[69] ためらいを越えて
その日、アイオナ国の39代国王、フランシス・オリベルト・ドランブリックの崩御が発表された。
大陸を統べるという結果で戦争を終らせ、国と大陸をまとめあげていた偉大な王の死は、国中に、そして周辺各国にも多大な衝撃を与えた。
国中の街や村の鐘が鳴らし、10日間国民全てが喪に服した。
また全ての神殿では祈りが捧げられ、中でも王都にある大神殿では、王太子の手によって国葬が厳かにとりおこなわれた。
衝撃は与えながらも、国情に混乱をきたすことはほとんどなかった。
もともと王の交替が来年あたりではと囁かれていたこともあり、ユリウスが王を継ぐことが滞りなく受け入れられたからだ。
彼はすでに代王として亡き父の椅子に座り、喪が明ける3ヶ月後には正式に王となる。
そして私もその時には……。
「花嫁、ねえ」
「結婚に不安がおありですの?」
エリス夫人が、私の顔の上にしきたりの黒いベールを被せながら問いかけた。
視界が少し悪くなる程度だけど、顔のまわりに常にまとわりつくのがうっとうしい。
侍女や女官は慎みのある服装ならなんでも構わないが、喪を示す黒いものを見える部分に身につけている。
エリス夫人は、薄いグレーのドレスの胸元に黒いリボンで作ったコサージュをつけていた。
「そうじゃないの。私って託宣で「運命の花嫁」って言われていたでしょう。最初にそれは王妃になることだって言われて、ついそっちばかり意識してたけど、本来はまず、ユリウスの花嫁になることを考えなきゃいけなかったのかなと思っ…え、エリス夫人苦しいです苦しいです」
私のドレスの腰の後を思いっきり締められた。
「ユカ様、ユリウス様のことをどう思ってらっしゃるのです」
「可愛い弟。より最近はかなり格上げしているわ。いい男の顔になってきたもの」
「もうご婚約も終ってるのですよ。王子はプロポーズなさったでしょう?」
「うん、側で支えて見守るって誓ったわ」
「あなた達はいったいどうなってるんですか」
背後に渦巻くオーラが恐くて、後を振り返れない。
「失礼ながらあなたは恋に対して積極的な方かと思ってましたけど、深く愛することに慣れていらっしゃらないのではないですか」
「そんなことないわ、今まで恋愛だってしてきたし…」
「図星でらっしゃるでしょう。どうもおかしいと思ってたのですよ。殿方とのかけひきやあしらいはお上手なのに、あんなに愛を示してこられるユリウス様は正面から受け止めようとなさらない」
「そんな風に見えてた?」
「ええ。王妃になることにはあんなに積極的ですのに。まるで若い頃のうちの主人にそっくりですわ」
「えええ!伯爵ってそういう方だったの?って男の人に例えるのもどうかと思うけど…。でもよく見てくれているのね」
「私をなんだと思っていらっしゃるの、ユカ様の女官ですわ」
身支度が終わり私の周囲を一回りして確認すると、エリス夫人は私の手をとり椅子に座らせ、自分も横に座った。
「何をためらっているのです。愛の何が恐いのですか?」
「恐いわけじゃないわ。ユリウスのことは大好きだし支えてあげたいと心から思ってるわ。ただ彼のまっすぐな瞳を向けられて溺れるほどの愛を見せられると恐い、そう、やっぱり恐いのね。私は同じだけ愛せるか自信もないし、その愛にすっかり溺れると、今度は失うことに臆病になりそうで、恐くて躊躇してしまう」
愛なんて言葉を恋人以外に口をするのが照れくさくて、私の視線はエリス夫人の膝の上にとられた自分の手しか見れない。
そんな私に彼女はコロコロと鈴を転がすように笑った。
「ほんと、うちの主人も同じことを言ってましたわ。そうだわ、私が主人に言ったプロポーズの言葉を教えて差し上げましょう」
「あなたからプロポーズをしたんですか?」
私は驚いて彼女を見上げると、包むような笑顔に出会った。
「今はもう口にのぼることもなくなりましたけど、当時は話題になりましたのよ。あの貴婦人達の恋人アルフォンス様を口説き落としたってね。私達は恋に落ちたけれど、私が愛を口にすると彼は私から逃げていったのです。それを知った私は彼の逃げた先、メラニー伯爵領まで追いかけましたの。親にはあんな遊び人をって反対されていましたから、家出同然で抜け出して。ふふふ」
「そこまでして……」
「彼は、愛するのが恐いと告白しました。そこで私はこう言ったのですわ。恐いのはもう私を愛してくれている証拠で、素直にそれを認めてごらんなさいと。愛は心を強いものにしてくれて恐怖を打ち消してくれますわってね。私たちの愛が結ばれたら、世の中に恐いものなんてなくなるから結婚しましょうって言ったの」
おしどり夫婦の思いがけない馴れ初めを語ったエリス夫人は、私の頬を両手で挟んだ。
「ユリウス様の愛はユカ様を傷つけるものではないから安心なさい。それにユカ様がユリウスさまのことを大切に想い支えたいという気持は、愛以外の何者でもありませんよ」
不思議と、エリス夫人の言葉が心に染みる。
「でもそこまで気持があるなら、焦ることもありませんわ。結婚は愛の終着ではないのですから」
「ありがとう」
「さあ、そろそろ参りましょう。後宮の皆様もそろそろお集りですわ」
「そうね」
私はエリス夫人と共に、ユリウスが手配をした臨時の護衛を連れて、妾妃達が集うことになっている王妃の離宮へ向かった。
イーライは、私とユリウスのたっての願いで親衛隊隊長への就任が決定し、早期編成のために奔走し、一時的に私の護衛を外れている。
重篤な状況は脱したものの依然入院中のバッハが回復すれば、彼は副隊長としてイーライを支え共に私を守って。
その日、現後宮の解散が未亡人となった王妃から皆に告げられた。
王の死去に伴い、望む者は王妃と共に北山の離宮へ、そうでない者は後宮を出るようにと。
そしてその場で私は、次の王妃として提案、心からのお願いをした。
ターニャ様と王女達の離宮への慰留と、妾妃の方々に王妃の女官になっていただくことを。
そして私をに助力をして欲しいと。
番外編に閑話『父の椅子 [69.5]』あります。




