって。
僕、嬉しかったんです。
ドジで不幸ばかりな人生で誰からも必要とされていなかった僕でも、記事を書くことで誰かに必要とされことがあるんだって。
でも──」
青年がそこで言葉を一旦切り、視線を落として悲し気な口調で続けてくる。
「二度目に持ち込んだ時、僕は売れることばかり気にしてしまって、記事に少し大袈裟に嘘を書いてしまったんです。
このくらいならバレないし、みんな笑ってくれるはずだって。
たしかに驚くぐらいに売れましたよ、その記事。
ですがその裏で、僕の記事を目にしたある一人の女性の心を傷つけてしまって苦情の手紙をもらって……。
僕はそこで気付いたんです。
──僕が記者として伝えたいのは真実であり、誰かを喜ばせるためのエンターテインメントじゃないと。
それからというもの、僕は考え方を変えてありのままの真実を記事に書くようになりました。
しかし、その記事を書いて持ち込む度に上司からは "お前の記事は面白くない。嘘でもいいから売れる記事を書け" と、何度も書き直しを要求されて。
僕の書いた記事は、それからからっきし売れなくなりました。
ありのままの真実を伝えるって難しいですよね。
当たり前のことをそのまま書いても、当たり前過ぎて誰も見向きもしないんです。
でも僕は、真実を必要とする人に当たり前の記事を届けたかったんです」
そう言って青年は少し笑って、袖口で涙を拭う。
手提げ袋から一つのカメラを取り出して見つめながら、
「ですが……僕にはもう、その信念は必要なくなりました。僕はこの仕事を今日でクビになったんですから」
……。
まだ仕事というものを経験したことのない俺にとって、そういう悩みを吐かれると将来に希望が持てなくなってくる。
いや、それ以前に俺の将来って何だろう。
そもそもなぜ俺はこんなところで女装してまで身を隠さなければならないんだろう。
何も悪いことしていないのに変な罪悪感が俺の心を締め付ける。
そんな俺の隣で、青年が再度重い溜め息を吐いてくる。
「真実って、いったい何なんでしょうね」
……。
俺の脳裏をあの時のおっちゃんの言葉が過ぎる。
【だからさ、真実って結局なに?】
【嘘偽りのない、ありのままのお前自身ってことだ】
反芻して。
俺は上の空のまま視線をいずこに、そして何気なくぽつりと地声で、青年の問いかけに答えを返す。
嘘偽りのないありのままの姿、ってことなんじゃないかな?
青年が微笑する。
「そうですよね。
僕は新聞記者としては失格ですが、この信念を貫くことが "ありのままの僕" ってことなんですよね」
……。
青年が悩みの晴れた顔を上げてくる。
そのまま祭壇のステンドグラスの窓を見つめながら、
「僕の悩みを聞いてくれてありがとうございます。
おかげで前を向いて、また次の仕事を見つける自信が持てました」
……。
特に何かしたわけではないので、俺は黙って俯き、彼の言葉をスルーした。
すると青年が、俺に向けて片手を差し出してくる。
気付いて俺はその青年へと視線を向けた。
青年が微笑ながらに言ってくる。
「僕はあなたに大変失礼なことを言ってしまったようだ。
たとえ女性物の服を着ていようとも、修道を志す者が必ずしも女性でなければならない必要なんてないんです。
男でありながらも、そのありのままの女装の姿でクトゥルク様に人生を捧げる。──そんな生き方があっても僕は良いと思うんです」
……。
俺は気まずく無言で視線を逸らした。
内心でぼそりと呟く。
そういうつもりで言ったわけじゃないんだけどな。
青年が言葉を続けてくる。
「僕の名はチャーリー。
いつかあなたに関する記事を書いて世間に広めたい。
あなたの名を教えていただけませんか?」
……K、です。
どうせ口先だけの野郎だと思い、俺は握手も交わさず目も合わせずに正直に名乗った。
青年──チャーリーが、諦めるようにお手上げしながら手を引っ込める。
クスクスと笑って、
「いいんです。たしかに僕は記者をクビになりました。
だけど信念を諦めたわけじゃないんです。
もう一度、僕は僕なりに真実を追い求めて有名な記者になってみせます」
青年は何かを決意したかのように、手短にあった荷物をまとめて早々と席を立つ。
そんな彼の足取りは最初にここへ来た時よりもずいぶんと軽くなったように思う。
相変わらず道を譲る俺や、前の長椅子に荷物を当てながら「すみませんすみません」と謝りつつ、ドジを踏みながら横を通り過ぎて行って。
そして、自身の靴紐を踏んづけて道を転がりながらも、荷物を散らばせて、その度に拾いながら周囲に謝って。
それでも彼は前を向いて外へと出て行った。
……。
思うに俺は、彼には物理的に前を見て歩いてほしいと願っている。
それがいつ叶うかは本人にしか分からないだろうけど。
もし俺の持つクトゥルクの力が少しでも彼の人生に注がれることを祈っている。
はぁ……。
溜め息を吐いて。
俺は視線でおっちゃんの姿を探す。
そして見つける最後列の端っこの席。
見知らぬ一人の一般兵と隣り合わせで肩を並べ、何やら静かに談笑しているようだ。
戦友って言っていたよな、たしか。
身なりからして白の騎士団所属の名も無き下っ端兵のようだ。
おっちゃんの知り合いと言えば、今までマリアベルさん、ディーマン、クトゥルク様と続いてほとんどが上位階級の所属なのに、ずっと下っ端兵のまま頑張ってきた友達がいたんだな。
俺はおっちゃんの友達の幅広さに少し驚いた。
まぁ、どうでもいいけど。いつ家に帰れるんだろう。俺も向こうへ行ったらダメなのかな?
この場所に一人放置されることがなんとも歯がゆい。
だからと一人で先に家に帰れと言われても、それはそれでなんだかなぁ。
せめてもっと近くに座ってくれていたなら、会話とか聞き取れて暇潰しにもなるんだけれど……いや、待て。
そもそもなぜ俺の心の声はおっちゃんに届いて、おっちゃんの心の声は俺には届かないんだろう。
めくるめく疑問を脳裏に浮かべながらも、その解決方法はなく。
……。
ふと。
扉を開いて一人の新たな兵士が教会内へと足を踏み入れる。
通報を受けて駆け付けたというわけでもなさそうだが、巡回というわけでもなさそうだ。
ただの非番日のルーティンという感じだろうか。
そんなラフな日常の様子が伺えた。
また一人兵士が増えたんですけどー。
どんどん現状が悪化してきてねーか? もういい加減早くここを出ようぜ、おっちゃん。
俺、もう帰りたい。
内心で呟いてみたが、どうやらおっちゃんには届いていないようだ。
俺は仕方なく他人の振りをして、警戒ながらも平静を装い、像に祈りを捧げながらも素知らぬフリを続けた。
……。
兵士が、俺の座る長椅子の横を通り過ぎて祭壇へと歩を進めていく。
チラリと。
俺はその兵士の背中に視線を向ける。
短めのスポーツ刈りしたショートカットの髪型も去ることながら、歩き方も体つきも、なんとも華奢で細く女性っぽい感じだ。
──もしかして男装兵っていうんだろうか。
見た感じで失礼だとは思ったが、その兵士の性別が男ではないことが、なんとなく直感でピンときた。
もしあの兵士が女性だったとしたならば、なんとも気が強くてサバサバしてそうなカッコよさである。
マリアベルさんよりもさらに先陣切って男どもを束ねていそうな勇ましさだった。
俺のこと、気付いていないっぽいな。
恐らく指名手配されているであろうにも関わらず、スルーして通り過ぎて行ったところを見ると、俺の女装も満更ではないのかな?
それどころかおっちゃんの女装姿にも気付かなかったということは──いや。
まるで、 "気付いているけど眼中にない" と言った感じか?
いったい何しに来たんだろう。
不思議にその兵士の後ろ姿を見つめる俺。
その兵士がふと祭壇の前──クトゥルクの像と向き合う形で足を止めた。
教会にいる誰もが、その兵士の立ち姿に心奪われ、感嘆の溜め息を吐き、つい目で後を追ってしまう。
なんだろう、このカリスマ的な存在感。
奇跡的にステンドグラスの窓から差し込む陽の光が一条の帯となって、その兵士に向かって神秘的に優しく降り注ぐ。
まるでクトゥルクの光にでも導かれてここへやってきたかのように。
キラキラと光る金色の髪、きれいな顔立ち、スラッとした細く長身な体つき。
その男装兵士が何かを呟きながら胸の前で十字を切り、クトゥルクの像の前で片膝を折りながら、頭を垂れて祈りを捧げる。
……。
導かれし勇者というのだろうか。
カルロスとはまた違った雰囲気の、その言葉がとてもよく似合う素敵な人だった。
ひと時の間を、像に祈り捧げた後。
その兵士は無言で顔を上げてその場から立ち上がる。
舞台で男性役を演じる大物女優のような、すごく綺麗な立ち振る舞いだった。
思わず俺は間抜けに口を開いたまま、ぼんやりとその雄姿に見惚れてしまう。
……。
祈りを終えたのか、その男装兵士がくるりと踵を返してきた。
そして、真っ直ぐに。
声をかけようとする神官などには目もくれず。
真顔のまま一直線に俺のところへと向かって歩を進めてきた。
そのことに気付いた俺は、慌てて内心で焦り出す。
え……? 何、やべ、こっちに向かって来てないか? つーか、誰?
全然知らないんだけど。
なんで? ど、どど、どうしよう。見つかったのか? ここは逃げ出すべきなのか?
逃げるべきか、知らぬフリして留まるべきか。
判断に迷っておっちゃんにヘルプ信号を視線で送ったのだが、肝心のおっちゃんがこっちを見ていない。
おいィィィィッ! 肝心な時に何のんびり同窓会してんだよ! いつまで続けてんだ、あのおっさんは!
内心で悲鳴にも似た声で叫ぶ。
実際に声を上げておっちゃんに知らせるわけにもいかないし、今慌ててこの場を逃げ出したら完全に不審者極まりない。
いったいどうすればいい? どうする俺!
オロオロそわそわと、追い詰められた俺は長椅子に座ったまま天命を待つしかなかった。
おっちゃんからの指示はまだ何もない。
動揺している間にもその兵士と俺との距離は詰まっていって、そして──。
とうとうその男装兵士が俺の前でピタリと足を止めてきた。
ピンポイントで俺を照準してくるその視線が、俺の緊張感をさらに高めてくる。
……。
まともに目を向けることが出来ずに、顔を伏せて正体を隠そうと徹する。
冷や汗が止まらない。
震える両手を組んで落ち着かせ、膝元に置いて覚悟を決める。
すると。
何を思ってか、その兵士が俺の前で片膝を折って敬意を示してきた。
え? え? 何? どーいうこと? 捕縛しに来たわけじゃないのか?
そして徐に、俺の片手をとってきたかと思えば、そのまま俺の手の甲へと優しく口づけしてくる。
静かに、しかしハッキリとした女性の声音で、兵士が俺の目を見つめて真顔で言ってくる。
「我が軍の勝利に、クトゥルクの栄光があらんことを」
ひぃぃぃッ……!
内心で思いっきり悲鳴を上げながら、彼女の手を払い退けて自分の手を激しく引き寄せるとそのまま後ろに隠した。
一瞬にして背中に悪寒が駆け抜けていく。
直感的に彼女が危険であることを察した俺は、激しく身を仰け反らせて怯えた。
めちゃくちゃこの場から逃げ出したかった。
しかしよく分からない理性が、俺の体を金縛りにしてこの場に押し留めてようとしてくる。
つーか、なんなんだよいきなり! こういうのって普通逆じゃないのか?
騎士が姫に対してやるやつだろ?
──いや、たしかに第三者からの見た目としては合っているかもしれないけど!
でもなんか、この感じというか。洗脳されて頭イッてそうで超怖いんだけど、この人!
「……」
まるで何かの確信でも抱いたかのように。
その兵士が俺を見つめて微笑してくる。
何かの呪詛を俺に込めるようにして口を開き、俺の耳に届くくらいの小さな声で呟いてくる。
「予言師巫女シヴィラ様の託宣通り、クトゥルク様に選ばれし《運命の子》として、私はこの地に赴きました。
幼き頃に教会で聞こえきたあの声を私はずっと覚えています。
教会で受け入れた祝福の光は、今も私を戦場へと導き、軍を勝利を約束する戦いの女神であることの証だと信じています」
……は?
ナニイッテンダ、オマエ。
そんな言葉が俺の脳裏を駆け抜けていく。
ゲームの勇者が吐くような台詞をツラツラと一方的に言われて。
まるでプレイヤーの気分を味わっているかのように、俺は目を点にして間抜けな顔で彼女に問い返した。
この人はもしかして、人違いをしているのではないだろうか。
一応念のために、俺と似たような格好の人がいないか周囲をチェックする。
修道女服を着ているのは今のところ俺とおっちゃんだけ、か。
俺はぽつりと彼女に問いかけた。
あの……人違いではないでしょうか?
その問いかけを無視するように。
彼女が無言でその場から立ち上がる。
そして、俺を見つめたままスッと口端を薄く引いて笑ってくる。
「そのお惚け振りは私の疑心を試されているのですか?
先ほども申したはずですよ。
幼き頃に教会で聞こえきたあの声を私はずっと覚えている、と。
昨日の買い物で私が隣に居たことをご存じではなかったようですね。
あの時聞いた声は間違いなく、私が幼き頃に聞いたクトゥルク様のお声と同じでした」
……。
恐ろしやクトゥルク教、その信者。
声を聴いただけでクトゥルク様と確信してくるその自信はいったいどこから来るのか。
世の中には俺と似たような声なんてそこら辺に当たり前にありそうなのに、それを個人特定できるほども細かく選別できるなんて、この世界の人たちはどういう聴力の持ち主なのか。
俺にはそれが不思議でたまらなかった。
2025/09/21 00:50




