タイム・ラグ【43】
月と星が夜空を彩る船上で。
展望デッキに設置された長椅子に腰掛けて、俺はフィーリアと二人きりで話す。
俺に渡したいモノって?
尋ねると。
フィーリアは掌を少し高く持ち上げて夜空に翳し、そっと目を閉じた。
呪文らしき言葉を唱える。
「│月の雫よ(ルナル・フロウ)」
ぽぅ、と。
彼女の掌に宿る立体的なミニ魔法陣。
俺は食い入るようにそれを見つめ、思わず感嘆の声を漏らした。
うわ、すげー。魔法だ……。
するとフィーリアが目を開き、俺を見つめて不思議そうに小首を傾げた。
尋ねてくる。
「魔法を見るのは初めて?」
あ。いや、初めてっていうか、何度か見たことはあるんだけど、そういう優しい魔法もあるんだなって。
「……」
ち、違うんだ、ごめん。簡単とかそういう意味じゃなくて、なんていうか、こう……なんていうんだろう。雪みたいにふわっとしているというか。魔法使いの女の子なんだなぁって、なんか、その……うん。
「……」
えっと……。
俺を素っ気なく無視して、フィーリアは魔法陣へと視線を移した。
魔法陣が彼女の掌の上で光の砂流となって形崩れ、掌に降り積もる。
小さく降り積もった白い砂山を、フィーリアは俺に“どうぞ”とばかりに差し出してきた。
え? な、なに?
「あなたの手、貸して?」
俺の手を?
「そう」
……。
言われて俺は、フィーリアに片手を差し出した。
フィーリアが俺の片手を取り、そこにその白い砂山を流し込んでくる。
小さな砂山を掌に受け取って。
俺はフィーリアに尋ねる。
これは?
答えず。
フィーリアが俺の片手を両手で優しく包み込んで重ねてくる。
そのままの状態で、フィーリアがそっと顔を近付けてきて、俺の目を覗き込むようにして見つめてくる。
魅力的で真っ直ぐな眼差し。
間近に迫るフィーリアの美人できれいな顔。
キスしてしまいそうな距離で寸止めしてくる彼女に、俺の心拍数が一気に跳ね上がった。
な、え、ちょっ、えっと……
動揺を隠し切れず、俺は顔を紅潮させて視線をあちこちに泳がせる。
その一瞬の隙をついてーー。
彼女の唇が俺の唇に触れた。
ほんの数秒。
その間だけの軽いキス。
……。
俺は何が起こったのか理解できず、頭を混乱させた。
何度か瞬きながらに彼女を見つめる。
どう言葉にしていいのか分からなかった。
すると。
彼女が顔色一つ変えずに、俺を上目遣いで見つめて言ってくる。
「あの時みたいにログアウトしないのね」
ーー。
一気に冷静を取り戻した俺は、空いた片手の甲で自分の唇を拭った。
そしてフィーリアの手を激しく振り払う。
言葉無く俺は黙って席を立つと、元居た場所へと向かって歩き出した。
その背にフィーリアが声を掛けてくる。
「きっとそれはあなたの役に立つと思うわ」
……。
俺は足を止めた。
背を向けたままで言葉を返す。
信じられないよ。なんでこんな事を平気でーー
「その手の中を見て」
……。
言われて俺は、ようやく自分の手の中に違和感を覚えた。
さきほど渡されたはずの手の中の砂。
しかし手を開いて見て、俺は驚く。
その手の中にあったのは砂ではなく、一つの腕時計だった。
これ、俺の腕時計……どうして!?
振り返った時にはすでに。
フィーリアの姿はそこにはなかった。




