[64] 夫婦の寝室で
ターニャ様の口上が終らないうちに、ずかずかと王と側を固める騎士達が踏み込んできた。
「久しいのう、ターニャ。そなたはいつみても変わらず美しい」
「おひさしゅうございます、フランシス様」
王は、ターニャ様の顎に手をやり強引に顔をあげさせ、間近で彼女の衰えない美貌をまじまじと見る。
だが、すぐに興味が失せたように手を離し、頭を下げる者立ちを睥睨した。
侍女にまぎれて頭を下げていた私は、このまま何事もなく帰ってくれますようにと心の中で必死に祈った。
「ターニャよ、ここに王妃候補がしばらく滞在していたそうだな」
「はい、ユリウスの為にお預かりしていた令嬢が身体を壊したと聞き、私が預かり責任をもって療養させておりました」
「そうか。もう誰もおらぬのか」
「はい、左様にございます」
「それではユカがここにいるのは何故だ」
名前を呼ばれ、私は思わず肩を揺らした。
「…恐れながら、先日狼藉に会い怪我をなさったので、ゆっくり療養して頂くためにお預かりしました。ユリウスのお嫁さんになる方ですから、母のつもりでお世話をしております」
「さすがだ王妃らしい心がけ、感心だ。だが怪我をしたとは心配な。ユカよ、顔をあげよ」
聞こえないふりをしたい所だけどそうもいかず、私はゆっくりと顔をあげた。
「王には、ご機嫌うるわしく」
「護衛に刺されたときいた。大事ないか」
「はい、ご心配をおかけしました。この通り、王妃様にお世話になり順調に回復しております」
「それは重畳。だが、やはり怪我の程度、この目で確かめねばな。なんせ大事な息子の嫁だ」
王は私に獣の笑いを見せた。
いやいやいや、今の科白おかしいでしょう。
私はあっけにとられそうになるのをこらえ、ご心配には及びませんときっぱり言い切った。
それでも私の言葉は聞き入れられず、王は頭を下げたままの侍女達を文字通り蹴散らしながら私の側へやってきた。
私の髪は掴み上に引っぱられ、王はそれに顔を埋め匂いを嗅ぐ。
私はされるがままにし、ひきつる痛みと嫌悪に耐えた。
「フランシス様、おやめください。彼女はユリウスの花嫁ですのよ」
「煩い、退け」
王にかけより袂を引いて止めようとするターニャ様が、王の腕の一振りで跳ね飛ばされる。
床に倒れた彼女に、あわてて侍女達が駆けた。
「ターニャ様っ!」
彼女を気遣い叫ぶ私から王は手を離すと、騎士に私を連れてくるよう命じ大股で二階へあがっていく。
離宮の二階は、王妃様や王子の部屋があるプライベート空間で、客は立ち入ることができない。
私は抵抗むなしく騎士に抱えられ、堂々と進む王の後を運ばれていった。
廊下の突き当たりに、ひときわ立派な意匠の扉があった。
その扉を開けて中に入る。
続いて私も中に連れ込まれ、中央に据えられた巨大な寝台の上に投げ込まれた。
そこは、王と王妃のための主寝室だった。
長く王が不在の間、ターニャ様は副寝室を私室にしている。
この部屋がどのくらい使われていないのかは知らない。
それでも、侍女達の手で毎日掃除が行われシーツが取り替えられているとコリーヌ王女がこっそり教えてくれたことがあった。
まさにそこに今、私は横たわっていた。
「何をするのですか」
「息子の大事な花嫁だ、余が検分せねばな」
「結構です」
「ようやくらしくなってきたな。最近は殊勝な姿を見せておったようだが所詮付け焼き刃よ」
「ええ、平民育ちなもので。なので今の状況も理解出来ないんです。どうして、舅になるあなたが私を寝室に連れ込んでいるのです」
「だから言ったであろう、検分してやると」
王は横に控える騎士に部屋の外に出るよう命じた。
騎士達が中にいる今なら扉の外には誰もいない。
それに気付いた私は隙をついてベッドから飛び降り、扉を目指す。
あと3歩でノブに手がかかると手を伸ばした所で、背後に迫った騎士の手で私のガウンが掴まれ再びベッドに引き戻された。
扉が閉まる音を、再び放り出されたベッドの上で聞いた。
唇を噛む私に、ベッドの前に立つ王は未だ近づこうとしない。
嬲るつもりか。
それならそれに乗ってせいぜい時間稼ぎをさせてもらわなきゃ。
私はナナが無事にユリウスの許にたどり着くよう心の中で祈った。
「こんなことをして、ユリウス様が傷つくと思わないのですか?」
「傷つく?だからどうした。そんなことに左右されるようでは王になる資格はない。血の匂い立つ、命をかける戦場を知らぬ青二才というだけでも腹立たしいのに、女の尻を追いかけるようではな。国の全ては王の為に有る。女は選び奪うものでなければならん」
「確かにあなたは戦を勝ち抜き大陸を平定し、平和な世をもたらした覇王です。それなら次は、平和な世を守るための王が必要なのでは?あなたのような王ではなく、ユリウス様のような優しい王が」
「甘いな、甘いぞ。王とは孤高なものでなくてはならん。横に並ぶものがあってはならぬのだ。たとえそれが王妃であってもな」
「孤高だからこそ、それを支えられるのは共に立つ王妃ではないですか」
「なんと傲慢で愚かな娘よ。ふむ、確かにふたりは似合いの夫婦となろう、だがその甘さは国を滅ぼす。王は国を残すのが務めよ。国を滅ぼす甘さを持つのであれば、王になる前にそれを捨てさせるのが王として、親としての使命だ」
「捨てさせてやるですって?父親に手伝ってもらわなきゃ一人前にならない王が、まともな王になるものかしらね」
私たちは睨み合っていた。
少しでも見下ろされないよう、いつでも逃げ出せるように膝立ちになり、つま先に力を入れる。
「さすがによく吠える。だがもっと賢い娘かと思っていたぞ」
「私だって、もっとまともな王かと思ってたわよ」
見解の相違で馬鹿な娘と決めつけないで。
私は反論することなく、代わりに一歩後ずさった。
王がベッドの上に一歩膝をついたからだ。
バッハほどではないが、ユリウスよりはるかに逞しい体躯の重みがマットにかかり、王の身体ごと膝の周囲が沈む。
「怯えているのか?ははっいいのう、いいのう。もっとその顔を見せるがいい」
「断わるわ。私とあなたじゃ相性が悪いと思うわよ」
「そうか?いい声で哭きそうじゃないか。ほれ、肩が振るえておる」
また一歩王が進み、私はマットを蹴って後に下がったけれど、すぐにヘッドボードに背がついてしまった。
「残念だけど、私じゃ期待に応えられないわ。それに私もいい声で哭かせたいほうなの。でもあなたは哭きそうにないから興味がないの」
「ほう、ではもう息子を哭かせたのか」
「いいえ、結婚してからの楽しみにしてるのよ」
「はっ、なんと軟弱な息子だ。こんな馳走を前に怯むとは」
王は、はだけたガウンの下に着たネグリジェの薄いリネンの下を見透かすように、目を細めた。
私はガウンの前を引き寄せて押さえ、睨みつける。
「ユリウスは怯んだんじゃないわ。思慮深いのよ」
「そうか、だがあやつは後悔するだろうな。あの時に怯むのではなかったと」
王は、逞しく太い腕を私に突き出した。




