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Simulated Reality : Breakers【black版】  作者: 高瀬 悠
【第一章 第三部】 オリロアンの聖戦女(ヴァルキリー)
299/313

神官始めました【14】


 2025/04/29 08:10


 俺がここで過ごす毎日のルーティンなんて限られている。

 ボランティアの炊き出しと、配給受け取り。

 それだけだ。

 いつまでもウジウジとここで考えていたって何の解決にもならないし、だからといって元の世界へ帰る方法も分からない。

 リ・ザーネの魔法を使うにはクトゥルクの力が必要だ。

 でもそうすることで、俺の身に何が起こるのかなんて考えたくもなかった。

 いつもの場所へと出掛ける為に、俺は民族衣装に着替えを済ませた。

 あとはキッチンに行って、おっちゃんと一緒に飯を食うだけだ。


 ……。


 あの話を耳にして以降、俺はおっちゃんと顔を合わせるのが気まずくなっていた。

 結局おっちゃんは俺のことを前クトゥルクとでしか見ていない。

 俺なんかと話すよりも前クトゥルクの意識を引っ張り出して話してもらった方が有意義なんじゃないかと、そんな不貞腐れた考えすら思い浮かんでしまう。


 はぁ。


 重い溜め息を一つ。

 やっぱり耳栓して、あの時大人しく寝ていた方が良かったかもしれない。

 まさかあんなことを言われるなんて思いもしなかっただけに、俺の中ですごくショックが大きい。

 俺にはまだ真実を知るのが早すぎたようだ。

 受け入れるにはかなりの時間が必要のように感じた。

 

 ……。


 色々考えていたって仕方ない。

 おっちゃんの傍を離れて一人で旅に出たとしても、どこをどう行けばいいか地図も知らないし、金もないし、仲間も居ない。

 居たとしても、俺の服の中に常に隠れているこの毛むくじゃらの生き物と──……

 ようやく俺はそこで相棒のスライムがどこにも居ないことに気付く。

 

 あれ? そういや俺、スライムをどこに落としたっけ。

 

 装備品を忘れたような思いで、俺は体中のあちこちを探してみたがどこにも居ない。


 いつからだ? 最後にスライムを見たのは──あ!


 記憶を思い出して、俺はハッとする。


 ……ゼルギアが居るギルドだ。

 デシデシと話していてゼルギアがやってきて、俺そのまま……あのギルドに置き忘れてきてしまった。


 蒼白なまでにやっちまった感に、俺は思わず口元に片手を当てて言葉を失う。

 指名手配の身である以上、あのギルドにはきっと白騎士が目を光らせているはずだ。

 とてもじゃないが、おっちゃんと一緒に行かないと俺一人では捕縛されてしまう恐れがある。


 ……。


 相棒のことだ。

 きっと、あの場所から上手く抜け出せているはず。

 街を歩いていればどこかでまた出会うかもしれない。

 とにかく今は、いつものように炊き出しのボランティアへ行こう。

 何も考えずに体を動かしていた方が色々考え事をしなくて済む。





 部屋を出て。

 俺は台所へと向かって歩き出した。


 ……あれ?


 台所に着いて、俺は辺りを見回す。

 テーブルに置かれた一人分の朝食。

 誰も居ないようだ。


 おっちゃん、リビングでまだ寝ているんだろうか?


 そう思って俺はリビングへと移動するも、リビングにもどこにもおっちゃんの姿はない。

 たしかにやたら家の中が物音一つせず静かだとは思っていた。

 まさか俺を置いてどこかへ出かけたんだろうか。




 再び俺はキッチンへと戻ってくる。

 たぶん俺の分だと思わしき朝食をいただくべく、いつも座っていた椅子に腰を下ろす。

 朝食を前に──。


 ん……?


 俺は朝食と一緒に、丁寧に並べ置かれた二通の置き手紙。

 何気に手に取り、その二通の置き手紙に目を通す。

 両方とも異世界言語で書かれていて、全然意味が分からない。

 つい癖で片手の人差し指を出して、手紙の文字を指でなぞろうとしたところで、


 ……。


 クトゥルクの魔法を使うことに少しの抵抗感があったものの、これを読まずにここを出るのも、それはそれで俺の中で気になってしまう。

 しばらく迷うように、人差し指を虚空で無意味に何度も屈伸させて。


 ……。


 仕方なしに諦めて。

 俺は手紙の文字の上に人差し指を置いて、なぞるように指をスライドさせていった。

 まずは一枚目の置き手紙を読む。


《寝ていたようなので声をかけませんでした。

 目が覚めたら、この手紙を読んでください。

 あなたが "おっちゃん" と呼んでいる人から、色々と話を聞かせてもらいました。

 あなたのことを王宮で待っています。

 前クトゥルク様としてではなく、異世界人Kとして。

 詳しいことは "おっちゃん" と呼んでいる人から聞いてください》


 ……。


 きっとミリアが残した置き手紙だろう。

 俺のことを "異世界人" と書いているところを見ると、かなり事情を深くおっちゃんから聞いてしまったんだろう。

 王宮で待っていると書かれても、その詳細を聞くべきおっちゃんが今は不在だ。

 つーか、おっちゃんは俺を置いてどこへ行ったんだ?

 俺はもう一通残された文字質の異なる置き手紙を見て、たぶんおっちゃんが書き残したものだろうと推測した。

 もう一通の文字にも指をなぞって読み込んでみる。


《所用があって出かける。夕刻までには戻ってくる予定だ。

 今日からもう炊き出しには行くな。俺が戻るまで大人しく家で留守番してろ。

 ミリアからの忠告だ。

 お前が毎回2食分持ち帰るから怪しむ奴が居ると聞く。

 街もだいぶ落ち着いてきて、白騎士がそろそろ俺とお前に目を向ける頃だ。

 兵士服にも着替えるな。お前にはまだ危険過ぎる。

 追伸。

 朝はここに置いておくが、昼は貯蔵庫から探してパンでも食ってろ。

 どうせ起きてくるのは昼過ぎなんだろ?

 お前がこの手紙に気付くことを祈っている》


 ……。


 俺は二通の手紙をテーブルに置いて、眉間に深くシワを寄せるとそこに人差し指を当てた。

 険しい顔つきで片方の口端を引きつらせる。


 丸一日何もせずに、俺はここで留守番しないといけないのか?


 テレビやゲーム、ネット回線があるならまだしも何もない環境の中で、俺にいったい何の修行僧を目指せというのだろう。

 溜め息を一つ吐いて。

 俺は体勢を崩してラフにすると、朝食に手を付け始めた。

 とりあえず今は飯を食おう。

 それしか俺にはやることがない。

 いつものバケットの切れ端をさらに小さく千切って口に放り、サイドで置かれたチーズと数枚の干し肉に目を向ける。

 非常食というか、旅人が食事するような携帯食だ。

 水は……自分で準備するしかないのか。

 そう思ってめんどくさそうに椅子から立ち上がろうとしたところで……。


 え?


 まるで透明人間でも向かいに存在しているかのように、宙に浮かんだコップが一つ、フワフワとテーブルに着地して。

 そして何もない虚空から水がコップに注がれていく。


 え? え、え……?


 何のマジックショーが始まったのかと、俺は四方八方からそのコップを見回した後に、キッチン全体を挙動不審に激しく見回す。


 は? え? な、なんで? 誰か居るのか?


 問いかけてみたが、返事もなく無人のまま。

 水の注がれたコップが、まるで見えないウエイターにでも差し出されるかの如く、俺の前に近づいてくる。

 手前でコップの動きが止まって。


 ……。


 俺は恐々とその場で身を固める中で、微かに耳に届く小さな女の子たちの楽しそうな笑い声。


「聖水を求められたから差し上げただけなのに、こんなに驚いた顔をされるクトゥルク様初めて見たわ」


「きっとまだあたちたちの姿が見えていないのね」


「せっかく大精霊マウワ様の命を受けてご挨拶に来たのに姿が見えないなんて、ねー?」


「ねー」

「ねー」


 うっわ、なんだこの女子特有の共有感求めてくるような一致団結的な会話。3人くらい居る! 怖ッ!


 さらに姿が見えないことで俺の中の恐怖感がさらに増していった。

 この短時間で俺はいつの間に霊能力を手に入れたんだろう。

 そんな折。

 とてとてとて、と。

 いつの間にリビングからキッチンへと、大きな分厚い本を両手に抱えた一人の幼児が俺の傍へと駆け寄ってくる。

 腰まで伸ばした緑色髪に、幼児独特のたどたどしい足取り、丈の短いお姫様ドレス、そこから丸見えの大きなカボチャパンツ、そして赤い踊り子の靴を履いた──そんな異国の女の子だった。


 どちら様ですかー!?


 いきなり現れた可愛らしい不審者に、俺は心臓が止まるような勢いで内心で悲鳴を上げて身を竦ませる。

 女の子が俺の前で足を止めると、純真無垢なキラキラした笑顔を俺に向けながら、両手に持っていた六法全書のような大きな本を差し出してくる。


「また昔みたいにご本を読んでください、クトゥルク様」


 ……はぁ?


 俺は顔を崩して口端を引きつらせ、問い返す。


「……」


 俺がそういう顔をしたからだろうか。

 女の子が怯えるように目を潤ませ、唇を噛みしめながら、差し出した本を手元へと引き寄せていく。

 なんかよく分からないがすごい罪悪感を覚えた俺は、慌てて女の子に謝る。


 ご、ごめん! なんかよく分からないけど、すごくごめん!


 俺が低姿勢で謝ったからか、女の子が機嫌を戻して笑顔で本を差し出してくる。


「ご本読んでください、クトゥルク様」


 えー……


 俺は嫌々ながらに引きつった笑みを浮かべて、女の子から本を受け取り、とりあえず数ページパラパラと紙をめくって目を通す。

 そこにはまるで取扱説明書のようにみっちり隙間なく詰め込まれた文字が、およそ数千ページにも渡って綴られていた。

 

 えー……


 気の遠くなるような絶望的なまでの呟きを溜め息とともに吐き出して。

 俺は女の子に訊ねる。


 本当にこの本の内容を読んでほしいのか? こんなもん読んだって、そんな年齢だと理解でき……昔?


 ちょっと待て。

 俺をクトゥルク呼びしてくることは一旦横に置くとして、昔みたいにって──今この子何歳だ?

 悶々と沸き起こる疑問。

 前クトゥルクのことを言っているとすれば俺が生まれてくる前、軽く十四、五年以上は経過している。


 まさか幽霊なのか!?


 再び怯える俺をよそに、女の子が満面の笑みで可愛く胸の前で両手を握りしめて、待ちきれんばかりに俺の傍へとさらに近づいてくる。


「早くご本読んでください、早く。わくわくしちゃう」


 うっわ、なんだそのキラキラした眩しい笑顔。


 サイド側からも姿の見えない3人の女の子たちの声が聞こえてくる。


「ご本読んでくださるの!」

「またあの時みたいにご本読んで、クトゥルク様」

「読んで読んで♪」


 ……。


 たぶんここで断ったとしてもきっと逃げられない。

 別人であることを今ここで主張しても、その話が通じる年齢かどうか──いや、それ以前にこいつ等はいったいどこの近所のガキ達だ?

 両親がどこに居るか訊ねたとしても、この幽霊どもにそれが理解できるかは不明だ。


 ……。


 いや、待てよ。

 自身の言葉で、俺はふとあることを思い出した。

 街の襲撃で犠牲になった人たち。

 俺がベッドの下でおっちゃんに守ってもらっていた時に、最初の攻撃の最中に泣いていた子供の声が聞こえていた。

 次の攻撃で、その声が途絶えてしまって……。

 沈鬱な思いで、俺は目の前の幼児へと目をやった。

 いまだに楽しみに、俺が本を読むのを待っているようだ。

 もしかしたら、この幽霊たちはこの大地を浄化されずにさまよう子供の幽霊なのかもしれない、と。

 俺は改めて渡された本を手に持ち、最初のページをめくると、そこの1行を指でなぞった。


 ……。


 無言のまま続けて数行分の文字を立て続けに指でなぞっていく。

 俺がいつまでも声に出さないことで、女の子が不安そうに小首を傾げて問いかけてくる。


「どうして読んでくださらないんですか?」


 ……。


 なんかもっと、何かの楽しいファンタジーの童話だと思っていた。

 グリム童話とかアンデルセン童話とか。

 一応念のために1ページ分まるごと指でなぞって読み込んでみたが、そこに書かれている内容が──


 読経じゃねーか、これ!


 投げ出すように叫んで、俺はバンと激しく本を閉じた。

 読む気がないと察した4人の女の子たちから、一斉に不満の声が上がる。


「ねーねー、読んでよ、読んでよご本」


「どうして読んでくれないのぉ」


「ねークトゥルク様、第一節だけでもいいから読んでよぉ」


「読んでよぉご本」


 ……。


 ゆさゆさと幼児に本をねだられ服の裾を揺すられながらも、俺はやる気なくテーブルに突っ伏した。

 2025/04/29 12:17

 2025/04/29 13:09

 なんで俺、起きて早々この世界で神官の真似事をしないといけないのだろう。





 ※





 陽も暮れかけた夕刻。

 おっちゃんが家に帰宅する。


「おい、帰ったぞ。居るか?」


 ……。


 シン、と静まり返った真っ暗な家の中を乱暴な足取りで捜し回る。

 そして──。


「うわっ!」


 リビングのドアを開けたところで。

 薄暗い部屋の中で、俺が本を顔に被せたまま両手を胸の前で組んでソファーでぐったりと仰向けで寝ていたことに驚いたんだろう。

 悲鳴とともにその場で腰を抜かす音が聞こえてきた。

 俺はゆっくりとした動作で組んだ手を解いて、顔に被せていた分厚い本をちょいと持ち上げてげんなりとした声音で答える。


 おかえり……。


「一瞬本当にゲス神が居るのかと思ったぞ。

 な、何してんだお前こんなところで明かりも付けずに。暗闇だと色々危ないだろ」


 そう言って座り込んだ床から起き上がりながら、おっちゃんがブツブツと俺に言う。

 手を叩いて部屋に明かりを灯す。


 ん……? あぁ、神官ごっこ。


「神官ごっこだと? 誰も居ないのに一人でか?」


 いや、今もそこに居るよ。やっと寝てくれたんだ。

 子守みたいなもんだよ。その子たちからお願いされて、ずっと本を読まされてた。


 疲労困憊を滲ませてながらそう吐き捨てて。

 俺は再び本を顔に落として、胸の前で両手を組んで体を休める。

 おっちゃんが不思議そうに辺りを見回す。

 何度も何度もあちこちを。

 どうやらおっちゃんにはあの女の子たちの姿が見えていないらしい。

 女の子の数はいつの間にか12人ほどに増殖していた。

 どこからやってきたかは不明。

 1ページ目を読み終えたところで、壁やら天井やらをすり抜けてどんどん集まり始めた。

 50ページほどを読経させられたところで、ようやく眠り始め、そして80ページのところでやっと静かにみんな寝てくれた。

 おっちゃんが鼻で笑ってくる。


「そりゃ楽しそうな留守番だったな」


 まぁね。おかげで色々と考え事せずに済んだ。


「そうか……」


 ……。


 おっちゃんが再び鼻で笑って、理解不能とばかりにお手上げしながら疲れた足取りで俺の傍へとやってくる。

 疲労の溜め息を吐きながら、どっかりとソファーの下の床に腰を下ろして。


「何を読んでいたんだ?」


 そう言って座ったままの姿勢で、俺の顔元に被せていた本を乱雑に奪ってくる。

 視界が開けたことで、俺はゆっくりと目を覚ました。

 溜め息を吐く。


 んー……とりあえず読まされたけど、いまいちよく分からんなかった。

 何か精霊とか天使とか悪魔とか、世界の始まりがどうとか、魂の導きがどうとかそんな小難しいことが書かれた本だった。


 おっちゃんが本を見ながら肩を竦めて微笑する。


「そりゃそうだ。経典だからな」


 ( ´_ゝ`)フーン。


 そんな俺の顔を見て、おっちゃんが笑ってくる。


「なんだお前、やけに達観したような顔して。そんなに突き付けられた真実がショックだったか?」


 ショックっていうか……まぁ、正直なところ、立ち直れないぐらいに心にガツンときた。


 おっちゃんが鼻で笑う。


「そうか。じゃぁお前はこれからどうしたい? クトゥルクとして生きたいか?」


 それは嫌だ。だって、前世の魂が復活したら俺の魂は消えてしまうんだろ?


 俺の問いかけに、おっちゃんが口をへの字にしてお手上げながらに答えてくる。


「じゃぁ俺の前世はいったいなんだろうな? 木か? 虫か? 鳥か? 魔物か? それとも天使様か?

 それが俺の中で目覚めて勝手に体を乗っ取られたら、今の俺は死んでしまうのか?

 それだったら今の世を生きている人たちはみんなそうだな。

 お前だけが特別なわけじゃない」


 だっておっちゃん、昨日言ってたじゃないか。

 俺が前クトゥルクの転生体だって……。


 おっちゃんが小馬鹿にしたように鼻で笑ってくる。

 手持ちの本を振りながら、


「転生体の意味が何かを、お前は知っているのか?」


 ……。


 しばらく考え込んで。

 俺はぽつりと答える。


 前世とか生まれ変わりとか、なんか……そんなんだろ?


 おっちゃんが笑ってくる。


「ばぁーか、お前。そんなんを今までずっとウジウジ考えてたのか。

 何か勘違いしているようだから言っておくが、ゲス神はお前の前世じゃない。前世も今世もへったくれもあるもんか」


 はぁ? じゃぁなんでおっちゃんはあの時、【クトゥルクの力を使い続ければいずれ否応なしにこの世界の人間になる】みたいなこと言っていたんだよ?

 

「あぁ、あれか。まぁたしかにそれは間違いないな。今まさにお前の状態がそうだろう?」


 ……もしかしてペナルティのこと?


「理の呪縛、な」


 言い直して。

 おっちゃんがパタンと本を閉じた。

 そして真面目な声で言ってくる。


「転生体とは、実は簡単そうに聞こえて複雑な意味を持っている。

 生まれ変わりがどうとか言い始めたら、それこそみんな何かの生まれ変わりになるだろ?

 クトゥルクの力は特別かもしれんが、お前は特別でも何でもない。

 お前のたった一度きりの人生だ。

 ゲス神なんかにお前の大事な人生を奪わせるんじゃねぇ」


 おっちゃん……。


 俺はソファから上半身を起こして、おっちゃんの隣に腰かけるようにして座る。

 ソファのスペースが空いたことで。

 おっちゃんが俺の隣に座り直してくる。

 手振りを交えながら真剣に、言葉を続けてくる。


「まだ納得できないか? じゃぁお前に分かりやすくゲームで例えて話せばいいのか?

 そうだなぁ……。

 まぁ、例えていうなら、知らない誰かがクリアできなかったゲームの続きを引き継いで始めるか、それともお前自身が新しくニューゲームから始めるか。

 前者ならクトゥルクとなってこの世界で生き続ける。

 後者なら向こうの世界へ戻って平凡な生活を送る。

 ゲス神は過去の記憶とともにお前にクトゥルクの力を引き継ごうとしている。

 それをどうするかはお前次第だ」


 え、いや……なんだよ、そのコマンド選択みたいな俺の人生。


 おっちゃんが笑いながら答えてくる。


「人生なんてもんは常にコマンド選択だ。俺も、お前も、誰でもな。

 俺の場合はディーマンに捕縛されて楽になるか。

 それとも、ヨボヨボの年老いた体になっても延々と身を潜めて逃げ続けるか、だな」


 なんだよ、その究極なコマンド二択。

 何をどう生きたらそんな人生になるんだよ、おっちゃん。


「みんなそれぞれ、どんなに世界が違ったとしても、色んな人生の道を選択して生きているんだ。

 お前はまだこれから色んな選択肢がたくさん出来る。

 良い道も、間違った道も含めてな。

 もう俺くらいの年齢になってくると人生の積み重ねた結果の、究極の二択ってところだな」


 背中に哀愁漂っているぜ、おっちゃん。


 そう言って、俺はおっちゃんの背を軽くポンポン叩きながら同情した。

 おっちゃんが鼻で笑ってくる。


「俺はもういい。このまま老い朽ちる身だ。だがお前の人生はこれからだ。

 この世界での生活はもう飽きたか?

 友達を助けたら、向こうの世界へ帰るんだろう?」

 

 ……。


 俺は夢で見たことを思い出して、沈痛な気持ちでおっちゃんに訊ねる。


 なぁ、おっちゃん。戻れるってことは、向こうの世界の俺って、まだ死んでないよな?


「……」


 ……あ、うん。


 本当は否定してもらいたかったが、これが現実だと知って俺は諦めるように数度頷く。


 なんとなくそうなんじゃないかっていうのは分かってた。


 おっちゃんが真顔で俺に問いかけてくる。


「現実を知るのは辛いか?」


 ……あ、いや、うん。平気。そこはもう大丈夫。


 俺の心は明らかに動揺していた。

 そんな俺を安心させるかのように、おっちゃんが武骨な手で俺の頭を乱雑に撫でてくる。


「Jの人生を振り回して悪いとは思ったが、お前がいつでも向こうの世界に戻れるようにJをこの世界に引っ張り込むよう頼み込んでおいた。

 戻れるとしたら──そうだなぁ……。

 お前が友達を助けたいと懇願してきた少し後くらいになるか」


 え……あの時に戻れるのか? 俺。


「Jがまだこの世界で生きていたら、が前提になるけどな。

 リ・ザーネだとたしかに戻れるが、すでに進んでしまった時間を戻すことはできない。

 だがJの第三ログアウトなら、Jがこの世界に来た時間に戻ることができる。

 その後は向こうの世界でコードネームの契約書を破棄しろ。

 そうすればこの世界とは一生おさらばだ。

 手順はそんな感じだ。

 この世界でJが老いる前に早めに合流しとくといい」 


 不謹慎かもしれないけど、もしJがこの世界で死んでいたら?


 おっちゃんが口をへの字にしてお手上げしてくる。


「残念だが、その時は諦めてこの世界でクトゥルクとしての人生を歩め。俺にはどうしてやることもできん」


 ……なぁ、おっちゃん。


 俺は言葉を選びながら恐る恐るおっちゃんに問いかける。


「なんだ?」


 もし……さ、もしもだけど。

 俺がクトゥルクの力を持ったまま二度とこの世界に来なかったら、この世界の人たちはどうなるんだ?


 問いかけに、おっちゃんはあっけらとした態度で答えてくる。


「そんなもんゲームの世界の住民だったと割り切ればいいさ。この世界の住民がどうなろうといちいち気にしていたら戻れるもんも戻れなくなる。

 戻るか、残るか。──お前が選ぶのはそのどちらかだ」


 ……。


 溜め息を吐いて。

 俺はソファの背凭れに身を預けるようにして背中を倒した。

 ぽつりと呟く。


 残酷な選択だよ、おっちゃん。


 おっちゃんが鼻で笑う。


「残酷な選択を強いられているのは何もお前だけじゃない。

 ミリアに至っては保身か、この国の平穏か。

 神殿庁相手にどこまで立ち向かうかが勝負だ。

 ──お、そうだ。お前もこの件に関しては、ほんの少しばかり協力しろ」


 え?


「俺の置き手紙を読んだならミリアからの手紙にも目を通しているはずだろう?」


 あー……


 忘れかけていた記憶を思い出して。

 俺はうんうんと頷きを返す。


 王宮で待っているってやつ。


「そうだ。準備が整い次第になるが、俺がGOサインを出したらお前は王宮へ行け。──1人でな」


 は?

 2025/04/29 16:19

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