[73] うぶやかたの謎
「あの、ユカ様。お客様がいらしてますの」
「どなた?」
「それが、1階の北通路の西端にある衛兵待機室から、『後宮の西にあるうぶやかたから参りました』とだけ名乗り王妃様への取次ぎを求める方がいると、伝言を頼まれた女官が参りましたの。城内の方なのは確かなようですが、二階に上がる事は禁じられているとおっしゃるのだそうです」
「うぶやかた?なにかしら」
「あの、衛兵の方も困っていると。しかも急いでお会いしたいとか。どうしたらよろしいでしょう」
「では、そこに行きましょう」
「でも危険かも……」
「では護衛を増やしていきましょう。外にいるのは今は誰かしら」
「ガリヤさんとケニーさんですわ」
「でこぼこコンビね。じゃあケニーに急いでもう二人呼んで来てもらって。10分後に出ましょう」
「かしこまりました」
城の北側にはL字に後宮が建てられ、それを北の城壁と東の城壁で囲まれ出入り口は城の北側にある出入り口は、この執務室の下にある後宮への出入り口と、更に東側に物資の搬入用の出入り口が1つ。
今まで漠然と北にあるのが後宮だと思っていた。
でも、L字の長い辺が城と並行に面しているけど、建物の全長を比較すると規模が全然違う。
じゃあ、西側には何があるんだろう。
この部屋は対面にある後宮の中央よりちょっと西寄りにあたる。
そういえば通路より西側は意識して外を見たことなかったような。
どうなっていたっけ。
私は、部屋の西側にある窓から顔を出した。
すると後宮の建物から城の壁の間に、この窓より高い塀があった。
塀の向うに何かないか目を凝らすと、時折チラチラと見えるような見えないような。
私は踏み台を持ってくると、その上に乗る。
そして窓枠で身体を支えながら、外に身を乗り出した。
「ユカ様!」
どたどたと走る足音と共に、太い腕が私の腰を掴んだ。
「何をしてらっしゃるっ」
ガリヤが顔をひきつらせながら私を抱き上げると、そっと下に降ろした。
さすがバッハ並に体格がいいだけあって、軽くはない私をひょいと持ち上げることが出来る。
逞しい図体でほがらかによく笑う彼は、見た目は野性味溢れる体育会系なのに、男爵の三男なので言葉遣いに品がある。
「あの壁の向うが見たかったのよね。今まで気にしたことなかったんだけど、何があるのかしら。壁の向うに何か見える気がしたんだけど」
「身を乗り出されては危険です。どれ失礼。ああ、梢の高い木があるのでしょう。ちょうど、その先が風に揺れると見え隠れするようです」
「なんだ、木だったのね」
「皆揃いました。ちょうどお呼びしようとしたところだったのですよ」
「驚かせてしまってごめんなさいね。じゃあ行きましょうか」
先頭にケニーとイーライ、次に私とダイアナ、そしてガリヤとウィルーが並び進む。
親衛隊の黒い制服は、城内でよく目立つ。
この色を決める時、ユリウスが私の色は黒だと即決したらしい。
一言相談してくれてもいいのに。
王の親衛隊の白色に比べると、黒って迫力があるというかちょっと恐いんだけど。
行き交う人達は私たちの物々しい様子に、礼をすると避けるように足早に離れていった。
「王妃様にはわざわざのお運びを頂き、恐悦至極に存じます。王がお亡くなりになった後、どうしたらいいか困り、後宮の侍女に勧められて下賎の身なれど王妃様にお頼りする他なくて……」
私の前で、蕨色の上着にグレーのズボンを履いた、頬のほくろが印象的な初老の男が土下座していた。
危険そうには見えないけれど、護衛達を彼をの三方を囲むように立たせ、彼の前にいる私の隣にはイーライが立つ。
「どうぞ顔をあげてください。『うぶやかた』の方だそうですね。よかったらそこのお部屋でお話を伺えませんか?」
ところが、男は私の言葉に反応しない。
耳が聞こえなかったのかと思ったら、男は困った顔をしてイーライを手招いた。
彼が腰をかがめると男はぼそぼそと話しかける。
「ユカ様、この男が申すには、直接の対話は許されていないんだそうです。だから私を介するようにと申しております」
いつもくだけている彼の口調が違うのは、外部の人がいるからだ。
私も気をつけて王妃らしくしなければ。
「では今の言葉を伝えて。あと私は王妃ではないと」
かなり面倒なことになった。
平民と貴族と王族。
今まで、その更に下の身分があるという話を聞かなかったのでてっきりないのかと思っていた。
日本も昔からそういう存在はそれなりにいたのは歴史の授業で習った。
だからさもありなんとは思うけど、それでも実際に目の当たりにするとそれなりにショックを受ける。
「とんでもございません。我らは汚れた身、本来、城内に入れて頂くだけでも畏れ多いことですので。そしてすでに次王が立つのも間近なれば、あなたさまは王妃様と呼ばせて頂きたく存じます」
私たちの横を通り過ぎる人の目が気になるし、守衛の人もいる。
きっと、人に聞かれていい話じゃないわよね。
私たちは、せめて人の往来がない通路に移動した。
「こう尋ねてください。あなたがどこからきたのか、何者なのか、そして用件を」
「はい。我らは城にあり城にないもの。王と後宮の為にだけ存在する物でございます。後宮でその、王のお手つきの方が孕むと連れてこられるのがうぶやかた。私めは、うぶやかたの館守、ゴーシュと申します」
そこまで一気に喋ったゴーシュは、ほっと一息つき、緊張しているのか額の汗を拭う。
あ、そうか。
うぶやかた、つまり「産館」か。
王が侍女や女官に手をつけ、妊娠すると、子を生むか堕胎するかを選ぶと聞いた。
その連れて行かれる先が彼の言う産館。
そこで出産と堕胎、また子どもの養育が行われているらしい。
「我々は王のためにありますが、王からお言葉を賜ることはございません。ただ後宮から来た女を受け入れるのが責務。そして本来なら王妃様は我らと関わるのは禁忌とされておりました。ですが緊急時なればお耳汚しの我の声はどうぞ風の声だとお思いくだい。それで用件でございますが、後宮がなくなると聞き及びました。我々は後宮のためにあるものも。なくなってしまえばお役目がなくなってしまいます。ですが未だ妊婦や子を抱えどうしたことかと困っております。また、我々の館の金銭は後宮から出ておりますのでそちらが無くなるとどちらから頂けばいいのか……」
つまり、産館は後宮の王の後始末用に作られた独立施設で、パイプ役が後宮。
ユリウスは王の崩御による後宮の解散後、自分の代では妾姫を設けず後宮は事実上使用しないと明言した。
後宮で働く人達は多く、長い時代続いてきた慣習をいきなり廃止することはできない。
次代以降のこともあるし、ターニャ様と私は彼女達の次の職場を確保するまでゆるやかな休止を計画していた。
なので人員の移動で慣習が変わって弊害が出るかもしれないわよね。
そういえば帳簿類の中でも産館の名前を見かけたことはなかった。
一応禁忌な存在だったから、扱いも特殊なのかもしれない。
カイルが後宮からの出費だと言ってたから、後で確認するとして、やはりはっきり実情が知りたいわ。
実際に現場を見てみたい。
「わかりました。では、今後のことを考えるために今からその産館に参りましょう」
ゴーシュも、護衛達も驚いて私の顔を見た。
産館については、「家庭の事情」で少し触れています。




