第45話 逃げてんじゃねぇよ!
闘技場からどうにか逃げ切り、俺は街中を走っていた。
どこか隠れられる良い場所はないだろうか?
視線をあちこちに動かし、辺りを見回す。
ここは人通りが多い。
たしかにこれなら人混み紛れて目立たないかもしれない。だが、俺からも相手がどこからどう来るのか分からない。
それにいつまでも走って逃げていたら怪しいはずだ。
どこかに隠れよう。
そうだ。
一旦、あの壁際に──。
俺は身を潜めようと、その民家の壁角を曲がった。
ちょうどその時、壁角の向こうからも大通りに出ようと急ぎ現れたそいつが居て、俺たちは出会い頭にぶつかってしまった。
走っていた勢いもあり、衝動でお互い折り重なるようにしてバランスを崩し、地面に倒れる。
「うっ……」
痛ぇ……。
地面から身を起こした俺は、そいつへと目をやった。
そいつも同じようにして身を起こして俺を見てくる。
「……」
……。
互いに目を合わせること、しばし。
見覚えある人物に、俺は指を突きつけて声を上げた。
あ! お前はあの時の卑怯勇むぐ──ッ!
慌ててそいつが俺の口を塞いでくる。
長い金髪を振り乱し、二枚目顔の青年――カルロスは、焦るように周囲を見回して口早に俺に言う。
「頼む、見逃してくれないか? 王様がまさかこんな──! ここは平和を約束された国だぞ! それなのに授与式でいきなり討伐任務なんて……。しかも初っ端に竜騎軍の討伐を命じてくるなんて思わなかったんだ」
口を塞ぐ手を叩き払い、俺は眉をひそめて言い返す。
見逃せだと?
「そうだ。きっと王様は僕の勇者力を試そうとしているんだ。冗談じゃない。楽して勇者になれるって聞いていたのに。
とにかく、僕は在るべき国に戻らせてもらう。勇者の称号さえ手に入れればこんな国なんかに用はない。こんな事態になるんだったら裏金使ってまで参加しなかったのに」
俺はカルロスの胸倉を激しく掴み上げた。
お前って、ほんとどこまでも腐っている野郎だな。それでも勇者か?
カルロスは何かに閃くようにして懐を探り出す。
「そうだ。君にこれをやろう」
紙幣らしき札束を取り出し、それを無理やり俺に押し付けてくる。
「これはお前の金だ。好きに使っていい。万国共通の紙幣だ。家が買えるほどの価値だぞ。ほら、受け取れよ」
いらねぇよ。こんなゲーム・マネー。
すぐに俺はぺしりとそれを叩き払った。
カルロスが驚いた顔で目を瞬かせて言ってくる。
「げ、【げーむまねー】だって? な、何言っているんだい? 君の言っている意味がまるで分からないよ。
これはその【げーむまねー】というものなんかじゃない。公認のラスカルド国のお金だ。本物だぞ? それをお前にやると言っているんだ。金貨よりも価値のある紙幣なんだぞ。わかっているのか?」
いらない。もらっても邪魔になるから。
カルロスの顔にさらに衝撃が走る。
「い、いらないだって? 君、正気かい? もしかして君……ラスカルド国の存在を知らないとか言うんじゃないよね? いや、そんなまさか、はは」
ラスカルド国?
首を傾げて本気で問う俺に、カルロスの頬が思いきり引きつった。
「ち、地図を見たことあるかい? 西の大きいの。あれが僕の国だ。ラスカルド国は《神の加護》を受けた国だぞ。誰もが知っている。
それを、まさか──その歳にもなって今更ラスカルド国を知らないなんて……。
田舎生まれとか、貧乏暮らしとか、常識がズレてるとか、馬鹿とか、そんな──面と向かってハッキリ言わせてもらうけど、それ、頭おかしいレベルじゃ済まされないからな!」
そんなことはどうだっていいだろ。とにかく戻れよ。
「戻れって……?」
闘技場に決まってんだろ。あんだけ俺の前で威張っておいてその程度かよ。
「なッ!? 相手は竜騎軍――黒騎士だぞ! 誰だってあんな戦闘狂と殺り合いたくないはずだ! それなのに、いきなり実戦なんて──」
勇者なんだろ? お前、自分で『僕はクトゥルクに選ばれた勇者だ』って俺に言っていたじゃねぇか。あれは嘘なのかよ。
「嘘なんかじゃない、それは本当だ。だけど……。
勇者だって一人の民間人だ。怖い時は怖いし、逃げたい時は逃げたい。誰だって戦闘なんてしたくないはずだ。けど称号や名誉は欲しい。それはみんな心の中に思っているはずだ。君だってそうだろう?」
俺は……。
目を伏せて言葉を詰まらせる。
その脳裏で思い出す、竜騎兵と戦った時のこと。
一度目は戦い方を知らずに戦慄を覚えた時。
二度目はおっちゃんと一緒に突入した時。
たしかにあの時は戦うことが怖いと思った。死ぬことも、誰かを殺すことも怖いと思った。コイツの言いたいことは分かる。けど──
【間に合わないっつってんだろうが。考えろ。この騒動で出る犠牲者なんてたかが知れてる】
おっちゃんのあの言葉は最低だと思った。
俺は改めてカルロスと目を合わせ、そしてさきほどの問いかけに答える。
もし俺に戦えるだけの勇気と誰かを救える力があるなら、俺は戦いたいと思う。
途端にカルロスの顔が歪む。
「はぁ? なんだコイツ、頭狂っているのか? 相手は竜騎軍だぞ。冗談じゃない」
吐き捨てて。
カルロスはすぐさま俺の手を振り払い、その場から逃げ出した。
俺は慌ててその後を追い、カルロスの肩を掴んで引き止める。
「なんだよ、なんなんだよ、君は! 手を離せよ!」
逃げてんじゃねぇよ!
「うるさい、離せ無礼者! 僕に触れるな!」
だったら!
言って、俺はカルロスの肩から手を離し、すぐに彼の胸服を両手で掴んで引き寄せた。
恐る恐る声を震わせ、カルロスは俺に問う。
「だ、だったら……なんだい?」
俺はハッキリと言ってやった。
お前のドラゴンを貸せ。俺がお前の代わりに勇者をやってやる。
カルロスは頬を引きつらせて答える。
「い、いいけど……本当にドラゴンに乗れるのかい? 乗り慣れてないと頭から落ちて死ぬよ? マジで」




