[61] 血にまみれて
私はカイルを従えて、私を探す一団の前に現れた。
王子の執務室を出る前に、私を抱いていくいかないでしばらく揉めたのだけど、私を襲わせた連中に弱い所は見せたくなくて自分の足で歩くと言い張った。
明るい所に出た私は、身繕いはしたものの、手には乾いた血がこびりつき、薄紫のドレスの腰の右上がぱっくりと破れ、傷ついた肌が露出している。
私が手探りで手についた血を拭いたために胸や腹など色々な所が血に染まっていた。
傷は浅かった割には出血が多かったようで、しかも一度ふさがりかけたものの再びあれやこれやで動いたせいで一時的に再出血したらしい。
地味な仕事着だけど、1着で事務官の1ヶ月分の給金にあたる金額はするのよね。
洗って繕えば着れそうだけど、このドレスはもう着たくないな。
でも、この間もドレスを駄目にしたばっかりなのに、もったいない。
命を狙われたのに、小市民的な心配をしてしまう自分に自嘲する。
「ユカ様!よかった」
「よくご無事で、本当に」
城の後宮へ続く廊下に、多くの兵とアイーダさんと、イーライが待っていた。
皆は私が無事なことに安堵をした表情を浮かべ、次に私の姿を見て息を飲んだ。
ひどい姿だとは自覚があったけれど、彼らには壮絶な姿に見えたらしい。
後ろに続くカイルも、なにげに袖口や腰のあたりが血で汚れているけど誰も気にする者はいない。
「お怪我までされて、でもこうしてご無事でよかった」
涙をたたえて私の首を抱くアイーダさんの背を私はそっと抱きしめる。
「大丈夫、怪我はたいしたことないわ。心配かけたわね。後であなたのいれたお茶が飲みたいわ」
「承知しました。でも、手当をした後にですわよ」
私達が再会を喜んでいると、恐縮しながら兵士の一人が声をかけてきた。
「ご無事でなによりです。我々捜索隊がユカ様をお探ししておりました。すぐに上司に発見の報告せねばならんのですが、何処にいらっしゃったのでしょうか」
私が何度か聞いた執務室に踏みこむ足音の主は彼らだったのか。
あの通路のことは極秘なのよね。
答あぐねてカイルを振り返り助けを求めた。
「ユカ様は王子より万が一の為に授けられた、王家の者のみ知る場所に隠れていらした。それゆえこれ以上このことは尋ねることも他者に口外することも禁止する。隊長への報告は私の名を告げて今のように伝え記録には無事に救出とだけ記すように」
「はっ、かしこまりました」
「ユカ様は、そうだな。今から王妃様のもとへお連れする。離宮まで二人ほど共をしろ。事件の詳細も伺わないといけないのだろう。アイーダ殿とイーライは支度をして離宮へ来るように。イーライ、しばらく一人になるが頼む」
カイルの視線を受けて、イーライは胸に手をあてて頷く。
一同は軽く膝を折ると各々の仕事にかかった。
「ねえ、バッハは?バッハはどこにいるの?」
「今は医務室で城の医師が見ているよ」
「お見舞いはいけない?顔を見るだけでも。彼は刺されても私を助けようとしてくれて…」
「いや、今は医者に面会を止められている。治療は済んだがまだ重篤で意識もなく、事件の様子をきくこともできないんだ。改めて機会を設けよう」
私は、後宮の皆の驚く視線を集めながらも、堂々と庭の小道を歩き王妃の離宮に向かった。
迎え出たターニャ様とリリーは私を見て気を失いかけ、ダイアナは顔をこわばらせていた。
最近めっきり慣れ親しんだこの離宮で彼女達の顔を見て嬉しくて、私は満面の笑みを浮かべていた。
血まみれで。
カイルは私をターニャ様に託すと、すぐに城へ戻って行った。
私の側を離れる時、カイルは振り返ることもなく、私も呼び止めることはしない。
私たちは今まで通り、それぞれ自分のなすべきことをするまで。
それでも心の奥に絆が感じられ、それだけで心強かった。
私はジュディスが滞在していた客間に通され、医師の診察と治療を受けた。
幸い縫うほど深くはなく、油紙に軟膏を塗って張る程度で済んだ。ただ、傷口を綺麗に直すために2、3日は寝て大人しくしていてくださいと釘を刺された。
身体を簡単に拭き清めた後、アイーダさんの持って来た寝間着に着替え、私はベッドに寝かされた。
面白いことに最初はターニャ様が指図されているものと思っていたのだけど、なんとダイアナが私の世話に関しては全てとりしきっていた。
リリーの世話をしている時に、すっかり離宮の侍女達を掌握したのだろう。
エリス夫人と同じくらいにてきぱきと物事をすすめる。
時折部屋を覗いては行き届いてるか確認し、侍女達に発破をかける姿を私とアイーダさんは感心しながら見ていた。
手当などが一段落し、約束通りアイーダさんがいれたお茶を飲んでいると、ダイアナが兵士を案内してきた。
ここに来るまでに色々と口うるさく言い含められたらしく、背後で睨みをきかせる小柄な少女のダイアナに、鍛え上げた兵士が怯えている。
「いいですわね、ユカ様はとっても恐い思いをされたのです。それを口にさせようというのですから、慎重に言葉を選んでくださいまし」
「承知しております。それではユカ様、恐れ入りますが事のあらましをお聞かせ願いますか」
「ええ。では、あの部屋に入ったと頃からお話しましょうね」
私は、淡々と起こった事を語った。
事の起こりは、ジャックがバッハを刺していたこと。
彼が私を殺そうと迫り、なんとか手を逃れ走って逃げたこと。
ジャックが同志だという私を排斥を企んでいる一団がいることや、隠れた時に聞いた彼の言葉も伝えた。
彼は前回の襲撃の時から特別に編成された捜査隊の一員で、ある程度事情を把握していた。
それでも城に配備された、しかも王家の者達の執務室が並ぶ階を守る護衛の動向を操れる者がいたことに驚いていた。
兵が部屋を辞した後、私の話を聞いていたダイアナはバラ色の頬にハラハラと涙をこぼし、鼻をすすりながら私の手をとった。
「ユカ様、よく逃げ切ってくださいました。信じていた者に剣を向けられるなんてどんなにか傷つかれたことでしょう。おかわいそう」
「そうね、すごくショックだったわ。でもね、それでも私にはまだ信じられる人がこんなにいるもの。大丈夫よ」
しばらく嗚咽だけが続き、私はダイアナの綺麗な縦ロールが揺れるのを見ながら、そっと華奢な肩を撫でていた。
「次があってはならないことですけど、次も危ないことがあればこうやって逃げきってくださいまし」
「もちろん。私、逃げ足には自信があるのよ。ただドレスがね、慣れないし動きにくいったら。丈を短くするのが駄目なら、ズボンがいいわ。それだともっと早く走れるのに」
「淑女は走らないものですのよ」
ここにいないエリス夫人のかわりに、アイーダさんがやんわりとたしなめる。
そこに、ダイアナが思いがけない反応を示した。
頬の涙は乾き、潤んでいた瞳は別の光をたたえている。
「ユカ様は男装をなさりたいのですか?」
「男装?いや、そんなわけじゃ…」
「素敵でしょうね!ユカ様が朝お庭を走られる姿はとても凛々しいと皆が噂しておりましたわ。お怪我が直ったら一度試してくださいまし。私、手配しておきますわ」
「そ、そこまでしなくても…」
私の言葉はもうダイアナの耳に届かず、立ち上がった彼女は縦ロールを楽しげに揺らしながら颯爽と部屋を出ていった。




