◆ 殺るならば、華麗に暗殺を。【75】後
※
足音なく。
小太りの盗賊は甲板に辿り着くと、物影に隠れながら異世界人を捜していた。
ちょうどそこに甲板を一人で歩いている異世界人を見つける。
水兵服に外套衣を羽織って、無警戒に散歩を楽しんでいるようだ。
あの時の服装や姿からして間違いない、アイツだ。
小太りの盗賊は確信を抱くと同時、その異世界人の背後から静かに近付き、少しずつ距離を詰めていった。
よく見てみれば。
その異世界人は不思議にも野生のスライムと毛むくじゃらの生き物を飼い慣らしていた。
どうやら獣使いの技能を身につけているようだ。
いや、守護者のガードである可能性もある。
注意せねば。
小太りの盗賊は慎重に、且つ確実に、異世界人の無防備な背後をつけ狙って近付いていった。
獲物に近寄るは影のごとし。
子羊を狙う狼のように。
気付かれないよう気配を絶ち、そっと、獲物に確実に食らいつく瞬間を待つ。
そして、好機は訪れる。
絶好の狩り時。
その瞬間、小太りの盗賊は一気に距離を詰めて背後を獲る。
間髪入れずに後頭部に一撃。
異世界人はあっさりとその場に昏倒した。
あとは邪魔なスライムと毛むくじゃらの生き物をすぐさま床に払い落として、気絶した異世界人を軽々と肩に担いで足早にその場から立ち去った。
「馬鹿野郎、急げ急げ」
小船から兄盗賊の声。
小太りの盗賊は急いでガレオン船から飛び降り、華麗に、そして身軽に小船に着地した。
急ぐ気持ちのままに、気絶した異世界人を手際良く小船に寝かせて、二人の盗賊は颯爽と海蛍の中に身を潜めつつ、小船を漕ぎ出した。
なるべく音を押し殺して、静かに。
小船は海蛍舞う砂海を突き進み、ガレオン船からゆっくりと離れていった。
※
ガレオン船が遠退いたことを確認した後。
二人の盗賊はようやく安堵の息を吐いた。
小太りの盗賊が小さく笑いを漏らす。
「やったね、あんちゃん」
「どうやら作戦は上手くいったようだな、弟よ」
海蛍舞う砂海の只中で、二人の盗賊は手漕ぎを止めて小船を波に漂わせた。
「ここまで来れば、さすがの守護者も助けには来られないだろ」
「すごいね、あんちゃん。流石あんちゃんだよ。尊敬しちゃった」
二人の盗賊は成功と自身の無事にハイタッチを交わす。
ふと笑みを消して、細身の盗賊がぼそりと陰気に呟く。
「……なんだか上手く行き過ぎて、後が怖いな」
「大丈夫だよ、あんちゃん。あんちゃんは頭が良いからきっと成功だよ。平気だって」
「よし、じゃぁさっさと始末するか。始末さえしてしまえばこっちのもんだ。
ほら、急げ弟よ。守護者に気付かれる前に、先に始末してしまうんだ」
「うん。分かったよ、あんちゃん」
寝かしつけていた異世界人に手をかけようとして。
小太りの盗賊が突然何かに気付いて「あ」と声を漏らした。
「どうした? 弟よ」
「どうしよう、あんちゃん」
「何かあったのか?」
「海蛍が異世界人の体に何十匹も止まっちゃってるよ。……もうコイツ、死んじゃったんじゃないかな?」
小船を、二人の盗賊の体にも、そして異世界人の体にも。
海蛍はより集まってくっついて仄かな明かりを点滅させていた。
コバエを払うように鬱陶しく。
細身の盗賊は異世界人の体から海蛍を払い落とした。
小太りの盗賊が指を向けて笑う。
「あんちゃんにもいっぱい止まってるよ、海蛍」
「俺たちはいいんだよ。死にゃしないから。問題はコイツだ」
言って、懸命に異世界人の体から海蛍を払い落とす。
「あんちゃん」
「なんだ?」
「なんで払ってあげてるんだ? 別に死んじゃったならいいんじゃないかな? 異世界人を始末しに来たんだし」
「……」
払う手を止めて、細身の盗賊はふと考える。
「たしかに。なんで俺はコイツを助けようとしたんだろう……?」
「なぁなぁ、あんちゃん。それよりこれ見てよ。すごくいっぱいの海蛍。なんか今日はやたらと海蛍がいっぱいがいるし、なんだかとっても嬉しそうに騒いでいるね」
「……」
気付いてようやく、細身の盗賊は辺りを見回した。
異常なまでに大量発生した海蛍が辺りを忙しく飛び回っている。
先ほどよりも恐ろしいくらいに数を増やして。
細身の盗賊はごくりと生唾を飲み込んだ。
「異常ってもんじゃねーだろ、この数。なんなんだ、この大量の海蛍はよぉ」
「不死身で良かったね、あんちゃん。不死身じゃなかったら今頃死んでたね」
「不死身がどうこうの話じゃねーだろ、これ……」
そう言ってぶるりと身を震わせる。
「あんちゃん、あんちゃん。早く異世界人を始末して帰ろうよ」
「そ、そうだな……。お前の言う通りだ」
呟いて。
細身の盗賊は異世界人の様子を確認する。
まるで死人のようだ。
身動き一つどころか呼吸すらもしていなかった。
細身の盗賊は肩を落として溜め息を吐く。
「あーぁ、ほんとに死んじゃったな。この異世界人」
「だってあんちゃん、こんなにいっぱい海蛍が止まっていたからね。海蛍に触れた人間はたとえ異世界人だろうと即死だからね」
「苦しまずに即死したのが運の良さか」
「案外あっさり片付いちゃったね」
「あとはこの遺体をどうするか、だ。ーーよし。じゃぁお前はそっち持て。オイ、聞いてるのか弟よ」
「……」
小太りの盗賊はその場を動かない。
ただ何かに吸い寄せられるかのようにして、異世界人の顔を見つめている。
その間にも細身の盗賊は異世界人の足元へと移動した。
「おい、弟」
「なぁなぁ、あんちゃん」
「どうした? 弟よ。早くしろ」
「あんちゃん。この異世界人、なんか変だよ?」
「何が変だってんだ?」
小太りの盗賊は不思議そうに首を傾げて異世界人を見つめる。
「あんちゃん、変なんだよ」
「だから何が変なんだ? 弟よ」
「いつの間にか髪色が変わってるんだ。さっきまで黒髪だったのに、今はとってもきれいな白銀色の髪をしてる」
「ほっとけ、弟よ。きっと海蛍に触れたショックで髪色が変わったんだろう。どうでもいいだろ、もうコイツは死んでるんだぞ。とにかく、ほら、お前はそっちの肩を持て。俺は足を持つ」
言って。
細身の盗賊は異世界人の両足を抱えた。
小太りの盗賊はまだ動かない。
食い入るようにして異世界人の死に顔を不思議そうに見つめている。
「なぁなぁ、あんちゃん」
「いいから早くしろ。始末して帰るぞ」
急かす細身の盗賊の声に耳を貸さず、小太りの盗賊は恐る恐る異世界人の首筋に指を触れた。
「何してる? 弟よ。早く手伝うんだ」
「なぁなぁ、あんちゃん」
「なんだよ」
「この異世界人……まだ生きてるよ」
「はぁ!?」
「海蛍、いっぱい止まってたはずなのに……まだ死んでないんだ」
「な、何を馬鹿なことを……ッ! 異世界人だろうと守護者だろうと何だろうと、海蛍に触れた奴は即あの世行きなんだぞ! きっと何かの間違いだ。そんなはずあるもんか。あるとしたらソイツは化け物か何かだろ!」
「あんちゃんも充分不死身の化け物なんだけどね」
「うるせーよ、早く手伝えお前」
「……」
それでも小太りの盗賊はその場を動かなかった。
「なぁなぁ、あんちゃん」
「なんだよ!」
小太りの盗賊がほっこりとした笑みを浮かべる。
「見てよ。コイツの眼、すごくきれいだよ」
「眼ぇーーッ!?」
死体の開眼ほど怖いものはない。
細身の盗賊は思わず体を竦み上がらせた。
小太りの盗賊はほっこり笑顔で頷く。
「うん。さっきコイツ、眼を覚ましたんだ。見てよ。すごくきれい。魂が惹き込まれてしまうくらいにとってもきれいな眼をしているんだ。金色の竜眼をしていて、まるでクトゥルク様みたいだよ」
「く……クトゥルク!?」
悲鳴じみた声を上げ、細身の盗賊は掴んだ両足を離してその場に腰を抜かした。
「そ、そそ、そんな馬鹿な話ーークトゥルクは十四年前に消失して……! いや、そんな、まさか! 嘘だろ! なんで異世界人にーー」
海蛍の幻想的な光に包まれ、異世界人は休めていた体をゆっくりと動かし、右手を伸ばして小太りの盗賊の体に触れる。
触れられた小太りの盗賊の体が光となって徐々に薄くなっていく。
小太りの盗賊はほっこりとした笑顔のまま、幸せそうに笑った。
「あんちゃん……。光がとっても温かいよ。なんだかすごく幸せな気分だ……」
細身の盗賊が恐怖に声と体を震わせ、指を向ける。
「お、お前、か、かか、体が……! 体が消えかけてるぞ!」
「あんちゃん」
小太りの盗賊は最期に笑って兄に別れを告げた。
「生まれ変わっても、またあんちゃんの弟に生まれたい」
「お、弟!」
小太りの盗賊の体は一瞬にして光の粒子になって弾け飛び、そのまま消滅した。
何もなくなってしまった空間に手を伸ばして、細身の盗賊は愕然と声を漏らす。
「そ、そそ、そんな馬鹿な……なんで!? なんでクトゥルクが異世界人に!?」
寝ていた小船からゆっくりと静かに、異世界人は上半身を起こしていく。
まるで長い眠りから目覚めたかのごとく。
金色の竜眼が細身の盗賊に向けられる。
「ひぃぃッ!!」
本当にきれいで、そのまま魂を吸い込まれてしまうかのように真っ直ぐに澄んでいて。
その異世界人は何の感情も持たない表情で、細身の盗賊を無言で見つめ続ける。
蛇に睨まれた蛙とは言ったもので、細身の盗賊は恐怖にその場から動けずにいた。
「く……クトゥルクが……なんで……」
そればかりを繰り返す。
やがて、異世界人の右手がゆっくりと細身の盗賊に向けられた。
逃げる気力もなく、ただ腰を抜かして座り込んだままで。
細身の盗賊は異世界人から片腕を掴まれた。
「ひぃっ!」
浄化するように消えいく触れられた片腕に、細身の盗賊は短い悲鳴を上げた。
痛みは感じない。
ただしだいに侵食し、片腕からそれを伝って体をも薄くなり消えていく。
「い、いやだ! 待ってくれ! どうか御慈悲を、クトゥルク様! 助けてくれ! 俺はまだ死にたくない! 死にたくないんだよ!」
細身の盗賊は無事な片腕で異世界人に泣きすがる。
「お願いだ、頼むよ! なんでもするから! だから消さないでくれ! あんたには誰も歯向かえない! 知ってることは全部吐くから! 頼むから俺の存在を消さないでくれ!」
止まらない侵食。
体が光の粒子となって散らばり消えて行く。
それでも細身の盗賊は最期まで必死に異世界人に命乞いを続けた。
「助けてくれ……なぁ、頼む……死にたくなーー」
誰も居なくなった小船の上で、異世界人はゆっくりと立ち上がる。
砂海を光舞う海蛍。
それはまるで神を迎える御使いであるかのように。
※
「あ」
双眼鏡で砂海を見張っていた一人が声を上げた。
隣に居た相方が首を傾げて尋ねる。
「どうした?」
「クトゥルク様が……」
「え?」
慌てて相方も双眼鏡を目に当てて、砂海の向こうを探す。
「ど、どこに? どこにいらっしゃった?」
「気のせい、か……」
見張りの男は双眼鏡を下ろして肩を落とし溜め息を吐いた。
連れるようにして相方も双眼鏡を下ろす。
男は呟く。
「今、遠く流れ行く小船の上にクトゥルク様が居たような気がしたんだ。でも……消えた」
「消えた?」
「瞬きした時には小船だけが浮いていた。俺の気のせいだったかもしれない。でもあの服、どこかで……」
相方が呆れるように肩を落として溜め息を吐く。
再び双眼鏡を目に当てて、
「ま、夜勤続きの上にこんな幻想的な夜だもんな。それにしても今日はやたら海蛍が異常発生してるな。なんか出たのかぁ?
ーーあ、ほんとだ。あんなところに小船が一隻浮かんでらぁ。人は……居ないみたいだな」
空言のように男は砂海を見つめ、ある詞詠を口にする。
「海蛍の舞う夜に、神は降り立ち、我が行くべき道を示すであろう。
ーー今回の討伐が、死んだ親父の供養になればと思っている」




