終話 おっちゃんが、何かと俺の邪魔をする
……あれ?
今更ながら。
気付けばいつの間にか俺は知らない車の助手席の、倒されたシートを上で寝ていた。
眠気から一気に覚めた俺は冷水をかけられたように飛び起きる。
なッ! な? な? え?
そのまま激しく周囲を見回す。
誰の姿もない普通車の車内。
もちろんこの車にも見覚えはない。
だ、誰の車だよこれ! ヤバイだろ!
俺は慌てて車のドアを開け、外に出ようとした。
しかしドアを開けようと手をかけたところで、俺はある視線に気付いた。
俺が開けるドアの傍に立ち、じっとこちらを見下ろす怖そうな感じの金髪の兄ちゃんが一人。
この車の持ち主なのだろう。
格好から見て、建設現場で働いている方のようだ。
俺はぎこちなく笑って、その人に向けて頭を下げた。
いや、あの、お邪魔してどうもすみません。すぐに出ますので。
その人がいきなりドアを激しく開けてくる。そして俺の胸倉をワシ掴みして、恐喝するように脅してくる。
「誰やねん、お前。人の車に勝手に乗って。堂頓堀川に沈めたろか?」
俺は慌てて謝った。
ご、ごめんなさい! 俺、気付いたらこんなとこに居ただけなんです!
怖そうだったその人の顔が、急にニコッと笑顔に変わる。
パッと胸倉を離され、
「なーんてな。冗談や」
……え?
俺は気が抜けるようにストンと座席に尻もちをついた。
呆然と金髪の男を見つめる。
「なんやその顔。まだ分からんのか? 俺や、俺。Jや」
J?
みるみる俺の脳裏に蘇ってくる記憶。
失礼ながらも俺は思わず金髪の男に指を向けた。
Jって、も、もしかしてあの時、異世界で会った──!?
「鈍い奴やなぁ、お前。とりあえずそこ座って待ってろや。色々話したいこともあるし、聞きたいこともあんねんから。何か買うてきてやるから、そこ座って待ってろや」
そう言って、Jは俺を車に押し戻してドアを閉めた。
俺は呆然と車の中からJを見つめる。
Jはそのままコンビニの中へと入っていった。
──しばらくして。
Jが運転席側へと戻ってくる。
そしてコンビニ袋の中からスポーツ飲料を取り出し、投げ渡してきた。
弧を描いて飛んでくるそれを、俺は呆けた顔で受け取る。
「お前の家、どこや? 送ったる」
え? 送るって、ここどこだよ?
「埼玉や」
さ、埼玉!?
「──で、お前の家どこや?」
東京……。
「ふーん。まぁええわ」
Jは呟くようにそう言うと、車を動かしコンビニを出て、車道を走り出した。
※
走行中、Jは俺に話を振ってきた。
異世界への行き方についてのことだった。
やはり異世界への行き方はみんなバラバラで、Jの場合、車で走行中にある条件がそろうと頭の中で声が聞こえてきて、そして異世界に行けるんだそうだ。
俺は尋ねる。
じゃぁJが異世界に行っている間、この車はどうなっているんだ? 無人で走っている状態なのか?
Jが無言でポケットから携帯電話を取り出し、俺に放ってくる。
「その携帯の日付と時間、よう見てみぃ」
俺は投げ渡されたJの携帯を手に取り、不思議な思いで画面を見てみた。
そしてその画面を見て、俺は目を丸くする。
携帯に示された日付と時間が、俺が異世界へ行ったあの日の一時間前を表示していたからだ。
ど、どういうことだよ! 時間があの日から戻っているって言うのか!?
「お前はそうかもしれんが、俺の場合は行ったその日から時間が止まるんや」
壊れているとかじゃないよな?
「正確正常。さっき買うたコンビニのレシートでも見てみるか? なんならテレビつけたってもええで」
うん、見る。
俺はコンビニのレシートを確認し、更にテレビもつけてもらって確認した。
そのテレビに映し出されたお笑いバラエティー番組はあの日見た内容そのままだった。
デジャヴを覚えて愕然とする。
本当に、あの日に時間が戻っている……。
「もしかしてお前、第三のログアウトの存在を知らんのとちゃうか?」
その言葉に俺は首を傾げる。
第三のログアウト?
「そや。あの世界から戻れる方法は三つある。
一つ目は【通常ログアウト】。戻りたい時に戻る通常の手段や。
二つ目は頭の中で話しかけてくる奴が強制的にこっちの世界へ戻す【強制ログアウト】。
そして最後の一つが、俺がこっちの世界に戻るついでにお前がそれに乗っかって、一緒にこっちの世界に戻ってくる方法。これが第三のログアウト──【相乗ログアウト】や」
◆
夜の十時を過ぎた頃。
俺はJの車で自宅の前へとたどり着いた。
ヘッドライトが消え、車のエンジンが止まる。
Jが何気に俺に言ってきた。
「お前の携帯番号教えろや」
え?
「『え?』やない。携帯や、携帯。今時のガキは普通に持ってるモンやろ」
ごめん。俺、そういうの持ってないんだ。
「は?」
Jがすごく意外そうな顔で問い返してくる。
俺は気まずく言葉を続けた。
いや、だからその……今まで必要に感じたことなかったから。携帯は持っていないんだ。
「なんや? じゃぁお前、今まで友達とどうやって連絡──」
そこまで言って、Jがハッとした顔で口を押さえる。
「連絡取る友達が居らんのやな」
そういう意味じゃない。
俺は不機嫌に顔を曇らせて言い返した。
ダチは居る。話したい時は学校へ行けば会えるし、用があれば自宅に電話がかかってくる。遊びたい時は勝手に来るし、俺も行くから今まで必要と感じたことがなかったんだ。
「あーなるほどな」
ようやくそこでJが頷き納得する。
「学校か。そう言われりゃそやな。──ま、ええわ。今度何かあったらここに来いや」
言って、Jが後部座席から仕事用リュックを手にし、その中から財布を取り出した。
俺に一枚の名刺を渡してくる。
それを受け取り、俺は眉間にシワを刻んで静かに読み上げた。
ラウンジ・ヘヴン フロア担当 愛元あけみ?
「悪ぃ、そっちやなかった」
すぐに名刺を奪われる。
俺は不思議に尋ねた。
さっきの何?
「ガキはこんなん知らんでええ。こっちや」
再びJが新たな名刺を手渡してくる。
受け取り。
俺は首を傾げつつ名刺を読み上げた。
メイド喫茶 みゃんにゃん?
「そこでEというコード・ネーム保持者がバイトしとる。俺の紹介で来た言えばわかるやろ」
ふーん。Jってこういうところに行ったりするんだ。
「行くんはそこだけや。あちこちのメイド喫茶に顔を出してるわけやない。会社の先輩の付き合いで入った場所にたまたまEが居ったんや。
なんや話したらコード・ネーム保持者ってのが分かって、それから仲良うしとる。興味本位かなんか知らんが、あっちの世界の情報をめっちゃ詳しく収集しとるから、あっちの世界行く前に気になることがあれば話を聞いとくのもええかもしれん。それと──」
Jが俺から名刺を奪って、その名刺の裏にボールペンで何やら書いていく。
「これ、俺の携帯番号な。何かあったらここに電話しーや」
そして再び俺に名刺を返してくる。
俺は受け取り、礼を言った。
色々とありがとう。
Jが俺に指を突きつけ言ってくる。
「礼言うんはまだ早い。全てはこれから始まるんや」
え?
聞き返す俺に、Jはこめかみに指先を当てて言ってきた。
「俺が言うとるんやない、俺の頭ン中の奴がそう言うとるんや。お前、えらい厄介な奴に選ばれてもうたんやな。こっちの世界の生活を邪魔されんよう気ぃつけとった方がええで」
いや、もう遅いと思う。
「そう暗く考えず前向きに考えよーや。退屈な日常のスパイスや思たら楽しいもんやろ。
何かあればその番号に電話しーや。手ぇ貸せるもんなら貸してやる。ただし仕事が休みの日に限りやけどな」
うん、わかった。
俺は名刺を手に、車を降りる。
車のエンジンがかかり、ライトが付く。
Jが車の窓を開けて俺に言ってきた。
「ほな、またな。こっちの世界でも黒騎士に気ぃつけや」
うん、わかった。ありがとう。
礼を言って。俺はJの車を見送った。
※
──それから一ヶ月。
おっちゃんが俺の頭の中で話しかけてくることはなくなった。
俺からも一応話しかけてはみたのだが、返事が戻ることもなく。
そして、セガールが接触してくることもなく。
何事ない日常へと戻った俺は、相変わらずいつも通りの毎日をだらだらと過ごしていた。
光陰矢のごとし。日は早いもので。
そうこうして過ごしている内に、夏休みは半ばを折り返してしまった。
休み中は暇を持て余していたわけではない。
夏期講習にメンバー入りしていたし、部活もあった。
花火大会もあって祭りもあって、お盆で祖父母のところへ帰省もあったし、何かと忙しくは過ごしていた。
でもまぁ毎年のことと言えば毎年のことなのかもしれない。
いつも通りの日々を、俺は過ごす。
……。
あれ? いや、待てよ。
そういえば一つだけ、日常が変わったことがあったな。
一階から電話の音が聞こえてくる。
母さんが電話に出て、そして俺の名を呼んでくる。
「いつもの子から電話よー」
いつもの子、か……。
俺は夏の暑さに気だるくなった体を動かして、二階の部屋から一階へと、階段をのろりのろりと降りていった。
電話の傍にたどり着き。
受話器を受け取って、もしもしと電話に出てみれば。
「もー! Kってなんで電話に出るのがいつもいつも遅いの! いいかげん携帯ぐらい持ちなさいよ!」
コード・ネームMこと──結衣だった。
俺は結衣に一言物申す。
結衣、一つだけ聞きたいことがある。俺の自宅の電話番号をどこで手に入れた?
「え? 奈々ちゃんに教えてもらったけど?」
平然と答えを返された。
なるほどな。これで全ての謎が解けたよ。
「そんなの今更でしょ? それより集合よ、集合! 例のメイド喫茶みゃんにゃんに全員集合だからね! 今度はJも来るって行ったからもちろんKも来るんでしょ?」
俺は声を落とし、告げる。
ごめん、結衣。俺もう行かないことにしたんだ。
電話先から結衣が機嫌悪く言ってくる。
「あー、なによそれ。もしかしてまた夏期講習って言い逃れする気? 奈々ちゃん言ってたけど、今日は先生休みだから講習は無いって聞いたんだからね。知ってるんだから」
違うんだ。俺、もう頭の中で声が聞こえてこないんだ。コード・ネームを外されたんだと思う。だからもう俺に電話してこないでくれ。
「……」
電話先で結衣が沈黙する。
俺は気まずくなって電話を切ろうとした。
すると、結衣の沈んだ声が聞こえてくる。
「……そう。わかった。ごめんね、今まで気付かなくて。……もう、電話かけないから」
最後は少し声が泣いているように聞こえたのは俺の気のせいか。
そのまま電話はぶつりと切れた。
俺は静かに受話器を置く。
これでいいんだ。
思い返せば俺、あの世界に行って何の役にも立てなかった。
むしろ逆に迷惑ばかり掛けていたと思う。
脳裏を過ぎるリラさんの村のこと、そしてエマのお兄さんのこと。
あの世界でたくさんの人が俺の犠牲になった。
【そなたはこの世界で何を望む?】
どの世界だろうと、俺は何も望まない。
退屈な日常こそが誰も何も傷つかないし、楽しもうと思えば楽しめるってことなんだ。
──ふと。
電話が鳴った。
誰だろう?
俺は受話器を上げて電話に出る。
はい、もしもし。
いきなり電話先の声主が鼻で笑ってきた。
それは懐かしく、一月ぶりに聞く声だった。
『しばらくのバカンスを与えてやったがどうだ? そっちの世界でのバカンスは充分楽しめたか?』
俺は無言で受話器を落とした。
頭の中で尚もおっちゃんの声が聞こえてくる。
『休みは終わりだ。今すぐこっちの世界へ来い。お前に一つ、やってもらいたいことがある』
なんつーか。俺の日常終わった気がする……。
『終わった? むしろ逆だな。お前の日常はこれから始まるんだ。コード・ネームを持つ、新たな仲間とともにな』
直後、電話のベルが鳴り響く。
受話器を置いていないのに、だ。
不思議に受話器を取ってみればベルは止み、すぐに結衣の怒鳴り声が聞こえてくる。
『やっぱりKの嘘つき! 馬鹿! あたしの頭の中の人に聞いたんだからね! どうせ今日の予定をドタキャンするつもりで嘘ついたんでしょ! そうはさせないんだから! 今からあんたの家に行ってやるからそこで待ってて!』
ぶつりと。
言うだけ言って電話は一方的に切れた。
まるで嵐が去った後であるかのように、俺は静かに受話器を置く。
そして内心で静かにツッコミ。
いや、今から俺の家に行くって知らないだろ、場所……ん?
そうは思ったものの。
俺は嫌な予感を覚えて、しだいに顔を蒼白させていく。
待て。まさか結衣と綾原が一緒に居るわけじゃないよな?
『安心しろ。俺が間接的に彼女にここの場所を教えてやった』
ふざけろ、てめぇ! 俺の平穏な日常を返せ!
俺は結衣から逃げるべく、速攻で家を飛び出した。
──かくして。
俺の新たな日常はこうして幕を開けたのだった。




