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Simulated Reality : Breakers【black版】  作者: 高瀬 悠
【第一章 第一部】 おっちゃんが何かと俺の邪魔をする。
16/313

第14話 北の砦


 岩肌ばかりの単色な風景が続く荒れた大地にひっそりと、【北の砦】と呼ばれるその場所はあった。


 今は昔。

 当時はその土地に繁栄していたのであろう面影を遺す古城と、その周りを守るようにして深い水掘りと巨大な要塞が建てられていた。

 要塞の門をくぐれば、古城の下に広がる古い土壁の町並み。石畳の道に沿って、壁だけを遺す家々が点在する。

 まるで世界遺産を見ているかのように歴史を感じる廃墟の町並みだった。

 その跡地を利用し、簡易に作られた野営。

 たくさんの兵士が歩いていて、診療所があり、食堂があり、そして談話小屋がある。

 俺は物珍しそうに辺りを見回しながら歩いていた。

 そんな俺の様子が田舎者とでも思われたのか、エマのお兄さんが微笑しつつ説明してくれる。


「カリオトス・クトゥル──【神の祝福を受けた土地】。ここはかつてそう呼ばれていた場所だ。この地に住む古の人々はこの都市を聖地とし、巡礼していた。今はもうその信仰も薄く、誰も興味を示さなかった場所だったんだが……」


 神様を信じなくなったってことか?


「いや、そういうわけじゃない。昔は精霊信仰といって精霊巫女を神とし、それぞれの聖地を造ってそこで崇めていたんだ。だが今は神そのものがちゃんと存在する。聖地も一つになった。わざわざここに巡礼に来る必要はなくなったからな」


 神……。


 俺のその言葉に、エマのお兄さんが顔を渋めて言葉を濁す。


「しかし──。お前も旅人なら色んな国を旅して分かっていると思うが、もうこの世に神はいない。これからは俺たちの力だけでこの国を守っていかなければならないんだ」


 エマのお兄さんが足を止める。

 俺も足を止めた。

 向き合い、そしてエマのお兄さんが俺を見て、手を差し出してくる。


「共に戦ってくれること、感謝している」


 俺は無言でエマのお兄さんと握手を交わした。

 簡易な握手。

 手を離し、俺たちは再び止めていた足を進める。


「戦線となる場所はここになる。この砦を絶対に黒騎士から死守しなければならない」


 守る?


「東西南北。砦は全部で四つ存在する。この国にはその四つの古の巡礼地により結界が施され、魔物の侵入を防いでいた。四つのうち一つでも結界を破壊されれば黒騎士の率いる魔物が国全土に侵入してくる。それだけは絶対に防がなければならない」


 すると、部隊の前方を歩いていた女剣士が足を止め、部隊の解散を指示した。

 自由に行動を始める部隊。

 そのまま女剣士が俺の方へ向けて歩み寄ってくる。いきなり俺の腕を掴んできて、

 

「お前は私とともに来い」


 え? どこに?


 彼女は答えなかった。

 引っ張られるままに俺はエマのお兄さんと別れ、やむなしについていくしかなかった。




 ※




 古城の門をくぐり抜け、俺と女剣士は古城の中へと入っていく。

 広間を抜けて大きな階段を上り、さらに上へ上へと女剣士は俺を連れて行った。


 いったいどこ連れて行くんだよ。


 尋ねたが女剣士は答えてくれない。

 やがて広く抜けるような回廊に出て、そこをしばらく歩き、そして二人の兵が立つ大きな両扉前へとやってくる。

 兵は女剣士の顔見るなり、頭を下げて扉を開く。

 扉の向こうは謁見の間となっていた。

 当時この古城の主はここで客人を迎えていたのだろう。そんな面影を遺している広間だった。


 女剣士が俺を連れて、その広間の中へと入っていく。

 俺は物珍しげに周囲を見回しながらついて歩いた。

 その最奥に、広さの割にはこじんまりした長テーブルといくつかの椅子が置かれている。

 どうやらこの広間は作戦会議用に使われているようだ。


 程よい距離を置いて、女剣士が足を止める。

 俺も連れるようにして足を止めた。


 テーブルの上座位置で考え深げに座る冷静な面持ちの長身の男が一人。

 その両端にそれぞれ二人ずつ、隊長クラスと思われる輩が座っていた。

 そんな五人の視線が俺と女剣士へと向く。


 長身の男が女剣士に声を掛ける。

「着いたか、シェイリーン」


 女剣士──シェイリーンは無言で一礼する。そして、

「着いて早々申し訳ありません。私に少し陽(時間)をいただけないでしょうか?」


 左隣に座っていた褐色丸坊主の男がシェイリーンを睨みつける。

「一刻の陽も無駄に出来ないのはわかっているはずだ」


 青い肌の魚人族の男も次いで口を開く。

「部隊配置だけでも早めに決めておいた方がいい」


 灰色の髪色した人狼族も言う。

「シェイリーン、すぐにそこへ座れ。お前の部隊の戦力がどの程度なのかこっちは把握しておきたいんだ」


 向かいの猿のような大男も同意する。

「彼の言う通りだ、シェイリーン」


 そんな彼等の意見を止めるようにして、上座に座る長身の男が無言で手を挙げた。

 会話はぴたりと止まる。

 しばしの間を置いた後、落ち着き払った声で長身の男がシェイリーンに尋ねる。


「少しの陽で済むのだな?」


 シェイリーンは答える。

「はい」


「古城の裏に訓練場として使える広場がある。私もそこへ行こう」


 席を立つ長身の男に両端の四人も驚く。


「し、しかし!」

「総隊長」

「総隊長、早急に作戦を練らなければ」


 長身の男は淡々と告げる。

「お前たちも私に付き合え」




 ※




 古城の裏には訓練できるほどの場所があった。

 昔は野外演劇の舞台として使われていたのだろう。

 その跡地の円形舞台に上がり、シェイリーンがその脇に立てかけられていた鞘の無いむき出しの剣を一本、手に取った。

 それを俺の胸に押し付けてくる。


「私と勝負しなさい」


 は?


 俺は目を点にする。

 シェイリーンの目はマジだった。


「今からここで私と勝負をするのよ。ルールは単純。やられたら負け」


 いやあの……俺、剣とか使ったことないんですけど。


 シェイリーンが怪訝な顔をする。

「剣を使ったことがない?」


 俺は頷き答える。


 あ、あぁ。だから勝負にならないと思う。


 シェイリーンが馬鹿にするように笑ってくる。

「可笑しなことを言う子ね。魔物が蔓延るこの世界を裸一貫で生きてきたわけではないでしょう?」


 そこを言われるとなんとも言えない。


「剣を持ちなさい。剣術が苦手なら魔法の併用も許可する」


 そう言って、シェイリーンは俺に剣を持たせると、俺との距離を広げていった。

 シェイリーンが腰に帯剣していた愛用の武器を手にかけ、抜き放つ。


「構えなさい」


 俺は慌てて両手を振って拒否した。


 無理無理無理無理! 絶対無理! できないし、構え方すらわからないよ!


「そうやって魔物相手にも慈悲を乞う気? 私を魔物だと思って本気で向かって来なさい」


 おい、おっちゃん!


 俺は内心全力でおっちゃんを呼んだ。

 なぜかおっちゃんが小さい声でひそひそと答えてくる。


『なんだ?』


 俺の身がすげー危険なんだけど!


『そいつは奇遇だな。俺の身も今スゲー危険な状態だ』


 意味わかんねぇよ。


『質問があるなら簡潔に言え』


 そーかい、じゃぁ簡潔に言わせてもらう。今すぐ戦闘のやり方を教えろ。


『選択肢が広すぎるな。50:50で頼む』


 剣か魔法。今すぐどっちかの使い方を教えろ。


『クトゥルクの力を使えば両方できる。だが今はやるな。タイミングが悪すぎる。黒騎士の奴らにお前の居場所が知れたら終わりと思え。以上、それでファイナル・アンサーだ』


 ぶつり、と。

 その言葉を最後におっちゃんとの交信は途絶えた。


 答えになってねぇ……。


 油断した隙をついて、シェイリーンが剣を構えて一気に距離を詰めてくる。

 俺は焦った。

 慌てて剣を盾にして構え、身を固める。

 そして──。

 金属音を鳴らし、俺の刃とシェイリーンの刃がかち合った。


 俺は奥歯をかみ締めてシェイリーンの力押しに耐える。

 鍛え方の違いだろう。女性なのにものすごい力で押してくる。

 刃を重ねたまま、シェイリーンが俺を見て余裕の笑みを見せてきた。


「あの時の見せた戦い方は偶然? 暗殺慣れしている気がしたんだけど、あれは私の気のせいだったかしら?」


 そう言って、シェイリーンはまるで子供相手に遊ぶかのように剣を力押しして俺を突き飛ばす。

 剣が想像以上に重かったことと彼女が戦闘慣れしていたということもあり、押されるがままに俺はバランスを崩してよろめき、地面に転んだ。

 剣が俺の手から離れる。


 痛ぇ、手をすりむいた。


 すりむいた手に目を向けている間に、シェイリーンが一気に間合いを詰め、俺に馬乗りになってくる。


 ちょ、待て!


 無抵抗に仰向けに寝た状態で制止を求める俺の声を無視して、シェイリーンは俺の真上に剣を高く振りかざす。


 本気かよッ!


 シェイリーンが本気で振り下ろしてくる。

 俺は反射的に目を閉じた。


「そこまでだ、シェイリーン!」


 総隊長の声が響くと同時、俺の顔を鋭くかすめる嫌な風を感じた。

 そっと目を開けば、俺の顔横に突き立つ白刃。


 いぃっ!?


 観客席から見物していた総隊長以外の隊長たちから、ため息まじりの声が聞こえてくる。


「やれやれ。時間の無駄だったな」

「どんな野郎か期待してみりゃとんだ腰抜けじゃねぇか」

「話にならん」


 総隊長が手で制して彼等の声を止める。

 そしてシェイリーンに向けて言う。


「本気で彼を殺そうとしていたな? シェイリーン」


 シェイリーンは俺から退くと、突き立てていた剣を引き抜き、鞘に収める。

 そして総隊長へ向けて一礼する。


「陽をいただきありがとうございました。一つだけ、どうしても腑に落ちず確かめておきたかったのです。それが今、ハッキリとわかりました」


 総隊長がフッと笑う。

「そうだな。これは確かめておいて正解だったかもしれん」


 それだけを告げて、シェイリーンと総隊長は訓練場を無言で去っていった。


「……」

 ……。


 その場に放置され、残された四人の隊長と舞台上の俺。

 内三人がアイコンタクトで「さぁな」とばかりにお手上げする。

 すると、今まで黙っていた褐色丸坊主の男がその重い口を開いた。


「お前たちは気付かなかったのか?」


 理由がわからず呆ける三人をよそに、褐色丸坊主の男が俺に歩み寄ってくる。

 荒く俺の腕を掴むと、無理やりその場から立ち上がらせた。


 え? な、なんだよ。


 腕を掴まれたまま、俺は褐色丸坊主の男に引っ張られていく。

 三人の隊長たちとの去り際に、褐色丸坊主の男は言葉を残した。


「最後の一撃はシェイリーンがわざと外したのではない。シェイリーンの剣が彼を避けたのだ」




 ※




 褐色丸坊主の男に腕を引っ張られる形で、俺は古城の一階の回廊を歩き続けていた。


 どこへ連れて行く気だ?

 あの広間に行くんじゃなかったのか?

 シェイリーンは?


 尋ねたが無視される。

 俺はそんな疑問を思い浮かべながら、ひたすらついていくしかなかった。

 後をついて来る者はいない。

 褐色丸坊主の男と俺だけ。


 やがて。

 褐色丸坊主の男はある壁の前で足を止めた。

 俺もつられて足を止める。

 何の変哲もない、ただの壁。


 この壁がどうかしたのか?


 尋ねたが、褐色丸坊主の男は答えてくれなかった。

 壁に片手を置き、軽く向こう側へと押し開く。

 すると軋み音を立てて鉄の扉が開き、地下へと降りる階段が現れた。


 おぉ、スゲー。こんなところに隠し扉があったのか。


 階段の下は真っ暗闇だった。

 褐色丸坊主の男が暗闇に向けて手をかざし、呪文を唱える。


「明かりを宿し精霊たちよ。我が命に従え」


 声に応えるかのように、暗闇にぽつぽつと小さな明かりが生まれていく。


 スゲー! 本格的な魔法だ! 初めて目の前で見た!


 のん気な観光者気分の俺。

 褐色丸坊主の男のテンションは相変わらず低い。

 俺を無視するようにして強い力で腕を引っ張ってくる。

 

 わかった、ついていくから階段くらいは自分のペースで歩かせてくれ。


 言ったのだが、まるで無視。

 転びそうになりながらも俺は腕を引っ張られながら階段を下りていった。




 ※




 しばらく階段を下りていくと、見えてきたのはいくつもの狭い空き部屋だった。

 扉も何もない、薄暗く殺風景なコンクリートばかりの部屋が連なっている。

 なんだか薄気味悪い。

 まるで牢屋の跡地みたいだ。

 湿っぽくてカビ臭く、何かに呪われてそうな雰囲気の部屋だった。

 思わず俺の背中を悪寒が走り身震いする。


 いったいここに何があるっていうんだ?

 何か俺に見せたいものでもあるっていうのか?


 問いかけるも無視される。


 解決のない疑問ばかりを思い浮かべながら、俺は物珍しげに見回し男に腕を引っ張られ歩き続けた。


 褐色丸坊主の男がふいにある部屋の前で足を止める。

 俺も足を止めた。


 え? なに? この部屋に何があるんだ?


 俺は不思議に思いながらもその部屋を見つめた。

 油断したその瞬間。

 褐色丸坊主の男がいきなり俺の背を激しく突き飛ばしてくる。

 突き飛ばされた勢いで俺はその部屋の中へと入り、転倒した。


 な、なにすんだよ!


 慌てて身を起こして叫ぶと同時、褐色丸坊主の男は部屋の入り口の前で手をかざして口早に呪文を唱える。


「導くは鉄の檻」


 何もなかったはずの入り口が、突然現れた鉄製の檻にふさがれる。


 なッ!?


 俺は急いで立ち上がり、入り口に駆け寄ると檻に手をかけてしがみついた。


 言ったのだが、まるで無視。

 転びそうになりながらも俺は腕を引っ張られながら階段を下りていった。




 ※




 しばらく階段を下りていくと、見えてきたのはいくつもの狭い空き部屋だった。

 扉も何もない、薄暗く殺風景なコンクリートばかりの部屋が連なっている。

 なんだか薄気味悪い。

 まるで牢屋の跡地みたいだ。

 湿っぽくてカビ臭く、何かに呪われてそうな雰囲気の部屋だった。

 思わず俺の背中を悪寒が走り身震いする。


 いったいここに何があるっていうんだ?

 何か俺に見せたいものでもあるっていうのか?


 問いかけるも無視される。


 解決のない疑問ばかりを思い浮かべながら、俺は物珍しげに見回し男に腕を引っ張られ歩き続けた。


 褐色丸坊主の男がふいにある部屋の前で足を止める。

 俺も足を止めた。


 え? なに? この部屋に何があるんだ?


 俺は不思議に思いながらもその部屋を見つめた。

 油断したその瞬間。

 褐色丸坊主の男がいきなり俺の背を激しく突き飛ばしてくる。

 突き飛ばされた勢いで俺はその部屋の中へと入り、転倒した。


 な、なにすんだよ!


 慌てて身を起こして叫ぶと同時、褐色丸坊主の男は部屋の入り口の前で手をかざして口早に呪文を唱える。


「導くは鉄の檻」


 何もなかったはずの入り口が、突然現れた鉄製の檻にふさがれる。


 なッ!?


 俺は急いで立ち上がり、入り口に駆け寄ると檻に手をかけてしがみついた。

 慌てて一本の鉄の棒を引き抜こうとしたが、びくともしない。

 俺は完全に牢屋と呼ぶべき部屋に閉じ込められた。


 ど、どういうことなんだ!? 説明してくれ!


 褐色丸坊主の男は答える。


「下手な芝居はやめて命乞いでもするんだな。お前が黒騎士の一人であることは総隊長もシェイリーンも当に見切っている。民間人のフリをして素性は隠せても、訓練された者は戦いの場において反射的に地が出てしまうものだ」


 誤解だよ! 俺は黒騎士とは何の繋がりもないし関係もない!


「関係がなければ何だと言うのだ?」


 俺は必死になって答えた。


 異世界人だ! この世界とは全く別の、異次元の世界から来た異世界人なんだ! だから──


 褐色丸坊主の男は笑う。


「異次元の世界だと? 何をわからん空言を。拷問中にそういうことを吐かないよう今のうちに気をつけておくんだな」


 そう告げて、褐色丸坊主の男は俺の前から去っていった。




 ◆




 あれから、どのくらいの時間が過ぎたのだろう。

 外の様子が何一つわからなかった。

 今が昼なのか。それとも夜なのか。

 エマのお兄さん、きっと心配しているだろうな。


 俺は牢の隅に腰を下ろすと、壁に背を預け、膝を寄せて座り込んだ。


 こっちの世界に来て、もう一週間も経つんだよな。

 現実世界で俺は今も寝ているんだっけ。

 父さんも母さんもきっとすごく心配しているはず。

 このまま目覚めないと思われて葬式とかされてたりしたら嫌だな。

 もしそうなったら俺はどうなるんだろう。

 一生この世界で過ごすことになるんだろうか。


 誰もいない地下はとても静かだった。

 遠くどこかで滴り落ちる水の音。

 間隔を置いて同じ音が聞こえてくる。

 ゆっくりと。

 時を刻むかのように。


 なぁおっちゃん。聞こえているんだろう?


 頭の中でおっちゃんに呼びかけてみるも、返事は戻らなかった。


 馬鹿みたいだ、俺。こうなることはわかっていたはずなのに、なんでまたこの世界に来たんだろう。

 散々利用され騙されて、挙句の果てには誤解で牢に入れられて拷問受けて死ぬ。

 思い描いただけでも最悪な一生だ。

 もう、誰の何を信じていいのかわからなくなってくる。


 抱えた膝に俺は顔を埋めた。


 帰りたい、元の世界に……。

 今すぐ元の世界に帰りたい。

 俺の在るべき場所へ。




 ※




 しばらく、俺は眠っていたようだ。

 目が覚めても風景が変わることはなく牢屋のままだった。


 抱え込んでいた膝から静かに顔を上げて、俺はふと思う。


 そもそもクトゥルクって一体なんなんだろう。

 本当に狙われるだけの力があるんだろうか?

 そもそもなぜ使ったらいけないんだ?

 黒騎士に居場所が知られるから? この世界の秩序が壊れるから? 黒騎士に居場所を知られたからなんだっていうんだ。そもそもセガールにはもう見つかっているんだぞ。それに世界の秩序がどうこう言われたが、そんな魔法一つで変わってしまうほどの簡単な世界なのか?


 俺は膝からゆっくりと手を離し、そして床を見つめた。 


 どうせここで殺されるんだ。何もせずに終わるくらいならクトゥルクの力を使ってみよう。

 

 見つめた床に人差し指を下ろしていく。

 その指先で、俺は魔法陣を描いてみた。

 最初にこの世界に来た時におっちゃんに教えてもらった、あの魔法陣を。


 魔法陣を完成させて、その真上に指先をトンと置く。

 すると地面が光り、そこから小さな翼を背中につけた愛くるしい白い子犬が産まれ出てきた。


 子犬は俺の傍に寄り添うように来て、その隣にちょこんと座った。

 ぱたぱたと動く小さな翼。しばらくして疲れたのか、やがて背中に折りたたまれる。

 代わりに尻尾をふりふりと振って。


 俺はチラッとだけ子犬に目をやった。

 子犬も尻尾を振りながらチラリとだけ俺を見てくる。


 …………。


 俺はまたチラッとだけ子犬に目をやった

 子犬がまたチラリとだけ俺を見てくる。


 もしかしてこれ、俺が命令するのを待ってたりするのか?

 いや、まさかな。

 試しに一つ頼んでみる。入り口の鉄の檻を指差して、


 お前の力でアレを消すことってできるのか?


 子犬が俺を見て小首を傾げてきた。

 俺は笑う。


 だよな。いくらクトゥルクの魔法で召喚されたからって、何でも期待するのは間違……。


 ふいに子犬が腰を上げ、俺の傍を離れていく。

 真っ直ぐに鉄の檻へ向かって、そしてその前でちょこんと座る。

 何を思う間もなく次の瞬間、入り口をふさいでいた檻は消えて無くなった。

 俺は唖然と目を瞬かせる。


 ま、マジか?


 子犬が俺のところへと戻ってきて、俺の服を噛みつき、そのままぐいぐいと引っ張ってくる。

 俺はその場から腰を上げて立ち上がった。

 服から離れた子犬が俺の周りをじゃれるようにして走り回る。

 まるで散歩にでも誘うかのように。


 俺は子犬とともに部屋から踏み出した。

 そして檻の消えた部屋の入り口から恐る恐る顔を覗かせる。


 そんな時だった。


「そない便利な能力持ってんやったら最初から助けに来るまでもなかったっつーことやな」


 掛けられた声に俺は慌ててその方へと目を向けた。

 いつからそこに居たのだろう。

 灰色の髪に狼耳と尻尾の生えた二十代半ばほどの軍服の男がそこに立っていた。


 男が俺に手を差し出してきて言う。


「こっちのコード・ネームを先に言うとこか? Jや。頭ン中の声主からお前を助けろと頼まれてな。同じ異世界人同士、ここでは仲良くしよや」




 ※




 人狼の男──Jは、あらかじめ準備しておいたのか、俺に軍服を手渡してくる。


「とりあえずこれに着替えろや。周りと同じ格好せんと逃げる時バレバレやからな」


 俺は素直に受け取り、着替えを始めた。


 その間、Jは白い子犬の傍に胡坐(あぐら)で座り込み、子犬をじっと観察していた。

 子犬は小首を傾げてJを見つめる。

 Jが右手を差し出して言う。


「お手」


 子犬は速攻でJの手にカプと噛み付いた。

 手から流れる血をそのままに、Jは何事なく俺に話を振ってくる。

 

「このまま一階へ出て隊長どもと鉢合わせしたら最悪や。そやからこの地下の更に地下通路を抜けて、そっから地上に出て兵士たちに何事なく紛れ込もうと思うとる」


 いや、あの。手を噛まれてますけど。


「特に俺らのとこの隊長さんは無駄に鼻と勘が利いとる。見つかったら俺もお前も終わりや」


 いや、あの。手を……


「隊長さんにはこの世界に来て色々世話になったんやけど、頭ン中で話しかけてくる奴には逆らえんからな」


 俺は着替えを済ませ、子犬をJの手から引き離すと胸に抱いた。

 そして尋ねる。


 良かったらどんなことを言われたのか教えてくれないか? 俺んとこの──俺の頭の中に話しかけてくる奴が秘密主義でなかなか教えてくれないんだ。


「俺んとこも同じや。詳しい事情は何一つ口を割らへん」


 それで平気なのか?


「聞いてもしゃーないやろ。選ばれたと思えば楽しいもんや」


 言って、Jはノビをしながらその場から立ち上がる。


「そろそろ行こか。隊長さん達もそんな悠長に会議はせんやろ。ここに来るんも時間の問題やし」


 わかった。


 俺は頷く。


「こっちや。ついて来い」


 Jに誘導されるままに、俺は子犬を胸に抱いて薄暗い通路の先を歩き出した。


 しばらく歩いて。

 Jがふと、足を止めてくる。

 俺もつられるようにして足を止めた。


 どうしたんだ?


「なんや気にせいか? さっきからミョーな感じがするな」


 俺は首を傾げて尋ねる。


 妙な感じ?


「せや。魔物独特の気配を感じる。結界の中やのに、安心できんっつーか。魔物の巣窟の中にいるみたいな、そんな感じや」


 Jが後ろを振り返る。

 俺も思わず後ろを振り返った。


 言われてみれば、たしかにさっきと空気が変わったような気がする。

 重苦しいというか、妙に落ち着かないというか。誰かに後をつけられているかのような、後を引きそうな緊張感を覚える。

 湿気の不快感のせいでもあるかもしれない。でもなんか、こう、例えて言うならホラー映画で脇役が幽霊に襲われる三秒前みたいな、そんな感じがする。

 気のせいだと言われればそうかもしれない。でもそれでも嫌な予感はぬぐいきれなかった。


 ふいに。

 俺の肩に滴り落ちてくる粘着液。

 恐る恐るそれを手に取り、確かめてみる。

 真上でグルルと低く唸る声を耳にし、俺はそっと天井へと目をやった。

 

 天井に張り付くようにして、カメレオンのような赤黒い大トカゲがぎょろりとした目でこちらを見ていた。真っ赤な口にびっしりと生えそろった鋭い牙。そこからまたヨダレが滴り落ちてくる。


 瞬間、Jが気付いて俺を突き飛ばした。

 そのまま俺とJは床に倒れるように転がり込む。

 まさに危機一髪。

 トカゲが鋭い牙をカチ鳴らし、天井から落ちてきた。


 Jがトカゲを見て驚愕に叫ぶ。


「なんでこんなとこに魔物がおるんや!」


 し、知らないよ!


 トカゲが俺へと向きを変えてくる。

 俺は怖くてその場を動けなかった。


「お前はそこを動くな、俺が殺ったる!」


 殺るってどうやって!?


 尋ねる俺を無視して、Jはその場から立ち上がりると、トカゲに対し構えを見せた。

 するといきなりJの姿が変化する。

 筋肉が見る間に増殖して盛り上がり、隆々な体付きの野獣(ビースト)化していく。

 Jは雄たけびを上げると、トカゲへと突進し、その並々ならぬ力でトカゲの尻尾を掴んで持ち上げた。

 トカゲは必死に床にしがみつこうと手足をばたつかせる。

 抵抗むなしくトカゲの体は宙に浮き、Jは尻尾をぶん回して勢いよくトカゲの体を壁に叩きつけた。

 トカゲの体は壁にめり込み、その後動かなくなる。


 Jが俺に言ってくる。


「今のうちに逃げるんや!」


 逃げるっていったいどこに!?


 地下通路からは次から次に魔物が溢れ出てくる。

 残された道は一階へ上がる通路のみ。


『一階へ行け!』


 突然おっちゃんの声が俺の頭の中に響いてきた。

 俺は助けを求めるように内心で叫ぶ。


 おっちゃん!


『地下の暗闇は魔物の温床だ。なるべく外の明るい場所を目指して行け』


 Jも頭の中で声を聞き取ったようで俺に向けて叫んでくる。


「上や! 上に逃げるんや、急げ!」


 俺は頷き、Jとともに上の階を目指して駆け出した。

 ──途中。

 おっちゃんが怒った声で俺の頭の中で言ってくる。


『俺が居ない間にとんでもねぇ馬鹿してくれたな。あれほどクトゥルクの力を使うなと言っておいただろうが』


 俺は言い返す。


 ただ牢の檻を消しただけだろ。何が悪い?


『お前が消したのは本当に牢の檻だけか?』


 え?


『お前、使い魔に何と命じた?』


 別に。ただ普通に“アレを消してくれ”って──


 そこまで言って、俺はようやく自分の失言に気付いた。


 まさか、結界まで一緒に消してしまったっていうのか!?


『使い魔は扱いが難しい。純粋で忠実だが見境が無い。お前がやったことは優秀な犬にフリスビーとボールを同時に投げて「アレを取って来い」と命じたも同然だ。使い魔は命令通りにお前を閉じ込めていたものを全て排除したんだ』


 なッ! じゃどうすればいい? どうすれば結界は元に戻るんだ?


『こうなってしまったら結界もクソもねぇだろうが。とにかく一階から外へ出て、外の様子がどうなっているのかをまず俺に詳しく伝えろ。恐らく黒騎士も居るはずだ。黒騎士に見つかったら覚悟を決めろ。最悪の場合、クトゥルクの封印を解いて使っていくしかない。──ここまでで質問は?』


 ある。


『だが受け付けない』


 だったら言うな!


『とにかくお前はJのそばを離れるな。なるべくお前の中にあるクトゥルクの封印は解きたくない。Jが全面協力してくれるはずだ。魔物のことは全てJに任せろ』


 なぁ、これだけは教えてくれ。Jの中に話しかけてくる奴とおっちゃんとはいったいどんな関係なんだ?


 おっちゃんはフッと笑った。


『元、戦友ってやつだ』


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