深海の底の住民たち【5】
2013年未明(初期)→2014/07/10(改稿)→2023/03/18(再改稿)
その後──。
俺はウツボから助け出されることなく、そのまま家の外に連れ出された。
その間の説明は一切ない。
抵抗する術を持たない俺は、ただ状況に流されるしかなかった。
当然、デシデシはパニックになった。
彼だけが唯一自由の身だったので、俺を助けようと必死になってウツボから引っ張り出そうとしてくれた。
その気持ちはすごく嬉しかった。
しかし、所詮は猫の手だ。
俺を助け出せるわけもなく、それどころか、女の子が部屋のどこからか持ってきた大好物の魚に喜んで飛びつき──
デシデシはそのままペットゲージに入れられて捕まってしまった。
所詮お前は猫なのか……。
俺はそんなことを思いながら失望の溜め息を吐いて。
そして今──。
ズルズルと。
ウツボの口から頭だけ出した状態で、俺は寂れた小さな田舎村の中を引きずられていた。
そのウツボの尻尾を肩に担いだ父親が、ウツボを引きずりながら素っ気ない口調で淡々と俺に言ってくる。
「絶望する必要はない。このウツボはもう死んでいる。それ以上呑まれることはないだろう」
問題はそこじゃないと俺は思う。
完全にミノムシ状態の上、両手両足も使えず、呼吸以外に出来ることは何もない。
ウツボの口から出ることも叶わず、呑まれることもなく、生殺し状態の何に生気を見い出せというのだろう。
今や俺はウツボと一心同体。
ウツボが死んだということは、やがて俺も往々はウツボと同じ運命を辿ることになるんだ。
……そう、ウツボ鍋という──
「ねぇパパ。早くこのウツボが食べたい! いつウツボ鍋にするの?」
「もちろん今夜だ」
「やったー!」
子供は時に無邪気で残酷だ。
俺は静かに絶望の涙を流した。
父親が鼻で笑って告げてくる。
「キミごと鍋にするわけじゃない。ダシがまずくなるからな」
ぜひそうしてください。俺も心からオススメはしません。
「パパ、ペット達を鍋に入れちゃダメだからね」
「わかっている」
もはや俺もペット枠、か……。
そんな絶望渦巻く気持ちを抱えたまま、村の道を引きずられることしばらくして──。
一人の村人が、父親に接触してきた。
機嫌の良い別の男性の声が俺の耳に届く。
「よぉゼルダ。ペットの散歩か?」
この村のペットの基準が俺は少し気になった。
この男性はご近所さんなのだろうか。
父親が足を止めて男性の問いかけに頷き、会話を始める。
「そうだ。何か用事か?」
「おじさん、こんにちは」
「こんにちは、ミアちゃん。お父さんと一緒にお散歩かい?」
女の子──ミアが上機嫌に答える。
「うん。ミアね、大きいペット拾ったの。だから今、パパと一緒に散歩しているの」
途端に、男性の声音が低く真剣に変わった。
「拾った、だと? いったいどこから?」
「ミア」
「あ、ごめんなさいパパ……」
ミアが失言を悟ったのか悲しい声で呟いてくる。
男性が声を落として父親に言う。
「お前だって聞いているはずだろう? ゼルダ。空から降って来た船のことを。
この村の近くに落ちたらしいって話じゃないか」
「あぁ知っている」
「あまり娘に変なモノを拾わせるなよ。
それが厄介なモノだったらどうする? そんなものを村の中に運び込まれでもしたら、この村はあっという間に全滅しちまう。
今、この村の戦士たちは神殿からの命令で首都オリロアンに向かったばかりだ。
村に戻ってくるまでしばらくかかる」
「その引き換えにクトゥルクの加護がこの村にある。
船のことについては神殿から派遣された調査兵団がもうすでに到着して調べている最中だ」
「調査兵団だか何だか知らないが、神殿の奴らはこの村に一切の報告を寄こさない。
長老も神殿の奴らに掛け合ってくれているがずっと口を開こうとしない。
長老も、村のみんなも神殿に対する不満は溜まる一方だ。
もしかしたら神殿の奴らは、変な疫病とか呪蟲の予兆を隠そうとしているのかもしれない。
厄介なモノを村に呼び込む前に、俺たちの手で早めに船を焼き払うべきだ」
「今は待て。長老の指示がない」
「この間にも調査兵団が死んでいて、それを神殿の奴らが隠していたらどうする?
ゼルダ、手を貸してくれ。お前の言葉なら村の全員が同意するはずだ。
もう長老の指示なんて待てない。手遅れなる前に早く動いた方が──」
「村の一存は長老のものだ。
元戦士といえど、今の私はただの一人娘を持つ父親に過ぎない。
村を治めるほどの力はない」
……。
その言葉を残し、父親はミアを連れて再びウツボを引きずりながら歩き出す。
呆然とその場に佇むご近所の男性の姿を、俺はウツボの口の中から見送るしかなかった。
またしばらく引きずられ続けながら──。
俺は恐る恐る父親に訊ねる。
あの……もしかして俺、これからウツボごと大衆鍋で料理されるんでしょうか?
「言ったはずだ。キミを鍋に入れるとせっかくのウツボ鍋がマズくなる、と」
もし、俺を助けようと思う気持ちがあるのなら、船の近くに置き去りにしてください。
あとは俺一人でどうにかしますから。
船にはたくさんの俺の仲間がいるんです。
彼等が無事なのか……──それが知りたい。
「誰が助けると言った? キミを解放すれば村に災いを招く」
俺の仲間たちがこの村を襲うことはありません。絶対に。
それだけは断言できます。
「それを信じる証拠は?」
無いです。
俺は真顔でハッキリとそう答えた。
父親が鼻で笑う。
「死を前にして嘘も誠も告げる人間は初めてだ。
キミのことが増々興味深くなった」
「パパ、それってこのペットを飼ってもいいってこと?」
「考えておこう」
「やった! パパ大好き!」
あの……。差し出がましいかもしれませんが、船のことを俺に任せてくれませんか?
ずっとここに俺が居ても騒ぎになることは確かです。
このまま船のところまで俺を連れて行ってくれるなら、今この村の抱える問題を早めに解決することができるかもしれません。
「何度も言うが、キミを助けるつもりもなければ親切にしているつもりもない。
キミはそのまま黙ってウツボの中に入っていればいい。
余所者に手を貸すつもりはない。
船に行きたいなら自分の足で行くべきだ」
……。
「ねぇパパ、ウツボ鍋には何を入れようか?」
「エビやカニ、タコやデンバンザメを入れたりしてはどうだろう?」
「うん、わかった。ミア、エビとかカニとかタコを集めてくる!
パパはデンバンザメを集めてね!」
「おいしそうなウツボ鍋が出来そうだ」
「ミアすっごく楽しみ! 行ってきまーす」
「村の外には出るんじゃないぞ」
「はーい」
……。
ミアが去っていく足音がして。
俺は相変わらずウツボの中から顔だけを出して、引きずられ続けていた。
生殺しっていうのだろうか。こういうの。
ただ何も出来ずに俺はウツボと一緒に鍋にされてしまうんだろう。
──ふと、父親が俺に声をかけてくる。
「キミはどう思う?」
ウツボ鍋の具材ですか?
「そうじゃない。キミたち余所者をこのまま生かすことは本当に、キミたちにとっての親切になるのだろうか?」
さぁ、分かりません。引きずられていますし……。
「……」
……。
ズルズルと。
引きずられる音だけが道に響く。
父親が俺に言ってくる。
「今夜はウツボ鍋を一緒に食べよう。ちょうど一人分の食器が余っていたところだ。ミアも喜ぶだろう。
キミたちのような余所者──いや、キミのことがもっと深く知りたくなった。
訊かせてくれないか?
なぜキミは人間でありながらも海の魔物を手懐けることができるのかを」
別に……
異世界人ですから、と言いそうになって。
俺は口を噤んだ。
異世界人であることを言うのはやめておこう。
この村のことも、この村の住民のことも、俺は何も知らない。
余所者に対してかなり警戒している上に、ましてや白騎士が居そうなこの村で余計な事は言わない方がいいと思う。
俺はそう判断して、無難に答える。
別に俺は……普通の人間ですから。
「狂暴な野生の魔物を手懐け、その魔物に守られることが普通の人間かどうかは私が決めることだ」
……。
ですよねー、と俺は心の中でそう呟いた。




