[80] 戦場の妄執
懇親会の会場から私とユリウス、そしてリカルドさんの三人は、私の居室に場所を移した。
彼は侍従長として、常に王の側にあった人だ。
その彼に私達は聞きたいことが沢山あった。
だけど正面から攻めてもはぐらかされそうで、搦め手でいくことにした。
「お好きなものを選んでくださいな。お食事はもうお済みでいらっしゃるでしょう?つまむものを用意させましたわ」
「ほうっ、これはなかなかいい趣味じゃないか」
私が喪服から部屋着に着替える間、彼は本棚の隣に並ぶ酒棚を食い入るように見ていた。
彼が酒を好むと聞いたので、あえて私の部屋を会合の場にしたのよね。
「おいおい、ユーライト産のラック酒まであるじゃないか、こんなマニアックなものをよく手に入れたもんだ」
「うちの補佐官秘書にツテがあってお願いしたんです。試されますか?」
「ああ、頼む」
ナナは杯とつまみの支度を済ませたら、会場に戻ってもらった。
内密の話があるから、向うが終ったらそのまま部屋に戻って寝るようにと言いつけてある。
なので私が席を立ち、棚から瓶を取り上げ2つの杯に無色の液体を注ぐ。
大陸の北部にある小さな島国ユーライトで造られるこの酒は、ラクロラクという芋を蒸して発酵させ蒸留した酒で、度数は高く酒の持つ独特のとろみと、後口の辛さの奥からじわりと感じる甘さのバランスが絶妙で、愛好家も多い。
ただ、芋の生産量が少なく国内流通のみなので、レアな酒らしい。
ミラーさんの実家の商会は各国に独自の流通網を持っているため、彼に仲介を頼んで、他国の珍しい酒やスパイスなどを色々お取り寄せしている。
ユリウスには果実酒を冷えた水で割ったものを出し、ラック酒も含め数本を見繕ってテーブルに置いた。
リカルドさんは、酒を軽く口に含み、一拍置いてからゆっくりと嚥下する。
「ほう、いいな」
「あとはお好きにどうぞ」
「それでこれは何の席だ?あっちでやってた懇親会の続きか?」
「いや、これは父上を偲ぶ会だ」
「今更そんなしめっぽいことをするのか?」
「いいだろ、オレ達はまだ喪中だ。それに、父上のことを知りたくなったんだ」
聞きたくなったといいながら、彼の表情は恐れや不安、嫌悪といった表情が浮かんでいる。
私は隣に座るユリウスの手に自分の手を重ねた。
「……いいぜ。うまい酒に免じて、今夜だけならなんでも喋ってやる」
「では訊こう。父上がどうしてあんな、母上や妾妃だけでは我慢できなかったんだ」
「いきなりそれかよ。まあ、ユリウスももう大人だもんな。だがユカ様に聞かせるのは……その、辛くないか?」
王が死んだ後の始末を取り仕切った彼は、私と王との間にあったことも知っていた。
「私は大丈夫。それに私も王がなぜそこまで私達の心や身体を傷つけずにいられなかったのか、傷つけないといけなかったのか、真意が知りたいのです」
「真意なあ。俺が知ってるのはあくまでも俺が見たことと、フランシス様が語ったことだ。それが全て真実かどうかはわからんぞ」
リカルドさんは、杯にたっぷりと酒を注ぐとそれを時折それをすすりながら、ぼつぼつと語り始めた。
彼が王と出会った時、当時は王子だったが戦の後に気が昂ったまま女を抱くと、多少手荒く扱うこともあった。
だが、それは他の兵士も同じだった。
沢山の敵を倒し血を浴びて、なかなか鎮まらない昂りを女を抱くことで発散させる。
獣のように、女に挑み征服して猛りを鎮めた。
それは戦のせい、そういうものだと思っていた。
だが、王となり、戦が終った後も女を抱く時は獣のようになった。
『余は、戦場の中でしか生きられん。今の余の戦場はこの王座ぞ』
彼が諌めた時、王はそう答えた。
戦場でしか生きられない。
王はその言葉通り、まるで命をかけて戦うかのように、寝る間も惜しみ政に取り組んだ。
次々と国内の戦争の傷跡を癒し復興させる政策を打ち立て実行し、また占領国に自治を認めて属国とし、ヘブリディー諸国連邦を樹立した。
精力的に仕事をこなすほど、彼は女を求めた。
だが皮肉なことに王の命を削るような働きで、次代までかかるだろうと見込まれていた平和で豊かな時代が、彼の時代で実現してしまった。
王は新たな戦場を求め、新大陸の発見や他大陸へ侵略の野望を持ち計画したが、造船技術がほとんど発達していなかったことから海軍の軍備増強が思うようにいかなかった。
その焦燥を女にぶつけ、より嗜虐的に扱うことで気を昂らせ、自分がまだ戦場にいると思い込もうとした。
「父上は、なぜそこまで戦場の妄執にとりつかれなければならなかったんだ」
ユリウスは杯を机に叩き付けた。
「すまんな、そこは俺もそこまではわからん。お前が成人した時から、お前に王を継がす時が戦場を去る時だと口にするようになった。保険はかけてあるが、できれば息子に倒されるのが本望だと」
「保険とは、母上のことか。だから父上は俺を憎ませようとイリーニャを……」
「それがフランシス様のぎりぎりの譲歩だったんじゃないか?悪政を敷いたり、臣下に弑逆されるわけにはいかなかった。国が乱れ連邦が揺れるからな。そして政の中で得た戦功である平和なこの国をそっくりお前に継がすのが望みだった。だから最期をお前かターニャ様に託すしかなかったんだろう」
「リカルドは、知っていたのか?母上に誓わせたことを」
「……ああ」
ユリウスはリカルドさんに飛びかかる。
2度3度と殴りつける彼の拳を、リカルドさんは黙って受けた。
繰り返し打ち据えるユリウスに私がしがみつくと、ようやく拳が止まった。
「くそっ、くそっ、どうしてそんなっ」
私に引かれて再び腰を下ろしたユリウスは、顔を手で覆い悪態をつく。
リカルドさんは、切れた唇の血を拭いながら、空の杯にラックの酒をたっぷり注ぎユリウスの前に置いた。
「飲め。そしてフランシス様のことも、その怒りも悲しみも一緒に飲みこめ。そして腹の中で燃やし、良い王になる糧にしろ」
リカルドさんの言葉に煽られ、ユリウスは乱暴に杯を手にすると咽せながらも全て飲み干した。
涙と嗚咽をこぼしながら、喉を焼き腹を焼く酒の熱に身を悶える。
「ユカ、熱い、熱いんだ。俺の腹が燃えてる」
私はユリウスを抱きしめ、頬を伝う涙に唇を押し当てた。
しばらくの間、丸めるように身体を横たえ私にしがみついていたが、やがてその手の力が抜けた。
「寝ちまったか」
私達を見守りながらゆっくりと酒を飲んでいたリカルドが尋ねた。
「はい。みてください、なんだか憑き物が落ちたような寝顔ですよ」
私の腕の中の目尻に涙が残り頬は紅潮している寝顔は、ほっと気が緩んだような安らかな表情に見えた。
私はリカルドさんに頼んでバッハを呼んで来てもらった。
そしてユリウスを私の膝の上から私の寝室に運んでもらった。
「さて、どうする。俺は退散すればいいのか?いや、お前さんも俺に聞きたいことがありそうだな」
空いたラック酒の瓶を片付け、新しい酒瓶を手にした私は彼に微笑んだ。
「さあ、飲み直しましょうか」




