第4話 おっちゃんは眠たい頃に話しかけてくる
貸し切った資料室のスクリーンにて、上映が始まって数時間が経過する。
特にこれといったKの有力情報が流れるわけもなく、謎めいたKをネタにした杉下ゆいなの体当たり追跡珍道中や、投稿ネタを真面目に検証する大学教授等の小難しい空想科学分析、寄せられた投稿を元にお笑い芸人が想像するKの珍妙画など。
司会のラキボイの小川が、相方の井村にツッコむ。
「なんでだよ! お前のそれ、もう人間じゃないだろ!」
「え? Kの正体ってツチノコじゃないんですか?」
「それのどこがツチノコだよ!」
都市伝説をネタにした普通のバラエティー番組だった。
そのことに安心した俺は心地よい冷房の風と暗い室内が重なって、ついウトウトと眠りに入る。
『ようやく睡眠休憩か』
誰のせいでこんなに眠いと思っている?
『なんだ。朝のことをまだ怒っているのか? 忘れろ忘れろ。それより良いタイミングだ。今からドギメギするようなゲームの世界に行こうじゃないか。よし、レッツ・ランデブー』
夢現でいるせいか。
おっちゃんの言葉が意味不明に聞こえてくる。
特に後半末尾の──
『わざと言ったんだ』
そうかい。
『それよりお前、今からこっちの世界に来ないか?』
行かない。
『そうか。それなら強制的にぶっ飛ばすまでだ』
ふざけろ、てめぇ。
『冗談だ。そう怒るな。それよりお前にこっちの世界でやってもらいたいことがある』
断る。
『ん? 今雑音でよく聞こえなかった。もう一度言おう。お前にこっちの世界でやってもらいたいことがある』
何度繰り返そうと俺の答えは同じだ。
『そうか。なら仕方ない』
──って、聞こえてんじゃねぇか!
おっちゃんが鼻で笑って言ってくる。
『十時だ』
十時? って、今からか?
『いや、夜の十時だ。その時間にお前を強制的にこっちの世界へ引き込む。また病院送りにされたくなければJを誘っておけ』
急すぎだろ。Jが仕事だったらどうするんだ?
『その時は諦めろ』
ふざけんな。Jが仕事だったら俺は行かない。
『あーあー聞こえない。時間が近づいたらまた声をかけ──』
『そんなところで何しているんデシか? 団長』
『どわっ! なんだこの猫!』
え? この声、デシデシ? しかも団長って
『猫じゃないデシ。でしでしデシ』
『しっ! 馬鹿、この近距離でしゃべってくるな。アイツに聞こえるだろうが』
『アイツって誰デシか? 誰と話しているデシか?』
『どうでもいいからあっち行ってろ。三十分は部屋に入るなって言っておいたはずだろ』
『やっぱり変デシ。ここに帰ってきてからの団長はまるで別人のようデシ。お前は誰デシか? 処刑される前に棺桶に隠れて逃亡できたって話もなんか変だったデシ。──はッ! まさかお前、黒き』
荒々しい物音とともにデシデシの声が止まる。
おい、おっちゃん! デシデシに何したんだよ!
『安心しろ。魔法でちょっと吹っ飛ばしてやったら失敗したってだけの話だ』
余計安心できるかッ!
『あ、そうだ。それからお前……』
おっちゃんの声が急に雑音に紛れて聞こえなくなっていった。
※
「なぁ、起きろって。おい」
隣から激しく揺すり起こされ、俺はハッと目を覚ました。
朝倉が小声で言ってくる。
「黒江がいなくなっている。今の内に抜け出すぞ」
……あれ? デシデシは?
「は?」
朝倉がぽかんとした顔で問い返してくる。
やべ。
寝ぼけた言葉がそのまま口から出たことに気付き、冷静になった俺は赤面して焦るように顔を逸らした。
朝倉が半笑いでからかってくる。
「今お前、マジで寝ぼけてた?」
うるせぇ。ほっとけ。
朝倉が資料室の外に親指を向け、
「今の内行こうぜ」
そうだな。
俺と朝倉はそっと席を立ち、歩き出した。
外へ出るには、まず資料室と隣接する図書室を抜けなければならない。
先に朝倉が資料室の出入り口から顔を覗かせて、図書室が無人であることを確認する。
「ラッキー。黒江の奴、マジでここにも居ないぜ。抜け出すなら今だ」
朝倉の手招きで、俺も次いで図書室へと踏み込む。
たしかに無人だった。
人の気配も、何の物音さえも聞こえてこない静かな図書室内。
本当に黒江は去ったのか?
先を行く朝倉が軽くストレッチをしながら俺へと振り返り、言ってくる。
「やっと解放されたな。けど、どうする? 今から行ってもきっと外野しか残ってないぜ?」
外野でもいいじゃん。やらせてくれるなら。
「だよな」
笑って。
俺と朝倉は図書室内を歩き出した。
黒江が居ないことにすっかり安堵した俺たちは悠々と出口へと向かう。
図書室の真ん中に放置されたままだったオカルト部長等による手作り魔法陣。
その上を、俺は気付かずに踏み渡っていく。
ちょうど魔法陣の中心を踏んだ時だった。
気のせいか、ふわりと足元から吹き上げる微風を肌に感じた。
ん?
――俺が下を見た瞬間。
俺の両膝がいきなり力抜けるようにガクンと崩れた。
思わずその場に手をついて座り込む。
朝倉が振り返り笑う。
「何やってんだよ」
俺は蒼白になって答える。
わからない。
「わからないって……」
異常を察したのか、朝倉の表情から笑みが消える。俺に合わせて身を屈め、様子をうかがうように俺の顔を覗き込んで尋ねてくる。
「ちょ、お前マジで大丈夫か?」
俺は首を横に振る。動揺に震えた声で、
大丈夫じゃないかもしれない。
足が鉛のように重く、ぴくりとも動かない。痺れるわけでもなく、ただ感覚を失ってしまったかのように動かないのだ。
朝倉が心配そうに尋ねてくる。
「立てそうか?」
わからない。なんか急に足の力が抜けて──
「ヤバイって。それにお前の顔も真っ青だし。ちょっとここで待ってろ。オレ、先生とこ行って救急車呼んでもらってくるから」
立ち上がろうとする朝倉の手を俺はすぐに掴んで引き止めた。
首を横に振って断る。
いい。行かなくていい。救急車を呼ぶほどのことじゃない。大丈夫だ。
「けど──」
いいから肩を貸してくれ。
俺は朝倉の肩を借りて立ち上がろうとした。
しかし足に全く力が入らず、立とうにも立てなかった。
朝倉が俺の足を心配してくる。
「足を捻挫したのか?」
……たぶん、かもしれない。
ふいに。
どこからか不気味で陰気な笑い声が漏れ聞こえてきた。
俺と朝倉は視線で正体を探す。
──と、いうより。だいたい予想できたが。
図書室の出入り口からすぅーっと静かに姿を現したのは女教師、黒江だった。薄気味悪い笑みを浮かべ、手に持っていた一冊の本を見せてくる。
「汝の意志するところを行え。それが法の全てとならん」
黒江は俺に指を突きつけて言う。
「召喚は成功だ。どうやらお前には何かが取り憑いたようだ」




