第13話 王都からの使者
昼食の前に、俺は服を着替えることにした。
エマにそのことを告げると、「じゃぁ先に食卓に行って待ってるからね」と言葉を残して行ってしまった。
そりゃそうだよな。彼女の目の前で着替えるわけにはいかない。
俺は洗濯物を前にして仁王立ちする。
山脈から吹き抜ける乾燥した風のおかげか、洗ってもらった服はもうほとんどが乾いていた。
エマが見えなくなったことを確認した俺は、干された服を手にとった。
その途中、エマのお兄さんとお祖父さんが俺に声をかけてくる。
あ、服を着替えて行きますので、先に行っていてください。
二人に食卓へと先に行ってもらい、俺は干された自分の衣服の一式を手に取った。
その場で着替えを素早く済ませる。
締めに衣服をぴしっと整えて完了。
これで村人Aの旅立ちの準備はできた。
まるでゲーム初期の主人公のような気分だった。
自嘲するように笑って、俺は足元に脱ぎ捨てていた借物の服を手に取り、そこから見える雄大な牧草地を見渡した。
大きく深呼吸を一回。
平和だなぁ。
穏やかで静かな青い空。
その空を白く大きな雲がゆっくりと流れていく。
視線を下ろせば、果てしなく広がる牧草地の中で、牛がのんびりと草を食べている。
ふと、風が俺の頬を凪いでいった。
弱く。穏やかに。
草原が風に波打ち、そよそよと揺れている。
平和だ。本当に……。
やっぱ俺、おっちゃんに騙されていたのかな。
ここに来る前に見せられたドキュメンタリーの惨劇映像。
あんな残酷なことが起きているはずないんだ。この世界で。
俺は頭の中でもう一度おっちゃんに呼びかけてみる。
相変わらずの無反応。
さて、これからどうしたものか。
問題は今後の行き先である。
そういえばおっちゃんが「ゼルギアが黒騎士に捕まっている」とか言ってたな。
……ん? 待てよ。
ようやく俺はここで、ある一つの疑問に気付いた。
おっちゃんは元々俺をどこに飛ばそうとして失敗したんだろう?
もしかしてあのギルドに飛ばそうとしていたのだろうか? だとしたらいきなり俺がギルドに現れれば異世界人のKだと周囲に知らせるようなものだ。異世界人K=クトゥルクの力と知っているあのギルドで、わざわざそんな面倒になるようなことをおっちゃんがするはずない。
それに失敗したとわかった後の対処がどうも変だ。
常にあれこれと無理やりにでも話しかけていたあのおっちゃんが、急に話しかけてこなくなるというのはどう考えてもおかしい。
『ほぉ。少しは頭が回るようになってきたようだな』
俺は鼻で笑った。
そういうことか。
『気付くのに時間がかかり過ぎたようだな。三時間で戻れなかったのはお前自身の責任だ』
もういい。おっちゃんが何かを企んでいることはわかった。今すぐログアウトさせろ。
『させると思うか? そこに考えがたどり着いたならやることはわかっているはずだ』
目的があるならストレートに言え。
『やだね。お尻ぺんぺーんだ』
あーそうかい。
『まぁなんだ。一つだけ教えてやるとしたら、あれだな』
なんだよ。
『そろそろ仕掛けたモンが動き出してもいい頃だ』
ゾクリと、一瞬にして。
俺は背後の殺気を感じた。
不思議なほど自然に、俺の体が場慣れしたかのように反応する。
背後から振り下ろされてくる白刃。
それを寸前でかわす。
振り向き様に体勢をひねって傾け、相手との距離を一瞬で詰める。
そのまま流れるような仕草で相手の懐に入り込み、俺は相手の胸──心臓めがけて掌を軽く突き当てた。
頭の中で瞬時に組み立つ複雑な構成魔法。
解き放とうとして──
俺はハッとした。
俺、今何しようとしていたんだ?
我に返ることで頭の中にあった構成魔法が蝕まれ霧散していく。
自分の起こした行動が理解できなかった。
混乱する思考。
そのことで俺の全ての行動が停止する。
……。
呆然とする俺の顔に、さらりと長い金色の髪が触れた。
その髪を辿るようにして、俺はようやく相手に目を向ける。
襲い掛かってきたのは凛々しい顔立ちをした歳上の女性剣士だった。隙をついて俺に攻撃してきたつもりなのだろう。避けられたことにショックを受けたようで愕然としている。
「……」
彼女の握っていた剣がゆっくりと手を離れて地に落ち、虚しく音を立てた。
ゆるりとした動作で、彼女の視線が落ちていく。
俺がタッチしている胸へと。
俺も彼女の視線をたどるようにして今触れているものへと視線を落とした。
鎧の上からではあったものの。
俺の顔が一気に紅潮する。
慌てて彼女から手を退けて両手を振り、全力で言い訳をする。
ち、違うんだ! これは誤――
容赦なく、彼女の平手が俺の頬に飛んできた。
平手を受けて。
俺はその場をよろけ、呆然と頬に手を当てる。
頬の痛みより心が痛んだ。
言い訳ぐらいさせてほしい。
そんな時だった。
「ダメよ、K!」
エマの鋭い声が聞こえてくる。
間を裂くようにしてエマが俺のところへと駆け寄り、急いで俺の腕を掴むとぐいっと引っ張り、そのまま背にかばう。
「帰ってください。この人は関係ありません。ただの旅人です。この村にはもう兵士になる人なんて一人も居ません」
女剣士はフッと笑う。地に落としていた剣を静かに拾い上げ、鞘に収めながら。
「その威勢の良さだけは褒めておくわ。けど勘違いしないで。みんな好きで戦いに身を投じているわけではないから」
「だからってなぜこの村の大事な男手を全て王都へ差し出さなければならないのですか? 王都はいったいどうなっているんですか? この村にはもう頼りになる男手は一人も居ません。この村に残されているのは老人や女、年端のいかない子供ばかりです」
「貴方の言葉は子供の空言ばかりね。まるで地に目を向けていない」
女剣士の目が俺へと向く。
「ただの旅人、というわけではなさそうね。戦力になってくれればその分の報酬は与えるわ。悪い話ではないから考えてみて」
俺にそう告げて、女剣士はエマの家へと歩き出した。
エマが慌てる。
「待ってよ! まさかお兄ちゃんをもう連れて行く気なの!?」
女剣士は足を止め、振り返る。
「休暇は終わり。今この間にも黒騎士との戦いは続いているのよ。兵士達の死を無駄にしない為にも早めに戦地へ行くのが当然でしょう?」
エマが駆け出す。女剣士の前に回りこむと両腕を広げて道をふさいだ。
「行かせない、絶対に。お兄ちゃんを戦場になんか行かせない!」
「エマ」
言葉を遮るように。エマの兄がやってきて、エマの肩を掴むとぐいっと振り向かせた。そのまま優しく抱きしめる。
「ありがとう」
告げて。
エマから離れると、エマの兄は女剣士へと目をやった。
「隊長」
女剣士は答える。
「召集令よ。これから北上し、北の砦の部隊と合流する」
「わかりました」
「お兄ちゃん!」
エマが兄にすがりつく。
「……」
そんな彼女を兄は無言で引き離し、そっと頭を撫でる。
「また帰ってくる。その時はお前の作ったおいしいご飯を食べさせてくれ」
その言葉を残し、兄は女剣士とともに歩き出す。
離れていく兄の背にエマは必死になって叫んだ。
「お兄ちゃん、行かないで!」
しかし、兄は振り返ろうとはしなかった。
「行かないで!」
空しくエマの声だけが辺りに響く。
遠く離れ行く兄の姿。
やがてエマは膝を折り、その場に泣き崩れた。
「お願い……行かないで……」
一人ぼっちになるエマの不安と悲しみが俺の心を動かした。
俺はエマに歩み寄り、身を屈めて彼女に声をかける。
必ず俺がお兄さんを連れて帰るから。
エマが顔を上げて俺を見てくる。
俺は安心させるように笑ってみせた。
またその時は俺にもおいしいご飯を食べさせてくれよな。
◆
俺はエマのお兄さんが所属する第十八部隊に入隊することにした。
険しい岩山を越え、途中休憩を挟みながらもひたすら道を歩き続けること一週間。
俺はへとへとになりながらも必死で彼らについていった。
エマのお兄さんが俺を気に掛けて同じペースで歩いてくれている。
「北の砦は近い。砦につけばゆっくりと休憩できる。それまで頑張れるか?」
俺は無言で頷いた。
頭の中でおっちゃんが裏声で応援してくる。
『そーよ。あともう少しだからガンバってぇ。ふぁいと、ふぁいと♪』
頼むから俺の頭の中から消えてくれ。マジで。
おっちゃんの声が素に戻る。
『そんなこと言っていいのかー? 早く現実世界に戻りたいくせに』
帰す気もないくせに。
『うむ。その考えはたしかに間違っていない』
すげー腹立つ。
『ところでお前──』
なんだよ。
ふと俺の頭の中で別の男性の声が聞こえてくる。
『隊長。指示通り、部隊の準備が整いました』
『うぉ! びっくりした!』
不意を突かれたのか、おっちゃんがしどろもどろと焦っている。
『ちょちょ、ちょっと待て。な、なんかお前、声掛けてくるタイミング早くね?』
『いえ、指示通り準備が整ったら声をかけるようにと……』
『そうだっけ?』
『隊長?』
『まぁいいや。──よし、このままレッツらゴーしよう』
『は?』
『は? じゃねぇよ。聞こえなかったのか? 突撃だ、突撃。今すぐ奴らを奇襲しろ』
『た、隊長? さきほどとはご様子が別人のように変わって』
ぶつりと。
そこでおっちゃんとの連絡は途絶えた。
ちょっと待て。
あの野郎、なんか良からぬ事企んでねぇか?




