[52] 王子の部屋
身体を動かす気力のない私の上に、ユリウスが自分の上着をかけた。
「ユリウス、悪いけど人目につかないところで休ませて。この姿で後宮には帰れないから」
「わかった。カイル、メラニー伯爵夫人に使いを出して伝言を。ユカは今夜俺の部屋に泊まる。着替えを一式届けてくれと。今日は仕事は終りだ、帰ってゆっくり休め」
「ああ」
二人は目を合わせないまま言葉を交わした。
ユリウスは私を抱きかかえると、執務室の本棚に近寄る。
そして何か手を動かすと、引き戸のように本棚が動いた。
「隠し戸?」
「歴代の王太子とその侍従しかしらない。他言無用だぞ」
疲れた顔のカイルに見送られた私たちは、隠し階段を進んだ。
元通り本棚を戻すと明かりのない闇の中を、ユリウスは迷いなく確かな足取りで降りていく。
底まで降りたのか立ち止まり、扉が開く音がすると、私達は隙間から薄明かりが差し込む小さな小部屋に出た。
そして引き戸になっている扉を開けると、そこは広い窓から光が差し込む明るい部屋だった。
薄いブルーに塗られた壁に風景画が何枚もかけられ、白色のシンプルだけどラインが綺麗な家具が並ぶ。
その部屋の中央の寝椅子に私をそっと横たえた。
「ここは?」
「俺の部屋。初めてだよね」
「ええ。すっきりしてていい部屋ね」
ユリウスは侍女部屋の扉を叩き二言三言交わし戻ってきた。
「それよりこれで頬を冷やして」
両頬に濡らした布をあてられた。
ユリウスは私の横に膝をついて布を抑えながら、心配そうに私の瞳をのぞきこむ。
「どうしてここまでって言わないでよ。分かってるでしょう」
「うん。俺がふがいないせいだ。王子としてじゃなく、意地を張った子どもだった。だからユカにここまでさせてしまった…カイルにも」
「それを自覚できたなら、身体を張った甲斐はあったわ。カイルには本当に悪いことをしたわ。他に方法を思いつかなかったばかりに無理矢理こんなことをさせて、彼を傷つけてしまった」
ただ暴力をふるうだけでなく、無理に暴力をふるわされるのも精神的な暴力なんだと、私はユリウスに説明した。
彼は神妙に頷き、このことで絶対カイルを責めないと約束した。
強引で無茶なことをしたと私自身に反省しながら、一歩前進出来たことを喜ぶ。
とにかくこれで、あの子達はこれ以上辛い思いをしなくて済む。
肩の荷を降ろした私は、ユリウスに湯殿を貸して欲しいと頼んだ。
「残り湯はまだある?なければ水でいいわ。洗い流すだけだから」
「もうこの時間は片付いているからな。まってろ、少しなら湯をもってこさせる」
「いいわよ、今の姿は誰にもみられたくないから」
「任せろ。部屋の中には入らせない」
ユリウスは侍女部屋で待機を命じてあった侍女からお茶用に用意している湯を鍋ごと受け取ると湯殿へと運んだ。
「ありがとう、一人で行くわ」
「手伝っては駄目、か?」
いつもなら捨てられることを怖がるような子犬の目でうるうると見上げてくるのに、今は私をまっすぐに見つめていた。
「じゃあお願いするわ。脱がすのも手伝ってね、実はもうあまり力が入らなくって」
ソファーの上に横たわったまま、ユリウスの長い指が慎重に私のドレスの腰元を縛るリボンを解き、残っているボタンを外していく。
痛んだドレスが脱がされ、その下から現れた下着やコルセットを彼は真剣な顔で脱がせてくれた。
素っ裸になった私をユリウスはそっと抱きかかえて運び、空の湯船に降ろす。
床は石張りで、盥を使わなくても床が濡れることを気にしなくてもいいのが羨ましい。
さすがに王子の居室だけあって、私の部屋では侍女達が水を運び入れるのに、水道のようにつまみを引くと水がほとばしる仕掛けがあり、傍らに置かれた壷に勢い良く流れ落ちた。
壷に少し水が溜まると鍋の湯を入れ、手でかきまぜ温度を調整している。
「湯の量が少ないからあまり温かくはないが」
私が頷くと、湯船に横たわる私に彼は柄杓のようなもので汲んだ湯をかけてくれた。
少し冷たく感じる湯が、打撲や傷でほてる身体に心地いい。
でも、やっぱり傷口に触れるとぴりぴりと染みた。
「痛むか?」
「大丈夫、といいたいところだけどそれなりにね。構わずかけて。湯冷めする前に出たいわ」
私はユリウスがするというのを拒み、痛みをこらえながらも自分で石けんを泡立たせて身体を洗った。
そしてそれを綺麗に流してもらうと、濡れた身体を柔らかい布で包まれ、再び抱きかかえられ運ばれた。
「この部屋は…」
私は、まだほとんど濡れたままベッドの上に降ろされた。
聞くまでもない、ユリウスの寝室だ。
そこまで心の準備が出来ていなかった私が身体を起こそうとすると、ユリウスが私に抱きついて押し倒した。
「濡れるわよ」
頭に手がとどかず、ぽんぽんと背中をたたく。
だけど、ユリウスは黙って私に抱きついたまま離れない。
「私に風邪をひかす気?」
ユリウスははっと起き上がると、あわてて私の身体をぬぐってくれた。
さっきは表情ひとつ変えなかったくせに、我にかえったのか頬をあからめ、視線を私から外したまま手を動かしている。
濡れてしまった上掛けのシーツを外して私を横にならせると、横にかけてあったガウンをとって私の上に乗せ、替えのシーツをとってくるからと離れようとした。
私はその腕をつかんで引いた。
ユリウスは引き寄せられるようにそのままベッドに倒れ込み、そこを私は抱きついた。
「ユカ、風邪をひくと…」
「いいからしばらくここにいなさい、くっついていれば温かいわ」
ユリウスは堰を切ったように私に抱きつくと、しがみつき嗚咽を漏らし始めた。
泣き虫王子め、愛の鞭が効きすぎたかな。
私は抱きしめて背中にまわした手で、背中をそっと抱きしめる。
私の頬が熱いせいで、押し付けられたユリウスの頬が冷たく気持いい。
二人の間に挟まり邪魔なガウンを退けると、ユリウスの身体が密着した。
ユリウスの絹製のシャツとズボンは、上等なだけあって、肌に触れるとつるつるとなめらかで気持がいい。
それに服越しに感じる体温の心地よさは、先ほどまで昂らせていた心を落ち着かせてくれる。
いつもの頭を抱えるようにではなくこうやって胸の中で抱きしめられると、筋肉質な胸や腕を感じ、もう立派に男だと意識させられる。
私はユリウスの腕に身を委ね、いつの間にか眠りに落ちてしまった。




