鍋の具材は慎重に選ぼう【6】
2013年未明(初期)→2014/07/10(改稿)
ぐつぐつと。
俺は暖炉の上で煮えたぎる大鍋を、恩人の村人──父親のゼルダさんの隣で冷静に見つめていた。
あれから。
ゼルダさんにウツボごと引きずられ続けた俺は、村をぐるっと一周散歩してようやく家へと戻って来た。
彼の娘──ミアちゃんは、まだ食材探しに行ったっきり、戻ってきていない。
まぁそれはさておき。
家に帰りつくなり、ゼルダさんの手を借りてようやくウツボから救出された俺は、ベトベトに汚れてしまった服──ゼルダさんに部屋が汚れると言われたので──、ゼルダさんから借りた衣装に着替えることになった。
少し大きめに感じたが、捲れば動きに支障はない程度のまぁまぁちょうど良いサイズのアラビアンな衣装だった。
その後。
さっそくゼルダさんは、丁寧に俺の両手首を縄で縛りあげて、逃走しないように台所の大鍋近くの天井から吊るし、現在に至る。
俺は一度、天井に繋がれ拘束された自分の両手首を見つめてから、ゼルダさんに視線を落とし、落ち着いた声音で質問した。
あの……なぜ俺はこんな形で拘束されなければならないのでしょうか?
ぽつりと、ゼルダさんが大鍋をかき混ぜながら答えてくる。
「無論、逃げられないようにするためだ」
もしかして食材確保ってやつですか?
「いや。お前が何者か気になるだけだ。
なぜ今も、甲殻類や魚介類の魔物がお前の周りに集まってくるのか、
その疑問だけでも知りたい」
それは俺にも分かりません。
「そうか」
呟くようにそう言って、ゼルダさんは大鍋の汁をスプーンで一口すくい、味見用の小皿へと移した。
それを口に運んでゴクリと飲み干す。
「ふむ。何かが足りない」
ゼルダさんの視線が俺に向く。
俺はきりっとした真顔で言い放つ。
きっと俺を食べてもマズいと思います。
ゼルダさんがお手上げするように肩を竦め、口をへの字に曲げて言ってくる。
「君は食材には向かない。見た目からしてマズそうだからな」
今ので俺の心がすごく抉られたような気がします。
「食べるなら……そうだな。人間ではなく──」
そう言って、ゼルダさんの視線が流れるように俺の足元へと向く。
俺の周囲──足元に集まっていた魚介類や甲殻類の魔物が、身の危険を感じて怯えるように俺の背後にサッと隠れた。
しかし、ゼルダさんはその魔物たちには目もくれず、俺の横をあっさりと通り過ぎて、その奥にあった調味料棚に手をかけた。
なにやら年季の入った怪しげな壷を引っ張り出してきて、その壷の蓋を開ける。
そこからプーンと香り来る独特の匂い。
うっ、ぐ……!
一気に食欲を無くすような強烈な死臭に、俺は思わず全力で息を止めた。
ゼルダさんが鼻歌混じりに、近くにあった小さい器を手に取り、その壷の中から怪しげな液体を流し込んでいく。
べちょ、べちょ、と。
ちらりと見えた泥の塊のような紫色のゼル状の中に、目玉やら毛っぽいものやら小骨のようなもの。
俺はたまらず身の毛がよだつ思いで悲鳴をあげた。
そんな俺をチラリと見て、ゼルダさんが平然と言ってくる。
「驚くことはない。ただの隠し味だ」
俺の頬が思いきり引きつると同時に、早く元の世界に帰りたいと激しく心の中で願った。
そんな俺の気持ちなどお構いなく、ゼルダさんは大鍋に向けて歩を進め、そしてゼル状の隠し味とやらを大鍋にぶちこんだ。
べちょ、べちょ、と。
気持ち悪い音を立てて投入された隠し味。
それをゼルダさんがぐるぐるとオタマでかき混ぜる。
どす黒い紫緑な色をした臓モノ累々の隠し味が、鍋の中の具材と楽しくコラボを始めた。
さきほどまで、ぐつぐつことことと美味しそうに煮込まれていた音が、やがてボコボコびちゃびちゃと毒々しい激マズそうな音に変わった。
ツーンとした酸っぱいような鼻をつく死臭。
俺は再び息を止めた。
ゼルダさんが大鍋から一口すくいあげて味見用の小皿に移すと、それを一気に飲み干す。
「……」
……。
そして満足そうに頷くのだった。
「うむ。今夜は美味いウツボ鍋が振舞えそうだ」
その言葉に、俺は喉を一気に胃液が駆け上がってきた。
吐きそうになる気持ち悪さをぐっと堪える。
「どうした? 気分悪そうだな」
……いえ。なんでもありません。
「そうか」
呟くようにそう言って、ゼルダさんは食器棚へと移動するとそこから食器を取り出し始めた。
部屋も台所もそう広いわけではない。
1ルームといったような、全てがそこで片付くような広さだ。
食卓は鍋のすぐ傍。
移動する距離もさほどない。
器から食卓、椅子まで全て木製といった実に小市民をうかがわせる質素な暮らしぶりだった。
──と、そこで俺はようやく気付いた。
あれ? 玄関のドアがそこで、もう一つのドアの向こうが、たしか俺たちが最初に目を覚ました寝室だったよな?
と、いうことは……
食器を食卓に並べながら、ゼルダさんが振り向かずに独り言を呟く。
「ミアとはいつも一緒にあの部屋で寝ていたからな。寝る場所はこの家に一か所しかない。
あの黒猫は檻に入れているとして、人間をあの檻に入れるには小さすぎる。
さて、どうする? 邪魔な余所者がここにいる限り、今夜は娘と一緒にどこで寝ようか」
あの……声に出ていますけど。
それに邪魔な余所者って俺のことですよね?
俺の問いかけなど見向きもせず、ゼルダさんは独り言のように続けてくる。
「娘と一緒に震えながら外で寝るのも何かと辛いものがある」
いやあの、いいです。分かりました。俺が外で寝ますから。
「勝手にこの家から出てもらっては困る。この村の住民との折り合いもあるからな。
君がこの家に居ると知られたら立場が無い。
寝るならこの家のどこか隅っこで埃となって寝るか、天井から吊るされたまま器用に寝てもらっても構わない」
容赦なし、ですね。
ゼルダさんが鼻で笑ってくる。
「君は人間でありながら魔獣使いの素質を持っている。
その特殊能力で海の魔獣を呼び寄せて、その魔獣に守ってもらえばいい。あの時のように──」
……あの時?
全く身に覚えも記憶にも無い言葉に、俺は眉根をひそめ、首を傾げて問いかけた。
三人分の食器を並べ終えて。
ゼルダさんが俺に振り向く。
「どうやら無意識で魔物を手懐けているようだな。
己の能力を理解せず、今までこの世界を生きてきたというのか?」
……。
俺は返答に困り、視線を泳がせる。
えーっと……。
どう説明していいか分かりませんが……たぶん、そうだと思います。
ゼルダさんが呆れるように笑ってくる。
「君は実に面白い人間だ。増々、君のことが知りたくなった」
そう言って俺のところに歩み寄ると、俺の両手首を縛る縄を解き始めた。
長身であるが故か、難なく縄を解いていく。
解放されて、俺は崩れるように床に座り込んだ。
縄が食い込み赤くなった両手首に視線を落として、俺は優しく擦った。
解放、してくれるんですね……。
ゼルダさんが首を横に振って否定する。
「いや。解放ではなく、君はこの家の埃だ」
そういえば……俺ってそういう扱いでしたね。
微笑して、俺は座り込んだままゼルダさんへと視線を向けた。
ゼルダさんが俺に向けて片手を差し伸べてきた。
俺はその手を掴んで、その場から立ち上がる。
別に疑いや警戒する理由なんてなかった。
この人なら信用してもいいかもしれないと、なんとなくそう思ったからだ。
食卓に並べられた三人分の食器。
ゼルダさんがジェスチャーで、俺にその席の一つに座るよう促してくる。
……。
俺は促されるままに席に着いた。
ゼルダさんも向かいの席に腰を下ろしてくる。
「食事は二人よりも三人だとミアが喜ぶ。今夜はミアの好きなウツボ鍋だ。
君の口に合うかは分からないが」
ようやく俺は今夜の鍋のことを思い出し、内心でそっと呟く。
そうか。俺、これからリアクション芸人みたいなことをしなければならないのか。
そして同時に、今度からこの世界に来る時は胃薬を携帯しようと固く心に誓った。
食事はミアちゃんが戻ってきてから一緒に食べるのだろう。
少しの沈黙を置いて。
ふと、ゼルダさんが俺にぽつりと語り始めた。
「実は一昨日の夜はカニ鍋だったんだ」
はぁ……。そうですか。
それ以上の言葉は俺の中に無かった。
「具材のカニはこの村の近くの海岸で捕獲した。
ミアと一緒に、波打ち寄せる砂浜で、瀕死のカニを見つけたんだ。
今まで見たことも無いような、とてもレアで珍しい大きな赤ガニの魔物だった。
最初は焼きガニにしようかと思い、炎術で退治しようとして……迷った」
すごくどうでもいい話だと、失礼ながらも俺は思った。
「そのカニは雌だった」
食す前のカニの雌雄なんて、俺は今まで生きてきた人生の中で考えたことすらなかった。
それでもゼルダさんは真剣に、俺に話して聞かせた。
「甲羅に卵をたくさん抱えていた瀕死の雌カニだった。
そのカニを見て、炎術を消し、そして決心した。
これはなんとしてでもカニ鍋にしよう、と」
焼くか煮るかで問われるならば、俺も迷わず鍋にしたと思います。
あぁ。俺はいったい何を言っているのだろう。
そんな理性がスッと脳裏を過ぎ去っていく。
「ミアの前ではカッコイイ父親で居たいと思った。
だからこそ私は多少無理をしてでもそのカニの魔物と戦い、そして……ついに倒した」
そうですか。それは良かったですね。
「そう、カニは倒した。あとは──カニ鍋にするだけだ。
卵は保存して翌日に卵スープにでもすればいい。そう思っていた。
カニの甲羅を割き、卵を取り出そうとして──そこで私はようやく気付いた。
その黄金たる卵に包まれるようにして、君が産まれ出て来たことに。
赤子ではなく、成長したその姿のままでな」
……えっと。
俺はどこに視線を向けていいか分からず、とりあえずポリポリと頬を軽く掻いた。
ゼルダさんの視線がジッと俺を見つめてくる。
「そのカニの魔物は死に間際に私に言葉を託した。
──この者を守ってほしい、と」
いや、あの……なんでそんな童話風に話すんですか? それ本当に実話なんですか?
「実話以外のことを君に話して、私にいったい何の利があると?」
……。
考えられるのは一つ。
きっと、船で沈んだ時に偶然、そこに居たカニの魔物の食料になってしまっていたんだろう。
デシデシと一緒に。
あっ、と気付いて俺はゼルダさんに問う。
もしかしてデシデシも俺と一緒にカニから救出されたんでしょうか?
「でしでし、とは?」
あの黒猫です。俺と一緒に寝ていた──
「あれは海岸の砂浜に埋まっていたのをミアが見つけてきただけの単なる拾い物だ。
君をカニから救出した次の日くらいだったか」
え? カニの食料にされたのって俺だけだったんですか?
自分に指を向けて訊ねる俺に、ゼルダさんはコクリと頷いた。
「そうだ」
いや、でもなぜそれが”守ってほしい”に置き換わるんですか? 俺ってカニの魔物に食料にされただけですよね? つまりはカニにとって俺は食材だったんですよね?
「この村の部外である人間には分からんだろうが、この村は海の魔物を糧として生き長らえている。
時に崇め、時にその命をいただく。
共に生き、共に死を分かつ。
古より代々祖先がそうしてきたものが今も受け継がれているせいか、この村の者たちは皆、魔物の言葉が多少なりとも理解出来る。
特に、食材となる前の魔物が遺す言葉はキチンと受け入れなければならない」
そのカニの魔物が最期に遺した言葉が──俺を”守ってほしい”、と。
「そうだ」
俺は半笑いになって全力で片手を振って否定する。
いやいや、何の義理で?
「それは私にも分からない。ただ、分かることは一つ。
これはきっと私が食材を選び間違えたのだろう、と」
俺もそう思います。
「この村のしきたりで、食材となる魔物が命と引き換えに遺言を託してきたら、それを食した者は絶対にその遺言を守らなければならない。
だからこそ私は君に手をかけない。
助けもしないが、殺したりもしない。
逃げ出すのは君の勝手だが、この村から安全に逃げられるという命の保証はしない。
この遺言を守るのは、あくまであのカニ鍋を食べた私とミアだけ。
カニ鍋を食べていない他の村人にとっては遺言を守る理由なんて無い。
それを忘れないで欲しい」
……。
俺はふと思った。
あの……じゃぁ、デシデシは? あの黒猫も俺と一緒に守って──
俺が次なる言葉を口にしようとしたその時。
「ただいまー」
女の子──ミアがドアを開いて外から帰って来た。
その片腕に一匹の黒猫を抱いて。
ミアがもう片手の鋭い水掻き手で、その黒猫の喉元を押さえつけて黙らせ、嬉しそうに笑う。
「パパ! これはあの遺言には入っていない猫だよね?」
「K! 助けてほしいデシ! 脱走しようとしたら失敗したデシ! 殺されてしまうデシよぉ!」
……えーっと。
状況を理解しようとして脳が追い付かず、俺は眉間に指を当ててしばらく考え込んだ。
その間、デシデシが涙でぐしゃぐしゃになった顔で悲痛に呼びかけてくる。
「Kを置いてボクだけ逃げたわけじゃないデシ! 後で助けくるつもりだったんデシ!
信じてほしいデシ!」
すると、俺の向かいの席からゼルダさんが冷静に言ってくる。
「カニの中に居たのは君だけだが──この状況、君はどうする?」




