なんで起こしてくれなかったんだよ!【2】
制服に着替えて鞄を片手に、階段を全力で駆け下りる。
そしてリビングに入るなり、俺は口煩く母さんに言った。
なんで起こしてくれなかったんだよ!
母さんが何事なくキッチンから出てきて、いつも通りの明るい口調で挨拶してくる。
「あら、おはよう」
“おはよう”じゃねぇって! 遅刻だっつーの!
「あ。ねぇ、ちょっと」
意味深に母さんが俺を手招いてくる。
え? 何?
不思議に俺は母さんのところへと近寄った。
するといきなり、母さんが俺の額にそっと手を当ててくる。
な、なんだよ。
気恥ずかしく顔を背けて、俺は母さんの手を額から退けた。
母さんが満足気に頷く。
「よし、熱はないようね。今日の気分はどう? 吐き気とかない? 夕べはぐっすり眠れた? 朝は?」
はぁ。
俺は重く溜め息を吐いた。
それに心配してか、母さんが不安そうに言い詰め寄ってくる。
「どこか悪いんじゃない? 無理してない? 本当に大丈夫なの? なんなら今日、学校休んだっていいんだからね?」
過保護すぎ。大丈夫だよ、もう倒れねーから。
「ーーあ、ほら。薬。ちゃんと飲んで行かないと」
あ、忘れてた。
すると母さんが、俺の背後に回り込んできて、すぐさま俺の手から鞄を取り上げる。
ちょっ、俺の鞄ーー
「はいはい。ご飯を食べないとお薬も飲めませんし、学校にも行けませんよー」
言って、俺の背をぐいぐい押して食卓へと向かわせる。
俺は観念して答えた。
わかったよ。ってか、早く行かないと一時間目の授業が終わる。
その言葉に母さんがニコリと笑う。
「そのことについては大丈夫。お母さんがちゃーんと担任の先生に電話しておきましたからね」
……なぁ、母さん。一つ質問があるんだけど。
「なにかしら?」
目覚まし時計の電池抜いたの、母さんだろ?
「ピンポーン。ご名答。さすが我が息子。鋭い推理力ね」
いや、何考えてんだ?
「これからは朝ご飯をちゃんといっぱい食べて、睡眠もしっかりとって、毎日規則正しい自然体の生活を送りましょうね」
昨日は俺、ちゃんと約束通り十時には寝たよ。
「たしかに十時には電気は消えていました。電気は、ね」
だからその……ちゃんと寝たって。
「はいはい。言い訳は後で。まずはしっかり朝ご飯を食べましょうねー」
……。
ぐいぐいと母さんに背を押されるがままに、俺は食卓へ向かい、そして自分の椅子に座らされた。
なんか、無理やり過ぎーー
「気にしない、気にしない。
さぁ、朝食の用意はできてますよ。我が家のお坊っちゃま。一生懸命作りましたので、どうか残さず全部食べてくださいね」
……。
用意された朝食を見つめて、俺は半眼で呻いた。
無理。朝からこんな食えねーし。半分残していい?
「だーめ。じゃぁお母さんが、あんたが赤ちゃんだった頃のように“あーん”して全部食べさせてあげましょうか?」
ごめんなさい。全部食べます。いただきます。
「よろしい。ではどうぞ」
言われ、半ば投げやりに俺は朝食に箸をつけた。
母さんが俺の向かいに座って、俺の食べる様子をにこにこしながらジッと見つめてくる。
……。
俺は箸を止めた。
視線を合わさず会話する。
……何?
「いいから。気にしないで普通に食べて」
食べにくい。洗い物とか洗濯物とか、他にやることはたくさんあるはずだろ?
「ぜーんぶ終わらせました。あとはここの洗い物だけです。
ーーあ、ねぇ。今日のお味噌汁は味を少し薄くしてみたの。どうかしら? ちょっと飲んでみて」
言われ、俺は味噌汁を一口飲んだ。
……。
「味はどう? 濃くない?」
普通に薄い。絶対これ、父さん文句言ってきただろ?
「ヘルシー志向に変えてみたって言ったら、何も言わずに全部食べてくれたわよ?」
へるしーしこう?
「病院食っていうのかしら。入院中にあなたの食事をつまみ食いして独学したの」
好き嫌いなく毎日完食だって看護士さんから誉められたよ。実際、俺が食べたのは六割だったのに。
「もう。そのことについては、ちゃんと後でスナック菓子を差し入れしておいたでしょ?」
隠れて食べたらバレてスゲー怒られた。
「あらまぁ」
“あらまぁ”じゃねーよ。
ーーふと。
電話のベルが鳴る。
俺は母さんにぼそりと言った。
母さん、友達の満里奈さんから電話。
「え? どうして分かるの?」
なんとなく。
俺の言葉に首を傾げつつ、母さんは電話の傍へと歩いていく。
母さんが電話に出て。
その後の声の調子や内容からして、当たりだったことが分かる。
箸を止めて。
俺は冷静になって自分の発言を思い返した。
なんでその人からの電話だと言ってしまったんだろう。
超能力か何かを一瞬思い浮かべたが、首を振って馬鹿馬鹿しいとばかりに自嘲する。
きっと何かの偶然だ。
そう結論付けて、俺は食事を再開した。
しばらくして食事を済ませ。
俺は食べ終えた食器を流し台へと運ぶ。
食器を流し台に置き。
薬箱から今日の分の薬を取り出して、食器棚へと向かう。
コップを取り、薬を手に、流し台へと向かう。
流し台で水を飲もうと、手を伸ばしたその時だった。
蛇口から急に水が溢れ出てくる。
ーー!?
俺の思考は完全に止まり、背筋をぞっとするような寒気が駆け上がっていく。
やがて自然と水は止まり、蛇口は何事もなかったかのように無音となる。
全身が総毛立つ。
怖ろしいとか驚いたとか、そんなんじゃなく。
なんだろう。
俺はただ無言でその場に腰を抜かす。
その時に手からすり落ちたコップが音を立てて床で砕け散る。
コップの割れた音を聞いて、母さんが電話を投げ捨て駆け寄ってくる。
「どうしたの!? 具合悪いの!? 大丈夫!?」
……。
俺は首を横に振って、震える声で答える。
な、何でもない。……大丈夫。




