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Simulated Reality : Breakers【black版】  作者: 高瀬 悠
【第一章 第三部】 オリロアンの聖戦女(ヴァルキリー)
298/313

密やかな内通者【13】

本当は先週日曜4/27に投稿しようと思っていたが文章に不満があって一日寝かせてみた

結果、あんまり変わらなかった

宣言通りの投稿よりも納得できないものを投稿するのが嫌だったから


 2025/04/26 20:59


 俺の体感時間で言えば、だいたい21時を過ぎた頃か。

 正確な時間は分からないけれど、深夜というほどではない。

 外からの賑やかな声は聞こえてこないが、物音がしないほど静かというわけでもなかった。

 街の襲撃があってからか、みんなどこもかしこも葬儀のように静かだ。

 たしかにこの付近では実際に多くの人たちが亡くなっている。

 家族や恋人、友人を失い、悲しみに泣いている人たちもいるだろう。

 未来に絶望し、孤独に苛まれている人たちもいるだろう。

 そんな街の人たちの心を癒すかの如く、どこからか優しい聖歌隊のコーラスが聞こえてきた。

 恐らく大通りの広場からだろう。

 俺はその歌声に耳を傾け、静かに目を閉じる。


 ……。


 小さく嚙み殺した欠伸をそっと一つ。

 言われた通りに水の入ったコップを3つ、テーブルに並べ置いてからずっとこんな調子だ。

 俺は木箱に座りっぱなしで放置プレイだし、ミリアとおっちゃんの二人に至っては、二人にしか分からない真面目な会話でひそひそと話し合っている。


 ……はぁ。


 内心で溜め息を一つ。

 俺の知らないこの世界の昔話。

 前クトゥルク様がまだ生きていた時代の話から始めているようだ。

 そんな歴史の授業を受けているかのような退屈でつまらない会話なんて、俺は微塵といっていいほどに全然興味がなかった。


 なんかつまんねーな。向こうの部屋で寝ようかな。


 そんなことをついつい考えてしまう。

 はっきり言って、俺って不要じゃね?

 だってこの世界のことはおろか昔の時代のことなんて、おっちゃんから全然教えてもらってないんだぜ?

 ミリアが来たからついでに話に参加してみたけれど……。

 聞いている振りをしながらも、他人事のようにして右から聞いて左に聞き流すだけ。

 さらにその退屈な会話と相まって、バック音楽のように聞こえてくる聖歌隊の癒しのコーラス。


 あれ? このメロディー、どこかで聞いたことある。

 ……いつの記憶だろう。

 なんかとても懐かしい気がする。


 重い瞼を半分に。

 ウトウトと眠りこけながらも無意識に、俺はその歌を小さく口ずさむ。

 死者を弔うための鎮魂歌。

 遠い昔のどこかの記憶で、それを何度も聞いていたことを覚えている。

 とても穏やかで、心も落ち着いてきて、なんだか……

 木箱に座った体勢のままウトウトと頭を揺らしながら、俺はボゥっとしながら器用な状態で眠りに落ちようとしていた。

 そんな俺をよそに、おっちゃんとミリアの真剣な会話は続く。

 少しの間を置いてから。

 ミリアがぽつりと会話を切り出した。

 2025/04/26 21:55

 2025/04/27 07:51


「この王都──いいえ、この国全体が、戦いの道へと向かおうとしています」


 ……。


 俺はその言葉に少しだけ眠気が冷める。

 顔を挙げてミリアを見つめれば、膝の服を握りしめて口をきつく結んで俯いている。

 おっちゃんは、というと。

 精霊巫女相手に慣れた感じの太々しい態度でテーブルに片肘をついて、その片手に顎を乗っけて気だるい感じに話を聞いている。

 おっちゃんが手振りを交えながら落ち着いた声音でミリアに問う。


「つまり、この国が黒騎士よりさらに上の魔王軍に戦いを仕掛けて戦場になるんじゃないか、と。

 ──それを心配しているんだな?」


 ミリアが静かに頷いて答える。


「はい……」


「青の騎士団の意見は聞かずもがなだろうが、アデルやこの国の王はそのことに何と言ってる?

 神殿庁の意見に賛同しているのか?」


 ……。


 俺は再びミリアへと視線を転じた。

 するとミリアが、きつく結んだ口を解いて、顔を俯けたままぽつりと答えてくる。


「アデル様は反対していらっしゃいましたが、ガミル王が……」


「そうか」


 ……。


 全てを悟ったかのように、テーブルに肘をついた状態で気だるく話を聞いていたおっちゃんが、身を起こして椅子の背に凭れ、お手上げしながら言葉を続けてくる。


「たしかに、元王であるアデルが何を助言したところで意見は通らないだろう。

 さらに畳みかけるようにクトゥルク直々の訪問だ。そうなってくると、もはやガミル王に選択肢はない。

 青の騎士団はもしかしてこれを狙っていたのか?」


「はい。アデル様はそのことをとても苦悶していらっしゃるようでした……」


 おっちゃんが誰にでもなく舌打ちを鳴らす。


「やはりな。神殿庁の奴らはゲス神が居なくなった途端にこれだ。いつかはこうなるだろうとは思っていたが──」


「こうなることを分かっていたならばなぜ、あなたはクトゥルク様を連れて出陣されたのですか?

 前クトゥルク様が生きていらっしゃればきっと、今頃こんなことをお許しにはならなかったのに……」


 ……。


 俺はミリアからおっちゃんへと視線を転じる。

 ミリアからの強い問いかけに、おっちゃんが少し苛立たしそうに机を人差し指で軽く小突きながら答えてくる。


「出陣を決めたのは俺じゃない、ゲス神自身だ」


「あなたなら、それを止めることはできたはずです」


「俺が居ない間にすでに事が進んでいたんだ。止めることは不可能だった」


 ……。


 会話する二人の様子を交互に見ながらも。

 そこからまた云々と。

 俺の知らない世界の話が続いていく。


 ……。


 はぁ。

 聞き飽きてきた俺は、二人の邪魔にならないよう欠伸を噛み殺しつつ顔を俯けて。

 そのまま次第に瞼を重く落としていき、うつらうつらと頭を上下に動かし始めた。

 まるで重苦しいファンタジー洋画か何かを見ているみたいだ。

 そして外からは癒しのコーラス。

 眠る環境には最適だった。

 そんな俺をよそに、二人の会話は進んでいく。

 ミリアがぽつりと言う。


「もう、私とアデル様だけではどうすることもできません。

 神殿庁の聖女隊が来れば、この国全体が戦いに転じた防御壁と変わり、平穏を維持するための精霊巫女なんて邪魔な存在でしかありませんから」


「だからこそ内通者として俺のところへ来ることが出来た。違うか?」


「……」


 ミリアは少し黙り込み、そして気まずく顔を逸らして片腕を擦りながら言葉を続ける。


「えぇ、そうです」


 その言葉におっちゃんが溜め息を吐いて、片手を軽く振る。


「出来る限りの協力はしてやる。ただし俺としても神殿庁への深い介入は避けたい。

 これ以上ここで俺がドジを踏めば、それこそディーマンの思うツボだ」


「えぇ、分かっています。この国の問題は私とアデル様で解決していくつもりです」


 ……。


 少しの間を置いて、おっちゃんがお手上げながらに言う。


「ならば王宮内部が今どうなっているのか状況を聞かせてくれ」


 ……。


 内通であることを気にしてか、ミリアが少し言葉を躊躇うように沈黙していたが。

 やがて意を決したように、細々と話し始めた。


「宰相たちの目を気にして、ガミル王が内密に特別な部屋を用意して、アデル様と私に色々と話してくださいました。

 竜騎軍が謀反を行った後、竜騎軍たちは皆一斉に姿を消して行方知れずとなり、竜騎軍の代わりとしてこの王宮には青の騎士団ファヴニール侯爵様が甥であるレン様を連れて自らの志願で配置に就かれました。

 そしてファヴニール侯爵様の命令で、本格的な戦場武器を次々とキャラバン隊や騎士団たちが国外から持ち込んできて、街には青の騎士団の兵士たちが兵士志願を集う張り紙を勝手にどんどん貼っていったそうです。

 もちろん平穏を願うこの国で、民たちは誰もそれに興味を示さず忌み嫌ったそうですが……。

 次第に情報屋がこの話を煽り始め、街の住民の間でも不穏な噂が広がっていき、それを煽るように青の騎士団が軍行で闊歩(かっぽ)するようになって……」


 そこで言葉を詰まらせるミリアに、おっちゃんが鼻で笑ってくる。


「戦果の匂いを嗅ぎつけたか、ファヴニールめ。相変わらず欲深い男だ。

 恐らく予言師巫女シヴィラの "あの予言" を間に受けてのことだろう」


「シヴィラ様の予言……?」


「聞いたことないか? 【運命の子】の予言といえば、誰もがピンとくる "あの予言" だ」


「──!」

2025/04/27 12:40

2025/04/27 13:39


 ミリアがハッとした表情を見せる。

 その表情を見ておっちゃんが微笑する。


「まぁ、この国に確実に現れるという証拠は今のところハッキリと分かっていない。

 もちろん具体的な年月も、どこで、誰ということまでも、シヴィラはまだ何も言っていないんだ。

 恐らくファヴニールは、ゲス神がこの国だけを異様に贔屓(ひいき)しているように見えたんで、怪しんで目をつけていたってとこだろう」


「本当に【運命の子】は現れるのでしょうか?」


「それは神のみぞ知る、と言いたいところだが。あのゲス神ですらも詳しいことは何も知らないようだった」


 ……。


 あまりに眠り心地が良くて。

 ウトウトと寝入りの際に自然と垂れ下がっていく頭。

 ある程度まで下がったところで、俺は反射的にビクっと体を震わせて目を覚まし、ついでに足が木箱に当たった音にも驚いて、慌てて頭を起こした。

 寝ていないことを取り繕うとして、闇雲に会話に参入する。


 あ、うん。俺もそう思う。


「え……?」


 ミリアが驚いた顔を俺に向けてくる。


「ケイ。あなたがなぜ、前クトゥルク様のことを知っているのですか……?」


 ……。


 俺は慌てて二人の顔を交互に見回して、誤魔化すように後頭部を掻く。


 えっと……いや、なんの話?


 タイミングが悪かったのか、二人が俺を見つめてくる目がすごく冷たい。

 おっちゃんが半眼で俺に言ってくる。


「寝てたな? お前」


 いや全然。寝てないよ。ほんとマジで。


 俺が寝惚けていたことを知り、ミリアが安堵に胸を撫で下してくる。

 溜め息を吐いて、


「寝てたなら寝てたでいいですから、急に私たちの会話に入ってきて紛らわしいことを言わないでください」


 ……。


 内容のことはさておき、会話に入ってくるなとは酷い言い様である。

 二人から無視されて。

 会話は再び俺無しの内容で進んでいく。

 内心で溜め息を一つ。

 俺は内心でイライラと愚痴った。


 あーもう、マジで寝てぇ……。


 不貞腐れるように木箱を壁際へと移動させて、ぴったりと押しつけて。

 もう一度木箱に座り直して、壁に身を預けるようにして背凭れた。


 あ。なんかさっきの前のめりの姿勢と比べたら、幾分この姿勢が寝やすいな。


 相変わらず延々と続くイミフな会話。

 それを右から左に聞き流しつつも、外から静かに聞こえてくる聖歌隊の癒しコーラスがまるで子守唄のようだった。


 ……。


 ゆっくりと目を閉じていく。

 すぐに睡魔が訪れて、俺は再びウトウトと眠りにつこうとしていた。

 その後の会話は途切れ途切れでしか覚えていない。 


「──ですが、アデル様はまだガミル王の説得を続けると、独りで王宮に残られていて……」


「なに? 青の騎士団があの時放った砲弾は、あの第三勢力であるスカイピア帝国から取り寄せたものだと?

 ──あんな汚染された産業帝国からの鉛玉を魔界側にぶち込まれたら、そりゃアイツ等だって……

 取り寄せたのはいったい誰だ? ゲス神はあの汚染された帝国とは国交断絶していたはずだろう?」


「新しく即位されたクトゥルク様とのお噂です」

 

「なんだと? そうなると──」


 ミューチュアル・トランザクションが発生したな。


 ウトウトと夢心地の中で眠りこけながらも。

 俺は目を閉じて眠ったまま、おっちゃんの話に被せるようにして、勝手に口が動いてしゃべっていた。

 もちろんそれは俺の意思に反しての寝言だった。

 その後も俺の口は勝手に開いてぶつぶつと寝言を言い続ける。

 

 やはりといったところか。

 あの帝国は常々ずっと、外交を通じてオレに話を持ち掛けてきていた。

 人間側が魔族との闘いで少しでも有利になるよう産業武器を提供する代わりに、魔鉱石の原料となる──


 言葉半ばで。

 俺は顔に水を浴びせかけられてハッと目を覚ました。

 溺れるような仕草で藻掻きながらも慌てて、背凭れた壁からを上半身をガバっと勢いよく起こす。

 夢心地だったこともあり油断していた俺は、急に水をかけられたことにより、その水が鼻に入ったことで激しく咳き込む。


 ぐ、ごほ……! な、なにすんだよ!


「目が覚めたか」


 ……。


 水を俺にぶっかけてきた犯人は分かっていた。

 コップを俺に向ける形で動きを止めたおっちゃんが、いつにない気迫で怒ったまま俺を睨みつけている。

 何かを察したミリアが蒼白な顔で激しく席を立つ。

 信じられないといった感じに声を震わせながら、俺に指を向けて、


「こ、これはどういうことですか? ブラック・シープ。全てを説明してください」


「……」


 無言で。

 おっちゃんが感情任せに席を立つと、俺の傍へと苛立ちある足取りで歩み寄ってきた。

 そして乱暴なまでに俺の片腕を掴んで木箱から立たせると、そのまま廊下へと俺を引っ張っていこうとする。


 痛ッ! ちょ、急になにすんだよ。

 寝てたのは謝るよ。だけどいきなり水かけてくることねーだろ? 俺が何したっていうんだ?


 背後でミリアが声を荒げる。


「説明してください、ブラック・シープ!」


「……」


 追いかけてこようとするミリアを黙って手で制してその場に留め。

 おっちゃんがいつになく真剣な声でミリアに言う。


「少しそこで待っていてくれ。説明はあとでする」


「……」


 無言で。

 ミリアが気の抜けたような呆然とした表情で、崩れるようにその場に座り込む。

 それを確認してから。

 おっちゃんが俺の腕を乱暴に強く引っ張りながらリビングを出て、そのまま廊下を歩き、奥の部屋へと連れて行かされた。





 ※





 何も分からず、薄暗い部屋へと連れ込まれる俺。

 おっちゃんが俺の腕を掴んだまま部屋の奥へと行き、衣装棚の前で足を止める。

 意味が分からず首を傾げる俺をよそに。

 おっちゃんが俺の腕を掴んだまま腰を曲げ、そして下にある引き出しを開けて、そこにあったタオルを一つ取り出してきた。

 俺に投げつけてくる。

 受け取って。

 俺はおっちゃんから突き飛ばされるようにして腕を解放され、その突き飛ばされた勢いのまま、傍にあったベッドに腰を下ろした。


 ……。


 顔を拭きながら俺が呆然としていると、おっちゃんが向かい合うように俺の前で仁王立ちしてきて、少し苛立たし気な口調で言ってくる。


「お前はさっき、俺の会話に割り込んで何と言ったか覚えているか?」


 え?


 俺は目を二、三度瞬かせる。

 会話に割り込む?

 つーか何を言ったかすらも記憶にない。

 あの時はすごく眠かったのだけは覚えている。


 ごめん、なんか寝惚けてて何言ったのか全然覚えてなくて……。


「そうか、分かった。覚えていないならこの話は終わりだ。そのまま黙って口を閉じろ」


 ……。


 会話を打ち切るように、おっちゃんが手を払ってきて。

 言われるがままに、俺は仕方なく口を閉じた。

 どうも腑に落ちない。

 こっちは寝惚けていただけだというのに、そんな言い方は酷過ぎる。

 だったら最初から俺を参加させなければいいのに。


「参加したのはお前の意志だ。なんでもかんでも俺のせいにしてくるな」


 ……。


 気まずく、俺は濡れた髪をタオルで雑に拭き始める。

 耳の中に水気を感じて不快感が残る。

 指にタオルを巻いてから、俺は耳に突っ込んでその不快感を拭い始めた。

 2025/04/27 17:33

 2025/04/27 20:41

 その間にもおっちゃんが再び衣装棚へと移動して腰を落とし、引き出しを開けて何かを探し始める。

 俺は不思議と首を傾げて訊ねる。

 

 何か探し物か? おっちゃん。


「……」


 なぁ、おっちゃん。俺、ここで寝てていい?


「好きにしろ。──お、あった。これだ」


 ……?


 そう言って、おっちゃんが引き出しの中から見つけた物を俺に手渡してくる。

 受け取って。

 俺は手の中に渡された物を確認する。


 ……。


 コルクを耳の穴サイズに加工した物だった。

 それが二つ。


 右用と左用か。それ以前になんで耳栓なんかを……?


 俺が内心でそう思うとともに、おっちゃんにこの疑問を目で訴える。

 するとおっちゃんが「それを耳に突っ込め」とばかりにジェスチャーしてきて、


「ここで寝るなら()()()()そのまま寝ろ。あとの片づけは俺がやっておく」


 あぁうん。分かった。


 言葉の中に何か意味深な含みがあると思ったのは俺の気のせいだろうか。

 曖昧な気持ちで頷きながら、俺は素直に耳栓をしてベッドに横になる。

 そのままおっちゃんは何も言わずに、開けっ放しの部屋のドアへと向かって歩いて行く。

 そして。

 ふと、足音が止まる。


 ……?


 俺は気になってベッドから上半身を起こし、耳栓を外しながらおっちゃんへと目をやった。

 おっちゃんがドア付近で足を止めたまま俺を見て、掛ける言葉を躊躇っているようだった。

 やがて片手を軽く挙げてお手上げしながら、何かを誤魔化すように、


「もし、お前の中で真実を知りたいという覚悟があるなら、強制はしない。

 ただし、()()()()()()ことが、お前の幸せだってこともある」


 ……。


 それだけを告げて。

 おっちゃんは俺を部屋に残して去っていった。

 俺はやっと眠れるとばかりにいそいそとベッドで横になる。


 ……。


 うーん。あまりに中途半端で逆に眠れなくなってきた。

 これだけシャキっと目が覚めてしまっては、眠れと言われる方が難しい。

 やがて。

 しばらくして、リビングから二人の話し声が聞こえてくる。


 ……。


 ここからだと二人の会話がハッキリと聞こえてこない。

 耳栓していれば、尚更こういう会話は聞こえなかっただろう。

 最後に見たミリアのあの表情。

 そしておっちゃんのあの言葉。


 ……。


 俺はさらに気になって気持ちがざわめき、居ても立っても居られなくなった。


 あー、ダメだ。なんだかすごくモヤモヤして眠れねぇ。

 やっぱりこういうのって、俺自身のためにもハッキリさせるべきなんじゃないのか?


 そう思った俺は、そっと耳栓を片手に寄せて握りしめると、ベッドから起き上がった。


 ……。


 少し躊躇った後。

 俺は意を決してベッドから足を下ろし、そのままリビングへと向かって、静かに忍び足で歩いて行った。





 ※





 もうすぐリビングに辿り着こうとした時だった。

 壁を挟んだ向こうから、ミリアの声が聞こえてくる。


「──本当は、彼はケイではなく、記憶を無くしているだけの前クトゥルク様なのではないですか?」


 ……。


 まるで金縛りにでもあったかのように、俺の体が何かを察してその場に固まった。

 その瞬間。

 俺の脳裏を走馬灯のように次々と思い出される、今までの記憶。


【違ウヨ。ココガ 君ノ 在ルベキ世界。君ハ コノ世界ノ 人間。記憶ヲ 失ッテイルダケ。

 ──ナゼナラ君自身ガ クトゥルク ダカラ】


【そうやって少しずつ思い出していけば良いのです】


 そういえば白狼竜も、カルロスのドラゴンも、俺にそんなことを言ってきていた。

 あの時はまだ自分の中で否定する余裕があった。

 けど今は……否定すればするほど、俺の中で不安とモヤモヤだけが込み上げてくる。

 覚悟するように胸服を握りしめて。

 俺は引き返すことも前に進むこともせずに、ただその場で静かに立ち竦んだ。

 本当は、次に答えてくるだろうおっちゃんの答えが肯定されそうで怖かっただけなのかもしれない。

 そして──。

 おっちゃんの声が聞こえてくる。


「いや、それは違うな」


「え?」

 え?


 俺の内なる声とミリアとの声が見事に重なった。

 ミリアにとっては不安な、しかし俺にとっては安心できる、おっちゃんからのそんな言葉だった。

 おっちゃんが言葉を続けてくる。


「アイツは前クトゥルクそのものじゃないが、アイツの中には確かに前クトゥルクが存在する。

 記憶が曖昧になったり、クトゥルクの力が使えるのも、アイツの中に前クトゥルクが居るからその影響なんだ」


「では、前クトゥルク様はあの戦争でお亡くなりになったのではなく──」


「死んだ、という表現が正しいかは分からないが、あの戦いでたしかに肉体は死んだ。しかし霊魂はまだ生きている。アイツの中でな」


「それってつまりケイは──」


「前クトゥルクの転生体だ」


 ……。


 おっちゃんの口からハッキリと告げられる言葉。

 それが俺の胸を深く抉り取っていくような重い衝撃だった。

 俺はあまりのことに目を見開いて、震える片手で己の口元を覆う。

 その脳裏に過ぎる、おっちゃんのあの時の言葉。


【これは隠していた方がお前の幸せのためでもあるんだ。だから俺もあえてお前の前で真実を誤魔化し、話さなかった。

 ──この真実を知った時点で、お前はこの先の人生、どの道を進んでも茨の道だ。

 それを決めるのもお前自身の運命であり、選択だ。……どうする?】


 知らないまま向こうの世界へ戻る方が幸せだったかもしれない……。


【お前はいったいどうしたいんだ? 向こうの世界に帰りたいのか? それともこの世界に居続けたいのか?】


【クトゥルクの力を使うなら使う、使わないなら使わない。どっちかにしろ】


【やること成すこと全部不器用なお前に、そんなヒーローめいた芸当は無理だ。出来てお前は村人Aなんだよ】


 俺がこの先、クトゥルクの力を使ってこの世界で生き続けるということは、俺という人格そのものがいつかは消えてなくなるってことなんだよな?


【その……色々すまんかった。お前をからかうつもりはなかったんだ。どっちにしろお前がこのまま力を使い続けていれば、いずれ否応無しにこっちの世界の人間になるからという前提をもってだな──ん? あ、やべ……!】


 この世界に来てまだ間もない頃に、おっちゃんがうっかり口滑らせたあの時の言葉って、もしかして──


 まるで俺の足元で見えない何かが大きく崩れて、深い谷底へと落ちていくような気分だった。

 もしかしておっちゃんは今までずっと異世界人Kとしての俺ではなく、前クトゥルクとしての俺を必要としていたんじゃないのだろうか、と。


【結局は俺も、心のどこかでクトゥルクの力にすがっていたのかもしれん。この世界にはクトゥルクが必要だ。だから──いや。願わくば、クトゥルクも結界も必要としない平和な世界になってもらいたいもんだ】


 ……。


 思えば思うほど、だんだんと俺の中でおっちゃんのことが信じられなくなってきた。

 今までずっとおっちゃんは、俺のことをどう思って見てきたんだろう。


【だからK、絶対向こうの世界の住民に引き込まれたらダメだよ。希望を捨てないで。Kは独りぼっちじゃないから。みんながKの味方だから】


 あの時結衣に言われた言葉が、今頃になって俺の中で痛感してくる。

 過去を悔やむように俺は、首元にかけていた筒型ペンダントに手をやると、それをぎゅっと握りしめる。


 このままこの世界に居続けたら俺が俺でなくなってしまう。

 俺はクトゥルクなんかじゃない……だから、元の世界に戻るんだ!


 だんだんこの世界に居続けることが怖くなってきた俺は、震える手で急ぐように耳栓をつけると、そのまま部屋へと戻った。

 部屋へ戻ると同時──。

 ベッドに身を横たえて蹲り、俺は手短にあった毛布で全身を隠すように覆う。

 そのままきつく目を閉じて。

 そこから俺は長く眠れない一夜を明かした。


 その後に二人がどんな会話を交わしたのかも耳栓で聞こえなかったし、ミリアがいつ帰ったのかも俺は知らない。

 おっちゃんが部屋に来たかも分からなかったし、それを確認出来ないぐらいに俺は何かに怯えていたかもしれない。


 ……。


 どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。

 ようやく気持ちが落ち着いてきた頃に。

 俺はゆっくりとカタツムリのように毛布から頭を出し、のそりと上半身を起こす。

 耳栓を自分で取り除いて片手にまとめ、ベッドから足を下ろしてから。

 寝不足気味な足取りでフラフラと、薄暗い部屋の中を窓に向けて歩き出す。


 ……。


 シャっと。

 部屋のカーテンを開けた時には、陽も高く昇った昼間だった。

 2025/04/27 23:30


でも結局、何年後かに読み返してみても不満なんだと俺は思う。

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