[63] 鍵を託して
私が離宮に滞在し、もう一週間が経った。
その間にダイアナも家に戻り、私の傷も完治した。
どうして未だ私がここにいるのかというと、皆が次々去って行くのが寂しいからとターニャ様にお願いされたから、もちろんそれ以上にこの離宮の居心地が良かったからというのもある。
あんな事件の後だからと、事務室が大幅に改装されることになり、合わせて王妃の執務室にも手が入れられることになった。
工事期間は10日間。
それが終るまではここに泊まることにし、それなら残りの王妃教育を済ませてしまいましょうとターニャ様が提案し、強化合宿中だったりもする。
もちろん本当はその間の仕事はないわけじゃない。
王子の執務室の一角を借りて、リックとミラーさんが仕事をしてくれている。
ナナとシュリで朝夕2回そこに顔を出し、私への報告と伝言、そしてこちらで決済が必要なものを預かってくる、後宮と城の間を結ぶメッセンジャーを務めてくれていた。
「ユカさん、そうじゃありませんよ。もっと柔らかく微笑んで」
「こ、こうですか?」
「首をかしげすぎですわ。そう、このぐらいで、目線はこっちに。ほら、指先は揃えなくては」
「いたたたた、そっちは、そっちは無理です!これ以上曲がりません」
「あらごめんなさい、おかしいわね。私はいつもこうしてたから… あら、左右が逆だったわ、こっちよこっち」
「たたたた、ですからそれ以上は曲がらないのです…」
ターニャ様の白魚のような指先が私の頭を抱えてあっちこっちに向けるので、首の筋がきゅっと痛み涙がうかぶ。
今は、王妃らしい立ち居振る舞いのレッスンをしている。
指南書を見ながらの授業より、細かい実技のほうが苦手だわ。
公式行事で国民の前に出る時は、国民が求める王妃らしさに応えないといけないらしい。
ターニャ様には全く悪気がなく無邪気な笑顔で私にさあと国民役を示した。
手空きな10人程の侍女や女官が集められて私の一挙一動を見守っている。
私は何度めかの「優美に微笑みながらたおやかに手を振る」にチャレンジした。
そこにパタパタと軽やかな足音をたてて闖入者が現れた。
「お母様!あら、ユカ様ごきげんよう」
「コリーヌ様、ごきげんよう」
私は軽く膝を折る。
「お姉様ったら他人行儀ですわっ、あたくし本当の姉だと思ってお慕いしておりますのに。コリーヌとお呼びになってと何度言えばよろしいの」
ストレートの綺麗な薄い金髪と水色のドレスの裾を揺らしながら颯爽と現れた少女は、ユリウスの妹のコリーヌ王女だ。
この国での成人を迎えたとはいえ、まだまだ幼さの残る少女の体つきをしている。
実は、ユリウスはこの妹と仲があまり良くなかった。
妾姫の生んだコリーヌ王女が王妃のもとに引き取られた時、ユリウスは4歳。
妹だから優しくしてねと言われて最初は小さい妹に恐る恐る接していたが、次第に可愛がるようになってきた。
ところが、妹が言葉を覚えてから関係は一変した。
コリーヌ王女ははとっても口達者だった。
ユリウスとカイルの後をついてまわっては、いちいち口を出し、文句を言い、なんでも大人に言いつける。
それに我慢できなくなったユリウスは、彼女を仲間はずれにしとにかく避けた。
そして成人後には離宮を訪れなくなり、すっかり疎遠になってしまったんだそう。
『私、お兄様に嫌われたままなんだと思ってましたの』とコリーヌ様から話を聞いて、ユリウスらしいなと納得した。
そんな凍り付いた関係の兄が態度が一変し、この離宮に現れるようになった。
しかも昔の遺恨を忘れたのか彼女に笑顔まで見せる始末、それもこれも私のお陰だと言ってすっかり懐いてしまった。
可愛い妹が出来たようで嬉しいけれど、うん、口達者というかかなりお喋りだとは思う。
彼女と同じ部屋にいると、かなりかしましい。
「お姉様、そういえば聞いてくださいまし、昨日仕立てたドレスが…」
「コリーヌ、今はユカさんのお勉強中なのよ。何かご用があるんじゃなくって?」
話が止まらなくなる前の絶妙なタイミングで、ターニャ様がたしなめる。
おっとりとして可愛らしいターニャ様もやっぱり母親、四人の子持ちだけある。
私は王女様相手に、まだいまいち距離感がつかめず口を挟むタイミングを逃しちゃうのよね。
「ああ、そうでした。今夜のアクロン公爵夫人の別荘の舞踏会にそろそろ出かけるので挨拶に参りました。明日は音楽会があるのでそのままミレーネさんのお屋敷に泊めて頂きますわ」
「わかりました。そのドレス、あなたによく似合ってるわ。くれぐれも気をつけてね。そして王女としての品位ある行動をとるのですよ」
「はい、お母様。お約束しますわ。」
コリーヌ王女は優雅に身を屈めると、ターニャ様の頬にそっと口づけた。
そして身を翻すと、私にも飛びついてキスをする。
「ほら、言った端から落ち着きの無い」
「うふふ、それでは、お母様、お姉様、行って参ります」
つむじ風のようにコリーヌ王女が去っていった。
「ごめんなさいね、せわしない子で。それでは続きを始めましょうか」
こうして私は、30回ほど微笑んで手を振るを繰り返した所で、今日のレッスンが終了した。
「ユカ様、首がどうかされました?」
ちょっとした時に首をまわす私に、ナナが心配そうに声をかけた。
「ちょっと使いすぎて凝っちゃって。でも、さっきしっかり湯船で温まってたら楽になったわ」
今日はユリウスは忙しく、離宮には顔を出せないと伝言があった。
なのでのんびりお風呂に入って身体をほぐした。
そして寝間着にガウンを羽織った姿で居間に行き、お茶を飲みながら居間でターニャ様や夜勤の侍女達とたわいないお喋りやカード遊びに興じていた。
ターニャ様も風呂上がりで真っ白な肌を桜色に染め、大人の色気を醸し出している。
ちなみに王妃様はお酒を嗜まれないので、ここにいる間は禁酒なのが寂しい。
その代わりに豊富に取り揃えたお茶を色々と楽しませてもらっている。
この国にはトランプに似たカードゲームがあって、ルールもポーカーに似て覚え易い。
ターニャ様が賭けましょうと、どこからか色とりどりのキャンディーが詰まった瓶を持ってきて、俄然ゲームは白熱した。
普段なかなか口にすることのない高級菓子を一つでも多くとろうと、侍女達が本気を出していた。
そこに、突然ドアが激しく叩かれる音が響いた。
深夜の突然の来客に良い知らせはない。
私たちはゲームを中断し、玄関ホールに駆けつけた。
玄関に詰めている夜警の兵士が覗き窓から相手を確認し、仰天してターニャ様のもとに駆け寄る。
「どなたなの?」
「お、王が起こしになりました」
邸内は騒然となった。
私はとてつもなく嫌な予感に襲われたと同時に、とうとうこの時が来たかと思った。
傍らにに控えていたナナの腕を掴むと、その顔をのぞきこんだ。
「今すぐ部屋に戻りなさい。棚の宝石箱の中に執務室への渡り廊下の鍵があるわ。知ってるわよね?銀の鍵で赤いリボンのついた。それを持ってすぐここから出なさい」
「いけませんユカ様、私はお側で…」
「一度しか言わないから良く聞きなさい、これは命令よ。あなたは今からユリウスを呼んでくるの。城内に入ったら彼の執務室までは行けるわね?その一つ先の角を曲がった所にある階段を降りるの。その奥に立派なドアがあるわ。いい?私の為に死ぬ気で走りなさい。出来るだけ目立っちゃだめよ。もし兵に捕まったら、私の命令だと言って取次ぎを頼みなさい」
ナナは固い顔で頷くとドレスの裾をひるがえし、玄関ホールの奥の廊下へ、私の滞在してる客間へ向かった。
姿が消えるのを見届けほっとする間もなく、寝間着姿ながら身繕いをした緊張した面持ちのターニャ様が扉を開けるように命じた。
玄関の扉が開け放たれ、そこに立つ男達の姿を前に一同は膝を折る。
そして、先頭で頭を下げるターニャ様が、柔らかな通る声で口上を述べた。
「おかえりなさいませ、我が王、フランシス様」
※誤字脱字修正しました。ご指摘ありがとうございます。
女王の執務室→(正)王妃の執務室
強化合→(正)強化合宿




