◆ トリッカー【52】
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水兵服の少年を釈放し、少年が部屋から去った後。
一人の白騎士が執務席に座る男に声を掛けた。
「本当にこのままあの少年を野放しにしていてよろしいのですか? 逃げ出されたら打つ手を失いますが」
「逃げ出す気があれば似顔絵を見た時点ーーいや、その前に逃げ出していたはずだ」
男ーー小部隊指揮官を務めるフィスは、椅子の背凭れに身を預けて机上に置いていた似顔絵を手に取った。
さきほどの会話を思い返しながら鼻で笑う。
「食い逃げなんてしていません、か。まさかそんな言葉で返されるとは思いもしなかった。引っ掛けにあの少年の似顔絵を描いたとはいえ、これを見てもあの反応ではな。上層部への報告ができん」
「では閣下への報告はよろしいのですね?」
「……」
フィスは執務机に肘を置くと、両手を組んでそこに顎を乗せた。
溜め息を落とし、考え込む。
なぜだろう。
こんなにも疑うべき点は多いのに、あの少年が何かをしたという証拠が一切残らない。
本当にあの少年は奴が仕組んできた囮か。
それともクトゥルク様関連の重要なカギを握る人物であり、奴の指導で上手い演技を続けているのか。
この世界の住人と違って異世界人は自在に姿形を変えられる。
もし本当に重要参考人であるならば今確保しておかなければ手掛かりを失ってしまう。
しかしこれが奴の仕組んだトリッカーならば、ただの狂言戯言に振り回され、無駄に上層部を騒がすことになる。
そうなれば奴とて動き出すチャンスだろう。それが狙いであるならば奴の手の上で踊らされるわけにはいかない。
もしかしたらあの少年がアデル様に近付き信頼を得ていたのも、我々の目を欺く為の手段なのかもしれない。
ならば、しばらくこのまま騒ぎ立てずにあの少年を泳がせておくのも打ち手となろう。
奴は必ずあの少年と接触する。奴が尻尾を見せた時点で確実に取り押さえる方法がベストか。
果たしてあの用心深い奴が、そう簡単に尻尾を捕らせてくれるだろうか……。
顔を上げて、フィスは部下に命じる。
「ディーマン閣下に伝えろ。この船に異世界人Κは乗っていないと」
「はっ」
短くそう答え、部下の白騎士はフィスに一礼する。
「待て」
去ろうとした部下をフィスは引き止め、付け加える。
「さきほどの異世界人ーーFと名乗ったか。あの少年の監視を怠るな。逐一私に報告しろ。
もしあの少年の傍に守護者が現れたならば、その時点で強制的にまとめて捕縛だ」




