[72] 隻眼の忠誠
「ウィルーは市中の警備隊から親衛隊に入った変わり種ですが、状況判断力は抜群です。ユカ様、これで全員ですよ」
「ええ。これから親衛隊の働きを期待しています。それではせっかくだから、隣の事務室で顔合わせをしてくれる?ダイアナ、皆さんをご紹介してちょうだい。イーライは話があるから残って」
「わかった。じゃあバッハ、そっちが終ったら先に戻っていてくれ」
彼らは立ち去る前に私に一礼した。
私に向けられる視線の中で、ウィルーの眼差しだけが熱を帯びている。
つんと鼻を上に向け、颯爽と歩くダイアナを先頭にぞろぞろと事務室へ移動するのを見送ると、私は力が抜けたように椅子に座った。
イーライは前ではなく私の横にまわり、背後に開け放たれた窓枠にもたれた。
部屋には誰もいないが、彼は声を抑えて尋ねた。
「ウィルーのことですよね?」
「……ええ。彼の素性は知ってるの?」
「城の衛兵になった時の履歴書に、マクドフ伯爵の推薦状がありました。ただ普通の推薦状だったもんで、先日カイル様に隊員名簿を持って行った時、腹違いの兄だと伺い驚きましたよ。しかもユリウス王子とも面識があって、ユカ様が城下に行かれた際の警護役とは、とんだ食わせ者だ。世の中、オレが知らないことはまだ色々あるんですね」
「そうなの。そこまで分かってるのね」
私はほっと息を吐き、脱力した。
「あの時はお忍びだったし、カイルと彼の個人的な関係もあるから、知り合いなのは隠したほうがいいかと思って。でもまさかこの部屋で会うことになるなんて、思いがけなくて動揺しちゃった」
「あそこで奴を無視したのは合格点をあげましょう。でも顔に出しすぎです。その喪中のベールのお陰で他の奴らは気付かなかったでしょうがね。そこは大きな減点です」
「うう、精進します。でも、それならまだ衛兵になりたてってことでしょ?たしか親衛隊の選考条件には、兵歴3年以上とあったはず。カイルやユリウスの関係を知ったのって採用を決めた後よね。どうして彼を選んだの」
「奴は特別枠です。ジャックの事件の折に特別捜索隊に志願し、元警備隊で市中に詳しいというので参加を認められたそうですよ。そして彼が、ウィルーが、仲間と兵から逃げて北区の貧民街の建物に潜んでいたジャックを発見した」
「じゃあ、捕り物の末に死亡っていうのは……」
「やつの目、あれ、その時ジャックと闘って受けた傷です。ジャックのやつ、突出したものはないけど、バランスのいい剣士でしたからね。それを殺って、片目ですむなんてたいしたもんです。カイル様と一緒に基礎だけ学んで、あとは我流なのにです。訓練で対戦するとオレの予想もつかない攻撃をしてきて楽しいですよ。おっと、話が逸れた。功績をあげたウィルーは、恩賞を受ける代わりに親衛隊入りを希望したんです。で、俺が気に入って採用したと」
「そう、あの目はジャックが……」
私は、彼が私に向けていた熱っぽい琥珀色の両眼を、そして私に迫り剣を突きつけるジャックの姿を思い出して、胸の前で手を握った。
平民の警備隊長が、貴族の子弟でも難しい王妃の親衛隊に入るなんて、すごいことだ。
でも、その為に自分から捨てた確執のある伯爵から紹介状をもらうなんて。
しかも片目まで失って……。
「奴が親衛隊に入った理由は本人から聞きました。もちろん具体的にお二人に何があったかって野暮なことは聞いてませんからね。ウィルーはあなたに絶対の忠誠心で仕え守るために親衛隊に入った。盲目的すぎるのも問題だけど、今のあなたに必要だと判断して身辺警護につけることにしました。このことは王子やカイル様には報告しない、俺達三人だけが知る事です」
イーライの視線が痛い。
野暮なことは聞かないといっても、恐ろしいくらいに察しのいい彼のことだ。
色々見通されていると思うと、恥ずかしくなってうつむいた。
「ウィルーに、幸せになって欲しかったんだけどね」
「あなたの願った通りになったじゃないですか。奴が願うのは、常にその身に付き従う、あなたの影になることだと思いますよ」
「……私が願ったのは、新しい出会いと幸せを見つけることよ」
「ああいう根暗な粘着系が一度思いつめると死んでも離れませんよ。奴のあなたへの忠誠は、もはや偏愛ですけどね。あきらめて受け入れることです。オレも、思う存分奴を活用させてもらいます。いやー、こき使っても絶対辞めないことが分かって安心しました。使える奴だし、儲けものですよ」
「迷惑をかけるわね」
「それにしても、本当にあなたは無茶をしすぎです」
イーライが私の側に膝をつき、下から見上げた。
紫水晶のような瞳が揺れる。
「離宮で、あの王にあそこまで噛み付いて抵抗していた時以上の無茶はもうないと思いますけど。どうしてそこまで身体を張って捨て身になるんですか」
「捨て身、か。私が持っているものはこの身体しかないから。目の前の大事な人のために出来ることがあるならしたいっていうのは、傲慢かな。でも、何もしないままその人がいなくなって後悔するのは、もう嫌だから」
後悔する相手は、事故で突然失った両親、違う世界に離ればなれになった兄と弟のこと。
そして目の前の大事な人は、この世界に来て私を助け支えてくれてた人達、そして私の王子様。
「身一つしかないのでしたら、それを大切にしなくてどうするんですか。それにあなたが大事に思う人は、あなたが傷つくと一緒に傷つくのですよ」
イーライって本当に私をよく見てくれている。
そして彼の思いやりと忠誠心に私は心の中で感謝した。
あれ、確かによく見てくれているけど、どうして王に嬲られていた時のことを知ってるのかな。
確かユリウス達と一緒に踏み込んできたはず。
その前は、王が離宮を訪れた時に、エントランスで他の護衛達と一緒にいた姿は記憶にあるんだけど。
「ねえ、あの時ユリウス達と一緒に部屋に入ってきたわよね。どうしてその前のことを知ってるの?」
「ああ、ユカ様の護衛だと言っても騎士達が二階に行かせてくれなかったから、こっそり外から二階にあがって窓の外からね。あの時王子がこなかったらオレが飛び込まなきゃならないところでしたけど、王子ご一行が来たんで混ぜてもらったんです。おっといけない、この後まだ打ち合わせがあるから失礼しますよ」
窓の外って、あのあたりの窓の外って屋根はないはずなんだけど…。
イーライって忍者の親戚かなにか?
私を見通すくせに自分の心を悟らせない親衛隊長は、遠慮して事務室で待っていたダイアナに声をかけ部屋を出ていった。
そしてその日の夕方、後宮の居室に戻った私はエリス夫人から新しい侍女、黒髪でエメラルドの瞳の少女を紹介され、またしても動揺してしまった。




