第33話 名乗ればいいんですか?
「あなたの名前、教えてくれませんか?」
突然だった。
彼女がなぜか怒ったように、そう俺に質問してきたのだ。
俺は内心でおっちゃんに尋ねる。
なんで彼女こんなに怒っているんだ?
『さぁな』
あの時みたいに感情は読み取れないのか?
『無理だ』
「私の質問に答えられないのですか?」
それよりおっちゃん、名前だって。なんて名乗ればいい?
『ケイと名乗っておけ』
いいのか? おっちゃん。
『よし、じゃぁこういう名はどうだ? “マクシム・ヴァヴァダクトエレクトロニクス・ドンパゴス・ダッチャマン”。
どうだ。カッコいいだろう? 今からお前の名は“マクシム・ヴァヴァダクトエレクトロニクス・ドンパゴス・ダッチャマン”だ』
ケイと名乗ることにするよ、おっちゃん。
『反抗的だな』
そんなクソ長い名前を覚えている自信がない。それに……
俺はそこで言葉を切って落胆のため息を吐いた。
『オイ、「それに」ってなんだ? そこで止めるな。気になるだろ。言えよ最後まで』
あれから空は夕刻となり、街中のとある一角にある食事亭へとアデルさんに誘われた俺は、彼らと一緒に食事をすることになった。もちろんアデルさんの好意によるおごりで。
『聞き流すな、コラ』
三人が輪となり向き合うような形のテーブルに座って食事を待ちながら、俺はミリアに自分の名を教える。
俺の名は、ケイ。
「ケイ? それがあなたの名前ですか?」
ミリアの問いかけに俺は頷く。
そう。それが俺の名だ。
ミリアがぽつりと呟く。
「意外と普通の名前ですね」
おっちゃんが俺の頭の中で笑いながら言ってくる。
『ほーらな! だから言っただろ。さっきの名は撤回しろ。そして言い直すんだ。
俺の名は“マクシム・ヴァヴァダクトエレクトロニクス・ドンパゴス・ダッチャマン”と!』
俺は静かにおっちゃんの声を遮断した。
ミリアが真面目な顔して俺に尋ねてくる。
「ではケイ、あなたに問います。あなたはどこで生まれ、どこでどのように育って──」
「ミリアよ」
アデルさんがミリアの言葉を手で制す。
「我輩は思うのだ。生まれも育ちも、ケイがどこの何者であろうと関係ないと。我輩はケイを勇者として育てようと決めたのだ。それでよいではないか」
「しかし、アデル様」
「お前の心配はわかる。だがな、人にはそれぞれ“語れぬ人生”というものがある。
歩みとは人それぞれなのだ。それが分からぬというのなら、お前は立派な勇者にはなれぬぞ。ミリア」
「……はい、アデル様」
ミリアはしゅんと項垂れ、顔を俯ける。
えっと……。
俺は気まずく頬を掻いた。
そして内心で思う。
別に語れないほど辛い人生を送ってきたわけではない。
ただ、どこの何者かと問われても「異世界人です」としか答えられないし――というか、逆にアデルさん達がどこの何者なのか質問しにくくなってきたなぁ。何者なんだろう、この人たち。
まぁ勇者を名乗っているほどなんだから、良い人であることには違いないんだろうけど。
「ケイよ」
――え、あ、はい。
「ミリアは我輩を心配して言っているだけなのだ。悪く思わないでやってくれ」
はい。全く気にしてないです。
俺は頷き、キッパリとそう答えた。
やがて、頼んでいた食事がテーブルに運ばれてくる。
飲み慣れてきた気がするマズイ木の実の水を始め、この世界でしか食べられない不思議な食べ物がずらりとテーブルを彩った。
……。
一瞬目を疑いたくなる料理を前にして、俺は言葉を失う。
「さぁ、遠慮せずに食べるが良い」
「いただきます」
え?
食べ始めはその直後だった。
間髪置かずに二人とも食欲旺盛にがっつき始める。
ものすごい勢いだ。
こんなに食事をむさぼり食う人は初めて見た。
まるで一週間ほど断食していたライオンがようやく食事にありつけたかのような勢いだ。
呆然と二人を見ていた俺は、やがて雰囲気に圧されるようにして遠慮なく食べ物に手を伸ばす。
無難に、まずは鳥の姿焼きを食べてみることにした。
一口かじる。
……。
味はまずくはない。まずくはないのだが……。
できれば原型のわからない【鳥の唐揚げ】にしてもらいたいものだ。
俺はそっと鳥の姿焼きを皿に戻した。
次いで、どす黒い色をした豆料理を目にする。
なんだか口に入れるのを遠慮したいような食欲をそそらない色だ。
見た目だけで吐き気が込み上げてくる。
俺の口端が自然と引きつった。
しかし料理の中では無難に食べられそうな分類の一つにあるようだ。
仕方なしに一口分ほど手で掴んで口に運び、食べてみる。
あ。
このどす黒い色したマズそうな豆料理、見た目と違って意外にも味はなかなかおいしかった。
俺は豆料理を自分の傍へと引き寄せると、鶏にでもなった気分でそれを一粒一粒手でつまんでマイペースに食べ始める。
ふと、後ろから聞こえてくる話し声。
俺はちらりとさりげなく、後ろの様子に目をやった。
そこには青いウロコ顔の女性と男性がひそひそと話している。
「本当なの? それ」
「らしいぜ。兄弟王子で確執があったって噂だし、それに王も王妃も、王権や黒騎士のゴタゴタで早死にしちまったらしいからな。この国もこの国で色々あるんだろう」
「本当は弟であるアデル王がこの国の王だったらしいんでしょ?」
「最初はな。しばらく王としてやっていたらしいんだけど、途中で上手くいかなくなって反乱を起こされて、最期は竜騎軍に暗殺されて死んだらしいって話だ。だけど噂じゃぁ、どこかで生きているとも聞いたな」
「今は兄であるガミル王が継いでくれたおかげで平和だって言われているけど、本当のところはどうだか」
「竜騎軍が臣下として仕えてくれているみたいだし、安泰は安泰ね」
「しかし竜騎軍とて過去の功績。強き者だけが生き残るこの世界で、過去の功績だけで侵略軍に勝てるかどうか。戦争ともなれば竜騎軍だけでは戦力が足りない。やっぱりこの国もラスカルド国の戦力に頼るしか──」
戦争、か……。
俺は内心でそう呟き、ため息を吐く。
ゲームの世界とはいえ聞こえてくるのは戦いの話ばかり。本当に嫌気がさす。
やっぱり俺、この世界を好きになれそうもない。
……。
──ん? ちょっと待て。
俺はふと何かにひっかかった。
そういや、さっきアデル王と聞こえた気がしたが、目の前にいるアデルさんとは違う人なんだろうか。
俺はちらりとアデルさんに目をやる。
風貌といい汚い食べ方といい、とても王族とは思えない。それに世の中、そんな偶然があるわけない。
でも今までの態度といい話し方といい、なんとなくアデルさんが王様のような、そんな気もするんだが……。
いやいや、まさか護衛も武器も無しにこんな街中を堂々と──
「なんだと、このクソガキ!」
騒動の始まりは、一人の竜人の男が発した怒声からだった。




