第46話 契約の印
一旦、カルロスとともに近場の門から街の外へと出て。
見渡す限り何もない広い荒野で、俺とカルロスは立っていた。
するとカルロスが、胸元から小さな角笛のペンダントを取り出し始めた。
ん? なんだ、それ。
問いかける俺を無視して、カルロスはその角笛の先を口にして吹き鳴らす。
モスキート音みたいな、そんな不快な音がした。
――しばらくして。
上空に一頭のドラゴンが現れる。
大きな翼をいっぱいに広げて悠々と空を旋回し、俺たちに向かって舞い下りてくる。
おぉっ!
見た目と違い、まるで鳥が地面に降り立つかのよう静かに、ドラゴンは俺の目前の地へと降り立った。
降りて来た時の余風を受けつつ。
俺は間近で見る本物のドラゴンに感動の声を漏らした。
すげぇ、本物だ。本物のドラゴンだ……。
まるでハリウッド映画の中に入り込んだみたいなリアルな感覚。
迫力あるドラゴンを目の前にして、俺は興奮に思わずグっと影で拳を握り締めた。
ふと──。
カルロスが角笛のペンダントを首から外して俺に手渡してくる。
え?
「落竜なんてされたら目覚めが悪くなるからね。この角笛を吹けば大抵のことはコントロールできる。初心者の君にはこれがお似合いさ。
ま、僕はこんな物使わなくても乗りこなせるんだけどね」
いや、でもさっき俺の目の前で思いっきり吹いたよな? 確実に。
「乗った時の話さ。僕のドラゴンはこれで呼んだ時しか来てくれないんだ」
え。それってもしかして、ドラゴンに懐かれてな──
カルロスは自慢の髪をふわさぁとかき上げる。
「僕のドラゴンは特別なんだ。神に選ばれし勇者専用のドラゴンっていうのかな。歴代の勇者をその背に乗せ、世界中の戦場で活躍したドラゴンと云われている。
あー、知っているかな? もちろん知っているよね。勇者ロズウェイの話。
何を隠そう“勇者ロズウェイ”とは僕の父だ。僕はその息子。僕の体の中には勇者の血が流れている。僕こそが正統なる勇──」
あーうん。だいたい分かった。自慢はもういいよ。
正統なる勇者になる予定だった男からの自慢話を適当に聞き流しながら、俺は受け取ったペンダントを首にかけた。
憤慨にカルロスが俺に人差し指を向けつつ言葉を続けてくる。
「自慢ついでに言っておくけど、このドラゴンは絶対に僕以外の人を乗せないんだ。今まで僕と歴代の勇者以外に誰もこのドラゴンに乗った奴は居ない。
もしその角笛を吹いて尚、僕のドラゴンに乗れるんだったら乗ってもいいよ。
──ま。どうせ無理だろうけどね。けど、事態が事態だ。きっと乗せてくれないだろうから、僕からドラゴンにお願いしておいてあげるよ」
俺は手で制して止め、爽やかに断った。
別にいいよ。自分でどうにかして乗るから。
「乗れやしないさ。何と言っても僕のドラゴンだからね。このドラゴンは僕にだけ懐いている」
その割にはこのドラゴン、お前に敵意むき出しで唸り声あげてるぞ。
「ん?」
カルロスがようやくドラゴンへと顔を向ける。
ドラゴンは鋭く威嚇するかのごとくカルロスに向け唸っていた。
「おいおいどうしたんだい? 僕のジョセフィーヌ。そんなに怒らないでくれ。一人ぼっちにした僕が悪かったよ。愛している、ジョセフィーヌ。どうかその怒りを静めてくれ」
しかしそれでもドラゴンの怒りは静まらない。
獰猛な唸り声を上げてカルロスに対し、鋭い牙をむき出しにして怒っている。
「さぁジョセフィーヌ。僕の愛しい人よ。いつものように僕の頬にキスをしておくれ」
急にドラゴンが噛み付かんばかりにカルロスに襲い掛かった。
寸でのところでカルロスはひらりと跳んで避け、お手上げしてやれやれと肩をすくめる。
「ふぅ。僕に対する愛情表現はいつも激しいね、ジョセフィーヌ。まぁそんなところを含めて、僕は気に入っているんだけど」
……。
その様子を傍で見ていて、俺は何かを確信した。
嫌われている。このドラゴンは完全にカルロスを嫌っているんだ。
はは。と笑って、カルロスが髪をかきあげながら俺に言う。
「嫉妬が醜いよ、覆面君。僕はみんなに愛されているからね。女の子からのどんなアプローチも受け止めてきたこの僕だからこそ、全ての愛情に気付いてやれる。あぁなんて僕は罪深い──」
言葉半ばでドラゴンは鼻先でカルロスの背をどついた。
カルロスは前のめりになって派手に地面に突っ伏す。
これもかわいい愛情表現の一つなのだろうか。俺ならお断りである。
ふいに。
獰猛な唸り声をあげていたドラゴンが俺へと顔を向けてきた。
うげっ!
俺は思わず逃げ腰になって身を引く。
まさか、俺にも愛情表現を向ける気か?
――。
でもなぜか、ドラゴンの顔からフッと敵意が消えた。
剥き出していた牙を隠すように口を閉じ、しだいに顔も穏やかになって唸り声を静めていく。
ドラゴンは深い緑色を帯びた竜眼で、俺と目を合わせてきた。
それは真っ直ぐに。
俺はその目に意識を吸い込まれていく。
まるで互いに惹かれ合うかのように。
俺はこのドラゴンと何か運命めいた繋がりを感じたような気がした。
──瞬間!
張り詰めたような呪縛を思わせる圧迫感が俺の中に襲ってくる。
ドクンドクンと。
恐怖感が体の中にざわめき、しだいに心臓の鼓動が速くなっていく。
な、なんなんだ……この感じ。怖い。このドラゴンに触れてはいけない。そんな何か恐ろしい感じがする。ここから逃げなければ……。だが、なぜ?
よく分からない逃走心。
本能が危険を察し、全身をざわめかせる。
このドラゴンに触れてはいけない、逃げなければならない、と。
そう警告してくる。
恐れ怯えるように、俺は一歩その場から身を引く。
なぜだろう。
理由が分からぬまま本能的に、俺の体がそこから逃げ出そうとしていた。
しかし──
ドラゴンと視線を合わせたまま、まるで金縛りにあったかのように。
急に俺の体がそこからぴくりとも動かなくなり、硬直した。
身動きを封じる魔法をかけられたとでもいうのだろうか?
嫌な冷や汗が頬をつたう。
しだいに全て思考が真っ白に掻き消されていく。
拒絶を許さないほど全身の隅々が、何かに支配されていくような気がした。
息すらも自由にできないほどに。
ヤバイ──精神を乗っ取られる!
そう思った時だった。
突然、俺の頭の中に流れるようにして入り込んでくる女性の声――。
遠く記憶のどこかで聞き覚えのあるような。
そんな懐かしい女性の声だった。
《白き神よ、ずっとこの刻を待っておりました》
誰、だ……?
《さぁ、我とともに再び戦場へ赴かんことを》
戦場?
ドラゴンは瞼を下ろすと、伏せるように体勢を低くし、俺に頭を垂れてきた。
《西の塔で強い魔物の力を感じます。我が背に乗り、共に大空を駆け、再びこの世の覇者となりし道へ》
俺は激しく拒絶する。
覇者になんかならない。なるわけにはいかないんだ。
《なぜです?》
……わからない。
なぜかわからないが、俺は言い知れぬ不安と恐怖に包まれた。
永遠にこの世界に呪縛されるような、そんな恐怖を。
急に、俺の額に鋭い痛みが走った。
額だけじゃない、狂いそうになるほども頭全体がじんじんと痺れるように痛んでくる。
頭を押さえたかったが、俺は体一つ、指先一本さえ自由に動かすことができなかった。
ドラゴンが垂れた頭をゆっくりと上げると、その鼻先を俺へと近づけてくる。
逃げることもできずに、俺は強く目を閉じて恐怖に打ち震えながらそれに耐えた。
それはほんの一瞬の出来事。
ドラゴンの鼻先が俺の額に軽く当たる。
まるで何かの契約を施すかのように。
俺の中で印が結ばれていく。
少し離れた場所で、それを見ていたカルロスがやれやれと肩を竦めてお手上げする。
「その程度で僕のジョセフィーヌを手懐けたと思わないでほしいな。言っておくけど、これは嫉妬なんかじゃない。君がこの程度で調子に乗るのが気に喰わないだけだ」
違う……助けてくれ。
言葉にしようとしたが声にならなかった。
ドラゴンがゆっくりと俺から顔を離していく。
《我が契約は刻まれました。さぁ白き神よ、我とともにいざ戦場へ》
青き空へと首をもたげ、ドラゴンは力の限りに咆哮した。




