海底からの鳴動【47】
右手首に再び痛みが走ったのは角笛を吹いた直後だった。
ズキンズキン、と。
何かが右手首の中で共鳴して暴れ狂っているような激しい痛みだった。
俺は顔を歪めて手首を押さえる。
「どうしたんだい? 急に」
心配に尋ねてくるカルロスに、俺は顔を蒼白にして痛みに耐え続けた。
必死に右手首を押さえ、その場に膝を折る。
今すぐにでも右手首を切り落としたいくらいの激しい痛みだった。
俺は答える。
な、なんでもない……。
「なんでもないって顔じゃないだろう?」
いいからほっといてくれ。すぐに治る。
その言葉通り、すぐに右手首の痛みは潮引くように和らいでいった。
ーー瞬間!
背筋にぞわりと悪寒が走る。
戦闘を予感させるような恐怖。
張り詰めた空気。
突如、それは起こった。
どん! と、船底に何かが激しくぶつかったような重い衝撃と削れるような鈍い金属音。
船全体が大きく震えた。
振動に足を取られて、俺とカルロスはその場をふらつく。
何かに掴まっていないと倒れてしまいそうな揺れだった。
軋み音と雷が轟くような音、それに何かが倒れ崩れ行く音ーー。
部屋を照らす明かりが忙しく点滅を繰り返し、不安を煽ってくる。
闇のどこかで獣の低い唸り声が聞こえた気がした。
魔物!?
「魔物!?」
俺とカルロスは同時に角笛へと視線を落とした後、互いに顔を見合わせて青ざめた。
カルロスが慌てて俺に二つの角笛を押し付けてくる。
「ぼ、僕のせいじゃないぞ」
はぁ!? 俺のせいだっていうのかよ!
俺は二つの角笛をカルロスに押し返した。
しかしすぐにカルロスが二つの角笛を俺に押し返してくる。
「だいたいもう一つのはいったい誰の物なんだ? 君は危険だと言っていたけれどーー」
ーー!?
聞こえてくる、誰かの断末魔。
船員だろうか?
割と近くから聞こえてきたような気がした。
ただならぬ殺気が室内を包み込む。
俺とカルロスは一緒になってドアから身を遠ざけ後退した。
壁を背にドアから距離を置く。
ふと。
危険を察してか、カルロスが腰の剣に手を当てる。
俺は問いた。
戦うのか?
「もちろんだ」
意気揚々にそう答え。
そのまま抜剣することなく、鞘ごと腰から引き抜いて流すように俺に手渡し言葉を続けてくる。
「ーー君がね」
オイ。
俺は半眼で唸った。
その時だった!
ドアの近くで物音が聞こえてきた。
その音にカルロスがビビり、短い悲鳴をあげる。
流れる仕草でそのまま俺を盾にするかのごとく背に隠れて押してくる。
ちょ、マジやめろお前。
「相手はきっと雑魚だ。僕の出る幕じゃない」
俺にどうしろっていうんだよ?
カルロスが声を震わせ言ってくる。
「こ、小手調べだ。君の実力を知りたい。実力次第では僕の仲間にしてやってもいい」
ふざけんな。お前が先にやれよ、勇者なんだから。
俺は受け取った剣をカルロスに返した。
が、すぐにカルロスがそれを押し戻してくる。
「勇者は最後においしいところを持っていくのが美学と云われている」
オイ、それどこの統計だ?
「最初の雑魚は格下が片付けるのが鉄則だ。君がやるべきだ」
だからどこの統計なんだよ、それ。
「さぁ、君の出番だ。早くやれ」
……最低だな、お前。
カルロスが俺の背をぐいぐい押してドアに近付ける。
「さぁ早く行けよ。君が先に戦うんだ。君が死んだらその屍は僕が拾おう」
戦う前から縁起でもねーこと言うなよ。
「さぁ行けよ、早く。君の敵はすぐそこだ。ドアを開けて戦って、君の実力を見せてくれ」
分かったから押すなよ、さっきから! やめろっつってんだろ、やりにくいんだよ!
ふいにドアが軋み音を立てて独りでに開いていく。
俺は慌てて剣を鞘から引き抜き、下段に構えた。
内心で喚く。
成るように成れだ! こうなったらとことんやってやる!
「いいから早く行けよ、馬鹿!」
だから押すなっつってんだろ! 戦いにくいんだよ!
言い合っている間にもドアがゆっくりと開いていく。
ゆっっっっっくり、じわぁっと、少しずつ。
「……」
……。
それがあまりにもゆっくり恐る恐る過ぎて。
待っているこっちの方が逆にイライラしてきた。
とにかくまずは先手必勝!
俺はチャンスだと思い、覚悟を決めて剣を振り上げると、ドアに向けて勢いよく踏み出した。
相手がドアから姿を見せる。
それと同時に俺は相手に向けて剣を振り下ろす。
ーーしかし!
相手の正体を知るやすぐに、俺は剣を宙でビタッと止めた。
その距離わずか五センチ。
「何をしているんですか? ケイ。こんなところで」
……。
ドアを開いた相手はミリアだった。
俺の頬をつぅと冷や汗が伝う。
ほんと危なかった。
気付くのがほんのわずか遅れていたらミリアを傷付けていたかもしれない。
ミリアの頭上ギリギリで制止させた剣。
ふとミリアの視線が俺を辿って剣へと辿り着く。
頭上の剣をしばし見つめて。
ミリアの表情がみるみる不機嫌になっていった。
鋭い目つきで俺を睨みつけ、口調荒く激怒する。
「いつまで私に剣を向ける気ですか!」
ご、ごめんッ!
俺は慌てて振り上げた剣を降ろし、すぐさま床に投げ捨てた。
ミリアが俺に指を突きつけ言い迫る。
「アデル様にケイの様子を見て来いと命じられて来てみれば、なんなんですか! 私に剣を向けてくるとは一体何の真似ですか! そんなに私を殺したいんですか!? 心配して損した!」
ツンと激しくそっぽを向いて。
ミリアは荒々しくドアを閉めると、怒り狂う足取りでどこかへ去っていった。
しん、と。
静まり返った部屋の中で、俺はぽつりと言葉を零す。
魔物……来たんじゃなかったのか?
「……」
カルロスが無言で、ミリアが去ったドアを指差す。
俺は首を横に振った。
魔物より怖い人を怒らせてしまったが、これは事故で俺のせいじゃない。
だとしたら、さきほどの断末魔はいったいなんだったんだろう。
本当に船員の声だったのだろうか?
それとも俺の聞き間違いだったのだろうか?
それじゃ物音は?
殺気は?
明かりの点滅は? ーー今は正常に戻っているが。
船底に何かがぶつかった音は?
その振動は?
全てが俺の勘違いだったにしても何かがおかしい。
ふいに、トントンと。
俺は誰かに後ろから指で軽く肩を叩かれた気がした。
ーーえ?
振り返る。
するとそこには、いつの間に船にーーしかもこの部屋の中に忍び込んだのか、四人ほどの海賊っぽい輩がニヤニヤと笑っていた。
しかもカルロスの口を塞いで人質にとっている。
カルロス!?
「ヘイ、ボーイ」
ーー!
振り向けば、俺は棍棒を持った海賊っぽい感じの輩に背後をとられていた。
そいつがニヤリと笑って棍棒を振り上げ、俺に言ってくる。
「おねんねの時間だぜ」
後ろ首筋に振り下ろしてきた一撃を食らって。
俺は意識を失い、床に倒れ込んだ。




