迎えに来たよ【62】
けたたましい音を立てて。
俺は非常口のドアを蹴り飛ばした。
ドアが盛大に開き、俺は姫抱っこしていたミリアとともに甲板へと雪崩れこんだ。
差し入る陽の光。
肺に流れ込んでくる新鮮な外の空気。
通路を追ってきていたはずの魔物はどこかへと消え失せていた。
俺はミリアと顔を合わせる。
外へ無事脱出できたことへの喜びに、お互い安堵の笑みが零れた。
二人して思わず静かに笑う。
しかしーー。
それも束の間、俺たちはすぐに笑みを消した。
外に出たにも関わらず。
そこに見えたのは光と闇。
二つに分断された砂海の狭間なる境界線の場所を船はふらふらと航海していた。
左舷の一部は闇の向こうに入ったり出たりを繰り返し、蛇行している。
一方反対の右舷側では、すでに横付けしていた白騎士たちの護衛艦が、全員の避難をし終えてゆっくりと離れていっているところだった。
「待って!」
待ってくれ!
俺たちは慌てて叫んだ。
存在をアピールすべく懸命に叫びながらアクションをとるも、阻まれる障害は多く、向こうからでは小さな俺たちの存在は発見されにくかった。
こちらの船はマストが畳まれ、闇に全体を呑まれる難は逃れているものの、このままでは前進することなく広い砂海を魔物とともに果てもなく漂うことになる。
俺たちはこのまま見捨てられてしまうのか?
ーーいや。
俺は閃いた。
ミリアの手を掴み、急いで連れていく。
行こう、ミリア。この船の管制司令室に。もしかしたらまだ船長か誰かが居るかもしれないし、居なくてもきっと警笛みたいな知らせる物があるかもしれない。
ミリアが頷く。
片手にミリア。
そしてもう片手に剣を握り締めて。
俺はこの船の管制司令室のある最上部を目指した。
この船で働いていたお陰で魔物の出ない安全な外の近道は分かっている。
慣れたように船員用の狭い通路を駆け抜けて、階段を二人で落ちないように気を付けながら上り、壁の細い通路を壁つたいに急いで突き進み、ようやく管制司令室へと繋がるドアの前に辿り着いた。
俺はミリアの手を握り締める。
ミリアが不安そうな顔で俺を見つめてくる。
ここから先は一旦光の遮る船内へと入らなければならない。
船内に入るにはそれなりの覚悟を要する。
俺はミリアの手を離すと、ドアノブへと手を伸ばした。
ノブに触れかけてーー。
潮の匂いに混ざって微かにする死臭。
ふと足元を見やれば、ドアの隙間から少しずつ血が流れ出てきていた。
ざわり、と。
俺の背に悪寒が走る。
まさかこの船ーー!!
ドアから手を退け、踵を返すとミリアを連れて別の通路を迂回し、船首甲板ーー管制司令室が見える窓へと外側から回り込んだ。
一面ガラス張りの管制司令室は、目を覆いたくなるような悲惨な状態になっていた。
俺たちはすぐに目を反らし、顔を俯ける。
この船を操縦できる者は居ないし、この中を入っていけるほどの勇気はなかった。
俺とミリアは絶望に打ち伏しがれ、肩の力を落とした。
ーーそんな時だった。
「ケイ! ミリア! 無事か!」
ふと聞こえてくるアデルさんの野太い声。
二人で辺りを見回す。
すると、もう一度呼ぶ声が。
俺たちは離れ行く護衛艦の手すり付近に居るアデルさんの姿をようやく見つけることができた。
何やらアデルさんが喧嘩腰に白騎士の胸倉を掴み、護衛艦を戻すよう言い合って喚いている。
良かった……。
俺とミリアは互いに顔を見合せ、安堵の息を吐いた。
「行きましょう、ケイ」
そう言って。
ミリアが俺の手を掴んで通路を駆け出す。
目指すは展望デッキ。
俺たちはそこに下りるべく、もと来た道を引き返した。
※
あと少し行けば展望デッキに辿り着くという通路の途中で。
ーーそれは起こった。
どくん、と。
俺の心臓が何かに呼応する。
嫌な胸騒ぎを覚え、俺はミリアから手を離して立ち止まると、胸服を掴んでその場に膝を折った。
襲いくる突然の胸の痛みに蹲る。
ミリアが心配に駆け寄る。
「ケイ、大丈夫ですか? あともう少しです。私が支えになります。私の肩を掴んでください」
……。
俺は無言で首を横に振った。
先に行ってくれ。
「ケイ! ここに一人で置いてなんて行けません。あともう少しです。頑張って」
……。
俺は奥歯を噛み締め、胸の痛みに堪える。
何なんだろう、この呼応は。俺の身にいったい何が……?
魔物に囲まれたあの時、ミリアを守ろうとして一瞬意識を失いかけた。自分を手離すような感覚だったがすぐに意識を取り戻せた。
頭の次は心臓かよ。
そんな罵倒にも似た言葉を自分に浴びせたくなる。
良くなるどころか呼吸が荒く激しくなっていく。
息をするのもやっとで、苦しくて、再び意識が霞みそうになる。
ーーふいに。
頭に響いてきた不気味で低い声。
《求めよ。すれば我は目覚めん》
記憶にない声。
気が狂いそうになり、俺は頭を掻き掴んだ。
いったい誰なんだ……? 何なんだお前は? なんで俺に話しかけてくる?
《我を求めよ。汝は我が主であり、絶対の主君。この世の全てを統べし覇者。思い出せ》
思い出すって、いったい何を……?
《我を求めよ》
求める……?
声はそこで消えた。
途端に胸の痛みや息苦しさも糸切れるように緩和していく。
心臓も落ち着きを取り戻し、俺はようやく楽で居られるようになった。
ミリアが様子を心配してくる。
「もう大丈夫なんですか? ケイ」
あぁ。もう大丈夫。
俺は頷き、そう答えた。
「良かった……」
ミリアが安心する。
その後俺はミリアの助けを借りながら、その場から立ち上がった。
ーーその時!
いきなり背後から喉元に短剣を突きつけられる。
俺は動けずにいた。
いつの間に入り込んでいたのか、複数の盗賊が俺たちを囲んでくる。
自由を奪われ、ミリアと引き離され、手持ちの剣も手刀で落とされて遠くに蹴り飛ばされる。
盗賊たちの手に武器はあるものの攻撃してくる気配はない。
話が通じる相手なんだろうか?
ミリアが彼等を見回し、そのリーダーらしき中肉中背の若い赤毛の男に威嚇の声を上げる。
「盗賊団アカギ! いいえ、アカギ! いったいこれは何の真似ですか! 今すぐ私たちを離しなさい!
殺したいなら私だけ殺せばいいでしょう! 彼には何の関係もありません!」
リーダーの男ーーアカギはミリアの傍に歩み寄り、彼女の顎を強引に掴むと、そのまま無理やり俺の目の前でキスを交わした。
ゆっくりと唇を離し、アカギがミリアに言う。
「お前が親しげに“ケイ”と呼ぶ男ーーあの男が何の関係もしていないとでも?」
「それは……どういうこと?」
「お前が“ケイ”と呼ぶあの男は異世界人であり、黒王に洗脳された兵駒だ。全ての魔物騒ぎはそいつが仕掛けた騒動だ。黒王の伝言をオレ達に伝える為に何の罪もない人たちを地獄に陥れた張本人。用が済んだらとっとと別世界におさらばする悪党だよ。
お前はまたオレと同じ悪党な人間を純粋に信じて、行動を共にしていたのか?」
ミリアが俺を見てくる。
「ケイ、お願いです。嘘だと言ってください。ここでハッキリと“自分は異世界人じゃない”と、“この騒動は別の犯人がやったことだ”と。
そうアカギに言い返してください」
俺は強い意思で言い返す。
違う! 俺は異世界人じゃない!
ふと、一人の盗賊が俺の右手首に気付く。
俺の右手首を荒く掴むと、そこにあった腕時計を奪おうとする。
俺は必死に抵抗した。
やめろ! 何をするんだ、それはーーッ!
結局何だったのか思い出せないままに腕時計は奪われ、盗賊が高く掲げて見せつけてくる。
「じゃぁこれはな~んだ? 黒王様からの贈り物じゃないのかぁ?」
「そんな……ケイが……」
ミリアが愕然とした目で俺を見てくる。
俺は何も言い返せずにいた。
アカギが他の盗賊たちに撤退の合図を送る。
盗賊たちがミリアを連れて撤退を始める。
俺は思わずアカギに待ったをかけた。
待てよ! ミリアを連れていく気か!?
アカギが足を止めた。
俺に振り向き、吐き捨てる。
「ミリアはオレの女だ。お前が彼女の傍に居る資格は無い」
ーー。
アカギが背を向けてくる。
ミリアと腕時計を奪い、呆然とする俺をその場に突き飛ばして転倒させると、その間に次々と盗賊たちは砂海に飛び込んで姿を消した。
ハッとして俺は慌てて剣を拾い上げて追いかける。
戦いたかった。
でも今の俺にはそれが出来なかった。
腕時計を奪われたあの瞬間、フッと喉の小骨が取れたかのように。
俺の記憶がきれいに整理されて、疑問のないすっきりとした記憶に入れ替わっていたからだ。
もやもやが取れて記憶が元に戻った感じだった。
魔物との戦い方も分からないし、ましてや盗賊を追いかけて砂海に飛び込むことなんてーー
いや、もしかして可能なのか?
俺は盗賊の後を追って、真似るように手すりに足をかけた。
砂海に飛び込もうと勢いよく!
『馬鹿か、お前! ここで何しようとしてるんだ! 砂海に飛び込むとか、マジで死ぬぞお前!』
飛び込もうとした寸前で、俺は背後から青年白騎士ーーおっちゃんに服を掴まれその場に引き止められた。




