第56話 モノには言い方ってものがある
街のとある路地裏で。
見知らぬ現地人――おっちゃんが、指の関節をパキリパキリと鳴らしながら怖い顔で俺に詰め寄ってきていた。
苛立たしげに片頬をひきつらせながら、
『セディスの事件の時、俺が何と言ったか。まさか忘れたわけじゃないよな?』
逃げ道を失い、俺は壁に背を当てる。
ま、待ってくれ。これには深い理由が……。
片手を突き出し、俺はおっちゃんを止めようとした。
冷や汗をだらだらと流しながら口早に言い訳を連ねていく。
色々あったんだ。ほら、その、なんというか。成り行きというか、その、つまり、えっと、あのドラゴンは──
『色々ってなんだ? 詳しく言ってみろ』
い、いや、だから、これはつまり……その……
『あのドラゴンにはどうやって乗った? ドラゴンっていうのはな、この世界の住人ですら厳しい訓練を積まないと普通は乗れないもんなんだ。それなのになぜ乗れた? どうやって乗った?』
い、いや、だからその……
『使ったんだよな?』
えっと……
『使ったんだよな? クトゥルクの力を』
いや、だから、それは──
『セディスの事件の時、俺はお前に何と言った? 次にクトゥルクの力を勝手に使ったら容赦なくぶん殴ると、そう言っておいたはずだよな?』
おっちゃんが拳を振り上げて構えてくる。
俺は慌てて首と両手を激しく横に振って否定した。
使ってない。使ってないから、絶対。
『絶対? ほぉ。絶対使っていないと言い切るのか?』
つ、使って……ない。絶対。
『だったら全力で俺に分かるように言い訳してみろ。
なぜ、お前の眼が“金色の竜眼”に変わっているのかをな』
──!
思わず反射的に。
俺は自分の両目を手で覆った。
『……』
……。
無意識とはいえ、悪いことをしたと思ったら自然とそれを隠してしまうものだ。
そう。子供の頃につまみ食いをしようとして親に見つかった時に、反射的に手を後ろに隠したりとか。
『自覚あり、か』
ハッと。
俺は誤魔化すように手を目から離し、そのままぶんぶんと振った。
ち、違う、違うんだ、誤解だよ。俺、そんなつもりで──い、今のは目に虫が! か、かゆかったんだ。べ、別に自覚があったとかそういう
おっちゃんが鼻で笑ってくる。
『嘘つけ』
う、嘘なんてついてない! 本当だ! ほんとそういうつもりなんて、いやあの、一切……えっと……。
おっちゃんの強気な態度は変わらない。というか、必死に言い訳する俺を見て笑っている。
俺はようやくここで言い訳もクソもできないことに気付いた。
視線をつぅーと泳がせて、誤魔化すように軽く頬を掻く。
『どうした? もう言い訳はしないのか?』
やがて全ての罪を認めるかのように。
俺は反省の色を込めておっちゃんの機嫌をうかがいながらぽそりと尋ねる。
もしかして俺の目、なんか変になってる?
おっちゃんがいきなり俺の覆面をはがしてくる。
そして何度も俺の額を指で小突きながら、
『この額に浮かぶ契約の陣も、何もしていないとシラを切るってのか? あぁ?』
え、額!?
俺は慌てて額を両手で隠した。
すぐさまその手は退けられ、おっちゃんが怒りをもって責め立ててくる。
『正直に言え! お前、俺の知らないところで何と契約した!?』
え? 契約?
『誰がその証をお前の額に刻んだのかと聞いているんだ!』
こ、これは急に体が金縛りになって──
『契約っつうのはな、双方の合意の下に結ばれるものだ。ということはつまり、お前も相手の契約に合意したということだ』
不可抗力だったんだ! カルロスのドラゴンがいきなり魔法を使ってきたんだよ!
おっちゃんの顔がさらに険しくなる。
『不可抗力だっただと?』
俺はここぞとばかりに言い訳を連ねる。
そうなんだ。聞いてくれ、おっちゃん。カルロスのドラゴンと目が合って、そしたら急に体が金縛りになって抵抗できなかったんだ。
そしたらなんか変なことになって──ってか、そんなに言うんだったら魔法をかけられた時の対処法くらい、事前に教えてくれたっていいだろ!
『だからやられるがままにやられたってのか? お前どんだけ世の中を嘗めてんだ? 泥棒に金見せたら盗られましたくらいに世の中嘗めすぎだろうが、このクソガキが!』
痛ッ!
額を思いっきりおっちゃんに指で弾かれて。
俺はあまりの痛さに額に手を当てて涙目でその場にうずくまった。
手加減無用に痛すぎる。今のは絶対八つ当たりだ。そんなに腹立ててんなら逃げ方の指示とか魔法の防御とかもっと具体的に──
『うるせぇ! 魔法ってのはな、気合いでどうにか防げるもんなんだ!』
防げるかぁーッ! 気合いで防げるなら世の中の魔法使いが全員泣くぞ!
『まぁともあれ』
言って。おっちゃんはこほんと咳払いして、話を変えるように俺の頭に覆面を被せてきた。
そしてぽんぽんと俺の頭を軽く叩いてくる。
『お前が無事で何よりだ。そのまま誘拐されなかったのが不思議なくらいだな』
……。
『魔法については今説明したところでお前を混乱させるだけだ。だから時機を見て、少しずつお前に話して聞かせようと思っている。
あの時みたいにお前を混乱させたくはないからな』
……。
もしかしておっちゃん、あの時俺が言ったこと……ずっと気にしていたのか?
おっちゃんが平然とした顔で肩を竦めて言う。
『まさか』
だよな。
『だよなってなんだ、お前。
まぁいい。とりあえず、お前の中にあるクトゥルクは封印しておいた。今回の件については俺自身もいくつか反省すべき点はある。右も左も分からんお前を、この世界で放し飼いにしていたんだからな』
待て。それ遠まわしに俺を飼い犬扱いしてないか?
『悔しかったらこの世界の常識を覚えてみろ。そしてあのドラゴンには今後一切、二度と近づくな』
なんで近づいたらダメなんだ? あのドラゴンはそんなに悪いドラゴンじゃなかったぞ。
おっちゃんが額に手を当て、呆れるようにため息を吐く。
『お前なぁ。本当に向こうの世界に帰れなくなってもいいのか?』
あ。
俺はそれで思い出した。
ぽんと手を打つ。
そういえばおっちゃん。
『なんだ?』
俺、いつ向こうの世界に戻れるんだ?
『ログアウトの気配は?』
ない。ってか、どんなのかもいまいちよくわからない。
『わからないってお前……』
おっちゃんが呆れるように顔に手を当て再度ため息を吐く。
『お前にとってログアウトは他人事か? お前に魚釣りは無理だ』
いや、魚釣り絶対関係ないだろ。
おっちゃんが鼻で笑って言ってくる。
『別に。ログアウトなんて俺にとっちゃ他人事だからな。そんなにこの世界に永住したいっていうんなら好きにしろ。俺はもう知らん』
はぁ!? ふざけんな! だいたい誰のせいでこの世界に来るはめになったと思ってんだよ! 一秒たりとも長居したくないぜ、こんな世界!
『だったら。向こうの世界に帰りたいという気持ちを常に忘れるな。絶対にだ。ずっと心のどこかに持ち続けていろ。そうしないとログアウトのタイミングになっても気付かずに、本当に一生このまま向こうの世界には帰れなくなるぞ』
だ・か・ら! ログアウトのタイミングってなんなんだよって訊いてんだよ! 魚を釣るとか言われても、魚釣りなんてやったことないからわかんねぇよ!
おっちゃんが人差し指をぴっと立てて提案してくる。
『ならばこういう例えはどうだ?
お前は今大きなグラウンドに居る。お前はバッターボックスに立ち、バッドを構えている。お前の目前に立ちはだかるのは手腕のピッチャーだ。
そのピッチャーがボールを投げてきた! 絶好のストレート。その時お前はバッドを振り──それを爽快に打つ感覚だ』
うわッ! なんで早くそれ言ってくれなかったんだよ! その例えの方がすげーわかりやすいじゃねぇか!




