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◆第六話『勇者さん、狩人!』

「前々から気になっていたのですが、ヘレンさんがつけているそのピアスはドラゴンの鱗で作ったものですか?」


 旅路の途中、唐突にマナがそんなことを口にした。

 前を歩く勇者のあとに、リングスたちは駄弁りながらついていく。


「そうよ~。可愛いでしょ」

「ええ、可愛いのは可愛いのですが……。よく手に入れられましたね。そのピアス、かなり高価なものですよ」

「まえ~に、お店にきたオッサンがくれたのよね~。オッサンはどうでも良かったけど、このピアスはきらきらしてて可愛かったからもらっちゃったの」

「どういった経路で手に入れたのでしょうね……。ドラゴンを倒せる人なんてほとんどいないと耳にしますのに」

「へぇ~。そう言えば、山にいるってのはよく聞くわねぇ」

「ええ、ですので山を超えたりするのは旅人の中では禁忌とされていますね。それにしても……羨ましいです。ちょっとわたくしにプレゼントしてみませんか?」

「だ~め。いくらマナちゃんでもこれはあげないわよ。結構気に入ってるんだから」

「ケチですね」


 マナとヘレンの会話についていけないリングスは、ぼそっとため息交じりに零す。


「俺にはよくわからない話だな」

「リングスさんはこういった装飾物に疎そうですからね。服装は地味ですし、容姿も地味ですし、存在も地味ですし……あら? これはいてもいなくてもいいという神の思し召しでは――」

「勝手に人の存在を否定しないでくれるかなぁっ!? ったく……大体、マナがヘレンのピアスを欲しがるのだって、どうせ売ったらお金になるからとかだろ」

「失礼ですね。わたくしをそこらの新米商人と一緒にしないでください。そういった高価なものは簡単には売りません。まず、仲の悪い二人の貴族を見つけて競わせて――」

「どっちみち売るのかよ!」

「そうとも言いますね」

「まあ、マナちゃんはちょっとアレだけど……。リングスくん、こういった綺麗な装飾品をもらうと女は大抵が喜ぶものよ」


 意味ありげにヘレンが目線を勇者に向ける。


「ヘレン、ちょっと話がある」

「い、いきなりなによ?」

「そのピアスを俺に譲ってくれ」

「だからあげないって言ってるでしょ!」


 バカなやり取りをしながら、リングスたちは着々と次の村に近づいていく。

 しばらくして、マナが耳打ちしてくる。


「リングスさん、ちょっとこちらに」

「お、おいっ、いきなりなんだよ?」


 ぐいぐいと袖を引っ張られる。

 勇者とヘレンの後方で、マナと二人きりになった。


「良いことを思いつきました」

「またか……。良からぬことの間違いじゃないのか?」

「わたくし、考えたのです。勇者さまを妨害しようにも桁外れに強過ぎて、こと戦闘に置いては絶望的と言えますよね」

「ああ」

「ですが、それはあくまでいつもの勇者さまであれば、です」

「どういうことだ?」

「勇者さまも人の子です。肉体的にいくら常人離れしていても、恐らく精神までは鍛えられていないはずです。それで、勇者さまはお風呂が大好きと聞き及んでいますが」

「ああ。勇者さんが野宿しないのは風呂に入れないからだ。……って、まさか」

「ええ、そのまさかです」


 にっこりとマナが満面の笑みを浮かべる。


「勇者さまが宿屋に泊まれないよう工作するのです。題して、勇者さまの精神チクチク攻撃作戦です」

「物凄い良い笑顔だけど、あんたかなり陰険なこと言ってるからな……」

「どうとでもおっしゃってください。リングスさんだって勇者さまにいいところを見せる機会ができるのですからいいではないですか。精神的に弱っている女の子は脆いものです。そんなときに優しくされると、胸キュン間違いなしですよ」

「よし、話を聞こうか」

「さすが変わり身に定評のあるリングスさんですね。その意志の弱さは軽蔑に値します」

「せっかく話に乗ったのに突き落とさないでくれ」

「ほんの出来心ですよ、ふふ」


 出来心で人の心を抉らないでいただきたい。


「さて、勇者さまを宿屋に泊めないための工作ですが……、わたしたちだけで次のサンバノ村に行かなければなりません。一先ず、勇者さまに断りを入れにいきましょう」

「わかった」


 って、先に村まで行くってどんな理由をつけるつもりだ?


 そんな疑問を抱いたまま、マナと共に勇者の傍まで行く。


「勇者さま。わたくしとリングスさんでサンバノ村まで先に行こうと思っているのですが、よろしいでしょうか?」


 マナの発言は理由すらなかった。

 しかし勇者はリングスたちのことなど眼中にないと思われる。

 理由を言わなくても、あっさり了承してくれるかもしれない。

 と、思っていたらヘレンが茶々を入れてくる。


「なになに~。リングスくんとマナちゃんったら二人きりでなにをする気なのかな~? んふふ」

「なっ! そういうんじゃないっての!」

「ほんとかしら~? ま、あたしは勇者ちゃんとしっぽりさせてもらおっかなぁ。はぁはぁ」


 鼻息を荒くしたヘレンが勇者に抱きつき、頬ずりし始める。

 勇者はというと、ヘレンの変態行為に動じた様子もなく、じーっとリングスとマナを交互に見やっている。


「……どうして」


 意外にも勇者が問い詰めてきた。

 これにはマナも驚いたようで、一瞬目を丸くしていたが、すぐに平静を取り戻す。


「実はわたくし、以前に一度、サンバノ村に行ったことがあるのですが……少々気難しい人たちが多いのです。よそ者に対してはそれが顕著になるので、宿屋に泊まれるかどうかさえ怪しいでしょう。ですので、先に行って和解を試みようかと」


 サンバノ村にそんな実態があったとは知らなかった。

 マナの発言後、勇者がわずかに眉をひそめる。

 恐らく宿屋に泊まれないかもしれない、という不安がそうさせたのだろう。

 勇者の視線が再度、リングスとマナを往来する。


「……わかった。でもひとりで充分」


 確かにひとりで充分だ。

 ならば発案者のマナが行くのが妥当だろう。

 それに具体的な話をまだ聞かされていないのだ。

 そう思っていたのだが……、


「そ、そうですね……。でしたらリングスさんにお任せします。わたくし、走るの苦手ですし。リングスさん、頑張ってください」


 見事に押し付けられていた。


「え、ちょっと待てよ。もともとマナが――」


 突如感じる股間の痛み。


「ア――――ッ!」


 リングスは悶絶した。

 あたかも心配するようにマナが寄り添ってくる。


「大丈夫ですかリングスさん。前触れなく股間に痛みが走る持病が再発しましたか?」


 あんたが股間を蹴ったんだろうが!


 こちらの恨みを込めた視線など意に介した様子などなく、マナが淡々と囁いてくる。


「すいませんがリングスさんだけでサンバノ村まで行ってください」

「そんなこと言われたって、なにをすればいいんだよ……」

「それは――」

「なにしてるの」


 勇者が訝るように言ってきた。

 マナと二人してぴくっと身体を震わせる。


「とにかく、お任せします」

「ちょ――っ!」


 一瞬のうちにリングスから離れたマナが微笑んでくる。


「リングスさん、お気をつけていってらっしゃいませ」


 ったく、どうなっても知らないからな。


「行けばいいんだろ行けば……」


 股間を押さえながら、リングスは前のめりに走り出した。




 息も絶え絶えにサンバノ村に到着した。

 ずっと走ってきたからか、びっしょりと汗をかいている。

 ちなみに、先ほどようやく股間の痛みが引いた。


 マナのやつ、思いっきり蹴りやがって。あとで覚えとけよ……。


 サンバノ村は山に囲まれていて自然を感じられるところだった。

 小川のせせらぎなどが、気持ちを涼やかにさせてくれる。

 こんなところに住んでいたら心も豊かになるだろう。

 それがリングスの抱いたサンバノ村の印象だ。

 しかし、サンバノ村の住民は気難しい人たちが多いとマナが言っていた。

 本当なのだろうか。

 とにかく誰かに話しかけてみればわかることだ。

 村に足を踏み入れてからすぐに妙齢の婦人を見つける。

 長椅子に座り、赤子を胸に抱いていた。

 一見……いや、どう見ても温和な感じだ。

 だが、油断はできない。

 恐る恐る声をかける。


「ど、どうも~」

「あら、旅のお方ですか?」

「は、はい」

「そうですか。見たところ酷くお疲れのようですし、なにもないところですけどゆっくりと休んでいってくださいね」


 そう言って婦人がにこっと微笑んできた。


 めちゃくちゃ優しいよ!?


 やはりと言うかなんというか……マナの言うことはでたらめだったらしい。

 なぜこんな嘘をついたのか。


「あ……すっかり忘れてた」


 宿屋に勇者を泊まらせないため、リングスはサンバノ村にひとりやってきたのだった。

 思い出したからには素早く実行に移るに限る。


「あの~、いきなりでなんですけど、実はこの村にもうすぐ勇者さんがくるんですよ」

「勇者……さま?」

「ええ。実はボジュール王が勇者さまに魔王討伐を命じられたんです。その旅の途中にここを通られるみたいで」

「あら、そうなんですか。それはまぁ……勇者さまですか。とすると、あなたはその勇者さまのお仲間さま?」

「えっと、そういうことにしておいてください」

「え? そうじゃないんですか?」

「まあ、俺にとっては重大な問題ですけど、あなたにとっては瑣末な問題でしかありませんのでとりあえずそれは置いておきましょう。それでですね、お願いがあるんです」

「はぁ……」

「勇者さんをこの村に泊まれないようにして欲しいんです」

「……どうしてですか?」

「それはですね……………………」


 冷や汗が流れる。

 理由を考えていなかった。


 ど、どうする? というか、そもそも勇者の仲間が勇者を困らせること自体がおかしいし。……ん? 困らせるからいけないんだ。勇者さんが喜ぶってことにすればいいんじゃないか。


 ようやく、マナの発言の意味を理解できた。


「ひじょ~~に言いにくいんですが、実はですね、勇者さんは人にきつくあたられるのが大好きな方なんですよ。逆に優しくされると怒ってしまいます」

「は、はぁ……変わったご趣味の方なんですね」

「勇者さんの見た目はこのくらいの、黒髪の可愛い女の子なんですけど」


 手振りで勇者の身長を示しながら喋る。


「怒らせるとすごく怖いんです。勇者さんが本気を出せばこの村は一瞬で消し飛ぶでしょうね」

「それは困ります」

「でしょう? だから俺はこのことを伝えるために、ひとり先にやってきたというわけですよ。勇者さんを怒らせないよう、そして勇者さんを喜ばせるために」

「お優しい方なんですね」

「とんでもない」


 ははっ、胸が痛いよ!


「あ、それと勇者さんが不自然に思わないように仲間の俺たちにもきつく当たるようにしてくださいね」


 サンバノ村の住民は気難しい人が多いとマナは勇者に伝えていた。

 それを再現しておかないと、いざ勇者が到着したときに怪しまれる。

 我ながら良い配慮だと思った。


「わかりました。でも、私にできるかしら……」

「俺で試してみるといいですよ。遠慮せずにど~んときちゃってください」

「でも……」

「練習だと思って気軽にどうぞ」

「そ、そう? じゃあお言葉に甘えて……こほん」


 柔和な笑みから一転して、婦人がきりっと表情を引き締める。

 そして、


「さっきから言いたかったけどおめぇ汗臭ぇんだよ!! 人がせっかく遠まわしに言ってやったってのに気づかねぇなんて、男として最低だなぁ!?」

「え、いや……」

「この子の鼻がおかしくなりでもしたら、おめぇ責任とれんのかよ!? あぁあ!?」

「ひぃっ、すいませんすいませんっ」


 頭を抱えてリングスは縮こまった。

 婦人の突然の変貌に戸惑いと恐怖が襲ってくる。

 早く終わって下さい、と切に願っていると、婦人に抱かれていた赤子が泣き声をあげた。

 これで解放される、と思っていたのだが……。


「おい見ろよ!? おめぇのせいでこの子が泣いちまったじゃねぇか!? どう落とし前つけてくれんだよ!? あぁっ!?」


 それ絶対俺のせいじゃない! あんたのせいだよ! と、心の中では思いつつも、口ではまったく違うことを言ってしまう。


「ひぃっ、お許しをぉ~っ!!」

「なにがお許しをだぁ!? おめぇから遠慮するなって言ったきたんだろうが! それを今さらなしにしろってのはちょっと甘すぎんじゃねぇのか!? あぁん!?」

「もう充分できてますからっ! ほんと勘弁してくださいっ」

「あら、そう? 良かったわ。私にもできるか不安だったけど、なんとかなりそうですね。あはっ」


 と、突然ころっと婦人が表情を柔らかくした。


 もう完璧っていうか、あんた絶対それが本性だろ!?


「それじゃ、村のみんなにも勇者さまのことを伝えてきます。あなたは臭いのでさっさと私の前から消えうせてくださいねっ」

「ごほぉぁっ!」


 去り際に婦人は爆弾を投下していった。

 心を傷つけられたリングスは、ひとり村の入り口で泣き崩れる。

 そのあと、近くの小川で水浴びをしたのは言うまでもない。




「……なにしてるの」

「あ、いやこれはその~。なんというか……はは。和解に失敗しました」


 村の入り口にある木に、リングスは吊るされていた。

 両手と腰を纏めて縄で縛られ、身動きができないでいる。

 勇者たちが来るまで入り口付近で待っていようと思っていたのだが、突然やってきた村人たちに締め上げられたのだ。


「リングスさんって役立たずですね」


 全部あんたのせいだろ!

 今すぐにでもマナに怒りをぶつけたいところだが、とにかく今はこの状態をどうにかする方が先決だ。

 ヘレンに手伝ってもらい、リングスはなんとか自由の身になる。


「しかしまあ、すごい歓迎されてるわねぇ~」


 呆れたようにヘレンが言った。

 恐らく村の入り口にでかでかと置かれている看板のことだろう。

 看板には『勇者ダメ、ゼッタイ』と書かれていた。

 マナが小声で囁いてくる。


「上出来です」

「正直、色々と辛かったけどな……」


 マナがいたらもっと円滑に……主にリングスの心が傷つけられずにことが運んでいた気がする。

 だが、過ぎたことを悔やんでも仕方ない。

 とりあえず今は勇者がどうでるかが知りたかった。


「勇者さん、どうします? これじゃあ……」

「ここしか泊まれるところない」

「まあ、そうなんですけど」


 やはり勇者は引かなかった。

 看板に書かれたことなど意に介した様子もなく、悠然と村に足を踏み入れる。


「やはり一筋縄ではいかないようですね」

「勇者さん、野宿大嫌いだからなあ」


 マナと話していると、ヘレンが会話に混ざってくる。


「あぁ、やっぱりマナちゃんたちの仕業だったのね」

「たちっていうか、マナだけにしておいてくれ」

「酷いですわリングスさん。人のことを散々弄んでおいて飽きたらあっさり捨てるんですね……」

「人聞き悪いこと言わないでくれるっ!?」


 馬鹿なやりとりも程ほどに、村に入っていった勇者をリングスたちは追いかけた。

 やがて村の中央にある噴水の近くにて、二人の少年と対峙する勇者を見つける。


「お前、知ってるかー!」

「なにをだよー!」

「勇者ってエムなんだぜ!」

「エム!? マジでー!」


 なにやら少年たちが変なことを叫んでいた。


「ちなみに俺はエスだぜ!」

「俺もエスがいいー!」

「じゃあ、二人合わせてでドエスだ!」

「わーい! ドエスドエスー!」


 意味不明なことで少年たちは盛り上がっている。

 近づいてきたリングスたちに気づいたのか、振り向きざまに勇者がこんなことを訊いてきた。


「……エムってなに?」

「えっ!? いや、あの~、その、なんというか……」


 しどろもどろになっていると、ヘレンが助け舟を出してくれる。


「エムっていうのは、もっこりって意味よぉ~」


 出された船は泥舟だった。

 しかも船首にはなにか卑猥な像がありそうで、できれば一生乗りたくない船だ。

 勇者が自分を指差し、僅かに首を傾げる。


「わたし、もっこり……?」

「ぶっ――!」


 思わず噴き出した。


「そうそう、もっこりよぉ~!」

「おい、ヘレン! なに言わせてんだよ!?」

「え~、いいじゃない? もっと勇者ちゃんに色んなこと言わせたいわぁ」


 だめだこの変態、早くなんとかしないと。


「……エスは?」

「エスは……ん~っと、ソーセージよ」


 また際どいものを……。

 少年たちに勇者が向き直る。


「……わたし、もっこり。キミたち、ソーセージ」


 勇者の理解不能な言葉に、少年たちがうろたえている。


「な、なに言ってんだ?」

「し、知らないよ~」

「エムはもっこり。エスはソーセージ。……らしい」

「そうなの……?」


 気の強そうな少年に、もうひとりのなよなよした少年が問いかける。


「うっ――。そ、そうだよ! エムはもっこり! エスはソーセージだ!」


 んなわけないだろ!


「僕、ソーセージやだな~。なんか弱そうだよ……。もっこりがいい~。もっこりにするー!」

「あ、ずりーぞ! 俺ももっこりがいい!」

「じゃあ、二人でもっこりだよ!」


 なにやら少年たちはエスからエムに移行していた。

 少年たちの傍に勇者が行く。


「わたしも、もっこり」

「じゃあー三人でもっこりだな!」

「……ん」


 もっこりな三人は片手を挙げて、


「「「もっこりー!」」」


 そう、叫んだ。

 嘆息しながら、リングスは額に手を当てた。


 ああ、勇者さんが穢れていく。


 ヘレンがしみじみと言う。


「なんか青春って感じねぇ~」

「んなわけあるかっ!」



 しばらく勇者は町の中を歩き回っていた。

 恐らく宿屋を探しているのだろう。

 だが、一向に宿屋が見つからない。

 それほど大きな村ではないので、見落としているわけではないと思うが……。


「もしかすると、この村に宿屋はないのかもしれませんね」


 前を歩いていた勇者が、ぴたりと足を止めた。

 数瞬後、おもむろに近くにいたオッサンに向かっていく。

 オッサンは道端に植えられた花に水をやっていた。


「……あの」


 勇者に話しかけられ、オッサンが手をとめて振り返る。


「ようこそ、サンバノ村へ。なにもないところだけど、ゆっくりしていってくれ」

「……宿屋の場所、教えて」

「ようこそ、サンバノ村へ。なにもないところだけど、ゆっくりしていってくれ」

「…………宿屋の場所――」

「ようこそ、サンバノ村へ。なにもないところだけど、ゆっくりしていってくれ」

「……あ」

「ようこそ――」


 勇者が何度話しかけてもオッサンは定型文しか口にしない。

 どうみても嫌がらせだ。

 しかしそんな嫌がらせをもろともせず、勇者はオッサンに話しかけ続ける。

 勇者にとって、宿屋はそれだけ大きな重要性を持っているのだと改めて認識させられた。


「はぁはぁ……よ、ようこそ……サンバノ村へ……って、もうだめだ。疲れたよ……」


 早くもオッサンの心が折れていた。

 勇者はというと、けろっとしている。

 オッサンが長文を口にしているのに対し、途中から「あ」としか口にしていなかったのだから当然だ。


「宿屋はそこを真っ直ぐ突き当りまでいって、右手側にある家屋だ。他の家よりも若干大きいからたぶんわかるはずだよ」

「……ん。ありがと」


 ぺこりと頭を下げて、勇者はオッサンに教えられた道を歩いていった。

 力尽きたオッサンを労わろうと、一言声をかける。


「オッサン……、頑張ったな」

「ごほっごほっ。よ、ようこそ――」

「もういいよ!!」



 オッサンの言っていた家屋はあっさりと見つかった。

 たしかに他の家屋よりも一見して大きい。

 ここが宿屋だとわかっていれば、気づかなかったのがおかしいと今さらながらに思う。

 勇者に続いてリングスたちも宿屋に入る。


「な、なんで勇者がここに!?」


 開口一番に、そんなことを口にしたのは宿屋の主人と思しき人だ。

 勇者の姿を見て、慌てふためいている。


「い、いいいいい言っとくけど、ここは宿屋じゃねぇからな!」

「……村の人に訊いた。ここが宿屋だって」

「ち、ちちちちげぇよ! ここは宿屋なんかじゃねぇ! それにもしここが宿屋だったとしても、おめーの泊まれる部屋もベッドもねぇから!」


 勇者の眉がぴくりと動いた。

 それだけで辺りの温度が一瞬にして下がった気がする。

 宿屋の主人も勇者に気圧されていた。


「ぐっ……ま、まぁ? 一千万ゲリーぐらい積んでくりゃ泊めてやってもいいけどな? ははっ」


 ゲリーは貨幣の単位だ。

 大体、百ゲリーでパンがひとつ買える。

 一千万ゲリーもあれば木造家屋ひとつ余裕で買えてしまう。

 そんな大金を誰も持ち合わせているわけがなく……。


「……お散歩してくる」


 ついに諦めたのか、勇者が去っていった。


「あぁん、勇者ちゃんの困った顔良いわぁ~はぁはぁ」

「ふふ。リングスさん、よくやりました。あとは精神的に弱った勇者さんをわたくしたちがサポートするだけです」

「でも、やっぱいい気分しないよな」

「なにを言っているのですか。そんなことではいつまでたっても勇者さまに認められないままですよ」

「それは困るんだけどさ」

「とにかく、今は先に部屋を借りておきましょう。ちょうど勇者さまもいませんし。……すみません。三人部屋をひとつ、用意してもらえますか?」

「あぁ? なに言ってんだよ姉ちゃん? あんた勇者の仲間なんだろ!? そんなやつに貸す部屋ねぇから!」

「なっ――。リングスさん、これはどういうことですか?」

「あぁ、サンバノ村の住民は気難しい人が多いってマナが嘘ついたろ? それを実現しとかないと勇者さんに怪しまれると思ったからな。我ながらいい配慮だ」

「……ちょっとでもあなたを褒めたわたくしがバカでした。これではわたくしたちも野宿になってしまうではありませんか」

「え、勇者さんだけ野宿させる気だったのかよ? そりゃいくらなんでも可哀相だろ」

「はぁ……まあいいです。仕方ないので、今日はわたくしたちも勇者さまと野宿に決定ですね」

「別に野宿でもいいだろ。慣れればそう大したもんじゃないぞ」

「男の人は気楽でいいで――――きゃっ!!」


 突然、地面が揺れた。

 同時に低く重い音も聞こえてきた。

 咄嗟にマナとヘレンの体を支える。

 二人とも腕にしがみついてきた。


「だ、大丈夫か?」

「え、ええ。いったいなにが……」


 右腕になにか柔らかいものが当たる。

 見ると、柔らかなものの正体はヘレンのたわわな胸だった。

 思わずにやけてしまう。


「あらん、リングスくんったらえっちぃ」

「ぐ、偶然だからな! 悪意はない!」

「そんなこと言ってぇ。両手に花じゃな~い」

「両手に花……?」


 ヘレンとは逆側のマナに視線をやる。

 自然と上目遣いになっているマナの面から、さらに視線を下げる。

 そこには平らな胸があった。


「まな板ならある、けっ、どっ!? いたっ、いたたた! 間接! 間接逆に曲がるっ!」

「誰がまな板なんでしょうか。詳しくお聞かせ願います」

「ごめんなさい! 俺が悪かったです! お願いです許してくださいぃいい!」


 懇願の甲斐あってか、なんとか解放してもらえた。


「まったく、リングスさんは女心をもう少し理解するべきです。わたくし、これでも気にしているのですから……」


 そう言ってマナが両腕で胸を隠す。


「はい、すいませんでした。反省しております」


 と、頭を下げていると、バンッと扉が開いた。

 扉から現れたのは勇者だった。


「お金じゃないけど……たぶん、これで足りる」


 勇者が目線で、扉の外を見るように促してきた。

 リングスたちと宿屋の主人は揃って外を覗きに行く。

 そこに、宿屋よりも大きな魔物が倒れていた。

 その巨体を覆いつくさんばかりの大きな翼に、四本の足先にある鋭く尖った爪。

 深緑色の表皮は粗く、いかにも硬そうな厚みがある。

 宿屋の主人がぼそりと言う。


「ド、ドラゴン……」


 そう。

 勇者は、ドラゴンを一匹まるごと掴まえてきたのだ。


「ドラゴンをこんな間近で見たのは初めてです……」

「さすが、勇者ちゃんね……。でも、どこから――あっ」


 ヘレンは言いかけて気づいたようだ。


「ここにきたとき、飛んでた」


 サンバノ村は山に囲まれた村だ。

 山を棲み処にするドラゴンが近くにいてもおかしくはない。


「……これあげるから、泊めて」

「え、ええ! いいですともいいですとも!! むしろこの家あげます!」

「いらない」


 手のひらを返したように宿屋の主人は愛想良くなっていた。

 しかし……。

 リングスは改めてドラゴンを見る。


「勇者さん、まじぱねぇ……」

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