[62] 承知しました
馬を走らせて半日行った先の街で私が襲われた報告を受け、ユリウスが城に戻ってきたのは翌日昼過ぎだった。
よっぽどあわてて戻ってきたようで、髪の毛から足の先まで土ぼこりで真っ白だった。
抱きつくのはさすがに躊躇われたのか、ユリウスは私の手を自分の頬に唇に押し付ける。
「またユカを守れなかった」
「留守を狙ったんだし当然よ。でもほら、私は大丈夫よ。傷も浅くてほとんどふさがったし明日にはベッドから出れるのよ」
「無事でいてくれてよかった。ユカを失ったら俺はもう……ジャックの人選を決定したのは俺だ。俺のせいでこんな危険な目にあわせてしまった。どう詫びたらいいのか」
「そんなことを言ったら、ずっと側にいた私も気付かなかったんですもの、仕方が無いわ。彼らをその気にさせたのは私だしね。でもね、聞いてちょうだい。私はユリウスのお陰で命拾いをしたのよ。だからしっかり助けてもらえたわ」
離宮を訪れる前に、カイルに事件のあらましの説明を受けていたユリウスは、命拾いという言葉の意味を理解し頷いた。
そして私の言葉に感極まったのか、抱きしめ口づけようとする。
と、そこを側で見守っていたダイアナに押し止められた。
「ユリウス様、お気持ちは分かりますがご自分を御覧なさいまし。ユカ様はお怪我をなさっていますのよ、それをそのような不潔なお姿で触れられては治るものも治りません。さあ、今用意をさせますから湯浴みをなさってお召しかえになってから、ゆっくりお二人でお過ごしください」
容赦のないダイアナの言葉にユリウスは不愉快な顔をしたが、それでもしぶしぶ認めて立ち上がった。
その拍子に離れかけた手を私は掴む。
「待ってるから、戻って来てね」
私が微笑んで見せると、埃被り王子は極上の笑みを見せた。
奇しくも、今日はリリーが帰宅する日だった。
ダイアナも共に後宮を去るはずだったけど、私が離宮にいる間は側にいたいとユリウスに訴えその熱意に許された。
夕方、迎えの到着の知らせを受け、挨拶に来た可憐な少女に、私はベッドの中から手を握り、薔薇色の頬に口づけて別れの挨拶を交わした。
前回の王との遭遇も考え、見送りはユリウスが同行してくれた。
本当は事件の解決に指示を出さないといけないのを、私の側にいるようカイルが肩代わりしてくれているらしい。
ひとしきり包容と唇を何度も重ねて元気をとりもどしたユリウスは、城に戻るついでに用を済ませ、夜に戻るからと名残惜しそうに出て行った。
窓の外からリリーを見送る声がする。
ダイアナとももうすぐこうして別れることになるのね。
そう思った時に胸をよぎる空虚感で、彼女の存在感の大きを知り驚いた。
彼女のお陰で、ジャックに裏切られた時のことを思い出し落ち込む暇がない。
歳若くても、エリス夫人とはまた違った信頼出来る友人になれそう。
だけど、今の後宮は王の狩り場。
いつまでも彼女をここに置いておいていては駄目だわ。
早く家に返さないとね。
寂しくなるなとため息をついていると、軽やかにドアが叩かれ、見送りの住んだダイアナが戻って来た。
「リリーは帰りましたわ。王子は夜にお顔を見に戻るそうです」
「そう、ありがとう。ところでお話しがあるんだけど、いいかしら」
「なんですの?」
私はダイアナを傍らの椅子ではなくベッドの端に腰掛けさせた。
彼女の手を握り、お人形のように整った顔を見上げる。
「あなたも、明日お帰りなさい」
「どうしてですの!私はユカ様のお側にいたいんですの。それとも私がお側にいるのはご迷惑?それならはっきりとそうおっしゃってください」
ショックを隠すように眉を吊り上げ可憐な口元をへの字にまげるダイアナに、私は微笑んで見せる。
「気持は嬉しいわ。でも明日にはもうベッドから出られるわ。それにあなたには後宮からは出て欲しいの」
「王のご心配をされていますの?私、恐くありませんわ。ここにいれば平気ですもの」
「勘違いしては駄目。この離宮だって後宮の一部。王妃の離宮は王のものよ。ここにいる限りは危険なの」
私の言葉に、ダイアナは唇を噛む。
恐怖に怯える親友の姿に、その危険の大きさは理解していた。
「それに困ったわ。お願いがあるんだけど、あなたが後宮にいると出来ないことなの」
「別のお願い?」
「私の側にいてほしいの」
「ですからこうして私は…」
「違うわ。私が王妃になっ暁には、片腕になって支えて欲しいの」
「え?」
「ロスマリノ侯爵のご令嬢にこんなお願いしていいのか分からないけれど、私に力を貸し手欲しいの。今はまだ代行の身だけど、王妃の執務秘書になってくれないかしら」
「執務秘書ですか」
「あなたのその行動力と機転で、頼りない私を支えて公務を手伝って欲しいの」
「頼りないなんてそんな!それに未熟な私がユカ様を支えるなんて無理ですわ。女官としてぜひお側に置いてくださいまし」
「仕事は一から覚えればいいことよ。だけど生まれもって、今まで磨かれてきたその資質はかけがえのないものよ。ユリウスにきちんと進言できるくらいですもの、執務室でも充分勤まるわ」
「でも私、殿方の中でお仕事するなんてこと無理ですわ」
「あなたの仕事は、私の側についていてもらうことよ。それにお願いしたい仕事の一つに、貴族のご夫人やご令嬢に力を貸して頂きたい時の調整役をお願いしたいの。それには私よりも立派な貴族の淑女のあなたが必要だわ」
「ロスマリノの娘ではなく、私の身がお役に立てるのですか」
「ええ、返事は今すぐでなくてもいいから考えてもらえないかしら。もちろんご家族と相談もいるでしょう?」
「承知しました」
「じゃあ良い返事を待ってるわね」
「ユカ様、私はそのお話をお受けすると返答したのですわ」
「いやでも、お父様にもご相談しないと…」
「王妃候補として今まで充分家に尽くして参りました。次は私の決断を認めて頂く番ですわ。ご安心ください、父は最後には私に甘いんですの。ふふふ…」
ダイアナは細い腕を私の首の首に絡ませた。
「素敵なお誘いをありがとうございます。私、明日家に戻りますわ。そして改めてご挨拶に参ります」
まるで遊びの誘いを受けた少女のようなはしゃぎっぷりで、さっそく帰宅の手配をしに部屋を飛び出していった。
まだまだ伸び盛りのダイアナなら、きっと立派な秘書になってくれる。
それに、秘書で終るような器じゃないかもしれない。
私は、彼女が去ったドアを眺めながら口の片端をつり上げた。
あのぐーたら補佐官のお尻を叩いてしっかり働かせてくれそうよね。
事件のせいで仕事が出来ないことをリックが喜んでいたぞと、ユリウスが眉をひそめながらカイルの伝言を伝えてくれた。
数日後には復帰できるから、そうしたらこきつかってやらないとね。
こんな時くらい休みなさいとエリス夫人に書類を取り上げられている私は、読書も禁じられてやることがない。
貴重な話し相手も去ってしまい手持ち無沙汰のまま、だけど執務秘書を確保出来た満足感に満たされながら寝返りを打った。
そしてその晩、約束通りユリウスは私の部屋にやってきた。
朝から長い距離を馬で移動し、さっきまで仕事をこなしたせいかひどく疲れた顔をしていた。
私は布団の端を持ち上げ誘うと、するりと中に入ってくる。
傷が痛むので手を繋ぐだけねと前置きし、私たちはユリウスの部屋の半分の広さの、それでも並んで寝ても充分なベッドの中で寄り添った。
私は身体をそっとユリウスのほうに向けると、彼の頬そっと撫でる。
いつもならうっとりと気持良さそうな顔をするのに、今夜は固い顔をしていた。
「事件に進展があったのね」
私の言葉にユリウスは小さく頷く。
「既に調査で顔ぶれは分かってたんだが、衛兵に手をまわしたものを捕らえて、はっきりと名前を吐かせたよ。メルキス侯爵を筆頭に、公爵家3家もだ。五侯の一人が次期王妃を暗殺しようとはあきれたもんだ」
ユリウスは、私の手をぎゅっと握りしめ、頭を胸に押し付けた。
私はその頭を片手で軽く抱えてやる。
「あと、ジャックが見つかった。暗殺に失敗したせいで仲間からも追われていたらしい。貧民街に隠れていた所を見つかり捕物の末死んだ」
「…そう」
私はユリウスの頭越しにある壁を見つめながら彼の言葉を噛み締め、ジャックの末路を悼んだ。
番外編に閑話『兄と弟 [62.5]』あります。




