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Simulated Reality : Breakers【black版】  作者: 高瀬 悠
【第一章 第三部序章 後・下編】 砂塵の騎士団 【下】
278/313

長い階段を上るとき最初の一歩を踏み出しなさい。階段全体を見る必要はない。ただ最初の一段を踏み出せばいいのです【43】


2025/01/05 20:22

 俺とデシデシ、そしてカルロスとアデルさんは、ともに天井も底も見えない暗闇の空間──元、祭壇があった場所を静かに見下ろした。

 真下から吹き抜けていく風が俺たちの服や髪をそよそよと凪いでいく。

 本来ならばカルロスが用意した階段が俺たちの真下にあるはず。

 その階段を下っていけば良かったはずなのに……。

 デシデシがぽつりと言葉を漏らす。


「階段、どこにも無いデシね」


 言うな、デシデシ。俺たちはきっと幻を見たんだよ。


 カルロスが狼狽するように後退しながら身を仰け反らせて声を震わせる。


「そんな……嘘だ。そんなはずない!」


「たしかに吾輩もケイもデシデシとやらもこの目でたしかに階段は見た。

 しかしこれはどういうことなのだ? カルロスよ、説明できるか?」


「分からない……僕には分からない。たしかに僕は間違いなく階段を出現させ、そして下へ通じる階段を作った。それが消えるなんて、そんなのあり得ないよ」


「──だ、そうだ。ケイよ」


 はい。


「吾輩たちが見たものは本当に幻だったのであろうか?」


 ……。


 俺は顎に手を当て、しばし考え込む。

 たしかに階段が下に落ちる時にすごく重い音がした。

 もし本当に俺たちが見たものが幻だったなら、音なんてしなかったはずだ。

 と、いうことは。

 俺は誰にでもなくぽつりと漏らす。


 階段が地面に着いた衝撃で崩壊してしまった、とか。


 そのことにデシデシが意見してくる。


「K、それだったならもっと長くすごい音がしたはずデシ」


 だよな。そうだよなぁ……うーん。


 さらに考え込む俺のところにカルロスが歩み寄り、俺と同じ仕草をしてくる。


「実際にこの魔法は何度も使用したことがある。失敗したとは思えない。手応えはたしかにあった」


 溜め息を吐いて、デシデシが尻尾と耳を萎えさせてぽつりと呟き漏らす。


「でも階段なんてどこにも無いデシ。透明になって消えちゃったデシ」


 透明になって……?


「消える……?」


 俺とカルロスは同時にハッと互いの顔を見合った。

 きっとカルロスも俺と同じことを思ったに違いない。

 カルロスが興奮気味に人差し指を振りながら俺に言ってくる。


「違う、消えたんじゃない! あるんだよ、本当はそこに!」


 そうだよ、目に見えていないだけで透明になっているだけなんだ!


 するとアデルさんが、怪訝に眉を潜めて俺とカルロスに言ってくる。


「しかしそう言うが二人とも。階段が透明になるとはいったいどういう原理──」


 原理なんて関係ない! 大事なのはそこに在るか無いかだ!


 言葉半ばで俺はそう言って、カルロスへと向き直った。

 手を差し出す。


 ごめん、カルロス。お前のその肩にかけているマントを貸してくれないか?


「ペリースのことかい?」


 あー、うん、名前は知らないけどそのマント貸してくれ。


「良いけど、何をする気だい?」


 いいから早く。


「分かった。ちょっと待ってくれ。外してみる」


 そう言って、カルロスが片方の肩にかけたマントを外そうとする。

 俺も一緒になって外すのを手伝った。

 そしてカルロスからマントを借りた俺は、それを手に持って、部屋の右側の壁隅──床と闇のギリギリの部分──に向かって駆け出し、そしてそこで立ち止まってマントを闇側の方へと垂れ幕のようにして持って突き出す。


 アデルさん、デシデシ、カルロス。みんなごめん、ちょっとそこから退いてくれないか?


 アデルさんが俺に言ってくる。


「退くとはどういうことだ? 分かるように説明せよ」


 ごめん、俺が今からそっちの隅までこれを持って歩いていくから、もうちょっと部屋側に退いて道を開けてくれないか?


 俺が手に持つマントが風に揺れるのを見て、アデルさんが感心の声をあげる。


「ほぉ、なるほど。そういうことか。なかなか良い案を思いついたではないか、ケイよ」


「たしかに本当に階段が存在するならば、真下から吹く風を階段が遮ってマントが揺れないはずだ」


「すごいデシ、K! さすが賢者デシ!」


 いや、ごめん。賢者関係ないと思う。


 みんなが俺の通る道を譲ってくれたことで、俺はこの姿勢のまま真っ直ぐに突き進むことが出来た。

 そして──

 左の壁隅へと到着する。


 ……。


「……」


 え? あれ?


 俺は今通ってきた道を二度振り返った。

 マントがずっと揺れっぱなしだったからだ。


 そんな馬鹿な!


「あり得ないよ! こんなの!」


「吾輩に言うでない」


 俺とカルロスは同時に叫んでアデルさんに抗議した。

 デシデシが前足を口に持ってきて、考え込む仕草をする。

 ぽつりと、


「闇に飲み込まれちゃったんデシかね?」


 だけどさぁデシデシ。それだったら、俺たちが聞いたあの音はなんだったんだろう?


 カルロスが言う。


「じゃぁもう一度試してみないか? また二人とも協力してくれ。あの階段造りに──」


 即座に俺とアデルさんは、カルロスにNOを突き付けた。

 カルロスが半眼で言う。


「だったらどうするんだい? ずっと見えもしない階段を探し続けるのか?」


 ……。


 俺はカルロスのところへと歩み寄ると、借りたマントを返した。

 マントを再び装着するカルロス。

 俺もそれを手伝う。

 そして、俺は思い出した。

 首にかけていた二つの角笛を取り外し、カルロスに差し出す。


 そういえば。ごめん、お前に借りていた角笛、これも返すよ。


「それはいい。まだケイが持っていてくれ」


 なんで?


「正直、僕にもどれが僕の持ち物なのか分からないんだ」


 なんか……ごめん。本当はすぐに返そうと思ったんだ。けど、色々あってお前のことも見失って、どう返せばいいのか──


「地上に出たら返してくれ。どちらか吹いてみる」


 あ、いや、でもそれは止めた方がいいと思う。


 俺のその言葉にカルロスが怪訝に眉を潜めて問いかけてくる。


「なぜだい? そういえばケイ、君はあの時も僕にそう言ってきたね? 何か理由があるのかい?」


 そ、それは……


 俺は視線を泳がせて誤魔化そうとした。

 すると、いつの間に傍に来たのかアデルさんが俺たちの様子を心配で見に来たようで、


「いったいどうしたというのだ? 二人とも。何かあったのか?」


 えっと……。


 気まずく頭を掻く俺。

 さぁね、と。お手上げして肩を竦めるカルロス。

 アデルさんの視線が俺の手に持つ二つの角笛へと向く。

 何かを察したのか、アデルさんがいつになく真面目な声音で俺に言ってくる。


「ケイよ。それを吾輩に見せてみなさい」


 え?


 気のせいだろうか。アデルさんの顔つきが少し怖いと思った。

 俺は内心ビビるようにして、アデルさんに二つの角笛を渡す。


「……」


 黙って、二つの角笛を真剣に見比べるアデルさん。

 まるで鑑定士みたいな顔付きだった。

 俺はごくりと生唾を飲み込む。

 もう一つはたしかにカルロスの物だけど、もう一つは竜騎軍が持っていた物だ。

 本来ならすぐに捨てるべき物だったのだろうけど、俺も何も考えずにカルロスの物と一緒に首にかけてしまったので、正直どっちがどっちか分からない。

 しばらくして。

 アデルさんが一つの角笛をカルロスに手渡す。


「え?」


「それがお前さんの角笛だ。持っておきなさい。──そしてケイよ」


 え、あ、はい。


「お前さんと少し話したいことがある。

 カルロスよ。席を外してくれぬか? ケイと二人で少し話がしたい」


 ……!


「わ、分かった……」


 曖昧な返事をして、カルロスが俺たちから離れてデシデシのいるところへと駆け寄っていく。


 あ、あの……


「ケイよ」


 呼ばれて俺はビクリと身を震わせた。

 口から心臓が飛び出さんばかりにドキドキする。

 もしかして、俺が持っている力のことに何か勘付かれたのだろうか?


「何をそんなに怯えておる? 何も知らぬなら知らぬで良い。お前さん、この角笛を誰から手に入れた?」


 え……そ、それは、えっと……


 竜騎軍から、と答えてもいいのだろうか。いや、それだとカルロスのドラゴンに乗っていたのが俺だとバレてしまう上に、竜騎軍をワンパンしてしまったこともバレてしまうのではないだろうか。

 どうしよう。どう答えればいい? どうしよう、おっちゃん。

 呼びかけても返答があるわけでもなく、俺はただただ体を震わせて影で拳を握りしめた。

 アデルさんが俺のその動揺に気付かないはずもなく、


黒王(こくおう)フィーリアという女性を知っておるか?」


 フィーリア……? 国王?


「暗黒の世界を支配し、黒の騎士団を束ねる(くろ)の王──女帝フィーリアという女性に会わなかったか?」


 え……。


 俺はたしかにフィーリアと名乗る女性を知っている。

 黒いドレスに片目を包帯で覆った隻眼、背中まである長い髪をゆるく編みこんで垂らしただけの風貌。そして、微かに残る記憶の中で──


【黒騎士となり、私の(しもべ)となりなさい】


 ハッとして、俺は思わず口を手で塞いだ。

 もしかして俺が会ったあのフィーリアという女性は、まさか……!

 アデルさんが何も言わずに俺の肩を優しく二度叩いてくる。

 俺はアデルさんへと顔を向ける。


 アデルさん……俺、その人に会ったことがあります。でも──


「離さずとも良い。お前さんの表情を見れば分かる。黒王フィーリアに何を言われ約束したかは追求せぬが、これだけは答えよ。

 お前さんは人間か? それとも人の姿に変じた化け物か?」


 ──。


 なぜだろう。

 そう言われた瞬間、俺の目から勝手に一筋の涙が零れた。


【だったらなんでこの世界に来る時はあっさり簡単に来られて、向こうの世界に帰れる時はこんなにも時間がかかるんだよ! 俺がこの世界で化け物になっているからって、そう言えばいいだろ! クトゥルクという化け物に! だから元に戻すのに時間がかかるって、ハッキリそう言えばいいじゃないか!】


 ……。


 ずっと怖かった。

 周りに嘘をついて隠し続けることが、ずっと……俺の中で怖かったのかもしれない。

 俺のその涙を見て、アデルさんが俺の片腕をぐっと掴んで胸へと抱き寄せた。

 しばらくの間、ぎゅっとアデルさんに抱きしめられて、


「吾輩はお前さんを人間だと信じておる。だからこの角笛はここで捨てよ」


 え……?


 俺を引き離し、そしてアデルさんは角笛を大きく振りかぶると、闇に向けて思いっきり投げ捨てた。


 あ!


 弧を描いて闇の方へ飛んでいく角笛に、俺は思わず声をあげる。

 するとアデルさんが俺の腕を掴んできて諭すように言い聞かせる。


「ケイよ。お前さんがどういった経緯であれを手に入れたかは聞かぬが、あれはお前さん──いや、誰が持っていていい物ではない。

 あの角笛は魔を呼び寄せる角笛だ」


 魔を……呼び寄せる?


「うむ。お前さんがあれを使用していたとは考えたくはない。

 あれを吹けば魔を呼び寄せ辺りは暗闇に包まれる。

 もしかしたらあの角笛はお前さん自身を呪蟲(デイダラ)に変えてしまうかもしれん。

 ──竜騎軍が闇の道に染まってしまったように。

 お前さんが吾輩たちを殺したくないといったあの言葉を、吾輩はずっと信じておるぞ」


 ……。


 涙を拭って、俺は小さく頷きを返した。

 たしかにあの角笛はいつか捨てたいと思っていた。

 もしそんなこと知らずに使っていたらと思うと、俺は今この瞬間、アデルさんに助けられたのかもしれない。




 ※




「ボク見たデシ! 音も聞いたデシ! 本当デシ!」


「僕もだ。デシデシと同じように、下に落ちていく時に弾んだのをこの目で見たし、たしかに何度も音を聞いた」


 ……。


 アデルさんと俺が戻ってきた時。

 カルロスとデシデシが何やらただならぬ表情で一生懸命に説明してくる。

 俺とアデルさんはしばし互いの顔を見つめて、そして同じ方向に首を傾けた。

 あーもう! と言わんばかりに。

 カルロスが闇の方へと人差し指を向ける。


「信じてほしい。僕は見たんだ。アデルさんが投げた角笛が闇の中に落ちていく時に、何度も段階的に小さく弾んで落ちていったんだ。まるで──」


「闇の中にボク達の見えない透明の階段があるデシ! 角笛が落ちていく時に何度も音を立てて弾んで落ちていってたデシ!」


「……」

 ……。


 そんなこと言われてもぉ、と。

 俺とアデルさんは互いに顔を見合わせ、そしてさきほどとは反対側の方向へと首を傾けた。

 その場で地団駄を踏むカルロスとデシデシ。

 俺たちに伝わらないことがとても悔しそうだった。


「とにかく僕が案内するから一緒に来てくれないか?」


「本当デシ! 信じてほしいデシ!」


 ……。


 仕方ないとばかりに俺とアデルさんはお手上げして、カルロス達についていくことにした。




 ※




 案内された先で。

 いつ暗闇の底を見下ろしても、相変わらず風が真下から吹いているし、階段が在るようには思えない。

 すると、信じない俺とアデルさんに向けてカルロスが実際に下りてみると言い出した。


「いいかい、ケイ。絶対に僕の手を離さないでくれよ」


 震える声で片足を闇の向こうへと下ろしていくカルロス。

 手を離さないでくれと言われたが、俺の腕をしっかりと掴んでいるのはカルロス自身だ。

 一応彼が落ちないように、俺も彼の腕を掴んではいるが……


「よし。吾輩も手伝おう」


「ボクも手伝うデシ」


 ……。


 なんだろう、この光景。

 俺がカルロスを掴んで、俺の服を後ろからアデルさんが掴んで、アデルさんの足をデシデシが掴んでいる。

 うんとこしょ、どっこいしょ。なかなかカブが抜けません。

 そんな読み聞かせの声が、俺の脳内でリピートしていた。

 すっげーシュール過ぎる。

 俺は内心でそう思った。

 カルロスがフルフルと震える片足を下にゆっくりと落としていく。

 うんとこしょ、どっこいしょ。なかなか階段が見つかりません。


「ケイ、絶対僕の手を離さないでくれよ」


 うん、分かってる……。


 だんだんとカルロスの俺を握る力が強くなっていく。


 あ、あのさ、カルロス。


「なんだい?」


 一旦座らないか? ギリギリのところに座って、そこから足を下ろせばいいだろ? なんで立ったまま足を──ぐっ!


 言葉半ばで急にカルロスが全体重を俺にかけて床に座り込んでいく。

 引っ張られるようにして俺も強制的に膝をついて座らされた。

 次いでアデルさんも、そしてデシデシも掴む位置を変えて。


「たしかに君が考える通りだ。座ればより下へと足を下ろせる。

 だがあまりにも段差が深すぎる。

 こんなに足を伸ばしているのにまだ一段目にすら届きそうもない……くっ!」


 ちょ……! おい。マジ……まだ届かないのか?


 だんだんと俺の腕を引っ張るカルロスの力が強くなる。


「きっとあともう少しだ」


 くっ……! 一旦足を戻せ、カルロス。お前、全体重を俺に預けてないか?


 カルロスが必死に汗をかきながらもフッと笑う。


「もう無理だよ。ここまでくるともう引き返せない。

 君が手を離せば、僕は闇に真っ逆さまに落ちるだろう」


 だろう、じゃなくてさ! お前俺まで巻き沿いにする気でいるだろ!

 いいから一旦戻ってこいって! この体勢はキツい! ちょっと休憩しよう!


「吾輩もケイの意見に賛成である!」


「ボクもデシ! ちょっと休憩したいデシ!」


「ふふ……。なぜだろう? おかしいな? こんなに段差をつけた覚えはないのに全然一段目を踏み出せない。たしかもう少し、ここら辺だったか?」


 笑ってる場合じゃないだろ、カルロス! お前ッ! こん……ッ、ちょ……ッ、馬鹿やめろ、それ以上そっちに体重かけるなって! こっちは限界なんだよ!


「もう……ちょっとで……」


 やめろって! もういいから足を戻せ、カルロス! これ以上は──


 俺がそう言った瞬間だった!

 ガクンと俺の足が滑ってバランスが一気に傾いていく。

 二人分の体重を預かったアデルさんが必死に頑張るも、力尽きて、デシデシに至ってはもう支えること自体が無理だった。

 一段目を踏み出すどころか階段すら存在しない闇の中を、俺たちは次々と悲鳴をあげながら落下していく。

 だんだんと明るみのある部屋が遠くなっていって、俺の意識はそこで途絶えた。


2025/01/05 23:44


脳内メモリがいつ吹っ飛ぶか分からないので時間を見つけて更新していく予定です

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