[56] 深夜のレッスン
「ねえ、カリナ様と何かあったの?」
私はソファーで酒の入った杯を揺らしながら、ドアの側に椅子を置いて座っているイーライに話しかけた。
朝の日課のジョギングは、例の襲撃事件のせいで中止させられている。
そのせいか最近はつい夜更かしをしてしまうことが多い。
仕事にも飽きて、誰かと離したくなったので、先ほどまでナナとイーライを相手にのんびりおしゃべりを楽しんでいた。
そのナナは、私の飲んでいる酒が甘いと知ると興味を示し、一口味見した結果、私の横で上半身を横たわらせて気持良さそうに寝ている。
彼女はしばらくこのまま傍らに寝かせておくことにし、私はイーライに二人でないと聞けない話をふってみた。
「うーん、妾妃様には特になにも覚えはないんですがね」
「最近お茶会のお誘いを頂くことが増えて、護衛にイーライを連れてきてって毎回ご指名なのよ」
「確か睡蓮の間の方でしたよね。それなら部屋付きの侍女になら心当たりがなくもないかなあ」
「一応あるのね」
「ユカ様、無駄に嬉しそうにするのやめてください。オレはなにもしていませんよ。ただ、向うがよく絡んでくるだけですから」
「絡んでくる?」
「菓子やら酒やらどかの土産だの刺繍の入ったハンカチだのを持ってくるんです。ああ、あと手紙とか」
「それ、どうするの?」
「さすがに食べ物は恐くて同僚のやつらにやってますね。手紙はまだいいとして、ハンカチとか下着とか渡されるのはきついですよ。隊舎に戻った時に燃やしますけど」
「恐いから同僚にあげるって、食べ物に変なものが入ってたらどうするのよ」
「なーに、体力馬鹿共ですから何かあっても腹を壊すくらいですよ。まじないの材料なんか気にもしませんて」
イーライは、侍女や女官の間で流行っている、好きな人の心を捕らえる恋のまじないの方法を教えてくれた。
多分、これが日本中の女性に広まると、バレンタインで手作りチョコを受け取ろうとする男性は皆無になるだろう。
そのくらい、身体に害はなくても知れば心が折れそうになる物が使われていた。
どうしてそんなことをイーライが知っているのかと尋ねたら、親しい女性達との寝物語で教えてくれたとしれっと答える。
最近、私たちは気安く話しをする。
私より2歳上と歳が近いのもあるけど、彼の飄々とした余裕のある様子が、張りつめることの多い城や後宮の中でほっと肩の力を抜かせてくれる。
そんなイーライを、ジャックは分を越えてると噛み付くことが少なくない。
確かにあまり褒められたことじゃないのかもしれないけど、ちゃんと場はわきまえて護衛の仕事にぬかりはない。
イーライも、そんな子犬が吠え立てるようなジャックを面白がって刺激している。
「大丈夫ですって、オレは職場の女に手を出さないのがモットーなんです。そんなことをした日には目もあてられなくなりますからね。そもそも不自由もしていませんし」
「そこはわかってるし信頼してる。ただ、恋する乙女の暴走は恐いからね」
「ほんと、いつまでもそこんとこだけはオレも掴めなくて恐いですよ」
私たち二人はため息をついた。
先日も、後宮を移動中に私がある妾妃と遭遇し立ち話をしていると、ふいに私たちに駆け寄る侍女がいてジャックに取り押さえられた。
イーライの側に妾姫が連れた大勢の侍女がいたことに、抜け駆けをしていると勘違いした彼女は、私や妾姫が彼女の死角にいた為、職務中と気付かず輪に入りに、いや、自分こそが抜け駆けしようとイーライに背後から抱きつくために飛び出してきたのだった。
彼女を取り押さえたジャックは、人の恋路を邪魔する者はなんとやらでケリ飛ばされるやらひっかかれるやら散々な目に合っていた。
「じゃあ、侍女達から話しを聞いて興味を持たれたのかもね。特に問題がないなら、明後日のお茶会のお誘いお受けしてもいい?」
「ええ、オレは構いませんよ。それより、いくらでもオレを交渉のエサに使ってくれていいですよ。ここの女達に俺は宝石くらいの魅力はなるみたいですからね。それにそれなら堂々と役得ができる」
「何をいきなりそんなこと。イーライは私の護衛が仕事よ」
「そういうことに身体を使うことに罪悪感なんて持ってないことはあなたなら分かるでしょう」
イーライは顔に楽しげな笑みを浮かべるが、目は笑っていない。
「私は人をそんな風に使うのは嫌いなの。二度とそんなことを言わないで」
「おやさしいことで。でも人を守るのに自分を傷つけてばっかりじゃしんどいですよ。利用することも覚えないと」
「自分の力が及ばない時にはちゃんと頼るし助けを求めるわよ」
「ユカ様って器用そうに見えて、本当はすごく不器用でしょう」
「自覚は、あるわよ」
私はイーライに自分の内面を見透かされていることが嫌じゃなかった。
誰かが自分を知っていてくれることが嬉しくも恥ずかしくもあり、顔が赤らむのをごまかすためについそっぽを向いた。
「そんなとことが見ていると危なっかしいんですよ」
「危ない?」
「そう、不器用でお人好し。出来るだけ波風をたてないようにしたい、なんとかしてあげたいと思うのはいいことですが、この場所にいる限りは弱みになりますからね。時には相手の弱点をついたり、冷たくあしらうことも覚えないと」
「そうね。頭では分かってるつもりなんだけどね」
杯が空になり、違う酒をと酒棚を物色していた所で、急にイーライに後ろから抱きすくめられた。
頭からうなじに、彼の唇が押し当てられる。
「からかうのもほどほどにしてよ。ナナがいるんだから」
「彼女は当分起きませんよ、随分気持良さそうに寝てるし。ほら、うまくあしらってみてください」
「こういうレッスンはどうかと思うわよ」
力で抵抗しようとしたけど、さすがに護衛騎士だけあって、太くはない腕なのに、特に力を入れている様子も見せず苦もなく私を押さえつけている。
「ほらどうしました、早く逃げてください。それともこのまま続けたいですか?オレは構いませんよ」
耳の後ろを息がかすめたかと思うと、舐め上げられた。
思わず膝の力が抜けて彼に抱き支えられる形になる。
彼はそれに動じることなく、耳朶を嬲り、耳の中に熱い息と共に舌が侵入しようとした。
私は、イーライに身を任すように片手を彼の手に添え、もう片方の手を彼の腰にまわし、そのままなでまわすよう下に手をすべらせる。
「はい、そこまで。やりすぎよ」
私が低い声でつぶやき手に少し力を入れると、速やかに彼の手から解放された。
「あっぶない、今の反撃は淑女がしちゃいけません」
「あなたが弱点をつけってさっき教えてくれたでしょ」
私は不適な笑みを浮かべた。
イーライは降参というように両手をあげた。
「参りました。失礼なことをして申し訳ありませんでした」
「いいえ、ためになる授業をありがとう、勉強になったわ。それにあなたをカードにすることに少し負い目もなくなったかもね」
「いやいや、今まで通り大事にしてやってください。オレも、もう少しユカ様への評価を上げておきます。」
「きっと辛い点をつけてるんでしょうね」
「まだまだですが、少なくとも今までのオレの主の中で一番優秀ですよ」
「ほんと?それは嬉しいわ」
「このまま一番でいてもらうためにも、ユカ様には頑張って頂かないと」
「私にそうやって発破をかけてくれるのはあなたくらいよ、騎士さん。あなたの信頼と忠誠を得られるように努力するわ」
私は中断していた酒選びを再開し、辛めの蒸留酒を選ぶ。
そして、一口だけもうひとつの杯に入れて傍らに立つイーライに渡した。
「お人好しで頼もしい私の騎士に」
「雄々しくも麗しいオレの女王様に」
ガラスの杯が重なると、澄んだ高い音が、ロウソクの灯りが減り薄暗くなった部屋に響いた。




