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Simulated Reality : Breakers【black版】  作者: 高瀬 悠
【第一章 第三部】 オリロアンの聖戦女(ヴァルキリー)
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束の間の安息【8】

お読みの皆様、安全ベルトはご確認済みでしょうか?

次回からいよいよSR:B名物──叩き落としの回です

そして、次回更新は体調管理のため仕事休みとなる土日更新を予定しています、と

急に更新止まるけど気にしないでください

更新できたら更新します


 2025/04/06 12:58


 部屋で一人、簡易な歩兵装備の白い服に着替え、帽子を目深に被ってなるべく顔が隠れるように整える。

 腰に帯剣を装備し、これで準備万端か……?

 俺は他に装備品を忘れていないか辺りを見回す。

 直感、というのだろうか。

 ふと俺がなんとなく覗き込んだベッドの下──その足の影部分に転がっている銀色のロケット式ペンダントが一つ。

 身を屈めて床に腹這いになって、俺はベッドの下に落ちていたそのペンダントに手を伸ばして掴み取った。


 ふぅ……やっと取れた。


 床から身を起こして、俺はそのペンダントを改めて観察する。

 古代ほども古くもないが、最近ってほどの真新しさも感じられない。

 長年の使い古し感があり、装飾が施されていることから、なんだか大事な物っぽい気がした。


 なんかこういうのファンタジー映画で見たことある。

 たしかここら辺に……


 チェーン付近に押しボタンっぽいものを見つける。

 俺はそれを躊躇いもなく押して、ロケットの蓋を開けた。

 

 ……。


 そこに入っていた写真をしばらく見つめて。

 俺は無言でロケットの蓋を閉じた。

 ペンダントを片手に、俺はおっちゃんの居るリビングに向かうため、部屋を出た。




 ※




 リビングに着くと、おっちゃんが苛立たし気に腕組みして片足を鳴らし、俺を今か今かと待っていた。


「準備が遅ぇーぞ、お前。早くしろって言っただろ」


 あのさ、おっちゃん。


「なんだ……」


 ……。


 俺は無言で気まずく、おっちゃんへとロケット式のペンダントを差し出す。

 それを見た途端、おっちゃんの態度が急変する。


「おいおいおいおい」


 焦るようにそう言いながら、青ざめた顔で俺の手からペンダントを乱暴に奪う。


「どこでこれを見つけた?」


 ベッドの下に落ちてたから拾った。それ、おっちゃんのだろ?


「中は見たのか?」


 ……。


 今までにないような焦りの表情で、俺の両肩を掴んで激しく揺すってくる。


「どうなんだ? 見たのか?」


 ……見たけど、それが何? その写真の人が、おっちゃんの奥さんなのか?


「……」


 無言で。

 おっちゃんが俺を軽く突き飛ばしてから、顔を反らして吐き捨てるように答えてくる。


「そうだ」


 へぇ……。


 納得に頷く俺。

 おっちゃんは俺から奪ったペンダントをそのまま首にかけると、 何を思ってか俺にデコピンしてきた。


 痛ッ!


 おでこに手を当てる俺。

 この攻撃の意味が分からない。

 おっちゃんが不機嫌に俺に指を突き付け言ってくる。


「見るか? 普通。他人(ひと)のプライバシーを」


 おっちゃんに言われたくない。


「俺は良いんだよ」


 そんな不平等なプライバシーがあるかよ。俺にだっておっちゃんのプライバシーを覗く権利がある。


 すると、おっちゃんが苦虫を嚙み潰したような顔して嫌悪じみた目を俺に向けてくる。


「……厭らしい奴だな、お前。今のうちに俺のスリーサイズでも教えておこうか?」


 は?


 俺は顔を崩しておっちゃんに問い返す。


 ……すりーさいずって何?


 するとおっちゃんが、急にセクシー女性並みの決めポーズをして俺に言ってくる。


「バスト、ウエスト、ヒップ。どこが知りたい?」


 どこも知りたくない。


 全部どうでもいいプライバシーだった。

 俺が真顔でぴしゃりとそう言い放つと、おっちゃんが元の体勢に戻して鼻で笑ってくる。


「見つけて素直に俺に届けてくれたことには礼を言う。だが中は覗くな」


 ……。


 俺は視線を逸らせてぽつりと言う。


 おっちゃんの結婚相手、けっこう年上の女性かと思っていたんだけど若いんだな。


「十九だ」


 はぁ!? 俺の五才上!? 犯罪だろ! おっちゃん、その時の年齢いくつだよ? どう逆算しても──


 俺が衝撃を受けた顔で両手をわななかせると、おっちゃんがお手上げしながら微笑してくる。


「大事なのは年齢じゃない。お互いの気持ちだ」


 気持ちとかの問題じゃなくね?


 俺の頭をくしゃりと撫でて、おっちゃんが笑ってくる。


「お前もいつか大人になれば分かる。

 ──よし、もうこの話は終わりにしよう。早く買い物に出ないと陽が暮れる」





 ※





 俺とおっちゃんは新米兵士の恰好で普通に何事無く家を出て。

 そのまま大通りの街中へと買い物に出かける。

 やはり俺を指名手配しているせいか、街中での白騎士の警備が半端ない。

 あちこちで聞きこんでいたり、巡回をしていたりしている。

 俺は帽子を目深に被ってなるべく顔を俯けて歩いた。

 時折、仲間だと勘違いされて、白騎士の下っ端兵が独特な挨拶してきたりする。

 相手から無言で手を出されたらその手を無言で軽く叩いてスルーする。

 それが同士確認の合図のようだ。

 おっちゃんが居なかったら、たとえ俺が変装をしていたとしてもすぐにバレて捕まっていただろう。

 今までおっちゃんが白騎士に捕まらない理由がよく分かる。

 ふと、おっちゃんが俺の頭の中で言ってくる。


『声に出して会話しなくても、お前に直接言葉が届けられるって便利な機能だよな、これ』


 ……。


 俺も内心で言葉を返す。


 うん。いや、すごいけど……なんか慣れてくると気持ち悪い。


『今まで散々俺と会話しておいて今更気持ち悪いとかよく言うよ』


 ミニチュア・ジュゴンの中に入らないのか?

 ──家に置いてきたから今更だけど。


『獣使いの兵士は怪しいだろ。それに、お前に兵士独特の挨拶が出来るとは思えないしな。捕まる結果は目に見えている』


 ……。


 会話は内心。

 お互いに無言、お互いにポーカーフェイス。

 指名手配人を探す振りをしながら、俺は辺りを警戒気味に見回した。


 なぁ、おっちゃん。


『なんだ?』


 買い物っていつするんだ?


 すると、おっちゃんが俺に一枚の紙切れをさりげなく手渡してくる。


『それが買い物リストだ。今からそれを買いに行く』


 ……。


 その紙切れに書かれた文字を見て、俺は眉間にシワを寄せて内心で怒る。


 いや、読めねーし、こんな異界の文字!


『読めないなら指でなぞって読めばいい』


 ……。


 言われて俺は、納得するようにその紙切れの文字に指を当ててなぞるようにスライドさせる。

 すると頭に翻訳した言葉がスッと入ってきて、書かれた内容を理解することができた。


 あぁ、なるほど。


『頭悪いな、お前』


 おっちゃんに言われたくない。それに、この世界の常識に全然まだ馴染めてないせいか、つい癖で目で理解しようとしてしまうんだ。


 俺のその言葉に、おっちゃんが鼻で笑ってくる。


『じゃぁなんだ、お前あれか? 目の前に老眼鏡が置かれているのに、ワシはそれに頼りたくないんじゃぁと意地でも新聞を読もうとする頑固なジジイか?』


 どんな例えだよ。


『お前には便利な魔法があるんだから使え。──言っておくが、お前が思っているようなクトゥルクの魔法のことを言っているんじゃないぞ?』


 わかっているよ。つーか、こういうのってクトゥルクの魔法にならないのか?


『お前が使う魔法は全部クトゥルクの魔法だ。王様や白騎士が腰を抜かして顎を外すほどの馬鹿デカイ力を使うなと言っているんだ、俺は』


 え、じゃぁこれ、今やったやつってバレないのか?


『それは知らん。場合によってはバレるかもしれんが、それだったら今頃囲まれているはずだ』


 ……じゃぁクトゥルクの力もこの程度ならバレないってことか。

 

 俺は辺りを見回して納得する。

 再び手渡された紙切れに目を通して、俺は顎に指を当ててふむふむと頷く。


 この書かれた内容からして、今夜は鍋?


『いや、お前が好きなカレーだ』


 カレー? 作ることは可能なのか?


『材料さえ揃えれば作ることも可能だろう。まぁ……向こうの世界とは味も違うだろうが、彼女が調べてくれた手順通りに作ればカレーに()()()()だ』


 え? "なるはず" って……じゃぁやっぱりこの字は、おっちゃんじゃなくて彼女の字だったのか。

 どぉーりで女性っぽい字だと思った。


『……』


 なぁ、おっちゃん。

 カレーを知っているってことは……もしかしてその彼女って異世界人だったりするのか?


 俺のその無邪気な問いかけとは裏腹に、おっちゃんが沈んだ声で答えてくる。


『どこの世界にもカレーぐらい存在する』


 あーいや、まぁ、そうなんだけどさ……。


 気まずく、俺は語尾を窄める。

 なんだかおっちゃんの口調が急に変わったぞ。

 もしかしてさっきのは聞いちゃいけない質問だったのかな。


『なぜそう思う?』


 ──うぉッ! だから、俺の心の声に反応してくんなっつーの!


『カレーが食べたくなければ別のメニューに変更してもいい。今夜は何が食べたい?』


 いや、別にカレーでもいいよ。


『飲み物は?』


 水でいい。どうせ水しかないんだろ?


 おっちゃんが鼻で笑ってくる。


『たしかに水しかないな』


 やっぱりな。


 俺もつれるように笑って、再び紙切れに目を通す。


 この材料通りで買いに行くなら、最初は野菜屋か?


『いや、串焼き屋だ』


 なんでだよ! 全然メニューに書かれてないやつだろ、それ。


『夕食前の下ごしらえってやつだ。お前に食べさせたい物がある』


 下ごしらえの意味違ぇーよ! なんだよ、そのご飯の前にケーキ食べる理論。


『男が夕食前に発動させるスキル──それが仕事終わりの一杯という名の "つまみ食い" だ』


 ……。


 俺は顔を引きつらせる。


 おっちゃんってさ、絶対奥さんから買い物頼まれて全然違うものを買ってきて怒られたりしていた人だろ。


『よく分かったな』


 うわ。俺のダチの父親と同じパターンじゃん、それ。 


『よその家の話はどうでもいい。それよりほんとお前、マジでうまいから食べてみろ。こっちだ』


 ぅあ、え? そっち?


 急に方向転換するおっちゃんに、俺は振り回されるようにして腕を引っ張られた。 





 ※




 路上にテントを張っただけの簡易な店構え。

 営業許可を取っているのかは不明だ。

 そんな怪しげな串刺し肉を焼く屋台。

 慣れた様子でおっちゃんが俺をつれてその店に訪れる。

 おっちゃんが店主に注文する。


「オヤジ、ロアロアを2本と、あとはそこら辺のを適当に見繕ってくれ」


「あいよ。適当でいいだね?」


「なるべく原型が分からないものがいい。俺の連れがデリケートな奴だから、見て卒倒するかもしれん」


 ……。


 店の商品をチラリと見やれば、モザイクをかけてほしいくらいに目を覆いたくなる生々しいグロテスクな食べ物が並んでいた。

 俺は思わず店の前で座り込むとゲロ吐く仕草をして、おっちゃんに軽く蹴り飛ばされる。

 

『店主に失礼だろ』


 こんな店に俺をつれてくんなよ。


「あい、お待たせ」


 店主が紙袋に詰めた商品を手渡し、おっちゃんが懐から硬貨を出して店主に支払う。

 そんなやり取りを目の前で見て。

 俺はぽつりと内心でおっちゃんに問う。


 え……俺、金持ってないよ、おっちゃん。


 紙袋を片手に、おっちゃんが鼻で笑ってくる。


『誰がお前に払えと言った?』


 じゃぁもしかして……おっちゃんのおごりなのか?


 2025/04/06 15:51

 2025/04/06 16:11

 恐る恐る訊ねる俺に、おっちゃんが立腹したように片手を腰に当てる。


『俺のおごりじゃ不満なのか?』


 いや、今までこんなことなかったし、明日雪降るぐらいに珍しいなって思って……。


 おっちゃんが鼻で笑ってくる。


『今まで散々俺に金出させておいてよく言うよ。

 お前に食べさせてやりたい物があるって言っただろ。ここは白騎士の目もあるから裏通りに行こう』





 ※





 大通りから一本外れた裏の通りに移動して。

 民家の壁と壁の間で仕事サボるようにして、俺とおっちゃんはそこに腰を下ろした。

 紙袋から取り出した2本の串焼き。

 1本はおっちゃんが、そのもう一本を俺に手渡してきた。

 それを見て、俺は笑顔を保ったまま固まる。


 ……これなのか? 俺に食べさせたかった物って。


『そうだ』


 これ何?


 串に刺さった小型トカゲの足つき下半身と尻尾の姿焼き。

 匂いは炭火で香ばしく焼き上げたものに焼き肉のタレをかけたような感じだった。

 たしかに匂いは良さそうだ、匂いは。

 問題は──


 トカゲ、なのか……?


『いいから食ってみろ。骨も柔らかいから丸ごとイケる』


 ……。


 呆然と串焼きを見つめる俺の目の前で、おっちゃんが串焼きを頬張る。

 おいしそうに食べるおっちゃんを見て、俺も勢いで片足を齧ってみたが、舌にトカゲの足の爪が突き刺さった時点で生々しさを感じて口から出し、それ以上の食が進まなかった。


『お前なぁ、これが食せないとか人生の半分は損しているぞ』


 俺の人生の半分はトカゲの下半身で出来ていたらしい。


 遠いお空を見上げて、俺はそう思う。

 おっちゃんが俺の手から串を取り上げて、ガジガジと食し、そして食べやすく尻尾だけを俺に返してくる。


『これならお前も食べられるだろ。こういうのは熱い内が美味いんだ。食ってみろ』


 ……。


 受け取って。

 俺は恐る恐る尻尾の先を食べてみた。


 ……。


『どうだ? 美味いだろ?』


 マズくはない。


 マズいわけではない。

 たしかに美味いは美味いが、力強く美味いと言える気分じゃない。

 これが何なのかが分からなければ、俺も普通に美味いと言えただろう。

 俺は少しずつだが拒絶反応ながらに口に頬張る。

 おっちゃんが鼻で笑ってくる。


『贅沢な奴だな。じゃぁこれならどうだ?』


 ……。


 次におっちゃんが紙袋から取り出してきた物は、本当に謎肉だった。

 正体が分からないと、それはそれで手が出しにくい。


『この世界に馴染みたいんだろ? この世界では当たり前に食べられている物だ』


 え……あ……うん。


 口端を引きつらせながら、俺は渋々とおっちゃんから串焼きを受け取る。

 謎肉を口に入れて(かじ)る寸前で。

 俺はそこで止めて、原型のまま口から出す。


『……』


 なぁ、おっちゃん。胃の中に入れる前に聞きたいんだけど。

 これって、何の肉?


『知りたいか?』


 ……いえ、やっぱりいいです。いただきます。


 そう言って俺は謎肉を口に入れて頬張った。

 焼き鳥のような味がする。

 塩コショウが絶妙にきいてて、焼き鳥としてはとても美味しい。


『おいしいか?』


 うん……おいしい。けど


 俺のテンションは上がらない。


『そうか……』


 ……。


 おっちゃんが残念そうに呟いて、俺に手持ちの紙袋ごと手渡してくる。

 

 いや、俺こんなに食べられないし


『持ってろ』


 持つだけかよ。


 おっちゃんが紙袋に手を突っ込み、何本かの串焼きを俺に残して、後の串焼きは全部おっちゃんが次々と口に入れていく。


『お前にはこれから色々と話しておかなければならないことがある』


 いや、まずは口の中のモン食ってから話せよ。大事な話なんだろ?


 一息の間を置いて。

 おっちゃんがいつになく真面目な声で答えてくる。


『……そうだ。大事な話だ』


 ……。


 なんだろう。すごく大事そうな話なのに。

 気付けば俺は自然と紙袋に手を突っ込んで、残りの串焼きを口に頬張った。




 

 ※





 夕食の買い物を終えて。

 お互いに両手いっぱいの大きな紙袋を抱えて帰宅する。

 荷物を台所に置いて、玄関のドアへと再び向かい、ドアに鍵をかけて。

 俺はふとおっちゃんに言う。


 こんなに自由でいいのか? 白騎士の仕事って。


「上からの指令が出なければこんなもんだ。ひとたび指令が下されれば、どんなに就寝の真夜中だろうと風呂トイレで取り込み中だろうと切り上げてスクランブル集合だ」


 指令って、例えば?


「魔物の襲撃とか、お前のような指名手配人を発見したとかだろ」


 下っ端には迷惑な話だよな。ほんと。


「言っておくが、俺たちも白騎士に発見された時点でスクランブル逃走だ。それは覚悟しておけ」


 ……。


 俺は顔を俯けると、溜め息を吐いた。


 ほんと迷惑な話だよな。巻き込まれる下っ端にとっては。


 その呟きに、おっちゃんが微笑してくる。

 くしゃりと俺の頭を武骨な手で乱雑に掻き撫でて、


「こんな安息な日にはカレーが一番だ。もうすぐ陽暮れだ。カレーでも作ろう」





 ※






 すっかり日も暮れて。

 おっちゃんがカレーを作っている間に、俺は指示された通りにそれぞれの部屋で手を叩いて明かりを灯し、服もリラックスしやすい簡易な服に着替えてリビングへと向かった。

 ソファに座って寛ぐも、この世界にはテレビが存在しないことに気付く。


 ……。


 やるべきことが何もない。

 携帯電話もなければネット環境も宿題もない。


 ……。


 暇を持て余した俺は、台所へと行っておっちゃんの手伝いをすることにした。


 なぁ、おっちゃん。何か手伝うことある?


 台所で手慣れたように料理人並みの腕を振るい、そして主夫並みの指示をしてくる。


「そこの戸棚から食器を出して並べてくれ。あとはコップと水の用意だ」


 あーうん。分かった。


 初めて来た家のはずなのに、無意識というか。

 おっちゃんにコキ使われることに体が馴染んでいた俺は、なんの抵抗もなく、ごく自然に、まるで過去にこの家で過ごしてきたことがあるかのような当たり前の仕草で、俺は戸棚からコップを取り出し、テーブルに並べる。

 次いでキッチン下の隠し蔵から水の筒を取り出そうとしたところで、俺はようやく自分の行動がおかしいことに気付いて手を止めた。


 ……。


 なんで俺、この家の住民でもないのに、こんなに色々と置き場所を把握しているんだ、と。

 その疑問におっちゃんが答えてくる。


「どのご家庭でも、ごく一般的な配置だからだろう。いちいち気にすることじゃない」


 戸棚まではいいけど、さすがに隠し蔵を把握している俺はごく普通の一般人でいいのだろうか?


「……」


 ……。


 ぐつぐつとカレーっぽいスパイシーでおいしそうな匂いがキッチン内に漂う中で。

 おっちゃんが黙って俺を観察しながら、味見皿に入れたものを一口すする。

 そして半眼でぽつりと、


「お前、戦闘時で自然と体が動くことは気にせずに、こういう何気ない行動はいちいち気にするのか?」


 そういう記憶の蒸し返しは止めてくれないか? そう言われると、今まで気にならなかったことが全部気になってくるだろ。


「じゃぁ気にするな。水をテーブルに置いたら椅子に座って待ってろ。もうすぐカレーとやらが出来る」


 カレーとやら?


「なんちゃってカレーってやつだ。もっともお前が想像しているカレーとは少し違うかもしれんがな」


 え? それってどんな味?


「味見してみるか?」


 うん。


 頷いて、俺はそこから立ち上がるとおっちゃんの傍へと歩み寄り、味見皿を受け取る。

 おっちゃんが木(さじ)ですくい、味見皿に入れてくれる。

 俺はそれを口に含み、味見をした。

 しばらく思考を巡らせながら味をゆっくりと堪能し、


 ……うん。


 何度か小さく頷く俺。


 たしかになんとなくカレーだ。もう少し時間かけて煮込むと、味も深まってそれっぽくなるかも。


「そうか。お前の口には合いそうか?」


 うん。これでいいよ。


「よし、じゃぁ食べるとするか。皿を持ってこい」


 うん、分かった。


 頷いて。

 俺はテーブルに置いていた深皿を二つ手に取ると、おっちゃんのところへ運んで行った。





 ※





 カレーをそれぞれの皿に注ぎ分けて。

 買ってきたバケットを切って、それにバターを塗り。

 二人分のコップに水を注いで、二人して互いに向き合う形で椅子に座る。

 俺が両手を合わせて「いただきます」と、早速食そうとすると、おっちゃんが引き留めてくる。


「この世界に馴染みたいんだったら教えておいてやらないとな」


 え? 何を?


「今日一日を平穏に過ごせたことへの感謝と、大地の恵みに対する祈りだ」


 えー……


 ちょっと退き腰に、俺は顔を引きつらせて距離を置く。


「何が "えー" だ。この世界に馴染みたいんだろ? いつまで異世界人の常識を引っ張るつもりだ? 形だけでも覚えておかないと、お前があとあとになって後悔するだけだぞ」


 だけど、えー……それやらないとダメなのか?


「異世界人であることをお前は捨てたんだろ? だったらこの世界の常識を覚えろ」


 ……。


 仕方なく嫌々ながらに、俺はおっちゃんの指示通りに真似る。


「順番としては、まず食卓を囲んで席に着く。次に食事を前にして手を組んで目を閉じ、祈りを捧げる。その間に家長がなんやかんやと呪文みたいなことを言うからそれまでずっと黙って聞いて祈っておく。家長からの合図で顔を挙げて一斉に食事だ」


 えー……。


 疲れ切った顔付きで俺がそう溜め息を吐くと、おっちゃんが真顔で水の入ったコップを手にとり、俺に向けて差し出してくる。


「──ということで簡略して、合図の乾杯だ」


 えー……?


 もはや理解不能といった感じに、俺は疲れ切った顔で水の入った己のコップを片手に、おっちゃんのコップと軽く打ち鳴らす。


「いいか。このやり方と順番を絶対に忘れるな。強制してやれとは言わんが、常に頭の片隅に叩きこんでおけ。

 お前はもう異世界人じゃない。この世界の住民なんだ。俺が言い続けていたことは、いつかお前の助けになる。それを忘れるな」


 分かっている……けどさ。


 俺が急に元気をなくしたせいか、おっちゃんが気にかけたように気分を変えて明るめに言ってくる。


「よし、カレーを食べよう。──あれ? 匙がない」


 あ。準備すんの忘れてた。


 思い出して俺はハッとしたように戸棚に取りに行こうと席を立つ。

 おっちゃんがそれを手で留めて言ってくる。


「いい。俺が取る。お前は座ってろ」


 ……。


 え、なにその急な優しさは有料ですか?

 目を丸くする俺に、おっちゃんが呆れた様子で言ってくる。


「俺のこの優しさは犯罪級ですか?──とでも返せばいいのか?」


 ノッてくるなよ、俺の心の問いかけに。


「たまにはお前に優しくしてやらないと、後でコキ使う時に罪悪感が出るだろ」


 罪悪感あるんだったらコキ使うなよ。プラマイゼロどころか今の言葉でマイナスだよ、おっちゃん。


 俺は内心で静かに涙を流しながら、おっちゃんから匙を受け取った。



 2025/04/06 18:32

 2025/04/06 20:11


 

 カレーを何口か食して、バケットを口に頬張ったところで。

 おっちゃんが俺に話しかけてくる。

 今までにないような、真剣な口調で、


「お前に話しておきたい大事な話がある」


 うん。何?


 さほど気にも留めずに、俺は食事の手を止めることなく言い返す。


「いつまでも隠し通せるものでもないし、お前もいつかはこの真実を受け入れなければならない(とき)が来る。

 今のお前ならそれを受け止められると思っているんだが……話してもいいか?」


 ……。


 本当に大事な話だった。

 俺は思わず口に入れたバケットを原型のまま口から出して、皿に戻す。

 今まで散々、この世界で色んな人たちに会って色々言われてきたけど、混乱して整理が出来ないままずっとそのまま放置してきた。

 俺は小さく頷く。 


 うん。いいよ。隠されるよりはマシだから。


「いや、これは隠していた方がお前の幸せのためでもあるんだ。だから俺もあえてお前の前で真実を誤魔化し、話さなかった。

 それがお前にとって苦しみとなるならば、これ以上隠していても仕方がない。

 だがこの真実を知った時点で、お前はこの先の人生、どの道を進んでも茨の道だ。

 それを決めるのもお前自身の運命であり、選択だ。……どうする?」


 ……。


 俺にはとても荷が重すぎる選択だった。

 たしかに俺自身が何者なのかも知りたいという思いはある。

 だけど……。

 今ここで真実を聞いたとしても、受け入れられるかどうかの自信がない。


 おっちゃんが気分を変えるように手を軽く叩いてくる。


「そうか。分かった。この話をするのはまた今度にしよう。

 無理に聞くほどのものでもないから、お前の気持ちが整理できたらいつでも俺に言ってくれ。 

 ──あぁ、ほら。せっかくのカレーが冷めちまうだろ。さっさと食っちまえ。あとの片づけは俺がやる」


 ……。


 俺は首を横に振ると、残りのカレーを口に入れた。

 飲み込んで、俺はおっちゃんに言う。


 いいよ。俺も手伝うから。一緒にやろう。

 俺とおっちゃんは運命共同体なんだろ?


 俺のその言葉におっちゃんがフッと軽く笑ってくる。

 バケットを頬張りながら、


「運命共同体、か。なんか笑っちまうな」


 いや、最初におっちゃんが言い出したんだよな? これ。


 おっちゃんと一緒に笑い合って。

 俺はその日、楽しい夕食をしながらおっちゃんとのんびりとした時間を過ごすことが出来た。





 そう──あの日、あの事件に巻き込まれる前までは。


 2025/04/06 20:46


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